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2022年11月03日

コリン・マクローリン_11/3改訂
【1698年2月 ~ 1746年6月】

こんにちはコウジです。「マクローリン」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
2021/7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と7/3の時点で‗
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作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】



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 マクローリンについて


マクローリンの名を耳にするのは


数学の講義ではないでしょうか。


物理学者というよりも数学者ですが


一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。


その名を全て記すとコリン・マクローリン


(Colin Maclaurin)です。


Wikipedeaで「マクローリン」という言葉だけで検索したら
ロボットアニメが出てきたりしますが、
「マクローリン展開」で検索すると一発です。
  



マクローリンの業績について


クローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。


込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化率を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。


 



マクローリンと残した仕事 


 マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートン_と仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。


マクローリン自身もニュートン_の考えに惚れ込んでいて、
ニュートンの紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。


多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えは最終的にデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。


理工学系の過程に進む初学者は出来るだけ
数学と産業のつながりを意識して下さい。
一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を
土台として現代の応用技術が成り立っているのです。


無意味無乾燥に思える講義の内容が
貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。



〆最後に〆


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/06_初稿投稿
2022/11/03_改定投稿



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(2021年8月時点での対応英訳)



About McLaughlin


Isn't it a math lecture that you hear the name of McLaughlin? He is a mathematician rather than a physicist, but a decade ago physics and mathematics had a vague line. The name is Colin Maclaurin.


If you search for "Macroline" in Wikipedea, you will see robot animation, but if you search for "Macroline expansion", it will be one shot.
Twice



About McLaughlin's achievements


McLaughlin is especially famous for his developments. The content is "Taylor development centered on 0", which is a very special case, but its usefulness is very great. Its benefits would not have come to our minds simply.


To put it in a complicated way, the mathematical formulation that McLaughlin formulated is "decomposition of an arbitrary function into a series". The rate of change of an arbitrary function is expressed separately as the contribution of the primary component, the contribution of the secondary component, the contribution of the 3 o'clock component, and so on.



Work left with McLaughlin


McLaughlin was born in Scotland, England.
While working with Newton, he gained his trust and even got a letter of recommendation to the university. McLaughlin himself fell in love with Newton's ideas and was publishing for the purpose of introducing Newton. Through these jobs, I worked for the Scottish Enlightenment Movement.


Many people will stop using math after high school, but the world of math is very useful in real life. In particular, the idea of ​​McLaughlin introduced this time leads to the idea of ​​series expansion of general functions, and that idea eventually leads to the approximation processing in digital circuits. It is a processing principle in a circuit such as in a smartphone. The general public is not aware of it, but they are benefiting from it. Beginners who advance to the science and engineering process should be aware of the connection between mathematics and industry as much as possible.


Even in the world of mathematics, which seems unrelated at first glance, modern applied technology is based on that concept. The content of a lecture that seems meaningless and dry may produce unexpected results in your life.

2022年11月02日

P・V・ミュッセンブルーク‗11/2改訂
【1692年3月14日-1761年9月19日没】

こんにちはコウジです。「ミュッセンブルーク」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
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 ライデン瓶を考案したミュッセンブルーク


その名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク

;Pieter van Musschenbroek。

ライデン瓶の発明で知られているオランダの物理学者です。

ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子として生まれます。

何より、最初の蓄電器であるライデン瓶

を作ったことで知られています。

ラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・英語、ドイツ語などを学んだ後にライデン大学で医学博士となります。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、ロンドンで当時の大物である物理学者ニュートンの講義を受けています。

その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが1726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。

 ミュッセンブルークと帯電現象の理解


その後、

静電気の力を中心にミュッセンブルークは関心を深め、

ガラス瓶の中に充満した水の中で帯電した棒が

反発しあう現象を形にします。非常に効果的な装置で

水の中で実験を行うことで、重力の効果を浮力の

効果を打ち消して微細な反発力をとらえられます。

また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に

開いていくので開いた角度がθの時に重力の分力が

Sinθで考えられるのです。

数学上、θが0の近傍ではSinθが殆ど0なのです。

理論で期待される効果が目視で確認できます。

浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよい

事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える

効果として現れます。開き角度が狭い時点では

殆ど重力の効果がない形で

帯電に起因する力が可視化出来るのです。

 

それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ

示せなかった「静電容量に起因する力」が

ミュッセンブルークによって示されました。

後の電磁気学の発展に繋がっていきます。

確かな一歩が残されたと言えるでしょう。

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2021/07/01_初回投稿
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About Musschenbrook 


Its name is Pieter van Musschenbrook

; Pieter van Musschenbroek.

Musschenbruck is a Dutch physicist known for the invention of the Leyden jar. He is born as a child of a craftsman who makes pumps, microscopes and telescopes. He is best known for making his first capacitor, the Leyden jar.

He will become a Doctor of Medicine at Leiden University after studying Greek, Latin, French, English, German, etc. at a Latin school. It seems that his way of learning at that time was very different from what he is now. And he is taking a lecture in London by the then-big physicist Newton.

