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2023年04月07日

ヘンリー・パワー:Henry Power FRS‗1623年生まれ ~ 1668年没

ヘンリー・パワーの来歴


ヘンリー・パワーは日本ではあまり聞かれない名前です。
調べてみると英国物理学で「しっかりとした仕事」をしています。
それにも関わらず日本ではあまり紹介がされていません。
日本語版ウィキペディアでの紹介が無く、
紹介は英語版のみです。

実際には
「圧力と体積の関係の定式化」を考えていくともう少し後の時代に
ウィリアム・へンリーという別人も気体の研究で出てくるので
注意が必要です。ヘンリーの法則はヘンリーパワーとは無関係のようです。
今回ご紹介するヘンリー・パワーは
王立協会で初めて選出された フェローの なかの1 人です。

具体的にパワーは、1641 年にケンブリッジで有名な
「クライスト カレッジ」で文学士号を得ました。
パワーは 1663 年 に王立協会のフェローに選出されています。
パワーと準男爵 ジャスティ・ニアヌス イシャムは、
最初に選出されたメンバーなのです。

ヘンリー・パワーの業績


パワーの唯一の出版された著作は「実験哲学」です。
3 冊のからなる彼の本は、それぞれ観測の方法論(corpuscularian theory)
と粒子理論を扱っています。また、
ヤコブス・グランダミクス(ジャック・グランダミ、1588–1672)
の論文に対して反論をしています。

ボイルの法則との関連も特筆すべきです。
あらかじめ行った実験で、パワーは、後に
「ボイルの法則」として知られるガスの圧力と体積の関係を発見しました。

圧力と体積の関係は、「実験哲学」で概説されています。
しかし、それにもかかわらず、「実験哲学」の出版とリチャード・タウンリーの唯一の仕事との混同があるようです。

ボイルの理論への言及は、「実験哲学」の出版よりも 1 年先行し、ボイルのアイデアの宣伝と貴族の科学者としての彼の重要な地位と相まって、パワーの理論が「ボイルの法則」として知られるようになりました。 ボイルはタウンリーが唯一の研究者であると誤解して、パワーの貢献が歴史上ほとんど失われているのです。

Henry Power discovered the relationship between the pressure and volume of a gas that later became known as Boyle's law. This relationship was outlined in "Experimental Philosophy". However, many may argue nevertheless that a prepublication manuscript of "Experimental Philosophy" cited the hypothesis as the sole work of Richard Towneley. Boyle's mention of the theory preceded the publication of "Experimental Philosophy" by one year, which, combined with Boyle's promotion of the idea and his significant status as an aristocratic scientist, ensured the theory would be known as "Boyle's Law". Boyle attributed Towneley as the sole researcher, ensuring that Power's contributions were all but lost to history.


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2022年10月06日

建部賢弘_【1664年(旧暦)6月 〜 1739/8/24】

建部賢弘は日本の数学者で、和算を大成した人物です。
江戸時代1664年に生まれています。

関ヶ原の合戦が1600年で江戸太平の世の中が200年ほど
だったことを思い返せば建部はまさに江戸時代の中期
に活躍したと言えますね。

時は享保の時代で8代将軍の暴れん坊将軍「徳川吉宗」
の信頼を得て享保四年(1719年)「日本総図」
を作成します。また、
師である関孝和の業績に関する著作を多数残しました。
その内容は歴史的な記述というよりも
数学の側面からの解説書であったようです。

そもそも、関孝和は沢口一之が残した『古今算法記』での未解決問題を関独自の点竄術を使って解決していました。それだけれども「関さんの悪い所」として省略し過ぎで難しい本だったのです。ここで面白いのは関西系の数学者からツッコミ食らっていた事情です。頑固な江戸のおじいちゃんが関西人からツッコまれていたのですが、建部さんは丁寧な解説で「正しいでしょう?」って感じの話し方が出来たのです。きっと関西人たちも納得したはずです。関西人であれスッキリした瞬間です。

