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2023年06月04日

【死生観】その@自死について

どうも…ペインパッカーchです♪

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昨今これまでにないほど、日本だけではなく世界のアチコチで様々な問題と不安を抱え混沌とした日常が続いております。

例えば海外では超一流の大手銀行が倒産したり、人口増加による食糧問題、貨幣価値の低下危機や終息しないロシアとウクライナの戦争…他にも環境問題や人工知能の進化、高齢化現象や物価高騰が続くなど本当に目まぐるしい世界情勢です。

私たちが生活している日本も当然ながら例に漏れず、今までに経験したことのない色んな問題が現在から少し先の未来まで山積みだと言えるでしょう。

皆様も御承知の通り、統一協会問題や個人テロ事件の未解決、物価高騰に光熱費の割増し、交通機関の賃上げや社会保険料up、国内で広がる日本破壊活動団体の増加、移民受入れやLGBTの問題、労働人口の減少、少子高齢化、低所得による未入籍者の増加、物流非潤滑現象、格差社会問題、セーフティネットの申請者激増、コロナ感染症の継続やワクチン接種の後遺症等々…その他まだまだ細かいことも含めれば日本国内だけでも気が狂うほど問題だらけです。

相変わらず前置きが少し長くなりましたが、そんな世の中だからか希望や野心を抱いて社会に挑む若者は年々減ってきており、現役の学生が将来やりたい職業も公務員や大手企業の正社員が最も多く…一昔前のようにアスリート選手や自営業者を目指す人など現代は本当にマイノリティでして、憧れる職業ランキングでYouTuberが何とかトップ10に入った以外は、安定性重視の傾向にあるという印象を受けます。

おそらく何かを新たに始めたり、0から築き上げると意気込んで取り組むという発想すらない人が、この今の日本には若者だけでなく全世代において大半を占めるでしょう。

そのような傾向が極度にマイナス方向へ陥った場合ですが、このところ芸能人など有名な方も含めて…ここ数年間で驚くほど自死される人数が増えております。

政府が公表している年間の自死数は2〜3万人ですけども、行方不明者の数や表面化されていない人数を含めれば、その程度の数で済むはずがありません。

そこで今回は自死する人への個人的な考え方と死生観について少しお話していきたいと思います。





死生観とは、生物学的に人間が死ぬことを前提として、どのように生きていくのか?あと何のために生まれて死んでいくのか?などに対する捉え方や考え方を表す言葉です。

現世では基本的に肉体の機能が完全に停止すれば死亡となります。

死亡してからの考え方は人それぞれで、肉体の活動が終了すれば完全に無になるのみである…という人もいれば、魂(潜在意識)は生き続け霊界へと導かれ新しく死後の世界で日々過ごすと考えられる方もいらっしゃるでしょう。

それでは先ほど触れました自死する人も自然死された方も同じ末路なのですかね?

まず個人的な考えですが…自ら命を絶つ方に対して一切同情しませんし寄り添う気持ちなど1oたりともありません。

いかなる状況や環境、どれだけヒドイ目に遭ったり心を引きちぎられるような出来事が起きて生きる気力を失った…など本人しかわからない壮絶な悩みがあっても関係ないです。

自ら命を絶つことは他人を殺めることと同罪であると僕は前々から断言しております。

当然ながら人間は個々それぞれ自発的に誕生した訳でもなく、自立するまで親や誰かしらが食事を与えたり育ててくれる人がいたから生きてこれているのです。

つまり我々も自ら命を絶つ人間も思いのまま使用できる肉体は誰しも1つですが、その肉体の所有権は本人と育ててくれた肉親や恩人にも幾分かは発生すると考えます。

それゆえ…どうしても自ら命を絶ちたければ、育ててくれた方に今まで自分に費やした分ぐらいの金額もしくは等価値のモノを渡した後、誰かに発見されそうな場所ではなく、死体が見つからないことで有名なところを検索した上で心置きなく死んで下さい。