After that, Musschenbrook was a professor of mathematics, philosophy, medicine and astrology. Astrology is considered to be a rational academic system in the culture of the time, and there is a historical fact that Nostradamus, who was used for the royal family a while ago, studied astronomy and astrology. And in "Elementa Physica" published by Musschenbrook in 1726, Newton's theory is widely spread in Europe.

Method of Musschenbrook


After that, Musschenbrook deepened his interest around the force of static electricity, and formed a phenomenon in which charged rods repel each other in the water filled in a glass bottle. By conducting experiments in water with a very effective device, the effect of gravity can be canceled by buoyancy and a minute repulsive force can be captured.

Also, since the two rods that pass through the fulcrum open in the direction perpendicular to gravity, the component force of gravity can be considered in Sinθ when the opening angle is θ.

Mathematically, Sin θ is almost 0 near θ of 0.

You can visually confirm the effect expected in theory.

The effect of buoyancy canceling gravity and the fact that only Sinθ needs to be considered as a component force combine to make a minute repulsive force due to electricity appear as a visible effect. When the opening angle is narrow, the force caused by charging can be visualized with almost no effect of gravity.

Work of Musschenbrook


Musschenbrook showed the "force due to capacitance" that could only be shown by rubbing the charging rod until then. It will lead to the later development of electromagnetism.

It can be said that Musschenbrook has left a solid step.

2022年11月01日

建部賢弘(たけべ かたひろ)11/1改訂_【1664年(寛文4年)6月 〜 1739/8/24】

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和算の大成者である健部賢弘


建部賢弘は日本の数学者で、和算を大成した人物です。
江戸時代1664年生まれです。


関ヶ原の合戦が1600年で江戸太平の世の中が200年ほど
だったことを思い返せば建部はまさに江戸時代の中期
に活躍したと言えますね。


時は享保の時代で8代将軍の暴れん坊将軍「徳川吉宗」
の信頼を得ます。そして享保四年(1719年)「日本総図」
を作成します。また、
師である関孝和の業績に関する著作を多数残しました。


その内容は歴史的な記述というよりも内容に深く入り込んでいます。いわば数学の側面からの解説書であったようです。



関孝弘の考察を建部が補う 


そもそも、関孝和は沢口一之が残した『古今算法記』での未解決問題を関さん独自の点竄術を使って解決していました。


そこで「関さんの悪い所」なのですが、省略し過ぎで難しい本だったのです。


面白いのは関西系の数学者からツッコミ食らっていた訳です。


「頑固な江戸のおじいちゃん」が関西人からツッコまれていたのですが、建部さんは丁寧な解説で「正しいでしょう?」って感じの話し方が出来たのです。


きっと関西人たちも納得したはずです。関西人であれ関東人であれスッキリした瞬間です。


そして、師匠の関孝和と建部賢弘と建部賢明の三人で全20巻の「大成算経」をまとめました。


「大成算経」は当時の和算をまとめ上げた秀作として評価され続けています。



円に対しての建部の業績


建部賢弘の大きな業績として円に対しての定量的な追及があります。物凄い精度で円について考えていったのです。


そもそも、精度の高い真円が描けたとしてもその円での半径とこの長さの関係は自明ではありません。


今でこそ、子供たちも3.14…と記憶していけるのですが理論的に真円が描けたと考えた時の弧の長さは「三角関数を使って級数を作り極限」を求めていくしかありません。


三角関数、級数、極限といった概念を和算の中で正確に使っていくデリケートさが求められるのです。


建部賢弘は丁寧に言葉を選んで誰でもわかる表現をして未知の世界に挑んでいったのです。


建部以前の時代から使われていた正多角形を円が囲む近似から考えていきました。


建部は逆に正多角形に円が囲まれた部分を想像して、円の面積がA以上B以下であると証明していくのです。


そして円弧の長さがα以上β以下であると証明していったのです。


そして建部賢弘は円周率を41桁まで正確に出したのです。世界的に考えても数値的な解法として優れた業績でした。



その他の建部の業績


その他にも建部賢弘は多くの業績を日本に残しましたが、以下備忘録的に羅列します。


・指数1/2の二項級数の近似解法を紹介
・ディオファントス方程式の近似解法を紹介
・帰納法に基づいた数値解析の方法論を紹介
・無限の概念を「不尽」として導入
・三角関数の内容を表の形で明示


そして今、日本数学会では建部賢弘特別賞や建部賢弘奨励賞


という形で若手数学者を奨励する賞を設けています。
建部賢弘のように


若かりし人が
新しい分野を開いていく姿を数学会は期待しています。






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2022/10/06_初稿投稿
2022/11/01_ 改訂投稿


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(2022年10月時点での対応英訳)


Katahiro Tatebe was a Japanese mathematician and a great exponent of Japanese arithmetic.
He was born in 1664 during the Edo period.


The Battle of Sekigahara took place in 1600, and the Edo period lasted about 200 years.
If we recall that the Battle of Sekigahara took place in 1600,we underground the peaceful Edo period lasted for about 200 years
The time was the Kyoho period, and he was active in the MiddleEdo generation.


The time was in the Kyoho period, and Takebe gained the trust of the 8th shogun, "Tokugawa Yoshimune," the ruffian and tyrant shogun.
And Tatebe produced the "General Map of Japan" in 1719.


