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2022年10月15日

こんにちはコウジです。「ピタゴラス」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
2021/7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と7/3の時点で‗
@SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3575‗Aev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒3131
‗BBLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒5477‗CKazenoKouji‗3422⇒6564
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6706+12041【19747@7/3】


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】




謎に包まれたピタゴラスの人生


ピタゴラスは古代ギリシャの数学者です。

皆さんもピタゴラスの定理(三平方の定理)

という言葉は聞いた事があると思います。

初等幾何学で出てくる話で、色々と応用が効きます。

同じギリシャのデモクラテスは朗らかなイメージ

なのに対し、ピタゴラスのイメージは暗く

謎に包まれています。トルコの辺りで生まれた

らしいと言われています。そして、

その後は現代に余り情報が残っていません。そもそもピタゴラスが組織したと言われた教団は秘密主義を徹底して、組織内の話しを外部に漏らすことを厳しく禁じました。実際に秘密結社ですから掟に背いた時は罰を受け、海に突き落とされたそうです。

何度聞いても残酷な話しみたいで、その時代の人は泳げなかったから死刑に相当しました。たまたま漁師だった信者が浮かんでいたとしたら、船から棒で突かれたりしたのでしょう。こうした秘密主義の教団だったので、ピタゴラスの肖像画も見れませんし、遺稿も無いそうです。

我々がピタゴラスの人物像を垣間見れるのは2次情報で、教団との関わりが無くなってきた御弟子さんの話とか著作物なのです。そうした2次情報によると、ピタゴラスの若い時代にはエジプトやインドを旅したりしていて、幾何学、天文学、算術、比率、宗教密儀、ゾロアスター教などに関わりピタゴラスは知識を深めました。

 ピタゴラスの独自性


ピタゴラスの考え方で特徴的なのは「あらゆる事象には数が内在している」という客観的な事実の提唱でした。確かに後の理解で整理すると、その時々に万物には質量があり、「固体・気体・液体」といった状態があり、空間上で占めている体積があって、その時の温度があります。

各種パラメターを使い、後の学者たちはそれぞれの関係を法則化して体系化していくのですが、それは後の話です。そうした議論の土壌をピタゴラスじは作り始めたと言えます。非常に大きな進歩だったと思えます。音楽の世界や天文の世界でも数(数値)が大きな役割を果たすことをピタゴラスは示したのです。

ピタゴラス学派の活動と顛末


エジプトでは幾何学と宗教の密儀を学び、フェニキアで算術と比率の知識を得て、ゾロアスター教の司祭のもとで学んだといわれています。そうした修行・研修の時期を過ごした後にピタゴラスはイタリア半島を拠点とし活動しています。

色々な人々をピタゴラスは言動で惹き付け、やがては沢山の弟子を集めピタゴラス学派(ピタゴラス教団)と呼ばれる団体を組織します。この組織にはいつしかパトロンが出来たりした時期もあったのですが、組織に対抗する人も出てきたりして、最終的には暴動が起きてしまいピタゴラスも殺されてしまったようです。

〆最後に〆


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(2021年10月時点での対応英訳)



The mysterious life of Pythagoras


Pythagoras is an ancient Greek mathematician. I think you have heard the term ”Pythagorean theorem” (three squares theorem). It is a story that comes out in elementary geometry, and it can be applied in various ways. The same Greek Democrates has a cheerful image, while the image of Pythagoras is dark and mysterious. They said Pythagoras to have been born around Turkey. and,

After that, there is not much information left in modern times. The sect, which they said to have been organized by Pythagoras in the first place, strictly prohibited the leakage of stories within the organization to the outside. Since it is actually a secret society, he was punished when he violated the rules and had pushed into the sea.


No matter how many times I heard it, it seemed  for me like a cruel story, and people of that era couldn't swim, so it was equivalent to the death penalty. If a believer who happened to be a fisherman had been floating, they would have stabbed  with a stick from the ship. Since it was such a secretive cult, we could not see the portrait of Pythagoras, and there was no manuscript.


For the Pythagoras's era is extreemly old. What we can get a glimpse of is the story and copyrighted work of the disciple who has lost his connection with the cult in the secondary information. According to such secondary information, Pythagoras traveled to Egypt and India when he was young, and he deepened his knowledge about geometry, astronomy, arithmetic, ratios, religious esoterics, Zoroastrianism, and so on.



Uniqueness of Pythagoras


A characteristic of Pythagoras's thinking was the advocacy of the objective fact that "every event has a number inherent in it." Certainly, if we summarize it later, there is a mass in everything at that time, there is a state such as "solid / gas / liquid", there is a volume occupied in space, and there is a temperature at that time.


Using these various parameters, later scholars will systematize and systematize their relationships, but that is a later story. Pythagoras created the ground for such discussions. I think it was a huge step forward. Pythagoras has shown that he also plays a number of major roles in the world of music and astronomical.



Activities and consequences of the Pythagorean school


Pythagpras had said to have studied geometry and religious esoterics in Egypt, gained knowledge of arithmetic and proportions in Phoenicia, and studied under a Zoroastrian priest.


After spending such training and training, Pythagpras had based in the Italian Peninsula. Pythagoras had attracted various people with words and deeds, and eventually gathers many disciples and organizes an organization They called the Pythagorean School (Pythagorean Church). There was a time when a patron had formed in this organization, but some people opposed the organization, and they said that Pythagoras was eventually rioted and killed.

