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2023年04月06日

赤ア 勇
‗【1929年1月30日 - 2021年4月1日】

赤ア 勇の業績として大きいのは何よりダイオード関係で、
その方面では第一人者だという印象が強いです。その関連で
ノーベル物理学賞も受賞しています。

本ブログのご紹介画像では京都大学を使っていますが、
実際には赤崎氏は名古屋大学とも大きく関わっていて
(現)デンソーテンで卒業後に仕事をした後に
京大の先輩の名古屋大就任に伴い名古屋大学で研究を進めます。
今でも名古屋大学には赤崎記念研究館があり名大の時計塔では
青色LEDのイルミネーション時計が使われているそうです。

そして
(現)パナソニックの東京研究所に所長からスカウトされ勤務します。
そうした業績の成果は有意義な結果を生んでいて、
最終的な製品として「ブールーレイディスク」の名を
聞いたことがある人は多いかと思います。
青色LED・短波長半導体レーザーの発光度の強化(実用化)
は非常に工学技術として優れています。

個人的な業績の印象として
赤崎氏は20世紀後半の時代に沢山の仕事をしています。

1991年・窒素系半導体での多重ヘテロ効果発見。
1993年・AlGaN/GaNダブルヘテロ構造での低閾値光励起誘導放出
1995年・室温にでの最短波長パルス秒レーザーダイオード( 376nM)
1997年・GaN系半導体量子構造での量子閉じ込めシュタルク効果実現
2000年・GaN系統の結晶におけるピエゾ電界強度結晶方位依存性での
無極性面、半極性面の存在を理論的に証明
2003年・紫外/紫色LEDの実現

赤ア 勇さんは日本のレーザー技術の水準を最高峰へ高めました。


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2023年04月02日

伏見康治
【1909年6月29日 〜 2008年5月8日】

伏見先生の多彩な活躍


伏見康治は愛知県名古屋市に生まれます。そして東京で育ちます。
何だか一般サラリーマン家庭の生まれ育ちを想像してしまいます。
伏見先生は20世紀の生まれの人ですから、それはそれで納得です。

ただし、その後の動きが活発です。
東大の 理物を卒業し東大で助手を務めた後に、
新設された阪大に着任して1934年には理学部長を務めます。

更には1936年には年には名古屋大学プラズマ研究所の新設に伴い、所長として就任しています。結果として
二つの旧制大学の名誉教授を務める事となります。

併せて1952年からは日本学術会議会長、
1958年から6年間は公明党所属の参議院議員として科学者の立場で政策に関わっています。

以下では国会議員も勤めた「伏見先生」について語っていきたいと思います。
「先生お願いします!」って感じです。

一貫した科学者サイドの見識


伏見先生は「原子力の平和利用」を推進し、大きな役割を果たしました。日本における原子力の研究がとても大事であると認識しています。被爆国である日本独自の視点から平和利用を考えていました。具体的に「原子力三原則」でまとめています。

「自主、民主、公開」の三原則を起草して茅誠司と連名で「茅・伏見の原子力三原則」を考えています。

対称の美


伏見先生は「対称の美」に対する美学を持っていました。特に、その数式的な表現と万人受けする印象に着目しています。

例えば自分の子供が幾何学模様に対して関心を抱いたら、そこを掘り下げて「どこまで習ったの?」とか「何で学校で教えないんだろう?」とか色々な視点で議論していったのです。1960年代には「紋様の科学」としてまとめています。

水素エネルギーの推進


朝日新聞が水素エネルギー開発の全面的にバックアップを表明したタイミングで、伏見先生は原子力開発に関わっていきます。

1952年に朝日新聞の木村部長(科学部の部長)から声をかけられたことがきっかけです。

伏見先生は2月に朝日講堂で開催された公開講演会で講師として「核融合の現状と問題点」と題して講演しました。

その時の御縁と元来、伏見先生が水素エネルギーを支持していたこともあり次世代燃料として水素を勧めておられました。クリーンなエネルギーだと考えていたのです。


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2022年10月07日

和達清夫【1902年(明治35年)9月8日 - 1995/1/5】

愛知県に生まれた和達(わだち)清夫は和達三樹のお父様です。
(和達三樹の名は教科書でおなじみなのではないでしょうか)
和達清夫は地球科学に足跡を残し、特に気象学や地震学で
有名です。いわゆる「マグニチュード」の概念は和達清夫の研究が
ヒントとなったと言われています。個々の地点で感じられる(観測される)
「震度」に対して地震そのものの大きさ(震源地での大きさ)を表す
マグニチュードの概念は、その後は地震が起きるたびに活用されて
非常に重宝な概念として使われています。あたり前に使われています。
先進的な研究を続けて震源の深さから範囲も考えてマグニチュード
の概念に至ります。
そもそも和達清夫の博士論文は
「Shallow and deep earthquakes」
でした。


