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2019年12月08日

吉良 親貞(きら ちかさだ)

吉良 親貞(きら ちかさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部国親の次男。長宗我部氏の家臣。

香美郡山田氏

ken_kata.jpg
山田氏は土佐の戦国時代、香美郡山田郷を領して「土佐七守護」の一人に数えられる有力国人領主であった。
香美郡楠目城または山田城とも言う。
山田氏は鎌倉時代のはじめ、香美郡宗我部郷に地頭として入部した大中臣(中原)秋家が、のちに山田郷に移って山田を称したことに始まると伝えられている。そもそも大中臣(中原)秋家は、甲斐武田氏の一族一条次郎忠頼の家臣であった。
 甲斐武田一族は、源平争乱の時代に活躍したが、のちに源頼朝からその威勢を忌まれ、一条忠頼・板垣兼信・武田有義らの兄弟は、殺されたり、失脚したり、行方不明になった。一条忠頼の家臣であった秋家も危ない運命にあったが、「歌舞音曲に巧み」だったことから、頼朝の「芳情」を受けて、一命を助けられ頼朝に直接仕えるようになった。
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