2022年10月14日

和達清夫【1902年(明治35年)9月8日 - 1995/1/5】


愛知県に生まれた和達(わだち)清夫は和達三樹のお父様です。
(和達三樹の名は教科書でおなじみなのではないでしょうか)
和達清夫は地球科学に足跡を残し、特に気象学や地震学で
有名です。いわゆる「マグニチュード」の概念は和達清夫の研究が
ヒントとなったと言われています。個々の地点で感じられる(観測される)
「震度」に対して地震そのものの大きさ(震源地での大きさ)を表す
マグニチュードの概念は、その後は地震が起きるたびに活用されて
非常に重宝な概念として使われています。あたり前に使われています。
先進的な研究を続けて震源の深さから範囲も考えてマグニチュード
の概念に至ります。


そもそも和達清夫の博士論文は
「Shallow and deep earthquakes」
でした。


和達清夫の経歴を振り返れば、東京帝國大学理学部物理学科


を卒業後に中央気象台勤務していきます。


気象台では第6代の気象台長を務めました。


和達清夫の時代から物理が実学として活用されていきます。


地球物理学を実務に適用していったのです。


和達清夫は気象観測の黎明期において指導的な役割を果たしました。


1960年には(第5代)日本学術会議議長、(第17代)日本学士院院長、


埼玉大学学長、日本環境協会会長などを歴任しました。


和達清夫は1985年には文化勲章を受勲しています。


92歳で亡くなっています。


 

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〆最後に〆


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 (2021年10月時点での対応英訳)


Sums (wheel track) Kiyoo born in Aichi is father of Miki Wadachi.
Kiyoo Wadachi leaves a footprint for earth science (whether the name of Miki Wadachi is not familiar with a textbook) and is famous for meteorology in particular and seismology. It is said that a study of Kiyoo Wadachi became the hint as for the concept of so-called "magnitude". Whenever an earthquake gets up afterwards, the concept of the magnitude to express size (size at the epicenter) of the earthquake itself for "the seismic intensity" that is felt to be individual points (is observed) is utilized and is used as a very useful concept. It is used in front of the area.
I continue an advanced study and think about the range from the depth of the seismic center and lead to a concept of the magnitude.


In the first place the doctoral dissertation of Kiyoo Wadachi
"Shallow and deep earthquakes"
I did it in this.


If look back on a career of Kiyoo Wadachi, Tokyo emperor country University department of science physics subject


After graduating from this, the Central Meteorological Observatory works.


I acted as Mayor of the sixth meteorological observatory in the meteorological observatory.


Physics is utilized as practical science from the times of Kiyoo Wadachi.


I applied geophysics to business.


Kiyoo Wadachi played a leading role in the dawn of the weather observation.


In 1960 (the fifth) Chairperson of Science Council of Japan (the 17th) Japan Academy's director,


I successively held Saitama University's president, Japanese environmental association's chairperson.


As for Kiyoo Wadachi, Conforment of honor is doing the Order of Culture in 1985.


I die at 92 years old.


 

2022年10月13日

建部賢弘_【1664年(旧暦)6月 〜 1739/8/24】


建部賢弘は日本の数学者で、和算を大成した人物です。
江戸時代1664年に生まれています。


関ヶ原の合戦が1600年で江戸太平の世の中が200年ほど
だったことを思い返せば建部はまさに江戸時代の中期
に活躍したと言えますね。


時は享保の時代で8代将軍の暴れん坊将軍「徳川吉宗」
の信頼を得て享保四年(1719年)「日本総図」
を作成します。また、
師である関孝和の業績に関する著作を多数残しました。
その内容は歴史的な記述というよりも
数学の側面からの解説書であったようです。


そもそも、関孝和は沢口一之が残した『古今算法記』での未解決問題を関さん独自の点竄術を使って解決していました。そこで「関さんの悪い所」なのですが、省略し過ぎで難しい本だったのです。ここで面白いのは関西系の数学者からツッコミ食らっていた事情です。頑固な江戸のおじいちゃんが関西人からツッコまれていたのですが、建部さんは丁寧な解説で「正しいでしょう?」って感じの話し方が出来たのです。きっと関西人たちも納得したはずです。関西人であれスッキリした瞬間です。


そして、師匠の関孝和と建部賢弘と建部建部賢明の三人で全20巻の
「大成算経」は当時の和算をまとめ上げた秀作として評価されました。


建部賢弘の大きな業績として円に対しての定量的な追及があります。物凄い精度で円について考えていったのです。そもそも、精度の高い真円が描けたとしてもその円での半径とこの長さの関係は自明ではありません。今でこそ、子供たちも3.14…と記憶していけるのですが理論的に真円が描けたと考えた時の弧の長さは「三角関数を使って級数を作り極限」を求めていくしかありません。この三角関数、級数、極限といった概念を和算の中で正確に使っていくデリケートさが求められるのです。建部賢弘は丁寧に言葉を選んで誰でもわかる表現をして未知の世界に挑んでいったのです。建部以前の時代から使われていた正多角形を円が囲む近似から考えていって、逆に正多角形に円が囲まれた部分を想像して、円の面積がA以上B以下であると証明していくのです。そして円弧の長さがα以上β以下であると証明していったのです。そして建部賢弘は円周率を41桁まで正確に出したのです。世界的に考えても数値的な解法として優れた業績でした。


その他にも建部賢弘は多くの業績を日本に残しましたが、以下備忘録的に羅列します。


・指数1/2の二項級数の禁じ解法を紹介
・ディオファントス方程式の近似解法を紹介
・帰納法に基づいた数値解析の方法論を紹介
・無限の概念を「不尽」として導入
・三角関数の内容を表の形で明示


そして今、日本数学会では建部賢弘特別賞や建部賢弘奨励賞
という形で若手数学者を奨励する賞を設けています。
建部賢弘のように若かりし人が
新しい分野を開いていく姿を期待しています。



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2022/10/06_初稿投稿
2022/10/13_ 改訂投稿


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Kenhiro Tatebe was a Japanese mathematician and a great exponent of Japanese arithmetic.
He was born in 1664 during the Edo period.


The Battle of Sekigahara took place in 1600, and the Edo period lasted about 200 years.
If we recall that the Battle of Sekigahara took place in 1600 and the peaceful Edo period lasted for about 200 years
The time was the Kyoho period, and he was active in the 8th generation.


The time was the Kyoho period, and he gained the trust of the 8th shogun, "Tokugawa Yoshimune," the ruffian and tyrant shogun.
In 1719, he gained the trust of the 8th shogun, the ruffian Tokugawa Yoshimune, and produced the "General Map of Japan" in 1719.
in 1719, under the trust of the 8th shogun, Yoshimune Tokugawa. In addition
He also wrote many works on the achievements of his mentor, Seki Takakazu.
The contents of these works are not so much historical descriptions as commentaries on the
The contents of these works seem to have been commentaries from a mathematical point of view rather than historical descriptions.