和達清夫の経歴を振り返れば、東京帝國大学理学部物理学科を卒業後に中央気象台勤務していきます。気象台では第6代の気象台長を務めました。和達清夫の時代から物理が実学として活用されていきます。地球物理学を実務に適用していったのです。和達清夫は気象観測の黎明期において指導的な役割を果たしました。
1960年には(第5代)日本学術会議議長、(第17代)日本学士院院長、埼玉大学学長、日本環境協会会長などを歴任しました。和達清夫は1985年には文化勲章を受勲しています。92歳で亡くなっています。

2022年10月01日

小林誠_【1944年4月7日・愛知県生まれ〜ご存命中】


小林誠は理研創設時の時代に理化学研究所で活躍し、
ノーベル賞で名をはせた名古屋大学の理学部教授です。
言われてみたら、
なのですが、
元内閣総理大臣の海部俊樹と顔つきが似ています。
海部俊樹と小林誠は従妹の関係で、
小林誠は幼少時代に
父を亡くしているので
従兄弟の居る海部家で生活していた時があるそうです。
無口な小林誠を年上の海部は「マー坊」と呼び
可愛がっていたそうです。


小林の研究での真骨頂と言えば素粒子物理学が発展
していく中での成果でしょう。いわゆる「CKM行列」
と呼ばれる定式化が絶妙です。素粒子の一つである
フレーバーが変化していく前後の関係を数学的に記述します。
BCS理論のBがバーデン教授であるようにCKM行列の
Kが小林博士という訳です。また、
反応の対象となるのは亜原子と呼ばれる素粒子で
大きさスケールで考えたら原子核の
構成要素のサイズだと考えて大きな間違いはありません。

初学者はむしろ、空間的な大きさよりも
相互作用の反応が及ぶ距離や
ファインマンダイアグラムと呼ばれる
反応の順序(過程)を大事にしてください。無論、波動関数が空間的に広がっていく様子を大まかに把握しておくことは有益です。

小林は名古屋大学の坂田晶一の指導の元で博士号をとります。当時の研究テーマは「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」でした。その後は京都大学などで研究を重ねますが、更に人脈に恵まれ増川敏英らと議論研究を続けます。加速器を使った理論物理学の発展をしていきます。加速器で個別粒子のエネルギー状態を通常と異なるレベルにして、そうした状態の挙動から知見を得るのです。

研究対象の亜粒子は弱い相互作用に関与するウィーク・ボゾンとクォークで、反応の前後を「CKM行列」を使って定式化したわけです。

また、小林誠は教育に関して発言してます。2008年に教科書検定に対して政治家に「読む気を失わせる」内容だと意見しているのです。その意見は至極納得出来るものです。

理論の初学者が理論体系を理解していく作業では、興味関心を持って「体系が分かったぞ」と思えることが最重要です。例えばニュートンの力学系が理解出来て実験結果に合致していくモデルは後に仕事をしていく上で活用できます。業務の体系を早く理解して論理的に作業や交流が出来るのです。

ただし理路整然と物事が理解、感動出来るのは一部の生徒だけで、多くの生徒は体型の理解が面倒で理解するだけで疲れて何も残らないものです。

より重要なのは体型が納得出来るストーリーだと小林は説きました。私が考えても「構築された理論の体系性」よりも「理論で感動出来るストーリー」なのだと思えます。お仕着せの学習で生徒の作業能力を高めるだけでは教育として不完全です。


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2022年04月12日

J・F・ジョリオ=キューリー
【1900年3月19日 〜 1958年8月14日】‐4/12改訂


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今回のご紹介はジャン・フレデリック・ジョリオ=キューリーですが、J-F・ジョリオ=キューリーはフランスパリに生まれ、亡くなるまでパリで暮らしました。そんな人の58年の人生のご紹介です。名前の綴りはJean Frédéric Joliot-Curieとなります。著名なキューリー夫妻の娘婿としてご紹介するとわかりやすいでしょうか。つまり、義理の父はピエール・キュリー、義理の母はマリー・キュリー。義理の妹はエーヴ・キュリーとなります。