そして、師匠の関孝和と建部賢弘と建部建部賢明の三人で全20巻の
「大成算経」は当時の和算をまとめ上げた秀作として評価されました。


建部賢弘の大きな業績として円に対しての定量的な追及があります。物凄い精度で円について考えていったのです。そもそも、精度の高い真円が描けたとしてもその円での半径とこの長さの関係は自明ではありません。今でこそ、子供たちも3.14…と記憶していけるのですが理論的に真円が描けたと考えた時の弧の長さは「三角関数を使って級数を作り極限」を求めていくしかありません。この三角関数、級数、極限といった概念を和算の中で正確に使っていくデリケートさが求められるのです。建部賢弘は丁寧に言葉を選んで誰でもわかる表現をして未知の世界に挑んでいったのです。建部以前の時代から使われていた正多角形を円が囲む近似から考えていって、逆に正多角形に円が囲まれた部分を想像して、円の面積がA以上B以下であると証明していくのです。そして円弧の長さがα以上β以下であると証明していったのです。そして建部賢弘は円周率を41桁まで正確に出したのです。世界的に考えても数値的な解法として優れた業績でした。

その他にも建部賢弘は多くの業績を日本に残しましたが、以下備忘録的に羅列します。

・指数1/2の二項級数の禁じ解法を紹介
・ディオファントス方程式の近似解法を紹介
・帰納法に基づいた数値解析の方法論を紹介
・無限の概念を「不尽」として導入
・三角関数の内容を表の形で明示


そして今、日本数学会では建部賢弘特別賞や建部賢弘奨励賞
という形で若手数学者を奨励する賞を設けています。
建部賢弘のように若かりし人が
新しい分野を開いていく姿を期待しています。


2022年04月12日

アイザック・バロー
【1630年10月生まれ ‐4/12改訂】

こんにちはコウジです。「バロー」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしましています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と2/20時点で‗
@SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3395‗Aev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒2736
‗BBLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒2593‗CKazenoKouji‗3422⇒3477
なので合計‗6102+5965=【12057@2/9】⇒6131+6170=【12301@2/20】


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1630年10月生まれ ~ 1677年5月4日没】



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 バローとルーカス職


今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス職とはケンブリッジ内大学の称号(職位)で
クール(Cool)な物理学者に国王から贈られる称号です。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。



 筆者とバローの出会い


私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。


Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…


上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。彼の方が
職位に相応しいと判断したのです。


異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング

引き継いでいきます。



 バローの業績


上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。


具体的にバローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのです。



〆最後に〆


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 Barrow and Lucas


Professor Barrow is a mathematician at the University of Cambridge, England. Barrow has been appointed for the first time as a Lucas professor at the University of Cambridge. The Lucas professor is the title (position) of the University of Cambridge and is given by the king to a cool physicist. It is especially given to those who have a high understanding of mathematics.



 My Memory


The first time I learned the name of Barrow was in English teaching materials when I was in high school, and I think it was the following sentence.


Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil his was ..…


The professor in English above is Mr. Barrow, and the disciple (student) who appears after that is Newton. Barrow hands over Lucas to Newton. He decided that he was more suitable for his position.


It seems that it was an unusual decision, but considering Newton's subsequent achievements, Barrow's decision is wonderful. By the way, Dirac and Hawking will take over the prestigious Lucas profession after that.



 Barrows work


Although the times have progressed further from the time when the above English documents were written, Barrow's achievements have made great achievements not only in physics but also in engineering and eventually in industry.


Specifically, it is said that what is remarkable about the achievements left by Barrow is that he geometrically proved that differentiation and integration are the opposite mathematical acts. It may be natural now, but it is the result of Barrow's organization and systematization.