To begin with, Seki Takakazu solved the unsolved problems in Sawaguchi Kazuyuki's "Kokin Keiken" by using Seki's original point-falsification technique. However, the book was difficult to read because of the excessive omissions as "Seki's bad point. What is interesting here is the fact that he was criticized by a mathematician from the Kansai region. The stubborn old man from Edo was getting flack from the Kansai people, but Mr. Tatebe was able to give a polite explanation and say, "Isn't that right? He was able to speak in a way that made the Kansai people understand. I am sure the Kansai people were convinced. It was a moment of great clarity, even for Kansai people.


And then, his master Seki Takakazu, Tatebe Masahiro, and Tatebe Tatebe Kenmei together produced a 20-volume book, "The Great Calculation Sutra," which was published in 1949.
The "Taisei Keikyo" was highly regarded as an excellent work that summarized the Japanese mathematics of the time.


One of Kembe's major achievements was his quantitative pursuit of the circle. He thought about the circle with tremendous precision. Even if a highly accurate circle could be drawn, the relationship between the radius and the length of the circle would not be self-evident. Nowadays, children can memorize 3.14..., but theoretically, when a perfect circle is drawn, the length of the arc can only be obtained by using trigonometric functions to create a series and finding the limit. The concepts of trigonometric functions, series, and limits must be used with delicacy and precision in Japanese arithmetic. Kenhiro Tatebe carefully chose his words to express them in a way that anyone could understand, challenging the unknown. He began by considering the approximation of a circle enclosing a regular polygon, which had been used since the pre-Tatebe era, and then, conversely, imagined the area of a circle enclosed by a regular polygon, proving that the area of the circle is greater than A and less than or equal to B. He then used a circle with an arc length of at least α and less than or equal to B. He then proved that the length of the arc is greater than or equal to α and less than or equal to β. Then, Kenhiro Tatebe obtained pi to exactly 41 digits. This was an outstanding achievement in numerical solving, even when considered on a global scale.


Kenhiro Tatebe also left many other achievements in Japan, which are listed below as a reminder.


Introduced a forbidden solution method for binomial series with exponent 1/2.
Introduced an approximate solution method for Diophantine equation.
Introduction of a methodology for numerical analysis based on induction
Introduces the concept of infinity as "inexhaustibility
・Contents of trigonometric functions are clearly stated in the form of tables.


Now, the Mathematical Society of Japan is honoring young mathematicians in the form of the Kenhiro Tatebe Special Award and the Kenhiro Tatebe Encouragement Award.
The Mathematical Society of Japan now offers prizes to encourage young mathematicians in the form of the Ken Hiroshi Tatebe Special Prize and the Ken Hiroshi Tatebe Encouragement Prize.
We hope to see young people like Kenhiro Tatebe
to open up new fields of study.


Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2022年10月12日

ゲオルク・レティクス_【George Joachim Rheticus ‗1514/2/16 〜 1574/12/4】


その名はGeorge Joachim Rheticus または Rhäticus, Rhetikus と記します。
(外国の方ですから正確にコピペしました。)
レティクスはオーストリアに生まれた天文学者です。


レティクスはフェルトキルヒ、チューリッヒ、ウィッテンベルクで数学的な素養を収めた後に1537年にウィッテンベルク大学で教授として働きだします。そして、その二年後から二年間の間、コペルニクスと共に暮らします。影響を与えあっていたのです。当時の学問多型を考えたらニュートン力学も成立していませんし、電磁気に関する理解もありません。道具立てとして使える学問は天文学と数学なのです。


あえてその他を考えていくとすればユダヤ教の発展と共に伝わってきた「カバラ」と呼ばれる数の体系です。キリスト教の色々な話に基づき数字一つ一つに意味を付けていきます。13や7が比較的幸運な番号であるといった次第に一つ一つの数字に意味が加わるのです。この考えは数秘術として占い師が今でも受け継いでいる体系です。中世には王家の意思決定などの時に真面目にこうした「議論」がなされて実際の祭りごとが行われていました。有名な人ではミッシェル・のストラダムスはフランス王家に仕え、助言を与え地位を確立しています。レクティスも何人かのパトロンのもとで研究を続けます。


また、当時の宗教が政治的にも力を持っていた側面が大きいです。特に中世以前はキリスト教の教えに従い協会自治区が地方のあちらこちらにありました。経緯としては、1096年から1303年にかけての期間に十字軍の時代には聖地を確保するために十字軍が組織され、大規模な軍事行動が行われていました。


そうした時代背景のもと、16世紀前半に宗教改革をしたマルチン・ルターによるコペルニクス批判が指摘されます。宗教が科学に対する影響は大きいのです。ルターは聖書の一節であるヨシュアによる「日よとどまれ」(ヨシュア10:12〜13)という言葉に着目しています。「地球が動いているのではなくて太陽が動いている」という聖書の中での世界観が天文学にも適用される事が好ましい世の中だったのです。ルターの思想の中には実験と経験を重視して考える思考は見受けられません。ルターによれば千年以上前に著された聖書の言葉が何より重いのです。それだからルターはコペルニクスの考えを受け入れていないのです。ルターは教会が権威を持ちと堕落しているとの批判的な観点から神の言葉としての「聖書の文言」を大事にする聖書絶対主義を掲げました。また、キリスト教の中でもプロテスタントとカソリックが天文学に対して異なる見解を示します。
科学に対してキリスト教が偏見を持っていた事情は1973年にヨハネパウロ二世が「ガリレオ裁判の過ち」
を公式に謝罪するまで続きます・


レクティスは時代背景にも関わらずにコペルニクスを支持し続け天動説を進めていきます。コペルニクスの死後まもなく発刊された「天球の回転について」において天動説を形にします。後の天文学者が大事に使っていく概念を作り上げたのです。いわゆる「コペルニクス的転回」が大部分の人に理解されなかった時代に、レクティスは理解と復旧を進めたのです。




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2022/10/05_初版投稿
2022/10/12‗改訂投稿


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(2022年10月時点での対応英訳)


I write down the name with George Joachim Rheticus or Rhäticus, Rhetikus.
(because it was foreign one, I copied and pasted it exactly.)
Rheticus is an astronomer born in Austria.


