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2018年07月24日

ブラッとひとり旅 リスボン へ D ファティマへのバス旅行

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最後の更新をしてから、アッと言う間に1月以上も経ってしまいました。
実はその間にキプロス島に行ったりして、ファティマへの旅はすっかり私の中では過去になっているのですが・・・。 でもですね〜、このファティマの旅を語らないことには、ポルトガル旅行が完結しないので最後まで仕上げますヨ
もしもこの投稿を待っててくれた人がいたら、大変長らくお待たせしました!

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さて、バスはナザレというポルトガルの伝統的な漁村に向かい、そこで昼食を取りました。
海岸沿いにあり、なかなかステキなレストランで、魚料理も美味しかったです。
簡単な味付けでしたがボリュームがありました。
更にワイン、水、コーヒーやデザートも付いていました。結構お得感がありましたよ。
もし、リスボンに旅行に行くことがあったら、ぜひこのファティマへのバス旅行お勧めです。
食事も付いて60.-€(約7,700円)くらいでした。

午後からはいよいよファティマへ。と思いきや、バスは観光よろしくおみやげ物屋さんでストップ。
こういうシステムは、ドイツの観光地に住んでいる私にとっては見え透いたカラクリなのですが、「ま、どうせ土産物を買おうと思ってたからちょっと見てみよう」とざっと中を見回すと、大きな店内の半分は、マリア像とロザリオ関係。それとポルトガルということで、コルク製品や、水色を施した焼き物で溢れていました。
ロザリオはいかにも中国製の安物(ごめんなさい)という感じで、「こういうの今時買う人いるのかな〜?」という疑問が・・・。この土産物店でお土産を買うと、ガイドさんや運転手に旅行会社からマージンが入ることになっています。運転手はちょっとしたチップくらいですが、ガイドさんにはパーセンテージなので、腕の良いガイドだとかなりのプラスアルファになったりします。
私もちょっとガイドさんに協力するつもりで、ファティマやポルトガルのイニシャルが入った食器布巾を買いました。
そして土産物店を後にしたバスは、やっとファティマへと向かいました。

私は以前ファティマ予言の「第三の秘密」をどこかで読んで以来、いつか必ずこの教会を訪れたいと思っていました。それがこんな形で叶うとは思ってもいなかったので、ちょっと感慨深いものがあります。
ファティマに付いてはここをご参照ください。

到着すると、想像以上に広い教会の敷地にビックリ。
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熱心な信者の方は、入り口から聖母マリアが出現した場所にある聖堂まで、ひざまづいたままズルズルとその膝を引きずって行きます。
膝が擦り切れるので、膝あてを用意してズルズル進んでいるひとがいました。

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マリア像のある聖堂横、ローソクを燃やして祈念する場所には沢山の人が集まっていました。
病気の人がローソクを自分の身代わりにして燃やして行くと、病気が治ると云われています。
長いローソクがものすごい勢いで溶けて行くのを見ていると、ちょっとした感慨がありました。

本堂の中には、マリア出現に関わっていた3人の子供たちの棺と記念碑が祭られています。IMG_4562.jpg


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左がジャシンタとルシアの棺で、右がジャシンタの記念碑 もう一人の子供は男子で、フランシスコ。彼の記念碑は写真に納めなかった・・・。

このファティマのマリア出現は今でこそローマ教皇も正式に認めている奇跡ですが、当時は「無心論者」として、3人とも一時牢屋にいれられたりもしたそう。
でも3人が3人とも同じ供述をするので、すぐ釈放されたそうですが。
いつの時代もそうですが、人々にとって、まったく面識のないことをやったり言ったりすると、即警戒されますよね。ましてや、マリアの出現だの、天使の出現だの当時の人々にとっては、全くの戯言にしか聞こえなかったことでしょう。

ファティマでの聖母がした3つの予言の内第3の予言については、1960年まで封印するようにと言われましたが、その時期になってもいつまでも発表されませんでした。

とうとうその封印された予言を公表せよ、と1981年にハイジャック事件まで起きたのです。

犯人はカトリック修道士だったそうですが、関係者にとっては、まだか、まだかと待たれてたのも限界だったのでしょうね。

当時のローマ教皇が卒倒するような内容だそうですが、それについてはいろいろ言われています。
以下Wikipedia からの引用です。

公文書:「ファティマ 第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ『第三の秘密』に関する最終公文書」(教皇庁教理省)
すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂の為に祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、そして様々な階級と職種の平信徒の人々も次々にそこで死んでいきました。十字架の二つの腕の下にいた二位の天使は、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。
トゥイにて 一九四四年一月三日

− 教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密』カトリック中央協議会、2001年
教皇ヨハネ・パウロ2世は、2005年2月23日に著作『記憶とアイデンティティー』においてファティマのメッセージの全容に関する解釈を開示し、その内容を1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと規定して、背後に20世紀に生まれた暴力的なイデオロギーに属するしっかりした組織があったと述べ、2005年4月に発表された遺言において核戦争なしに冷戦が終結したことを神の摂理として感謝している。

以上 引用から

ここで爆弾発言しますが、私個人的には、教皇庁の発表は真実ではないと思います。

その内ローマカトリックは崩壊するのではないかと思います。

ここでその理由を語るのは避けますが、近い将来、時代が宇宙の摂理に叶って、本来人間の持つ真の姿に戻ることができれば、そうなります。
また、そうあってほしいと切に願います。

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