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2021年11月19日

活力

ジムの筋トレでいつも思う事。1週間程度空けて行ってマシンを動かす時に軽く感じる。
これはたぶんその動きに対して筋肉を使わないから十分に筋肉が休んでいるからだと思っている。連続していった時は同じ荷重でも辛いからそう思う。
しかし。昨日は最初から辛く感じた。間違えて5キロ多い荷重かと思ったくらいだ。
最初にスタートする腕を引く・降ろすだけかと思えばレッグプレスや腹筋もキツイ。

なんか先週位から感じていた。急激に疲れやすかったりする。
上りの階段でそれを感じた。ただでさえ不自由さがある脚や歩行なのだが、上り階段で脚を上げることが辛く感じた。上るスピードも遅い。脚の状態の不調がいつもと比べてあるわけではないのに。
歩くスピードが遅くなったように思う。もちろん歩くということは状態に大きく左右されるのだが、調子いい時でもスピードが自然と遅くなっている。
ただし金曜日の終業後の居酒屋へ向かう時は早い。

不自由な身体ながらも、もう少し全身に活力があったのだ。それは元通りに近づけようという決めた意志のもと、不自由さで腐る気持ちを凌駕する思いに支えられ。
何が無くなったかと言えば活力がないのだ。
決して少し良くなったものの慢性化した今の状態に満足しているわけではない。常に元通りを目指していることは間違いない。
歳をとったのだ。

加齢による機能の低下。
もちろん急に来るものではないだろう。一体どのように加齢による様々な運動機能は低下していくのか調べてみよう。ただ自分に関していえば受傷で低下してしまった運動機能は良くなっている。
機能の低下は運動機能だけではない。
今日、久しぶりにゆっくり会社に行こうと1時間半遅く起きた。朝の番組を見ながら、だいたいこのコーナーの時までに歯磨きを終わらして…とかがルーティンだ。だが時間が変わればそれは変わる。
今日、会社に来て気づいた。髭を剃るのを忘れていた。

脳の働きが低下するのだろう。うっかりと言えどもそうなのだ。
最初は小さなこと。髭の剃り忘れもそうかも。脳の働きの低下なのか脳の萎縮なのか。
活力というコトバは曖昧だ。ただ自分に自覚があるとすれば活力の低下なのだ。そういえば更年期障害なのかと調べたら、当てはまる年代は40代後半から50代前半とあった。もう終わっている。
活力は読んで字のごとく活き活きとした力だ。生きるためのエネルギー。

新しいことをやらないといけないのだろう。
新しい人と出会わないといけないのだろう。
自らの行動、他からの影響、この二つが今の自分には欠けている。ずっと欠けていると思っていたことだ。欠けていることが解り、思うことはまだ自分の防御本能が働いている。
加齢による精神的・肉体的劣化は必ずある。それを超える活力を自分の中に造りたい。
posted by shigenon at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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