After having put the mathematical quality in felt Kirch, Zurich, ウィッテンベルク, Rheticus begins to work as a professor in ウィッテンベルク University in 1537. And, during two years after two years later, I live with Copernicus. I affected it. The Newton dynamics is not concluded if I think about study seasonal polymorphism at the time, and there is not the understanding about the electromagnetism, too. Study to be usable as preparations is astronomy and mathematics.


It is a system of the number called "the cabala" that came with development of Judaism if I think about others daringly. I add a meaning to one one number based on Christian various stories. A meaning is added to each gradually one number to be the number that 13 and 7 are relatively lucky. This thought is the system which a fortune-teller still inherits as a number secret art. Such a "discussion" was accomplished at the time of decision making of the royal family seriously in the Middle Ages, and every real festival was held. Michelle, の stole dams serve a French royal family in the famous people and they give advice and establish a position. Lek Thijs continues studying it with some patrons, too.


In addition, the side that religion at the time had power politically is big. There was an association autonomous district in local many places according to Christian teaching before the Middle Ages in particular. The Crusade was organized to secure a sacred place as process in the times of the Crusade during a period from 1096 through 1303, and a large-scale military campaign was carried out.


Copernicus criticism by Martin Luther who did the Reformation in the cause, the early 16th century of the background in such times has it pointed out. Religion has a big influence on science. By Jehosua who is one node of the Bible as for Luther "stay a day", and pay the attention to the word (Jehosua 10:12 - 13). It was the world where it was preferable for a view of the world in the Bible, "the earth did not move, and the sun moved" to be applied to astronomy. The thought to focus on an experiment and experience in the thought of Luther, and to think about is not founded. Words of the Bible written according to Luther more than 1,000 years ago are heavy above all. Because it is it, Luther does not accept a thought of Copernicus. Luther raised the Bible aesthetic absolutism to take good care of "the words of the Bible" as words of God from a critical point of view that I was corrupted if I paid a church for authority. In addition, Protestantism and a Roman Catholic show a different opinion for astronomy in Christianity.
・ that the circumstances that Christianity prejudiced against for science continue until John Paul II apologizes for "the mistake of the Galileo trial" formally in 1973


Lek Thijs continues supporting Copernicus without being concerned in the background in the times and pushes forward the Ptolemaic theory. I make the Ptolemaic theory a form in "about the turn of the celestial sphere" published soon posthumously of Copernicus. I made up the concept that a later astronomer used carefully. In the times when so-called "Copernican change" was not understood by most people, lek Thijs pushed forward understanding and restoration.


 

2022年10月11日

クラウディオス・プトレマイオス【ラテン語表記: Claudius Ptolemæus_ 83年頃 - 168年頃】



アルマゲストの著者プトレマイオス


天動説を強力に展開した書籍である「アルマゲスト」を
著したプトレマイオスは古代ギリシアの天文学者(の祖)で
古代ギリシャ語では Κλαύδιος Πτολεμαῖος, と表記されます。
その後、中世のケプラーやガリレオの登場する時代まで
プトレマイオスの学説は広く支持され
その後の神学の理論的な基礎にもなっていきます。


天動説は地球が世界の中心近辺にあり、太陽や月は地球の周りを
ほぼ円形上の軌跡をたどって移動しているという理論です。
プトレマイオスはアルマゲストで地動説の理論的な枠組みを作り上げ
当時の観測レベルでつじつまの合う天文体系を作り上げたのです。



中世における天文学の進展


その後、多くの観測がなされ、中世に至って「ティコ・ブラーェ」
等の観測データをケプラーが体系立てるまでは主に天動説が正しいと
思想の世界では一般に信じられていました。


ここで一般の人々が「天文学」をどう考えているかを考えてみます。
天文学は慣れ親しんだ夜空を表していて非常に分かりやすいです。
ところが、その内容を考えていくと内容はほとんど理解しません。


多くの人は中学生くらいの時期に天文学を教養として勉強しますが
大抵はほとんど忘れます。特に定量的な表現は忘れます。
太陽の質量がどのくらいであるとか、地球との距離がどのていどあるか
などの値を正確に言える人がどのくらいいるでしょうか。
1000人に一人もいないと思います。試験前に勉強して
その後忘れて、忘れたことは気にしません。大事ではないのです。


それだから、詳しいことはどうでもよくて天動説でも地動説でも
どちらでもいいと思います。どちらでも説明がつくのです。



プトレマイオスの業績


またプトレマイオスの作り上げた三角法は重要です。
三角関数表作成とともに発展してきました。
三角法は今の三角関数の起源となっています。


三角法は弦の長さと円弧の長さの関係を使っています。
現在使われている三角関数が角度と弦の長さを使っている
関係の基本となっているので三角法は重要です。


建築現場でも多用しています。自動車や航空機の設計でも
三角関数は必須です。



〆最後に〆


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(2022/10月時点での対応英訳)



Author Ptolemy of the almagest


Ptolemy who wrote "Almagest" which is the book which presented the Ptolemaic theory strongly is transcribed into ΚλαύδιοςΠτολεμαῖος by the Ancient Greek in astronomers (father) of the ancient Greece.
The theory of Ptolemy is supported widely until the times when Kepler and Galileo of the Middle Ages appear, and it is in the later theological theoretical basics afterwards.


The Ptolemaic theory has earth in the world central neighborhood and is a theory that the sun and the moon almost trace the trace in the circle around the earth and move.
Ptolemy built up a theoretical frame of Copernican theory in almagest and built up a correct astronomy system of the consistency at an observation level at the time.



Astronomical progress in the Middle Ages


Much observation was accomplished and were able to believe observation data such as "Tycho ブラーェ" generally afterwards in the world of the thought to the Middle Ages until Kepler put up a system if the Ptolemaic theory was right mainly.


I think about how general people are thinking about "astronomy" here.
The astronomy expresses the night sky where I got used to and is very plain.


However, most of the contents do not understand it when they think about the contents.
Many people study astronomy as culture at the time of a junior high student, but almost usually forget it. I forget the particularly quantitative expression.
How much will the person whom mass can say a value which degree distance with the earth has how long to exactly with sun be?
I think that there is no it in 1,000 people. I study before an examination and I forget it afterwards and do not mind that I forgot it. It is not important.


Because it is it, the detailed thing does not matter, and even the Ptolemaic theory is the Copernican theory, but thinks that both are enough. Either is explicable.