このご紹介の中でフレデリックとご紹介していきますが、フレデリックはラジウム研究所でマリ・キューリーの助手となりました。その研究所でマリの娘イレーヌを知り交際を深め。まもなく2人は結婚しました。その時点で姓を「ジョリオ=キューリー」としたのです。ジョリオはフレデリックの血筋の名前でキューリーはイレーヌの血筋の名前でした。二人は後に一緒にノーベル賞を受けます。


フレデリックとイレーヌの夫婦は同位体元素への反応過程を研究して新しい物質を作り上げたのです。具体的にはアルミニウムに対してアルファ線を照射したときに人工放射性同位元素である30P(リン30)が発生したのです。その後、フレデリックはフランス原子力庁の長官としてフランス初の原子炉を1947年に建設するプロジェクトに加わります。原子力の平和的な利用と環境に及ぼす影響については各論があると思えますが、今のフランスの電源構成に大きな影響を与えた人だと言えます。


政治的な活動としてフレデリックは第二次世界大戦時にはナチスドイツに対抗するレジスンス運動に参加しました。そして終戦後は先述したフランス原子力庁の仕事をしながらフランス国立科学研究センター総裁、コレージュ・ド・フランスの教授も務めていました。他、パグウォッシュ会議(核兵器と戦争の廃絶を訴える国際会議)の創始、世界平和評議会の初代議長、フランス共産党の党員と多方面で尽力し活躍をしました。


教育者としてフレデリックは日本初の女性物理学者である湯浅年子に物理学を指導しています。その実績も我々日本人には新鮮なのではないでしょうか。本当に多彩な魅力を持っていた人だと言えます。


更に意外な側面は柔道との関わりです。フレデリックはフランス柔術クラブの名誉会長でした。柔道創始者の嘉納治五郎も就いていた役職です。フレデリックがいかにフランス国民から敬愛されていたかがわかりますね。


 

〆最後に〆


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(対応英訳)


Introducing this time is Jean Frederick Jorio-Curie, but JF Jorio-Curie was born in Paris, France and lived in Paris until his death. This is an introduction to such a person's 58-year life. His name is spelled Jean Frédéric Joliot-Curie. Is it easy to introduce as the son-in-law of the famous Mr. and Mrs. Curie? That is, his father-in-law is Pierre Curie and his mother-in-law is Marie Curie. His sister-in-law will be Ave Curie.


In this introduction, I will introduce you to Frederick, who became an assistant to Marie Curie at the Radium Institute. He got to know Mali's daughter Irene at the institute and deepened his relationship. Soon the two got married. At that point he changed his surname to "Jorio-Curie". Jorio was the name of Frederick's lineage and Curie was the name of Irene's lineage. The two will later receive the Nobel Prize together.


The couple of Frederick and Irene studied the process of reaction to isotopes and created a new substance. Specifically, when aluminum was irradiated with alpha rays, the artificial radioisotope 30P (phosphorus 30) was generated. Frederick then joined the project to build France's first nuclear reactor in 1947 as Secretary of the French Atomic Energy Agency. There seems to be some debate about the peaceful use of nuclear energy and its impact on the environment, but he is one of the most influential people in France's current power mix.


As a political activity, Frederick participated in the resistance movement against Nazi Germany during World War II. And after the end of the war, he was also the president of the French National Center for Scientific Research and a professor at Collège de France, while working for the French Atomic Energy Agency mentioned above. He and others have worked extensively with the founding of the Pugwash Conference (an international conference calling for the abolition of nuclear weapons and war), the first chairman of the World Peace Council, and members of the French Communist Party.


As an educator, Frederick teaches physics to Toshiko Yuasa, Japan's first female physicist. I think that achievement is also fresh for us Japanese. It can be said that he really had a variety of charms.


A more surprising aspect is the relationship with judo. Frederick was the Honorary Chairman of the French Jiu-Jitsu Club. He was also in the position of Judo founder Jigoro Kano. You can see how Frederick was loved by the French people.

