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2022年04月12日

手の平への3本

忘れていた。退院記念日を。4月10日だったのだ。満7年。
そのころと比べてどうか。後で読み返そう。
鍼では脚を打った後に腕に打つ。行き始めた当初から両手の痺れはセンセイに伝えていた。なので手にも打つ。手の平と甲だ。

退院してしばらく家で療養後仕事に復帰して客先に行く。ほぼ半年のブランクだ。
歩くことに難があっても座っていると見た目は普通だ、。痩せてカッコ良くなったとも言われた。
見た目から“元通り”を目指しているのだが、“いや、痛さと痺れが大変なんですよ”と言いたい。そうしないと闘っている自分の慰めにならなかった。
手の痺れをいう時に「テーブルを10回たたいて氷水に30秒漬けた状態です」とよく言っていた。
まさに的確な表現だと自分で感心していた。

今はどうかというと、慣れたのだろうか痺れに。それとも緩和したのだろうか。
確かに「テーブル10回、氷水30秒」の痺れと言われればそうかなとも思うし、もっとラクなような気がする。
たぶん感覚が変わったのだろう。慣れたのだ。
前は痺れていることとモノを掴むとかの基本的動作にも難があった。今は普通に使える手だ。

話を戻して鍼。
当初から手の平、親指の下の辺りに打ってくれる。その時は痛くなかった。ふつうはこの場所には痛いから打たないですとセンセイは言っていた。ふつうの人に打たないことをたくさんしてもらっているのだ、それは痺れて感覚が鈍いからこそできることか。
手の平の鍼は心地よかった。痺れている手の平への刺激は必要だ。

いつからだろう、それが痛く感じるようになったのは。
去年の秋ごろか。手の平に打つ瞬間に目を閉じるようになった。いや、センセイ手の平はもう痺れていませんからいいですと言いたくなる。実際は痺れているが。
遠回しに言ったことがある。「前は痺れが強かったから痛くなかったけど痛みを感じるようになりました、やはり手の平は痛いですね」と。
「そうですか、手の平は痛いからあまり打たないんです、患者さんが来なくなっちゃう」と笑いながら言う。
やんわり手の平の鍼を拒絶しているのだが伝わらない。ただ手の平の鍼を止めるのも不安なのだが。

その手の平の鍼、ふだんは親指の下と小指側の2本なのだが、先週は一番痛い親指の下に3本。
え〜、しかも痛い。少し深いのだ。
センセイはその日の状態で打つべき箇所を見極める力がある。それはこれまで書いた通り。何か手の平を見て打たないといけないと思ったのだろう。初めてだ、手の平に3本は。
鍼で痛いと思うのは首と手の平。そこを打つ時だけはグッとガマンしているのだ。

巧緻運動障害。細かな動きに難がある。それに加えて痺れ。
それが使える手になったのは手の平の鍼のおかげだと思うようにしよう。
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posted by shigenon at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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