Achievements of Ptolemy


In addition, the trigonometry that Ptolemy made up is important.
It developed with trigonometric function tabulation.
The trigonometry is the origin of the present trigonometric function.


The trigonometry uses the relations of the length of the string and the length of the arc.
The trigonometry is important now as it is the basics of the relations that a used trigonometric function uses an angle and the length of the string for.


I use many it in the building site. The trigonometric function is required by the design of a car and the plane.


2022年10月10日

ヘンリー・ノリス・ラッセル_【Henry Norris Russell_1877/10/25 〜 1957/2/18】



はじめに


ヘンリー・ノリス・ラッセルは星の進化を考えていたアメリカの天文学者です。
プリンストン大学で学び研究生活を始めます。


私が初めてラッセルの事を知ったのは多読を心がけていた高校時代に、C.セーガンと共に出てきた学者さんでした。当時はマンハッタン計画に関わっていたアインシュタインなどの学者さん達と天文学者の学者さん達が、私の中でごちゃ混ぜになっていました。その時の「そもそもの理解の浅さ」が懐かしいくらいです。ラッセルと言えば「哲学者のラッセルと混同してはいけない」とか真面目に考えていました。



ラッセルとHR図 


ラッセルの研究で有名なものは
HR図(Hertzsprung-Russell diagram)です。


HR図は所謂「星の進化」に関しての理解に


不可欠な研究となっています。


概説すると以下の概念です。


(本稿は星の進化に関しての記述が主です)


宇宙の無数の石ころが万有引力で(自重の為に)


他の物体と一緒になっていき段々に


大きな重心を持つ物体になっていきます。


宇宙空間で星の流れを考えた時に流れが速い部分や


渦が出来たりする時には流れの中で


重力が沢山集まる場所や、


その効果が薄い場所が出来てきます。


重力の効果が集まる部分にはより重心の集まっている物体が蓄積してきてお月様のクラスの塊が宇宙で無数に出来ていくと想像されます。


未だお月様の内部構造は正確に観測されていませんが、宇宙を飛び交う岩石クラスの大きさであれば実際にサンプルを持ち帰り内部を調べることが出来ます。大気圏に入ってきた岩石もまたサンプルとなり研究材料と出来ます。こうした類の大きさスケールが分かりやすい物体が宇宙には無数にあります。その物体自体は暗い寒い宇宙の中で(真空中に)沢山漂っています。


そうした物体が様々な要因で更に集まってくると地球や火星、木星のような内部に地殻を持った衛星になってきます。内部に地殻を持つ事情は万有引力で地球内部の物体が中心方向に集まってくる事情からです。例えば地球の場合にはすべての物体が地球の重心に落ちていこうとするから重心近くには物凄い圧力がかかってきて地球内部では核反応が起きています。圧力の大きさに個々の原子核が耐えられないで崩壊するのです。地球表面は比較的冷えていますが地球の内部は物凄い高熱です。


更に重力で重量物が集まってくると重力によって集まってくる物質の表面が冷えている状態が壊れます。地球の表面は人間が暮らせる程度の暖かさに保たれていて冷たい宇宙空間で冷やされている状態と地球内部からマグマで温められている状態に均衡がとれています。地球が奇跡の星と呼ばれる理由の一つで水が沸騰せず、かつ凍らない温度域でタンパク質、その他の物質が出来ていて肉体を持つ様々な動植物が存在出来ています。もしも地球が100度以上の温度下であったら今の生命はほとんど生活が出来ないでしょう。生命の誕生、その後の進化には好ましい条件だったわけです。


近くを構成しているようなバランスが崩れると太陽のようにいつも光り続ける星となります。大きくなり、もはや地殻が維持できなくなって、その上で生き物が生活できる状態ではありません。内部での核反応が非常に活発になり、外部に絶えず光を放射して輝き続けます。光だけではなく各種素粒子やあらゆる波長の電磁波を放出します。そうした活動として全体の重量が減っていく恒星(太陽のように光る)もあれば、ほかの星を取り込んで更に重量を増していく恒星もあります。


そうした膨張や減衰を恒星はしていきますが、全体重量がもっともっと大きくなってくると白色矮星、ブラックホールへと変化していくだろうと言われています。最終的には全体の重力が大きくなり、光の素子である光子さえもブラックホールから脱出できなくなるのです。当然。ブラックホールは見えません。



最後に


1947年に引退するまで30余年の間、プリンストン大学天文台の所長として研究を続けラッセルは余生を迎えました。今もその研究成果は受け継がれ発展し続けています。



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(2022年10月の時点の英訳)



Preface


Henry Norris Russel is an American astronomer thinking about the evolution of the star.
I learn in Princeton University and begin study life.


It was the scholar who came out with Carl Sagan in the high school days when I kept a multi-reading in mind that I knew Russel for the first time. Scholars and the scholars such as Einstein concerned with Manhattan Project of the astronomer became mixed-up among me in those days. I feel nostalgic for "shallowness of the very beginning understanding" at that time. Speaking of raschel, I thought, "you must not confuse it with the raschel of the philosopher" seriously.



Raschel and figure of HR


The thing which is famous for a study of the raschel
It is a figure of HR (Hertzsprung-Russell diagram).


The figure of HR for understanding about so-called "evolution of the star"


It becomes the essential study.


It is the following concepts when I give an outline.


(as for this report, a description about the evolution of the star is important)


Innumerable stones of the space are universal gravitation; (for self-respect)


Meet other objects; to steps


It becomes the object with a big center of gravity.


The part which is fast in a flow when I thought about the flow of the star in outer space


When there is a vortex; in a flow


The place where a lot of gravity gathers,


There is the place where the effect is light.


When the object that a part attracting gravitational effects attracts centers of gravity more accumulates, and there is the lump of the of class innumerably in space in a month, I am imagined.


The internal structure of moon is not yet observed exactly, but I actually take a sample home with me and can check the inside if it is the size of the rock class flying about the space. The rock which entered the atmosphere also becomes the sample, and there is it with study materials. There are innumerable objects that the size scale of such a kind is plain in the space. Object itself drifts a lot (during a vacuum) in dark cold space.