2022年02月28日

P・W・アンダーソン
【1923年12月13日生まれ‐2/28改訂】

「アンダーソン」の原稿を改定します。作業としては関連リンク、内部リンクの改定、小見出しの設定、装丁の改善です。特に提携終了となった「テキストポン」などの商標は順次置き換えていきます。私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていく予定です。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9時点で‗
@SyvEgTqxNDfLBX‗3385‗Aev2Fz71Tr4x7b1k‗2717‗BBLLpQ8kta98RLO9‗2543‗CKazenoKouji‗3422
なので合計‗6102+5965=【12057】


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1923年12月13日生まれ ~ 2020年3月29日没】



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 物性論の大物、アンダーソン博士


その名の綴りは”Philip Warren Anderson”。


物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。


所属研究機関としてはハーバード大で学び


ベル研・ケンブリッジ大・プリンストン大学


で勤務しました。米国や英国の綺羅星が並んでます。


素晴らしい研究人生です。


アンダーソンの研究で先ず思いつくものは
アンダーソン局在です。


無秩序系における電子の基本的な性格で、
物性論の一つの基礎原理になっています。
その理論では電子が実空間上で局在した状態は
非局在の状態と明らかに異なり
エネルギー的に区別されます。



 アンダーソンと磁性


当たり前ですが、超電導の話で出てくる位相空間での局在と明確に区別する必要があります。アンダーソン局在では電子が空間的に局在するので、電気伝導について考えた時に「固体中の電子が電導に寄与しなくなる」という事実が大事です。導体が不導体に近いづいていくのです。


更にアンダーソンは、長さ・時間のスケールを
変換する理論をスケーリング理論として展開して
理論を発展させたのです。


また、磁性を紐解く解釈も行っています。
こういった業績を評価され、アンダーソンは
ノーベル物理学賞を受賞しています。


とある研究によると、論文引用の頻度から評価して
アンダーソンは世界で「最も創造的な物理学者」
だという位置づけを得ています。


そしてアンダーソンは 東京大学から名誉博士号
を贈られています。その記念として
物性研で記念植樹されていたようですが、
赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。
何時か見に行きたいと思います。


最後に、アンダーソンの
残した言葉を一つご紹介します。


”More is different”


アンダーソンは多様性の中から秩序を拾い出していました。皆さんも多様性に怯まないで下さい。寧ろ、多様性の中で逍遥する心持で複雑怪奇の中で物事の本質を探って下さい。数学的な手法に拘って、何度も検算を繰り返してみても良いと思えます。数学はあくまで現実のモデル化なのですが、本質に近いことが多いです。また、別解を探してみると面白いかもしれません。
少しでも多くの手法で考え続けて下さい。私も励みます。



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(2021年11月時点での対応英訳)



Dr. Anderson, a big figure in condensed matter theory


The spelling of the name is "Philip Warren Anderson". Introducing Dr. Anderson, who is famous for his research on physical properties. As his research institute, he studied at Harvard University and worked at Bell Labs, Cambridge University, and Princeton University. He is lined with Great Britain in the United States and Britain. He has a wonderful research life.


The first thing that comes to mind in Anderson's research is Anderson localization. It is the basic character of electrons in a chaotic system, and is one of the basic principles of condensed matter physics. According to the theory, the state in which electrons are localized in real space is clearly different from the delocalized state and is energetically distinguished.



Anderson and magnetism


Obviously, it must be clearly distinguished from the localization in topological space mentioned in the story of superconductivity. In Anderson localization, electrons are spatially localized, so the fact that "electrons in a solid no longer contribute to the Hall of Fame" is important when considering electrical conduction. The conductor is getting closer to the non-conductor.


In addition, Anderson developed his theory by developing the theory of transforming the scale of length and time as a scaling theory.


He also interprets magnetism. In recognition of his achievements, Anderson has won the Nobel Prize in Physics.


According to one study, Anderson is positioned as the "most creative physicist" in the world, judging by the frequency of his dissertation citations.


Anderson has received an honorary doctorate from the University of Tokyo. It seems that a commemorative tree was planted at the Institute for Solid State Physics as a memorial, but is it near the Akasaka Ministry of Defense? Is it Kashiwa? I would like to go see it someday.


Finally, Anderson's
I would like to introduce one word he left behind.


“More is different”


Anderson was picking order out of diversity. Don't be scared of diversity. Rather, explore the essence of things in a complex mystery with a feeling of wandering in diversity. I think it's okay to repeat the checkup many times, regardless of the mathematical method. Mathematics is just a modeling of reality, but it is often close to the essence. Also, it may be interesting to look for another solution. Keep thinking in as many ways as you can. I also encourage you.


