2019年08月13日
会社の後継ぎになるということは最高の親孝行!
一から会社を叩き上げ、自らの夢や目標を実現し、家族を養うために必死に働いた中小企業社長の父親とその背中を見て育った息子。幼い頃、病弱で入院を繰り返していた息子が心配で、朝から晩まで休日なしで働いているのに、毎日必ず病室で息子の状態を気にする父だった。
何とか今は健康を取り返すまで復活した息子。父親の愛情は痛い程、理解している筈である。必死に頑張って働いたが中々うまくいかず、経営が不安定の中でも必死にやりくりして、息子を人並みに大学まで行かせた。父親も毎日工場を切り盛りする中で汗や機械の油などで汚れて帰る自分を息子たちが見て嫌がるのではと、極力そういう姿は見せまいと努力していたものだった。
その息子は大学卒業後、大手電鉄会社に入社した。内定をもらった時は、父も大企業に入れて将来安定した生活が送れると、頑張った息子を事あるごとに、就職祝いだと食事会を開催していた。
その時は「自分の会社は自分の代で終わろう」と決めていたので息子の就職には本心から喜んだものだった。奥さんも旦那が立ち上げた会社がいつまで経っても不安定なものであり、家計も苦しかったので、息子の就職にホッと肩を撫で下ろしていた。
息子は家族を中心に周囲の期待に応えようと入社してからも必死に勉強し、同期の連中よりも早く出世しようと「公認会計士」の資格取得にも力を入れていた。父も将来の目標を定めて頑張っているその姿を見て頼もしくなったものである。
一方で、本心では息子がいるのに会社を継いでもらえない一抹の寂しさも持っていた。将来エリートコースを歩むつもりで、がむしゃらに頑張っている息子に今更、こんな町工場を継いでくれとは言えない自分にもどかしさを感じていた。
自分も既に64歳で世間で言えば定年退職の時期である。知力・気力・体力の衰えも目立ちだし、今は何の持病もないが先もない保障はなく、不安でいっぱいで、会社をいつまで続けられるか分からない。社内にも後を継いでくれる従業員もいないし、外部から経営者を招聘するような会社でもない。
息子に継がすにしても事業承継には平均で5〜10年の準備期間が必要で、今から取り掛かるには遅すぎる。会社売却もこれといった資産価値のあるものはないし、廃業の道しかないであろう。どうやって会社を廃業すればいいだろうかと私の事務所に相談に来られたのである。
社長からすれば、なかなか軌道には乗らなかった会社ではあるが、思い入れはもちろん強く、家族を何とかギリギリでも生活させてくれた会社である。自らやりたい目的を持って立ち上げた会社だから愛情も相当程度、注入してきた会社である。社長はどうすればいいか毎日、悩み苦しんでいた。
親子で酒を飲みかわす機会も増えたが、肝心の事業承継の話からは双方が逃げている。息子も普段から、ひょっとしたらいつか後継ぎの話をしてくるのではとびくびくしながら警戒していたようだ。必死にその場をかわそうと準備もしていたようである。
そういう矢先、父は息子を呼び、ダメ元で事業承継の話を持ち掛けてみた。息子もはっきりさせないと父も期待ばかりしてしまうので、勇気を出してはっきり断ることにした。父もやっぱりなと思いながら、残念な気持ちを抑えて、息子の将来を暖かく見守ることにしたようである。
息子も大学まで行かせてくれた事への感謝はするが、同じ苦労はしたくないというのが、主たる理由のようだ。それなら自ら改革をし、自分の理想とする経営を追求すればいいが、そこまではしないみたいだ。
父と息子の関係は母と息子の関係とは違い、二人で話すにしても照れ臭いものである。アルコールの力を借りてようやく会話できる親子も多いだろう。
年々弱っていく父を横目に「それでいいのか。親孝行とは何か」を自問自答してもう少し考えてみたらと私は息子に再考を促した。何が自分にとって最適な決断かを父にも息子にも考えてもらえたらと思い、私もできるだけ話を聞き助言した。後継者という呪縛から離れたいだけなら、考え直す余地はある。会社はやり方次第で良くも悪くもなる。
安定した大企業のサラリーマンとは違い、守ってくれる人もなく自己責任で総てをやるというのは大変なことだが、サラリーマン以上に人間を成長させる機会になるかもしれない。事業を引き継ぎ、やりたいことをやれるといったいい面を見て前向きにトライしてもらいたいものである。最後に後継ぎになるということほど最高の親孝行はないはずだ。
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