頭が良い、という言葉の定義の問題だが、読書家なら分かっていそうなものだが。
いや、わざとだ。
炎上商法を学んだ成果なのだろう。
記事では、
本を読む量も質も、どちらも足りなかったのだろう
と書かれているが、量ではなく、頭が良い、と言われるための資格や学歴を向上するための本は読書の対象にしなかっただけのこと。ジャンルの問題。
特に学歴、資格は基本的に暗記もの。ひたすら繰り返し読んで頭に入れることが全てだ。
そうした努力を単に面白くないからしなかっただけの話だ。
だが、狭い意味での、頭が良い、ということではなく、読書について語れる専門家となったのだから、十分頭が良いというふうに言うべきだろう。謙遜がすぎる。
Yahoo!より、
「本を読んでも頭は良くならない」書店員が30年かけて気付いた"読書の本当の価値"
2/6(日) 18:16配信
プレジデントオンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c036f991e29418b2d462109c228b0a70c6a3b5a?page=6
記事より、
■30年間、本を読み続けても頭は良くならなかった
馬鹿馬鹿しい話ですが、私は本を読んでいたら、いつかは頭が良くなると信じていました。以来愚直に30年読み続けてきましたが一向にその兆しはありません。きっと本を読む量も質も、どちらも足りなかったのだろうと考えていたら、保坂和志の『言葉の外へ』に出会うことができました。
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読書とは第一に“読んでいる精神の駆動そのもの”のことであって情報の蓄積や検索ではない。ということをたまに素晴らしい本を読むと思い出させられる。
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読書とは「精神の駆動」である。想像の斜め上から飛んできた言葉に驚きました。
サーキットに、それぞれのエンジンを積んだ車が一列にならんでいる。ページを開くとエンジンがかかり、それぞれのドライバーが、アクセルを踏み、ハンドルを操り、ゴールを目指す。順位をゴールに求める人もいれば、風景を楽しむ人がいて、一緒に走ることを喜ぶ人もいる。歓声が湧き上がることもあれば、ただ静かにテープを切ることもあります。でも、読み終わると、走りきった達成感が静かにこみ上げてきて、生きている感じがする。
もちろん、実際は、なぜこの本を手に取ってしまったのかと後悔する本もありますが、なぜ自分には本が必要なのか、その理由が言語化できるようになりました。
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三砂 慶明(みさご・よしあき)
「読書室」主宰
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