財務省の批判をしているキャラだったが、実は全然仕事ができなかったと。
テストは得意だけれども暗記の世界で頭でゼロから考えることが不得意というのは、よくある東大生の姿だ。
しかし、こうして仕事ができなかった自分というものを認めて、赤裸々に告白するのはいいことだ。
Yahoo!より、
山口真由 東大「全優」で卒業も仕事ができず泥沼の日々
6/22(水) 10:33配信
日経xwoman
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f34bf7447e7863c5c432ad6d9693a1d63bb4eca?page=5
記事より、
新たな仕事として、クイズ番組などのバラエティ番組に出始めたのです。自分の中では王道から遠のき、どんどん脇道にそれていくイメージでした。
テレビ出演のきっかけは、東大の学生新聞「東大新聞」で取材されたこと。その記事を見た雑誌が取材をしてくれた縁で、テレビ出演の依頼が来るようになりました。
このテレビなどのメディアこそが、初めて自分が仕事で評価される場所でした。職場の広報部には、その都度、出演許可をもらいました。それでも、バラエティ番組への出演は、企業法務の保守的な職場とは完全に相反する振る舞いだと思われて、周りから白い目で見られ始め、明らかにプロジェクトのアサインが減り、干されてしまったのです。
周りは全員、目的意識を持って忙しく立ち働いていて、仕事で行く場所も決まっている。私だけがすべきことが何もなく、行く当てもない。しかしそんな私にも秘書がいるので、秘書の勤務時間内は自席で何かやっているふりをしていました。パソコンに向かって実のところ仕事ではなく英語を勉強していたり、スパムメールまでしっかり読むほど念入りにメールチェックをして時間をつぶしたり。秘書が退社すると図書館に行って、夜まで好きな本を読んで現実逃避する日々でした。
その弁護士事務所は決まった額の給与が支払われるのではなく、報酬制で、稼働時間6分ごとに人件費が支払われる仕組みでした。そしてとうとう、ある月の半ばに秘書から言われました。「先生、お忙しすぎて、稼働時間の入力がゼロのままです。入力しておいてくださいね」と。
「やばい! 私、今月、稼働がゼロってばれちゃう!」と思って恥ずかしすぎて、「溶けて消えたい」と思った。そしてとっさに(電話相談の)「いのちの電話」のダイヤルを押したんです。でも、通話中でつながりませんでした。
そのとき、ふと我に返り、「自分の置かれている状況が滑稽(こっけい)だな」って、思いました。「こんなに精神的に追い詰められているのに、さらに、この状況にしがみつく必要なんてある?」って。初めて自分という存在を切り離して上から見ることができて、笑えてきました。そして「辞めよう」と思いました。31歳のときです。
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