In addition
Tatebe also wrote many works on the achievements of his mentor, Seki Takakazu.
The contents of these works are not so much historical descriptions as commentaries .
The contents of these works seem to have been commentaries from a mathematical point of view rather than historical descriptions.



Seki and Takebe


To begin with, Seki Takakazu solved the unsolved problems in Sawaguchi Kazuyuki's "Kokin Keiken" by using Seki's original point-falsification technique. However, the book was difficult to read because of the excessive "omissions" as "Seki's bad point.


What is interesting here is the fact that Kansai mathematical persons had criticized Takebe . The stubborn old man from Edo was getting flack from the Kansai people, but


Mr. Tatebe was able to give a polite explanation and say, "Isn't that right? He was able to speak in a way that made the Kansai people understand.


I am sure the Kansai people must convinced. It was a moment of great clarity, even for Kansai people.


And then, his master Seki Takakazu, Tatebe Masahiro, and Tatebe Tatebe Kenmei together produced a 20-volume book, "The Great Calculation Sutra," which they had published in 1949.
The "Taisei Keikyo",Everybody had highly regarded as an excellent work that summarized the Japanese mathematics of those time.


One of Tatebe's major achievements was his quantitative pursuit of the circle. He thought about the circle with tremendous precision. Even if a highly accurate circle could be drawn, the relationship between the radius and the length of the circle would not be self-evident.


Nowadays, children can memorize the rate,3.14..., but theoretically, when a perfect circle is drawn, the length of the arc can only be obtained by using trigonometric functions to create a series and finding the limit.



Rate of circle


The concepts of trigonometric functions, series, and limits must be used with delicacy and precision in Japanese arithmetic.


Kenhiro Tatebe carefully chose his words to express them in a way that anyone could understand, challenging the unknown.


Tatebe began by considering the approximation of a circle enclosing a regular polygon, which had been used since the pre-Tatebe era, and then, conversely, imagined the area of a circle enclosed by a regular polygon, proving that the area of the circle is greater than A and less than or equal to B.


Takebe then used a circle with an arc length of at least α and less than or equal to B. He then proved that the length of the arc is greater than or equal to α and less than or equal to β.



How many obtained


Then, Kenhiro Tatebe obtained pi to exactly 41 digits. This was an outstanding achievement in numerical solving, even when considered on a global scale.



Other wiorks of Takebe


Kenhiro Tatebe also left many other achievements in Japan, which are listed below as a reminder.


Introduced a forbidden solution method for binomial series with exponent 1/2.
Introduced an approximate solution method for Diophantine equation.
Introduction of a methodology for numerical analysis based on induction
Introduces the concept of infinity as "inexhaustibility
・Contents of trigonometric functions are clearly stated in the form of tables.



Kenhiro Tatebe Encouragement Award.


The Mathematical Society of Japan now offers prizes to encourage young mathematicians in the form of the  Katahiro Tatebe Special Prize and the Katahiro Tatebe Encouragement Prize.
We hope to see young people like Katahiro Tatebe
to open up new fields of study.


Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2022年10月31日

アイザック・ニュートン‗10/31改訂
【1642年12月25日 ~ 1727年3月20日】

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物理学を変えたニュートン


物理学でのパラダイムシフトを語るうえで
外せない人物が、このニュートンでしょう。


物理学に於いてそれまでの常識を覆しました。
数学を駆使して物理学を大きく変えています。


今では世界で彼の名を冠した科学関係の雑誌が
刊行されている程です。
多くの人がその名と業績を知っています。


イギリスで生まれたニュートンはケンブリッジでアイザック・バローに師事し研究をしていきます。家庭的に問題を抱えていたことに加えニュートンは体も小さく体力も無かった為に紆余曲折の下でアイザック・バロー教授と出会ったのです。


特に大きな転機となったのは学位を習得する時期にペストがヨーロッパ中に大きな被害をもたらし、ケンブリッジも封鎖された時期があったのです。その時期にニュートンは地元に戻り思索の時間を多くとれたのです。その時間が1665年の万有引力発見に繋がります。



ニュートンの業績 


ニュートンが示したものは大きいのです。


力が「相互作用」であって小さなリンゴと大きな地球が


相互作用するように、全ての物質が相互に作用して、


互いに引き合う事象を見出しました。


ニュートンの著書「プリンキピア」の中で法則として体系化しました。その数学的定式化として微分の考え方を使って洗練された形を残し、その後の学問の発展に大きな基礎を築いています。



ニュートンの足跡 


何年もの後にマッハが「力学の哲学的批判史」の中で独自の空間概念の定式化を批判しますが、それもニュートンの整理・確立した空間概念、慣性の法則、などがあって初めて気づき得る話なのです。


 

その他、ニュートンの業績は光学、微積分学、と尽きませんが空間・時間・力を明確に定式化した点が後世の我々にとっても、物理学にとっても何より大きいと思えます。


ニュートンは人々の物に対する考え方を大きく変えました。



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The Newton


This Newton is a must-have person when talking about the paradigm shift in physics.Newton overturned conventional wisdom in physics. He uses mathematics to make a big difference in physics.