 

2021年07月07日

ジェームズ・ワット_1736年1月19日 ~ 1819年8月



ワットは蒸気機関の改良を通じて産業革命に大きな成果を残したイギリスの偉人です。グラスゴー大学でジョゼフ・ブラックらの協力を得て工房を作り作業を続けます。蒸気機関を対象に研鑽を続け、具体的な改良には蒸気機関における凝縮器の設計において、排熱効率を見直すことによってロスを減らして出力効率を大きく高めたのです。当初の設計でシリンダー部での熱の出入りが非効率である事情に着目していて、そこを改良した訳です。ポールトンという資金面での協力者も得て、ワットは事業化に成功して成功を修めます。

ワットが最終的に成功を収めた話を初めにしましたが、実際の所は製品化までに大きな道のりがありました。当時の加治屋さん達は今と比べて精度の低い生産過程を当たり前としていたので、ミリ単位(場合によってはさらに高精度)の加工を現在の誤差範囲でこなしていく事は出来なかったのです。蒸気機関の性質上、ピストンとシリンダー間の寸法誤差は大きく性能を損ねます。丸い形で摺動方向に延びていくピストンとシリンダーの精度を上げていく事は大変な作業だった筈です。最終的には大砲製造に向けて開発された精密、中ぐり技術を使い製造していきます。また一方で、ワットはこれらの製造に関わる技術に対しての特許習得にも配慮しなければなりませんでした。

そういった創意工夫を重ねる中でワットは関連会社の仕事として「鉱山の揚水機械」の仕事を受けます。それは大変大きなもので、直径127センチメートルのシリンダーをもった7メートル以上の大きさの機械でした。あまりに大きいので専用の建屋を建てて運営していたそうです。その後、機械に色々な改良を加えていきます。益々効率的な機械になっていったのです。現代の自動車のエンジンで当たり前に使われているフライホイールもワットの発明です。回転ムラを無くして機械を円滑に動作させることで動きの効率を上げて振動を抑え、耐久性を向上させるのです。


何より、ワットはそうした仕事の中でエネルギーの定式化を進め力(Newton)の概念から仕事量(Watt)の概念を発展させました。多くの人々から尊敬を受けました。考え抜いた討論をして自分の見識を広げていった人でした。近年、イギリスのお札に肖像画が用いられています。





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2021年07月01日

ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク_1692年3月14日 ~ 1761年9月19日



その名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク;Pieter van Musschenbroek。ライデン瓶の発明で広く知られているオランダの物理学者です。ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子供として生まれます。何より、最初の蓄電器であるライデン瓶を作ったことで知られています。ラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・英語、ドイツ語などを学んだ後にライデン大学で医学博士となります。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、当時の大物物理学者ニュートンの講義を受けています。

その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。

その後、静電気の力を中心にミュッセンブルークは関心を深め、ガラス瓶の中に充満した水の中で帯電した棒が反発しあう現象を形にします。非常に効果的な装置で水の中で実験を行うことで重力の効果を浮力で打ち消して微細な反発力をとらえられます。また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に開いていくので開いた角度がθの時に重力の分力がSinθで考えられるのです。浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよいj事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える効果として現れます。

それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ示せなかった「静電容量に起因する力」がミュッセンブルークによって示されました。こちの電磁気学の発展に繋がっていきます。確かな一歩が残されたと言えるでしょう。






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2020年11月13日

コリン・マクローリン_1698年2月 ~ 1746年6月14日



マクローリンの名を耳にするのは
数学の中ではないでしょうか。
物理学者というよりも数学者ですが
一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。

マクローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。

込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化膣を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。





マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートンと仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。

マクローリン自身もニュートンの考えに惚れ込んでいて、
その紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。









多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えはひいてはデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。

理工学系の過程に進む初学者は以上の点を少し意識して下さい。
一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を
土台として現代の応用技術が成り立っているのです。
無意味乾燥に思える講義の内容が
貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。