自ら命を絶つなど全く考えもせず、愛情を持って育ててくれた親や恩人の人生も台無しになりえます。





ちなみに時代の背景で致し方無く戦争に巻き込まれ追い詰められて自害したり、旧日本では自刃にて腹をかっさばく切腹なども自死には該当しません。

我が子なり育てた人間が自ら命を絶ったことが現実に起きてしまえば、その方々の残る人生は死ぬまで地獄のような日々でしょう…とても言葉や文字などでは表現できない状態に一生陥ると思われます。

だから…せめて行方不明という形で勝手に死ねと思います。そいつのせいで例え肉親であっても自分以外の人間が一生を台無しにするようなことを実行するなどクズ以下です。

それか…どうせ死ぬと決めたのなら、働き手が集まりにくい原発事故処理施設の作業員など命懸けとも言える仕事をして、せめて人様のために自身を犠牲にするようなことをすればいいでしょう。

多分ですが自ら命を絶つ人のことを僕以上にディスる方は皆無に等しいでしょうけど、自分の妻子や親族を含む全ての人間との関係を断絶、事業も貯蓄も家も車も所有物など一切合切なにもかも全部失い、年収2000万円以上の事業主から唐突に明日さえ分からない単なる中年男に成り下がり、実生活も精神的にも追い詰められ、おまけに自ら死を選ぶことも遮られるという経験をしているので『自分で死を選べるなんて贅沢や』としか思わないんです。

これまで述べた内容は僕個人の死生観ですが、以前そのことで何度か話し合った際「死んだ人への冒涜だ」とか「強い人ばかりじゃない」「そうするしかなかったんだよ」など様々な意見を聞きました。

やはり一般的に日本人の場合、死者に対する考え方は偏っていて、亡くなった者については労りの心で…といったニュアンスの方が多いです。

でも…それは寿命や不慮の事故等でお亡くなりになった方への配慮であって自死する人には該当しないというのが僕の意見でございます。





あらゆる苦難や絶望に遭い、信頼していた人から裏切られたり全てを失うようなことがあっても、最後まで生き続けて寿命で逝去された方と勝手に自ら命を絶った者が同列なわけないやろ!と思うからです。

少し話を戻します…人間が生き抜く道中において大半の方は「死にたい」「死んだほうがマシ」と考えたことぐらいはあると思いますけど…大抵は実際に自死するまでには至らないでしょう。

その答えは、前述の通り自分自身に無償の愛を注いでくれた人や、育てて頂いた方、色々と世話を焼いて下さった方など…要するに自分が人生を途中で終わらせてしまえば、それらの方々の想いや愛情は無駄になり、また自死などしたら既存の近しい人が受ける強いショックや深い悲しみの念を与えることになります。

ましてや自分が守るべきパートナーや子供などが存在する人であれば、愛する相手に一生のトラウマを植え付けることになるのです。

踏みとどまる理由は千差万別でしょうけども、いずれにせよ死のうと思うのなら逆に開き直って通常であれば命の危険が伴うため躊躇することでも率先して行えるし、恐れるものも失うものもないので何にでも猪突猛進で挑めます。

自死に関する死生観の結論ですが、何が起きようと自ら命を絶つのは人間として最も罪深く、死んで苦しみから逃げたつもりでも更なる苦しみが待ち受けていますので、それなら開き直って死に直面するような事柄に立ち向かったり、ある意味で言わば無敵の状態にだってなれるため、断じて自分を殺めるなんぞ選択肢に入れてはならないということです。

死生観は個々それぞれが持つ概念ですので、もちろん千差万別あらゆる捉え方や考え方があるでしょうけど、全ての人間が絶対に不可避な死について一度じっくり思考を巡らせても良いかなと思います。

今回は死生観その@自死について個人的な考え方を語らせてもらいました。

最後までご視聴して頂きありがとうございました。

=END=
タグ:死生観
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