Nowadays, science magazines bearing his name have been published in the world. Many know the name and his achievements. Born in England, Newton will study under Isaac Barrow in Cambridge. In addition to having problems at home, Newton met Professor Isaac Barrow under twists and turns because he was small and weak. A particularly big turning point was when the plague caused great damage throughout Europe during his bachelor's degree and Cambridge was also blocked. At that time Newton returned to his hometown and had more time to think about him. That time will lead to the discovery of universal gravitation in 1665.



Newton’s Work


What Newton has shown is great. He found that all matter interact and attract each other, just as forces are "interactions" and small apples and large earths interact.


It was systematized as a law in Newton's book "Principia". He used his idea of ​​differentiation as his mathematical formulation to leave a sophisticated form, laying a great foundation for the subsequent development of scholarship.


Newton’s Footprint


Years later, Mach criticizes Newton's concept of space in "History of Philosophical Criticism of Mechanics", but it is a story that can only be noticed with Newton's organized and established concept of space, the law of inertia, etc. It is.


In addition, Newton's achievements are not limited to optics and calculus, but the fact that space, time, and force are clearly formulated seems to be greater for us in posterity and for physics. Newton has changed the way people think about things.


2022年10月30日

ロバート・フック10/30改訂【1635年7月28日 ~ 1703年3月3日没】

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ボイルの助手フック


イギリスに生まれたフックは若い時代にボイル


下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。


そしてまた、ユークリッドの原論や、光の屈折


など様々な考え方を身に着けていきます。


フックの情報を調べてみると性格的側面で、


人間関係の問題を抱えていったように思われます。


そもそもフックの父は英国国教会の聖職者でした。


2人の兄も聖職者として人生を歩んでいるようです。



フックの美学


そんな家庭で育ったロバート・フックは


科学・数学といった理論の世界で神に通じる


美学を構築していったのではないでしょうか。


宗教的側面は精神的な土台として考慮すべきです。


そこから生まれる高潔な理想と現実世界での不条理が


彼の抱えていた問題だったのです。


数学で「問題の壁を乗り越えた時の感動」や


「誰の手も借りずに新しい発見をした時」の


感謝は完全に人に伝えられない部分だと思えます。


そこで感動の共有が出来なかったとしたら、


フックはきっと孤独を感じたのです。





この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、最終的にフックは寂しい人生を送っています。フックには子孫が居ませんでした。また、同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。年配のフックをニュートンは敬っていたようですが最後はどうしても論戦になり、科学的な思考の深さと明快な視点で反論されてしまったのでしょう。


とはいえ、その業績は特筆に値します。



フックの業績 


有名な仕事はバネでの、フックの法則です。


ばねに働く力が長さの一乗に比例するという法則は


非常に明快で今でも色々な分野に応用されています。



また、惑星間に働く力が距離のマイナス2乗に働く


という法則もフックの発案であるという主張もありました。


もはや今となっては真相は不明です。


理論として体系立てることも大事ですが


先ずは気付きを与えるという事も大事です。


その意味でフックは議論をしてたというだけで


素晴らしいと感じます。




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Hook in yonger Days


Born in England, Hook worked as an experimental assistant under Boyle when he was young and gained a lot of experience. And again, he learns various ideas such as Euclid's Elements and refraction of light. Looking at Hook's information, he seems to have had a relationship problem on the personality side. In the first place, Hook's father was a priest of the Anglican Church.


It seems that the two older brothers are also living their lives as priests. .. Robert Hooke, who grew up in such a family, may have built a divine aesthetic in the world of theory such as science and mathematics. Religious aspects should be considered as a spiritual foundation.



noble ideals and Hook


The noble ideals and absurdities of the real world that emerged from it were his problems. In mathematics, gratitude for "impression when overcoming a problem wall" and "when making a new discovery without the help of anyone" seems to be a part that cannot be completely conveyed to people. If you couldn't share the excitement there,


Hook must have felt lonely. After re-examining it when writing this introduction, Hook is finally living a lonely life. Hook had no descendants. Also, his achievements are inferior to his contemporaries Newton. It seems that Newton respected the elderly Hook, but in the end it was a debate, and he would have been argued with his depth of scientific thinking and a clear perspective.



Hook's Work


However, his achievements deserve special mention. His famous work is Hooke's Law in Spring. The law that the force acting on a spring is proportional to the first power of length is very clear and is still applied in various fields.


It was also argued that the law that the force acting between planets acts on the minus square of the distance was also the idea of ​​Hook. The truth is unknown now. It is important for him to systematize as a theory, but it is also important to give awareness first. In that sense, Hook feels great just because he was having a discussion.



2022年10月29日

アイザック・バロー‗10/29改訂
【1630年10月生まれ ~ 1677年5月4日没】

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 バローとルーカス職


今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス職とはケンブリッジ内大学の称号(職位)で
クール(Cool)な物理学者に国王から贈られる称号です。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。



 筆者とバローの出会い


私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。


Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…


上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。彼の方が
職位に相応しいと判断したのです。


異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング

引き継いでいきます。



 バローの業績


上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。


具体的にバローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのです。



〆最後に〆


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 Barrow and Lucas


Professor Barrow is a mathematician at the University of Cambridge, England. Barrow has been appointed for the first time as a Lucas professor at the University of Cambridge. The Lucas professor is the title (position) of the University of Cambridge and is given by the king to a cool physicist. It is especially given to those who have a high understanding of mathematics.