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2020年11月11日

ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日



その名は正確には
サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_
英国アイルランド生まれの物理学者です。
初代コーク伯爵リチャード・ボイルと
キャサリンの間に7番目の男子として生まれ
現地の家庭に里子に出されます。
その結果、ボイルはアイルランド語を
理解し、通訳レベルまで習得しました。

ボイルはフランス人の家庭教師と
海外旅行をしていて、1641年冬には
イタリアのフィレンツェで過ごし、
ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。
ガリレオは1642年に亡くなりますが、
まさに晩年、ガリレオと接したのですね。
今の日本人なら中学生でしょうか。
多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。





1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは
多くの時間を科学に使い、後の王立協会
に繋がる集まりであるロンドン理学協会、
別名、不可視の学院とも呼ばれた集まりに
参加するようになります。先代が亡くなって
いましたので、ボイルはアイルランドでの
立場もあったのですが、ロンドンで頻繁に
会合が開かれた事情もあり彼は最終的には
オックスフォードに移り住みます。
実験器具が入手し辛いといった切実な
側面もあったようです。









その後、フックを助手としてボイルは空気
ポンプを制作して圧力の研究を始めます。
やがてはその研究は体積との関係を示す、
ボイルの法則に繋がります。
ただ1660年迄に
体積は圧力に反比例すると明言していて、
書物での記録はあるようですが、
温度や分子量との関連を含め、
現象の定式化には至らなかったようです。
実際の定式化はヘンリー・パワーによって
1661年になされているようです。

最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで
いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、
混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。
ボイルが明確にしたパラダイムシフト
は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。











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2020年10月18日

クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日



ホイヘンスはライデン大学では数学と法律を修めました。
物理学はその知見を活かすフィールドだったとも言えます。

特に、光学での業績が顕著です。
所謂、ホイヘンスの原理は後の物理学者達が
波動を考えていく上でとても有益だった筈です。
波の性質が突き詰められていき、
縦波とか横波とか周波数とか周期とか
最終的には破面に立つさざ波も、光も
同じ定数で表現出来る現象となるのです。

一般の人々にも説明出来る言葉を
出来るだけ沢山、科学者が作り出すことが大事です。
その点、ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。






また、
土星の衛星タイタンの発見したり、
振り子の原理を理解して時計を制作したり、
火薬を使ったエンジンの、制作したり、
オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、
その新規性には驚かされます。

またホイヘンスは、いわゆるエーテルの存在を想定して
後の物理学に議論の土壌を残しました。
この点も重要だと思います。



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2020年10月06日

アイザック・バロー_1630年10月 ~ 1677年5月4日



今回の記事は
イギリスの数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて
任命されています。

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。
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上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。彼の方が
職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を見ると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みに、その後名誉あるルーカス職は
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上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

また、バローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのでしょう。















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2020年10月05日

ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日



パスカルの残した言葉、
「人間は考える葦である」
がまず思い浮かびます。
パスカルは考え続けた人でした。

パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。
総合的に物事を考えています。
死後、遺品整理で改めて分かったのは
神をも思考の対象として考え、
様々な思考を繰り返し
確率論、優先順位を考え、
様々な証明方法
を使っていたということです。





数学の上では三角形の内角の和を
考えた時に合計180度である
と子供時代に証明していた
と言われています。

物理学の面では圧力に関する
パスカルの原理が有名で
その後、油圧機器に多用されてます。





またパスカルは実業家として
の側面も持っていて、
今日で言うバスのシステムを
乗り合いタクシーという形で
実現しています。またパスカルは
子供時代から機械式計算機の制作を
しています。徴税吏員である父親
の仕事軽減が目的だったようです。
少し、ほのぼのする逸話ですね。

昔フランスでの500フランにパスカルの顔
が描かれていたようです。そしてパスカル
は39歳で亡くなっています。現在では
圧力の単位としてパスカルは名を残しています。
フランスの誇る偉人ですね。









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