2019年12月22日
楠目城
楠目城(くすめじょう)は、土佐国、現在の高知県香美市土佐山田町楠目字楠目にあった中世の日本の城。別名・山田城。「楠目城跡」
概要
鏡野中学校の東に位置する山が楠目城跡です。南と西に城跡へ上る道があります。戦国土佐七雄にも数えられる山田氏の城跡で、建久年間(1190年から1198年)に
源頼朝の命を受けた中原太郎秋家が、土佐に下り香我美町宗我部(そがべ)、深淵(ふかぶち)の二郷の地頭職に着任したのち、楠目城に移り山田氏を名乗ったといわれています。天文年間(1532年から1554年)の終わりごろ、長宗我部国親に攻められ落城しました。
城跡の頂上に「北ノ森詰」「南ノ森詰」「マリノニワ」等があり、空濠や土塁が昔の名残をとどめています。
香美市指定史跡です。
概要
鏡野中学校の東に位置する山が楠目城跡です。南と西に城跡へ上る道があります。戦国土佐七雄にも数えられる山田氏の城跡で、建久年間(1190年から1198年)に
源頼朝の命を受けた中原太郎秋家が、土佐に下り香我美町宗我部(そがべ)、深淵(ふかぶち)の二郷の地頭職に着任したのち、楠目城に移り山田氏を名乗ったといわれています。天文年間(1532年から1554年)の終わりごろ、長宗我部国親に攻められ落城しました。
城跡の頂上に「北ノ森詰」「南ノ森詰」「マリノニワ」等があり、空濠や土塁が昔の名残をとどめています。
香美市指定史跡です。
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