 My Memory


The first time I learned the name of Barrow was in English teaching materials when I was in high school, and I think it was the following sentence.


Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil his was ..…


The professor in English above is Mr. Barrow, and the disciple (student) who appears after that is Newton. Barrow hands over Lucas to Newton. He decided that he was more suitable for his position.


It seems that it was an unusual decision, but considering Newton's subsequent achievements, Barrow's decision is wonderful. By the way, Dirac and Hawking will take over the prestigious Lucas profession after that.



 Barrows work


Although the times have progressed further from the time when the above English documents were written, Barrow's achievements have made great achievements not only in physics but also in engineering and eventually in industry.


Specifically, it is said that what is remarkable about the achievements left by Barrow is that he geometrically proved that differentiation and integration are the opposite mathematical acts. It may be natural now, but it is the result of Barrow's organization and systematization.


 

2022年10月28日

クリスティアーン・ホイヘンス
10/28改訂【1629年4月14日‐1695年7月8日】

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ホイヘンスの生い立ち


オランダの名家にホイヘンスは生まれ、ライデン大学では


数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かす


フィールドだったとも言えます。特に


数学で優秀さを発揮していたと言われています。


光学でのモデルは幾何学的なイメージを


しっかり作ると分かり易く,話が整理しやすいのです。



ホイヘンスの業績


物理学関係の業績としては特に、光学での業績が


顕著です。所謂、ホイヘンスの原理は後の物理学者達


が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。


波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、振動解析や音階解析へと話が進んでいくのです。



ホイヘンスに繋がる人脈


更に今世紀初頭にエーレンフェストアインシュタインがホイヘンスの母校であるライデン大学で議論していた事を鑑みると、人々の繋がりに小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツカメリー・オネスも研究を進めていくのです。


科学での一番最初の障壁は一般化を含めた理解だ


と感じます。一般の人々にも説明出来る


「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が


作り出すことが大事です。その点で


ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。


 

ホイヘンスの他の業績


別途、ホイヘンスは土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、その進取の精神には驚かされます。特に1675年に世界で初めて火薬を使った往復型の内燃機関を形にしているそうです。ニュートンのプリンキピア刊行が1687年ですので、「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自に形にしていると想定されます。特筆すべき一面かと思えます。


なお、いわゆるエーテルの存在をホイヘンスは想定して


後の物理学に議論の土壌を残しました。


この功績も非常に重要だと思います。



〆最後に〆


 



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Base of Huygens's LIFE


Huygens was born into a well-known Dutch family and studied mathematics and law at Leiden University. It can be said that physics was a field where he could make use of his knowledge. He is especially said to have showed his excellence in mathematics. An optical model is easy to understand if you make a solid geometric image, and it is easy to organize the story. His physics-related work is particularly remarkable in "Optics". The so-called "Huygens principle" should have been very useful for later physicists to think about waves.



Huygens's work


The nature of the wave is scrutinized, and it becomes a phenomenon that the longitudinal wave, the transverse wave, the frequency, the period, and finally the wavefront, the ripples, and the light can be expressed by the same constant. This understanding serves as the basis for the principle of superposition, and the discussion progresses to vibration analysis and scale analysis.



Huygens's reration


Also, given that Ehrenfest and Einstein were discussing at Leiden University, Huygens' alma mater, at the beginning of this century, I am even impressed by the connections between people. In addition, Leiden University will also pursue research by Lorenz and Kamerlingh Ones.


I feel that the very first barrier in science is understanding, including generalization. It is important for scientists to create as many "words" as possible that can be explained to the general public. In that respect, Huygens surpassed his initial difficulties.



Huygens's other works


You will also be amazed at the enterprising spirit of discovering Saturn's moon Titan, understanding the principles of the pendulum to make watches, and discovering and sketching the Orion Nebula. Especially in 1675, it is said that the world's first reciprocating internal combustion engine using gunpowder was formed. Since Newton's Principia was published in 1687, it is assumed that Huygens has uniquely shaped his thoughts on "instantaneous transmission power." I think this is a noteworthy aspect.


Huygens also left the ground for debate in later physics, assuming the existence of so-called ether. I think this achievement is also very important.