When such objects gather in various factors more, it becomes the satellite with the earth crust in the earth and Mars, the inside such as the Jupiter. Circumstances having the earth crust are from the circumstances that objects in the earth gather in the central direction by universal gravitation inside.


For example, because all objects are going to fall into the center of gravity of the earth in the case of the earth, it comes under frightful pressure near the center of gravity, and nuclear reaction is taking place in the inside of the earth. I collapse without individual atomic nucleuses being able to tolerate volume of pressure. The earth surface relatively gets cold, but the inside of the earth is terrible high heat.


Furthermore, the state that the surface of the material which gathers by gravity when heavy goods gather gets cold with gravity is broken. I am balanced in a state warmed with magma from a state and the inside of the earth that the appearance of the earth is kept by the warmth of the degree that a human being can spend, and are cooled in cold outer space.


Various animals and plants which the earth is one of the reasons called the miraculous star, there are protein, other materials in temperature area water does not boil and not to freeze, and have the body can exist. The present life may hardly live a life if there is the earth under the temperature more than 100 degrees. It was a favorable condition for birth of the life, the later evolution.


It becomes the star which continues always shining like the sun when balance constituting neighborhood collapses. It grows big and cannot maintain the earth crust anymore, and, after that, a creature is not in condition to be able to live. Nuclear reaction in the inside becomes very active and it emits light consistently outside and continues shining.


I release the electromagnetic wave of various elementary particles and every wavelength as well as light. If such an activity includes the fixed star (I shine like the sun) where overall weight decreases, there is the fixed star which takes other stars, and adds to weight more.


The fixed star does such expansion and decrement, but it is said that I will change into a white dwarf, a black hole when the whole weight grows big more and yet more. Overall gravity finally grows big, and even the photon that is an element of the light cannot escape from a black hole. Naturally. I do not see the black hole.



Finally


I continued studying it as a director of the Princeton University astronomical observatory,


and, during 30 rest of life, Russel reached the rest of life until I retired in 1947.


The results of research are inherited, and they continue still developing.


Close


 

2022年10月09日

ルネ・デカルト (仏: René Descartes) 【1596年3月31日1596年3月31日仏_I-E-LI-E-生まれ 〜 1650年2月11日生まれ 〜 1650年2月11日没】



デカルト概説


ルネ・デカルトは、フランスに生まれた哲学者にして、数学者です。
そして。合理主義哲学の祖でもあります。
一般には近世哲学の祖として知られています。


「我思う、ゆえに我あり」の言葉は有名です。


思索の主体と対象を考えている命題で、


当時主流だったスコラ哲学による考え方と大きく異なります。


スコラ哲学時従えば、信仰とは元来、自己を捧げる事で成立する行為で、


信仰が人間では作り上げられない「真理」の獲得へと繋がっていくのです。


当時流行していたスコラ哲学の保守的な考え方にデカルトは疑問を抱き、


新しい哲学的な命題を打ち立てたのです。


太陽の光が大地に降り注ぐように、


人間の理性が自然に活動する中で真理へと


近づいていけるであろうという考えがデカルトの信念なのです。



デカルトの修業時代


経緯を考えていくと、デカルトはイエズス会の学校に所属して研鑽を進めます。


先ずイエズス会のラ・フレーシュ (La Flèche) 学院に入学します。当時、


イエズス会の学校はフランスに15校。その中でもフランス王アンリ4世自身が


関わっていた有名なラ・フレーシュ学院です。


そこではフランス中から優秀な教師、生徒が集めていました。


プロテスタントは「信仰と姿勢は調和しえない」という教義に基づきます。


それに対してカソリックを掲げるイエズス会は理性を信仰に取り入れて


スコラ哲学を教育カリキュラムに取り入れていました。


更に自然科学の前進となる考えも好意的に取り入れていて、


ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて木星の衛星をとらえた時には


学院ではお祝いの催しが開かれたそうです。


デカルトが教えを受けた学院での教義の中では哲学は不完全なもので、


「その完成には哲学が必要である」と断言しています。


デカルトは学院で論理学・形而上学・自然学、占星術、


秘術(今で言う魔術の系統)を学んでいきます。


とりわけ自然科学の中で数学を好んで数学的な論法で


議論する事もありました。そうした基礎教養を身に着けた後に



デカルトの遍歴時代


デカルトは遍歴の時代を過ごします。


デカルトは22歳のときにオランダで軍隊に参加します。


対象の時期は80年戦争での休戦期間なので、


デカルトの実戦参加は無かったであろうという考えが定説です。


それよりも寧ろ、軍隊の中での最新兵器の開発にデカルトは興味を持ちました。


優秀な技術者と交流して知見を広める事が大きな軍隊参加の目的の一つでした。



ベークマンとの幸運な出会い


その後にデカルトはイザーク・ベークマンという人物


に出会い知的な刺激を受けます。ベークマンは医者でありながら


自然科学や数学に長けていました。


ベークマンからデカルトが知った概念は次のようなものです。
@原子の概念、
A真空の概念、
B運動保存の概念、です。


それらは現代の物理学へと繋がっていく概念です。
この時期にそうした概念の「基礎」が出来てきたのですね。
そしてベーグマンはコペルニクスの考えに共鳴していて指示していました。
デカルトはベーグマンと共に思想を発展させていきます。
自由落下に対して見識を深め、
水圧に対して見識を深め、
三次方程式などの数学的な概念も発展させていきます。




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(2022/10月時点での対応英訳)



About Descartes


René Descartes was a philosopher and mathematician born in France.
And. He is also the founder of rationalist philosophy.
He is generally known as the founder of early modern philosophy.


He is famous for saying, "I think, therefore I am. It is a proposition that considers the subject and object of contemplation.


This is a proposition that differs greatly from the viewpoint of Scholastic philosophy, which was the mainstream at the time.


According to the Scholastic philosophy, faith is an act that is originally formed by offering oneself.


Faith leads to the acquisition of "truth" that cannot be created by human beings.


Descartes questioned the conservatism of the scholastic philosophy


and Descartes questioned the conservatism of scholastic philosophy and formulated a new philosophical proposition.


Just as the sun's rays fall on the earth. As the sun's rays fall on the earth,


the natural activity of human reason Descartes' belief is that


we can come closer to the truth through the natural activity of human reason,


just as the sun's rays fall on the earth.



scholl days of Descartes


Descartes belonged to the school of the Jesuits,


where he studied. He first entered the Jesuit Institute of La Flèche.


