2019年07月27日
個と組織の成長に向けて!
場数を踏み、多くの失敗をしてきた経験はその人の強みとなる。人間誰しも失敗するものだが、失敗の後、ケロっとしている人、クヨクヨと悩み引きずる人とタイプは様々である。引きずる人には「悩むのは人生の停滞。どうすればうまくいくか考えろ」と切り替えを促すが、中々出来ないのが現実だ。
しつこく励ましても逆効果になるから、後は放置するが、それでも立ち直れない人が多い。集団や組織の中でずっと落ち込んでいる人がいたら雰囲気が暗くなるもので、周りは迷惑するものだ。一人で仕事をしているのではないことを意識して欲しいものである。
一方で立ち直りが極端に早いひとがいる。本当に反省しているのかと疑うもので周囲からは冷たい視線で難しいものだ。「失敗は成功の母」で失敗をいい教訓として次に生かしてもらいたいものである。
「失敗は成功の母」=失敗することによってやり方を改めることができ、かえって成功へと繋がることになるから、一度や二度の失敗にくじけるべきではないという教えである。 また、失敗してもその原因を追究しなかったり、やり方を改善しようとする姿勢がなければ、また同じような失敗をくり返すだろうということ。失敗することが、成功を生み出すことからの言葉である。(ことわざ辞典より引用)
もちろん、失敗をしてもう二度と同じ経験をしないための工夫をしても、それが間違った方法だったら、また同じ失敗の繰り返しになることにも気をつけなければいけない。
例えば、人前で話すことが苦手な人がそれを克服しようとインターネットで情報収集やハウ・ツー本を読み漁り、学習するが自分に合わない手法であって案の定、皆の前でまたスピーチに失敗してしまった。それがトラウマになり潜在意識に張り付いてしまい、ますます人前で話すことが苦手になり、そういうスピーチ機会から逃げようとする人間になってしまった。
でもそれでは一生、人前でスピーチできなくなることを懸念し打開策を模索していた。そして、まずスピーチの事前準備を徹底した上で少人数の前でスピーチする機会をつくっていった。そして成功体験を重ね、徐々に少人数から人数を増やしていき、成功の場数を踏むことで今では人前でスピーチするのを好んでするようになったという成功事例もある。こういう成功体験の積み重ねが、できるようあらゆる知恵を結集していこう。
また職場では、何でもかんでも仕事を抱え過ぎる上司が必ずいる。組織における自らの存在感を周りにアピールする為で、中高年管理職にこういう人は多い。しかしあまりにも抱え込み自らにも限界がきた為に、部下に仕事を割当てて様子を見ようとする。
そして、その仕事を部下が失敗したらみんなの前で叱咤し、やはり自分がやらなければ仕事がうまくいかないという嫌らしいアピールをする。一方でもし成功しても素直に喜ばず、自分なしでも運営できる組織に危機感を抱き不機嫌になるみたいだ。
何と情けない自己中心的な考えの上司だろう。こういう上司の下で仕事をする若手は「どうせ頑張っても出る杭は打つという上司の下では働けない」と思うだろう。そうすると個々の能力と意欲が低下してきて組織全体のレベルも低下する。
「強い個の結集」が強い組織になるものだ。上司不在でも円滑に運営できる仕組みを確立するのが上司の仕事である。会社は上司の為にある訳ではない。任せる事は育てる事の本質を理解し、組織力の強化に向けた仕組みと意識づくりをしなければいけない。その為には自らも度量の広い上司にならねばならない。
個と組織がうまく付き合いながら共に成長する為には、それぞれの意識改革と仕組みが必要である。組織の成長の為には、自らを組織に帰属させ組織での成功の成果を享受する関係にならねばいけない。プロとアマチュアの違いでよく言われるように「アマチュアは皆の和でもって成功を続けるが、プロは成功することで皆の和が生まれる」ということで野球で例えると分かりやすいが、会社組織で働く以上、プロなのだから、その意識を持ち続け、共に成長してもらいたいものである。
大船渡の佐々木投手が、岩手県大会の決勝戦で投げなかったことで、話題になっている。TVやネットでは大船渡の監督の英断だと持ち上げているようだが、一方ではプロ野球界からの圧力に屈したという声もある。今年の高校野球は大船渡の佐々木投手に話題が集中し、販売された高校野球の雑誌も表紙は総て佐々木選手で異常な盛り上がりであった。私自身もインターネット配信されていた予選の中継を見ていて、その圧巻のピッチングに甲子園でもぜひ見たいと応援していたものである。
私の意見だが、連投回避は理解できるが、どうせなら準決勝ではなく決勝の花巻東戦で投げさせてもらいたかったし、全員野球を目指すのは分かるが、公式戦初登板の子に決勝戦と言う緊張する場面で投げさせるのは荷が重いと思った。
またあそこまで点を入れられているのに、引っ張るのはどうかなとも思い、「甲子園に行きたくないのか」とのヤジを放った人の気持ちもよくわかる。あの投手が可哀想であった。
準決勝はその前の試合で好投した投手に投げさせて、決勝戦は佐々木選手が投げたら良かったのではと思う。昔と違い「根性で投げろ」という時代ではないので無理は言えないが、決して監督の英断とは思えない。もう一つ言えばいつも佐々木投手が登板する時は4番を打たせていたが、野手で出場させるという選択肢はなかったのかなと思う。
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