2022年10月27日

ロバート・ボイル
【1627年1月25日生まれ ~ 1691年12月31日没】


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アイルランドの貴公子ボイル


その名は正確には


サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_


英国アイルランド生まれの物理学者です。


初代コーク伯爵リチャード・ボイルと


キャサリンの間に7番目の男子として生まれ


アイルランド現地の家庭に里子に出されます。


その結果、ボイルはアイルランド語を


理解し、通訳レベルまで習得しました。


ボイルはフランス人の家庭教師と


海外旅行をしていて、1641年冬には


イタリアのフィレンツェで過ごし、


ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。


ガリレオは1642年に亡くなりますが、


まさに晩年のガリレオと接したのですね。


今の日本人ならボイルは中学生の年齢でしょうか。


多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。



帰国後のボイル


1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは


多くの時間を科学に使い、後の王立協会


に繋がる集まりである「ロンドン理学協会」、


別名、「不可視の学院」とも呼ばれた集まりに


参加するようになります。


ボイル家の先代が亡くなって


いましたので、ボイルはアイルランドでの


立場もあったのですが、ロンドンで頻繁に


会合が開かれた事情もあり、ボイルは最終的には


オックスフォードに移り住みます。


実験器具が入手し辛いといった切実な


側面もあったようです。



ボイルとその法則


その後、フックを助手としてボイルは空気


ポンプを制作して圧力の研究を始めます。


フランスのパスカルが同じ時代に研究をしていること


を考えると当時の物理学会での関心が


圧力にあった事が分かりますね。ニュートン力学


が成立していない時代には「力を加える」こと


よりも「圧力を加える」方が定量的に現象を把握出来る


作業だったとも言えるでしょうか。フック


ボイルの助手なので、ばねに関わる力の定式化が


出来ていないと思われます。そんな時代に力は


重力と関連して評価するしかなかったのでしょうか。


個人的に関心を持ってしまいました。


やがてはボイルの研究は圧力と体積との関係を


示す、ボイルの法則に繋がります。


ただ1660年迄にボイルは


「体積は圧力に反比例する」と明言していて、


書物での記録はあるようですが、


温度や分子量との関連を含め、


現象の定式化には至らなかったようです。


『実際の定式化はヘンリー・パワー


Henry Power FRS (1623–1668))によって


1661年になされているようです。』


【以上、3行は英語版Wikipedia情報】


このボイルの考案した「ボイルの法則」が一つの基礎となり


熱・統計力学の土台が構築されていきます。


更にこの後、


J・C・シャルルが考案した「シャルルの法則」が


温度との関係を与えますので高校レベルの知識として


「ボイル・シャルルの法則」が確立される訳です。


低圧力・高温度の条件下で、異なる気体間で法則が成


り立つことは自明ではないのですが


経験的法則として成り立ち、


後に様々な方式で発展していきます。


最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで


いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、


混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。


ボイルが明確にしたパラダイムシフト


は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。



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2020/11/04_初稿投稿
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【対応英訳】



His name is Sir Robert Boyle.


He is a physicist born in Ireland, England. He was born as the seventh boy between the first Earl of Cork Richard Boyle and Catherine and is fostered in a local Irish family. As a result, Boyle understood Irish and mastered it to the level of an interpreter.


In his younger days, Boyle travels abroad with a French tutor and spends the winter of 1641 in Florence, Italy, where he is taught by Galileo Galilei.


Galileo died in 1642, and Boyle had in contact with Galileo in his later years. Is Boyle the age of junior high school for Japanese people today, isn't it? He would have been well inspired during a sensitive period.


After completing his long journey on the continent in 1644, Boyle spent a lot of his time in science, attending a gathering that later led to the Royal Society, also known as the "London Science Society," also known as the "Invisible College." 


Boyle had a position in Ireland because the predecessor of the Boyle family had died, but due to frequent meetings in London, Boyle eventually moved to Oxford.


He seems to have had an urgent aspect that it was difficult to obtain laboratory equipment. After that, with Hook as his assistant, Boyle created an air pump and began researching pressure.



Pascal in France 


Considering that Pascal in France was doing research at the same time, you can see that the interest at the Physical Society  at that time was about" pressure ". In an era when Newtonian mechanics was not established, it can be said that "applying pressure" was a task that could quantitatively grasp the phenomenon rather than "applying force". Since the hook is a boil assistant, it seems that the force related to the Spring has not been formulated. Was force only evaluated in relation to gravity in such an era?



I'm personally interested. Boyle's research eventually led to Boyle's law, which shows the relationship between pressure and volume.


However, by 1660, Boyle had stated that "volume is inversely proportional to pressure," and although there seems to be a record in his book, the phenomenon was not formulated, including the relationship with temperature and molecular weight. It seems.


"The actual formulation seems to have been done in 1661 by


Henry Power FRS (1623–1668))."


[The above 2 lines are English translation version of Wikipedia information]



Boyle-Charles's law


The "Boyle's Law" devised by Boyle will be the basis for building the foundation of statistical mechanics. Furthermore, after this, "Charles's law" devised by JC Charles gives a relationship with temperature, so "Boyle-Charles's law" as high school level knowledge is established. It is not obvious that the law holds between different gases under low pressure and high temperature conditions, but it holds as an empirical law and later develops in various ways.


Finally, Boyle has inherited the tradition of alchemy, but excels in having a modern perspective and assuming "elements" to make a clear distinction between mixtures and compounds. It can be said that the paradigm shift that Boyle clarified is a very big achievement.