2022年01月03日

村上陽一郎_
【1936年9月9日生まれ-(ご存命中)】



村上洋一郎は日本の論壇を率いた方で、別途ご紹介している広重徹と共著の著作を沢山残しています。
専門は物理学史 、試行錯誤 、科学哲学 、安全学と多彩に表現出来ますがクリスチャンとして理解すると一貫性をもって、その人生が理解できます。国際基督教大(ICU)で式典が開かれた際には美智子皇后も参列されたそうです。秋篠宮家からICUに御通学される時代へと繋がっていく話だと思います。

また、物理学者には楽器が好きな人が居るのですが、村上洋一郎も高校時代からチェロを好みます。そんな中で思索の時間も持ち、人との話し合いの時間も持ちます。音楽に没頭する時間と、それぞれの時間は少しずつ重なっている気がするのです。音楽のリズムと理論構築のリズム、及びその構築には共通点があります。アインシュタインの言葉に曰く
「The most beautiful thing we can experience is the misterious it is the source of the all TRUE aet and science」

話し戻して、村上洋一郎の活動は多岐にわたります。河合隼雄と文化論に対して議論を交わし仕事をこのしたり、高橋義人とグノーシス(キリスト教と教義体系が異なる宗教です)の教えを語り合ったり、ユングやパウリの訳を日本に紹介したりしていました。其々の御人柄・人生を知れば知るほど共鳴している部分が分かってきて面白い筈です。そして、村上洋一郎はラッセルやケプラーを論じて啓蒙活動を進めました。


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2022年01月02日

ハーゼノール
【1874年11月30日 - 1915年10月7日】



ウィーンに生まれたハーゼノールは非常に人脈に恵まれていたと思います。まず、ウィーン大学でボルツマンに理論を学びます。その後、ライデン大学のローレンツの下で研究をします。そして、シュレディンガーらに物理学を伝えます。この話を知るまでは、シュレディンガーは独自に理論を作り上げるタイプの物理学者だと思っていたのですが、理論の土台をハーゼノールが与えていたと知り、個人的には何となく納得してしまった部分がありました。定式化の方法が似通っている部分が多いと思えたのです。

研究の上で特筆すべきはE=mc2と同じ形の式を1904年に発表していた事です。興味深い話なので後程、とりあげます。第一次世界大戦が始まると、オーストリア・ハンガリー帝国陸軍に志願し、南チロルでイタリア軍と戦って40歳で戦死します。残念な事ですが運命に対峙した結果だったのでしょう。

ハーゼノールは空洞で生じている放射現象の中で「輻射(放射)を担う波」に着目して、その慣性についての論文を1904年と1905年に発表しました。この理論では電磁質量によって物質の慣性が大きくなると論じたのです。 この話を整理して考えた、ラウエは様々な形態の「エネルギー」に対して「慣性」の確立をアインシュタインに帰し、彼が相対性理論との関連でその等価性の深い意味合いを初めて理解したと考えています。

実際の所は現代の視点で考えてみた時に、質量エネルギーの等価性はハーゼノールのように電磁気学的側面から整理理解していった方が実感できてくるものだと思えます。例えば、ボルツマンが明らかにしていったように熱が伝わる性質をエネルギーが伝わる現象ととらえる事は万人に分かり易い定式化でしょう。エネルギーを基軸に考えて「熱」、「電磁波」、「静止質量」、「慣性質量」、、、、といった概念を分かり易くつなげていった結果がE=mC^2という定式化だと考えられるわけです。科学史の観点から考えて明らかに言い切れることはハーゼノールもアインシュタインも20世紀初頭に同じ頂点(理論的帰結)を乗り越えていたという事実です。全く違う人生を歩んだ二人が同時期に同じ材料を使って考察して其々に結果を出していた事実を知る事はある意味心地よいです。そして、その二人に其々何らかの示唆を与えていたローレンツの力量にも改めて敬意を払います。人を育てる事は素晴らしいですね。