At the time, there were 15 Jesuit schools in France.


Among them was the famous La Flèche Institute, where King Henry IV of France himself had involved.


There, excellent teachers and students gathered at that Jesuits.


Protestantism is based on the doctrine that "faith and attitude cannot be reconciled.


The Jesuits, on the other hand, were catholic, and they adopted reason


as an aggressor and incorporated scholastic philosophy into their educational curriculum.


They also favored ideas that advanced the natural sciences,


and celebrations they held at the Institute when Galileo Galilei first observed


the moons of Jupiter through his telescope.


In the doctrine of the Institute where they taught Descartes, philosophy was incomplete.


In the doctrine of the Institute where Descartes was taught,


philosophy is incomplete and "needs philosophy for its perfection".


Descartes studied logic, metaphysics, natural science, astrology, and the mystic arts


(the lineage of what we now call witchcraft) at the Institute.


He was especially fond of mathematics in the natural sciences,


and sometimes used mathematical arguments in his discussions.



itinerancy of Descattes


After acquiring such a basic education, Descartes spent a period of itinerancy.


At the age of 22, Descartes joined the army in the Netherlands.


They said that he would not have fought in actual battles during this period,


as it was a period of truce during the 80 Years War.


Rather, Descartes had been interested in the development of the latest weapons in the army.


It seems that his goal was to interact with excellent engineers and broaden his knowledge.



Meet with Beekman


Descartes then met Isak Beekman, they gave an intellectual stimulus with each other.


Beekman was a doctor. Beekman also had knowkedge in the natural sciences and mathematics.


Descartes learned the following concepts from Beekman.
(1) the concept of the atom,
(2) the concept of the vacuum, and
(3) the concept of the conservation of motion.


These are concepts that lead to modern physics.


It was during this period that Desvarts got the "foundation" for such concepts.


And Beegman was sympathetic to and directed Copernicus' ideas.


Descartes developed his ideas together with Beegman.


He gained insight into free fall, he gained insight into water pressure,


and he also developed mathematical concepts such as cubic equations.


(At first, I translated with www.DeepL.com/Translator (free version) and collected)

2022年10月08日

小林誠_【1944年4月7日・愛知県生まれ〜ご存命中】



小林誠は理研創設時の時代に理化学研究所で活躍し、
ノーベル賞で名をはせた名古屋大学の理学部教授です。



言われてみたら、
なのですが、
元内閣総理大臣の海部俊樹と顔つきが似ています。
海部俊樹と小林誠は従妹の関係で、
小林誠は幼少時代に
父を亡くしているので
従兄弟の居る海部家で生活していた時があるそうです。



無口な小林誠を年上の海部は「マー坊」と呼び
可愛がっていたそうです。


小林の研究での真骨頂と言えば素粒子物理学が発展
していく中での成果でしょう。いわゆる「CKM行列」
と呼ばれる定式化が絶妙です。素粒子の一つである
フレーバーが変化していく前後の関係を数学的に記述します。


BCS理論のBがバーデン教授であるようにCKM行列の
Kが小林博士という訳です。また、
反応の対象となるのは亜原子と呼ばれる素粒子で
大きさスケールで考えたら原子核の
構成要素のサイズだと考えて大きな間違いはありません。


初学者はむしろ、空間的な大きさよりも
相互作用の反応が及ぶ距離や
ファインマンダイアグラムと呼ばれる
反応の順序(過程)を大事にしてください。


無論、波動関数が空間的に広がっていく様子を
大まかに把握しておくことは有益です。


小林は名古屋大学の坂田晶一の指導の元で博士号をとります。
当時の研究テーマは「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」でした。


その後は京都大学などで研究を重ねますが、
更に人脈に恵まれ増川敏英らと議論研究を続けます。


加速器を使った理論物理学の発展をしていきます。
加速器で個別粒子のエネルギー状態を通常と
異なるレベルにして、そうした状態の挙動から知見を得るのです。


研究対象の亜粒子は弱い相互作用に関与する
ウィーク・ボゾンとクォークで、反応の前後を
「CKM行列」を使って定式化したわけです。


また、小林誠は教育に関して発言してます。
2008年に教科書検定に対して政治家に
「読む気を失わせる」内容だと意見しているのです。
その意見は至極納得出来るものです。


理論の初学者が理論体系を理解していく作業では、
興味関心を持って「体系が分かったぞ」
と思えることが最重要です。


例えばニュートンの力学系が理解出来て実験結果に
合致していくモデルは後に仕事をしていく上で活用できます。
業務の体系を早く理解して論理的に作業や交流が出来るのです。


ただし理路整然と物事が理解、感動出来るのは一部の生徒だけで、
多くの生徒は体型の理解が面倒で理解するだけで
疲れて何も残らないものです。


より重要なのは体型が納得出来るストーリーだと小林は説きました。
私が考えても「構築された理論の体系性」よりも
「理論で感動出来るストーリー」なのだと思えます。
お仕着せの学習で生徒の作業能力を
高めるだけでは教育として不完全です。




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(2022年10月時点での対応英訳)


Makoto Kobayashi had actived at RIKEN during its founding era.
Kobayashi is a professor at the Faculty of Science, Nagoya University,
Kobayashi made a name for himself with the Nobel Prize.


If you ask me...
He looks like Toshiki Kaifu, the former Prime Minister of Japan.
Toshiki Kaifu and Makoto Kobayashi are cousins.
Makoto Kobayashi lost his father when he was a child.


Makoto Kobayashi lost his father when he was a child, so he lived with his cousin at one time.
The older Kaifu called the quiet Makoto Kobayashi "Ma-bo" and loved him.
He was a very affectionate person.


The quintessence of Kobayashi's research is his achievements in the development of particle physics.
the development of subatomic physics. The formulation of the so-called "CKM matrix
is exquisite. One of the elementary particles


The CKM matrix mathematically describes the relationship
before and after the flavor of one of the elementary particles changes.
Just as the "B" in BCS theory is Professor Baden, the "K" in the CKM matrix is Dr. Kobayashi.
K is Dr. Kobayashi. Also, the


The reactions are carried out by elementary particles called subatomic particles, which are called nuclei.
If we think of it on a size scale, it is the size of a nucleus.
The novice scientist should not make the mistake of thinking
that the size of the nucleus is the size of its constituent elements.