2022年10月26日

ブレーズ・パスカル
10/26改訂【1623年6月19日 〜 1662年8月19日没 】

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数学者にして哲学者のパスカル


フランスに生まれたブレーズ・パスカルは


物理学者にして数学者にして哲学者です。


17世紀頃までの自然科学に関わる学者達は


細分化が出来ていない傾向があり、


時代を感じさせる部分ではあります。


そして何よりパスカルといえば、その残した言葉、


「人間は考える葦である」がまず思い浮かびます。


思考法を確立していった人であって、


その点では古代ギリシャの哲学者に近い印象です。


 

中世に至るまでの人間の歴史には「科学的な側面」を


あまり感じません。経験の蓄積、文化の蓄積から生じた


機能美があるのですが、素材も含めて経験からの


アプローチが大きかったのではないでしょうか。


無論、思想の停滞は今迄に沢山の場で


論じられてきた話題だと思えます。話戻って、


パスカルは考え続けた人でした。



パスカルの業績 


パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。


総合的に物事を考えています。


死後、遺品整理で改めて分かったのは


「神」をも思考の対象として考えて、


様々な思考を繰り返し


確率論、優先順位を考え、様々な証明方法


を使っていたということです。


 

実際に分かり易い例として、


数学の上では三角形の内角の和を考えた時に


合計180度であると子供時代に証明していたようです。


平行になる工夫をして補助線を一本引く


だけなのですが、それを思い付いたときは


どれだけ嬉しかったことでしょう。


きっと感動があったはずです。



パスカルが残した沢山の発明


 

物理学の面では圧力に関する


パスカルの原理が有名で


その後、今に至るまで油圧機器に多用されてます。


またパスカルは実業家としての側面も持っていて、


今日で言うバスのシステムを乗り合いタクシー


という形で実現しています。


 

またパスカルは


子供時代から機械式計算機の制作をしています。


徴税吏員である


父親の仕事軽減が目的だったようです。


少し、ほのぼのする逸話ですね。また、


昔フランスでの500フランにパスカルの顔


が描かれていたようです。そしてパスカル


は39歳で亡くなっています。


何よりも圧力の概念を面積との関係で確立していき、


後の定量的議論の土台として確立した


功績は大きいのではないでしょうか。


現在では圧力の単位としてパスカルは名を残してます。



フランスの誇る偉人ですね。




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(対応英訳)


 Blaise Pascal ,Born in France, is a physicist, mathematician and philosopher. Until around the 17th century, scholars involved in the natural sciences tended to be undivided, which is a part that makes us feel the times.


And above all, when it comes to Pascal, the remaining word, "human beings are reeds to think about," comes to mind first. He was the one who established the way of thinking, which gives an impression close to that of an ancient Greek Philosopher. I don't really feel the "scientific side" of human history up to the Middle Ages.


There is a functional beauty that arises from the accumulation of experience and culture, but I think the approach from experience, including the materials, was the main part of Way Of Tinking. Of course, the stagnation of thought seems to be a topic that has been discussed in many places. Returning to the story, Pascal was the one who kept thinking. His collection of Pascal's manuscripts, Pensées, is famous. He thinks about things comprehensively.



After his death,


what he learned from his relics was that he also considered "God" as an Object  Of Thought, repeated various thoughts, considered probability theory and priorities, and used various proof methods. ..


As a practically straightforward example, he seems to have proved in his childhood that mathematically, when considering the sum of the angles of a triangle, the total is 180 degrees. He only draws one auxiliary line, but how happy he was when he came up with it. He must have been impressed.



Pascal’s works


In terms of physics, Pascal's principle regarding pressure is famous, and since then, it has been widely used in hydraulic equipment. Pascal also has an aspect as a businessman, and realizes the Bus System that we call today in the form of a shared taxi.


Pascal has also been making mechanical calculators since his childhood. It seems that his purpose was to reduce the work of his father, his tax collector. It's a little heartwarming anecdote. Also, it seems that Pascal's face was drawn on 500 francs in France long ago. And Pascal died at the age of 39.


Above all, he established the concept of pressure in relation to area, and I think he has made great achievements in establishing it as the basis for later quantitative discussions. Today, Pascal has left its name as a unit of pressure.
He is a great man in France.

2022年10月25日

ルネ・デカルト 10/25改訂
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デカルト概説


ルネ・デカルト(仏: René Descartes)は、


フランスに生まれた哲学者にして、数学者です。
そして。合理主義哲学の祖でもあります。
一般には近世哲学の祖として知られています。


「我思う、ゆえに我あり」の言葉は有名です。


思索の主体と対象を考えている命題で、


当時主流だったスコラ哲学による考え方と大きく異なります。


スコラ哲学時従えば、信仰とは元来、自己を捧げる事で成立する行為で、


信仰が人間では作り上げられない「真理」の獲得へと繋がっていくのです。


当時流行していたスコラ哲学の保守的な考え方にデカルトは疑問を抱き、


新しい哲学的な命題を打ち立てたのです。


太陽の光が大地に降り注ぐように、


人間の理性が自然に活動する中で真理へと


近づいていけるであろうという考えがデカルトの信念なのです。



デカルトの修業時代


経緯を考えていくと、デカルトはイエズス会の学校に所属して研鑽を進めます。


先ずイエズス会のラ・フレーシュ (La Flèche) 学院に入学します。当時、


イエズス会の学校はフランスに15校。


その中でもフランス王アンリ4世自身が


関わっていたラ・フレーシュ学院です。


当時はとても有名でした。


 