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2022年01月01日

武谷三男 
【1911年10月2日生まれ - 2000年4月22日没】


武谷三男は京大理学部で理論物理学の基礎を修めました。彼の主な関心は原子核の振る舞いや素粒子論です。湯川秀樹や坂田昌一と共同で研究を進めていった時代の人です。
反ファシズムの立場だった武谷は原子核関連の開発と発展についての発言で政治的ともいえる言葉を残しています。原爆や水爆の是非に関してです。
また会津に亡命していたロシア人の奥様との縁にも興味を覚えます。まさかあの人と、とかいった話が出てきそうです。
いずれにしても武谷は未だ曖昧だった原子核に対して形を与えていった時代の人なのです。一つ一つ現象を見ていき、定式化していったのです。方法論を確立したのです。


ここで、方法論として三段階理論と呼ばれた論法を用いて武谷は論拠としていましたのでご紹介します。(以下ウィキペディアから引用)

@現象論的段階
量子力学の範疇に入る現象で
「測定にかかるもの」を
そのまま記述する
(第一)段階

A実体論的段階
上記現象の方程式を作る前に、
現象論的段階に出てこない実体
(模型、粒子など)を知る
(場合によっては新たに導入する)
(第二)段階

B本質論的段階
現象論的段階で記述される現象を、
実体論的段階で導入した実体も含めて、
方程式など主として
数学的手法で記述する
(第三)段階
【引用ここまで】

この武谷の理論は測定方法の面から考えたときに、観測問題の制限を意識した理論だと言えるでしょう。その時代から数十年遡って思い返せば、量子力学創設の時代以前にはすべての段階が意識化されていなかったのです。

また、米国のビキニ環礁での水爆実験に際し、問題点を掘り下げて定量的な指標を考察して放射線の許容量(がまん量とも表現しました)を議論していきました。具体的に「急性の放射線障害」と「長期的に蓄積される効果」を明確に区別して議論すべきだと主張していきました。当時、立教大学の教授であった武谷は、放射線防護の概念を考え直し、「自然科学的な対象の概念」に留まらず、放射線利用の「利益・便益とそれに伴う被曝の有害さ・リスクともいえる社会的概念」として考え直した功績も指摘されています。
〆最後に〆

英語が話せるようになる「アクエス」


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2021年10月01日

フォン・ノイマン
【1903年12月28日 - 1957年2月8日】



フォン・ノイマンの生い立ち


ノイマンはハンガリー系のドイツ人でアメリカに亡命します。ハンガリー名ではナイマン・ヤーノシュ:nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ、ドイツ名ではヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン:Johannes Ludwig von Neumann, 少年時代から英才教育を受け、ディケンズの小説を一字一句間違えず暗唱していたと言われます。また、車を運転しながら読書していたと言われます。数学・物理学・コンピューター科学で多才な才能を発揮した人で映画のモデルにもなっています。冒頭に掲載した映画作品は
フォン・ノイマンをモデルにしたと言われています。





原子爆弾やコンピューターの開発

フォン・ノイマンは1930年にプリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の所員に選ばれています。因みに、その時に同時にメンバーとして選ばれた一人がアルベルト・アインシュタインでした。戦争へ向かうアメリカで軍事関係の研究を進めます。




特に、フォン・ノイマンはロスアラモス国立研究所でアメリカ合衆国による原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加します。そして、弾道研究所に関わるENIACのプロジェクトに参加してノイマンもこの電子計算機のプロジェクトを進めていくのです。

ノイマンの別の関心事として衝撃波の伝達の研究分野がありました。所謂FAT・MAN(長崎に投ちたプルトニウム型原子爆弾)のための爆縮レンズを開発していくのです。兵器開発に科学者が関わっていく良い例です。「(効率的に)人を沢山殺そう」という考えと「科学的探究心」は瞬時に置き換える事が出来るのです。


フォンノイマンの考え方を表す言葉



名言として残されている一つをご紹介します。
「思考こそが一次言語であり、数学は二次言語である。
数学は、思考の上に作られた、一つの言語に過ぎない。」実際に物理モデルを構築する前の思考が大事で、それは掴み用の無い物です。幾何学的な図形で抽象的に表現してみたり群論を使って整理してみたりします。見つかった「秩序」を数学的表現で表すのはその後の段階で、さらには大衆に分かるように色々な言葉で肉付けします。物理学者はこの作業を無限に繰り返さなければいけません。そんなノイマンは1955年に骨腫瘍あるいはすい臓がんと診断されました。放射能に関わる研究を重ねた結果でもあります。同僚のエンリコ・フェルミも1954年に骨がんで亡くなっています科学の発展の為に晩年を捧げた人生でした、ご冥福をお祈りいたします。





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2021/10/01_初版投稿


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