The beginning scientist is more concerned with the distance and size of the
the distance over which the interaction reaction takes place, and the size of the nucleus.


and the order of reactions (process), called a Feynman diagram,
are more important than the spatial size.
The order of the reactions (process) is more important.
Of course, it is useful to have a rough idea of how the wave function spreads spatially.


Kobayashi earned his doctorate under the supervision of Shoichi Sakata at Nagoya University.
His research theme at the time was "light particle hadron
scattering and the flow algebra sum rule. He then continued his research at Kyoto University


and other institutions, and furthermore, he was fortunate
to have a network of contacts and continued his research
through discussions with Toshihide Masukawa and others.


He continued to develop theoretical physics using accelerators.
The accelerator is used to bring the energy state of individual particles
to an unusual level and to gain knowledge from the behavior of such states.


The sub-particles studied were the weakly interacting week bosons and quarks,
and the "CKM matrix" was used to formulate the before and after reactions.


Makoto Kobayashi has also spoken out on the subject of education,
commenting to politicians in 2008 that the content of textbooks "discourages reading. This opinion is quite understandable.


When a beginning student of theory is trying to understand a theoretical system,
the most important thing is to be interested in the system and feel that he or she understands it.


For example, a model that allows you to understand Newton's dynamical system
and matches experimental results can be used later in your work.
You can understand the system of work quickly and work and interact logically.


However, only a few students are able to understand and be impressed
by things in a logical manner, and many students find it tedious to understand
the body model and are tired of understanding it and have nothing left to do.


What is more important, Kobayashi explained, is a story that makes sense to the body type.
I think it is more important to have "a story that moves you with the theory"
than "the systematics of the constructed theory.


If we only improve students' work ability through tailored learning, it is incomplete as education.


Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)


2022年10月07日

和達清夫【1902年(明治35年)9月8日 - 1995/1/5】

愛知県に生まれた和達(わだち)清夫は和達三樹のお父様です。
(和達三樹の名は教科書でおなじみなのではないでしょうか)
和達清夫は地球科学に足跡を残し、特に気象学や地震学で
有名です。いわゆる「マグニチュード」の概念は和達清夫の研究が
ヒントとなったと言われています。個々の地点で感じられる(観測される)
「震度」に対して地震そのものの大きさ(震源地での大きさ)を表す
マグニチュードの概念は、その後は地震が起きるたびに活用されて
非常に重宝な概念として使われています。あたり前に使われています。
先進的な研究を続けて震源の深さから範囲も考えてマグニチュード
の概念に至ります。
そもそも和達清夫の博士論文は
「Shallow and deep earthquakes」
でした。


和達清夫の経歴を振り返れば、東京帝國大学理学部物理学科を卒業後に中央気象台勤務していきます。気象台では第6代の気象台長を務めました。和達清夫の時代から物理が実学として活用されていきます。地球物理学を実務に適用していったのです。和達清夫は気象観測の黎明期において指導的な役割を果たしました。
1960年には(第5代)日本学術会議議長、(第17代)日本学士院院長、埼玉大学学長、日本環境協会会長などを歴任しました。和達清夫は1985年には文化勲章を受勲しています。92歳で亡くなっています。

2022年10月06日

建部賢弘_【1664年(旧暦)6月 〜 1739/8/24】

建部賢弘は日本の数学者で、和算を大成した人物です。
江戸時代1664年に生まれています。

関ヶ原の合戦が1600年で江戸太平の世の中が200年ほど
だったことを思い返せば建部はまさに江戸時代の中期
に活躍したと言えますね。

時は享保の時代で8代将軍の暴れん坊将軍「徳川吉宗」
の信頼を得て享保四年(1719年)「日本総図」
を作成します。また、
師である関孝和の業績に関する著作を多数残しました。
その内容は歴史的な記述というよりも
数学の側面からの解説書であったようです。

そもそも、関孝和は沢口一之が残した『古今算法記』での未解決問題を関独自の点竄術を使って解決していました。それだけれども「関さんの悪い所」として省略し過ぎで難しい本だったのです。ここで面白いのは関西系の数学者からツッコミ食らっていた事情です。頑固な江戸のおじいちゃんが関西人からツッコまれていたのですが、建部さんは丁寧な解説で「正しいでしょう?」って感じの話し方が出来たのです。きっと関西人たちも納得したはずです。関西人であれスッキリした瞬間です。

そして、師匠の関孝和と建部賢弘と建部建部賢明の三人で全20巻の
「大成算経」は当時の和算をまとめ上げた秀作として評価されました。


建部賢弘の大きな業績として円に対しての定量的な追及があります。物凄い精度で円について考えていったのです。そもそも、精度の高い真円が描けたとしてもその円での半径とこの長さの関係は自明ではありません。今でこそ、子供たちも3.14…と記憶していけるのですが理論的に真円が描けたと考えた時の弧の長さは「三角関数を使って級数を作り極限」を求めていくしかありません。この三角関数、級数、極限といった概念を和算の中で正確に使っていくデリケートさが求められるのです。建部賢弘は丁寧に言葉を選んで誰でもわかる表現をして未知の世界に挑んでいったのです。建部以前の時代から使われていた正多角形を円が囲む近似から考えていって、逆に正多角形に円が囲まれた部分を想像して、円の面積がA以上B以下であると証明していくのです。そして円弧の長さがα以上β以下であると証明していったのです。そして建部賢弘は円周率を41桁まで正確に出したのです。世界的に考えても数値的な解法として優れた業績でした。

その他にも建部賢弘は多くの業績を日本に残しましたが、以下備忘録的に羅列します。

・指数1/2の二項級数の禁じ解法を紹介
・ディオファントス方程式の近似解法を紹介
・帰納法に基づいた数値解析の方法論を紹介
・無限の概念を「不尽」として導入
・三角関数の内容を表の形で明示


そして今、日本数学会では建部賢弘特別賞や建部賢弘奨励賞
という形で若手数学者を奨励する賞を設けています。
建部賢弘のように若かりし人が
新しい分野を開いていく姿を期待しています。