ラ・フレーシュ学院ではフランス中から優秀な教師、生徒が集めていました。


プロテスタントは「信仰と理性は調和しえない」という教義に基づきます。


それに対してカソリックを掲げるイエズス会は理性を信仰に取り入れて


スコラ哲学を教育カリキュラムに取り入れていました。


更に自然科学の前進となる考えも好意的に取り入れていて、


ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて木星の衛星をとらえた時には


学院ではお祝いの催しが開かれたそうです。


デカルトが教えを受けた学院での教義の中では哲学は不完全なもので、


「その完成には哲学が必要である」と断言しています。


デカルトは学院で論理学・形而上学・自然学、占星術、


秘術(今で言う魔術の系統)を学んでいきます。


とりわけ自然科学の中で数学を好んで数学的な論法で


議論する事もありました。そうした基礎教養を身に着けた後に



デカルトの遍歴時代


遍歴の時代をデカルトは過ごします。


22歳のときにデカルトはオランダで軍隊に参加します。


対象の時期は80年戦争での休戦期間なので、


デカルトの実戦参加は無かったであろうという考えが定説です。


それよりも寧ろ、軍隊の中での最新兵器の開発にデカルトは興味を持ちました。


優秀な技術者と交流して知見を広める事が大きな軍隊参加の目的の一つでした。



ベークマンとの幸運な出会い


後にデカルトはイザーク・ベークマンという人物


に出会い知的な刺激を受けます。ベークマンは医者でありながら


自然科学や数学に長けていました。


ベークマンからデカルトが知った概念は次のようなものです。
@原子の概念、
A真空の概念、
B運動保存の概念、です。


それらは現代の物理学へと繋がっていく概念です。
この時期にそうした概念の「基礎」が出来てきたのですね。
そしてベーグマンはコペルニクスの考えに共鳴していて指示していました。
ベーグマンと共にデカルトは思想を発展させていきます。
自由落下に対して見識を深め、
水圧に対して見識を深め、
三次方程式などの数学的な概念も発展させていきます。






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(2022/10月時点での対応英訳)



About Descartes


René Descartes was a philosopher and mathematician born in France.
And. He is also the founder of rationalist philosophy.
He is generally known as the founder of early modern philosophy.


He is famous for saying, "I think, therefore I am. It is a proposition that considers the subject and object of contemplation.


This is a proposition that differs greatly from the viewpoint of Scholastic philosophy, which was the mainstream at the time.


According to the Scholastic philosophy, faith is an act that is originally formed by offering oneself.


Faith leads to the acquisition of "truth" that cannot be created by human beings.


Descartes questioned the conservatism of the scholastic philosophy


and Descartes questioned the conservatism of scholastic philosophy and formulated a new philosophical proposition.


Just as the sun's rays fall on the earth. As the sun's rays fall on the earth,


the natural activity of human reason Descartes' belief is that


we can come closer to the truth through the natural activity of human reason,


just as the sun's rays fall on the earth.



scholl days of Descartes


Descartes belonged to the school of the Jesuits,


where he studied. He first entered the Jesuit Institute of La Flèche.


At the time, there were 15 Jesuit schools in France.


Among them was the famous La Flèche Institute, where King Henry IV of France himself had involved.


There, excellent teachers and students gathered at that Jesuits.


Protestantism is based on the doctrine that "faith and attitude cannot be reconciled.


The Jesuits, on the other hand, were catholic, and they adopted reason


as an aggressor and incorporated scholastic philosophy into their educational curriculum.


They also favored ideas that advanced the natural sciences,


and celebrations they held at the Institute when Galileo Galilei first observed


the moons of Jupiter through his telescope.


In the doctrine of the Institute where they taught Descartes, philosophy was incomplete.


In the doctrine of the Institute where Descartes was taught,


philosophy is incomplete and "needs philosophy for its perfection".


Descartes studied logic, metaphysics, natural science, astrology, and the mystic arts


(the lineage of what we now call witchcraft) at the Institute.


He was especially fond of mathematics in the natural sciences,


and sometimes used mathematical arguments in his discussions.



itinerancy of Descattes


After acquiring such a basic education, Descartes spent a period of itinerancy.


At the age of 22, Descartes joined the army in the Netherlands.


They said that he would not have fought in actual battles during this period,


as it was a period of truce during the 80 Years War.


Rather, Descartes had been interested in the development of the latest weapons in the army.


It seems that his goal was to interact with excellent engineers and broaden his knowledge.



Meet with Beekman


Descartes then met Isak Beekman, they gave an intellectual stimulus with each other.


Beekman was a doctor. Beekman also had knowkedge in the natural sciences and mathematics.


Descartes learned the following concepts from Beekman.
(1) the concept of the atom,
(2) the concept of the vacuum, and
(3) the concept of the conservation of motion.


These are concepts that lead to modern physics.


It was during this period that Desvarts got the "foundation" for such concepts.


And Beegman was sympathetic to and directed Copernicus' ideas.


Descartes developed his ideas together with Beegman.


He gained insight into free fall, he gained insight into water pressure,


and he also developed mathematical concepts such as cubic equations.


(At first, I translated with www.DeepL.com/Translator (free version) and collected)