2015年05月14日
本紹介 No. 013『密教の神々』
『密教の神々 その文化史的考察』
前回の本紹介では八田幸雄 著『密教の象徴世界』(平河出版社 1989)に三昧耶形(象徴図形)の意味を求めた。
そこでは数多くの尊格がそれぞれに特徴ある象徴図像とともに密教世界の中に生まれたり、密教世界に引き込まれたりしていた。
密教世界にみられる尊格(神々)はどのような経緯の中で生まれ引き込まれてきたのだろうか?
そう思い本探しをしていて目に入ったのがこれ
佐藤 任 著 『密教の神々』(平凡社 2009)
平凡社ライブラリーは良質な本が揃っていると思う。
期待度は高い。
構成
文庫本、索引まで含め333ページ、縦書き、白黒図版
構成は
まえがき
第一章 月天
第二章 観音
第三章 聖天
第四章 明王
あとがき
というシンプルさ。『密教の神々』との表題に比べ扱われる尊格の数が少なく感じる。
逆に333ページに四尊格のみの解説となると一尊一尊が深く考察されている可能性も高い。
内容
まえがきに「密教図像が宗教的意味をもって示されるようになる以前にもっていた原初の意味は何かということを知りたい欲求があった」と書かれており、僕の知りたいことに近いように感じてこの本を読み始めました。
インドの神々の起源を知るために古代文献研究から得た古代人の生活や考え方と文化人類学や民族学研究から得た現存未開人の生活や考え方を比較検証して古代人の思考を明らかにする比較研究法を用いるそうです。
そして、結論から言えば、
第一章 月天は豊穣と再生のシンボルとしての月を
第二章 観音は蓮華手をイメージの源泉とする女性性を
第三章 聖天は象をトーテムとする種族の長を
第四章 明王は呪術・知識をもつ者を
由来としていることを明らかにしている。
しかし、本書の目的は各尊の由来がなんであるかということを示すことだけではない。そしてそれは、四つの論考の中で著者の目的が微妙に変化していくように見える。
はじめは密教像の持つ隠された意味を究明することが目的であったが、その中から密教像の中に隠された歴史的、思想的、文化的な実体を捉えることが可能であると考え、インドの神々の起源を明らかにすることによって古代人の思惟方法や生活や智慧、歴史的変遷や支配構造の変化を明らかにすることが次第に目的になって立ち上がってくる。
すなわち、由来から各尊にどのような意味があるのか(宗教的存在)を示しているのではなく、由来そのものを探ることによって古代史、あるいは、人類史の上でどのような出来事があったのか(歴史的実在)を明らかにしたいのだと思う。
僕にとって本書は比較的読みにくい。その理由の一つがこの目的が徐々にずれて現れてくる点にあると思う。また、様々な情報を詰め込みすぎたために、道が曲がりくねり、論の構造がはっきりせず、そのため結論がぼやける。
論文を読むとジャングルジムのような分子模型のようなそれぞれの関係を示す構造が見えてくるものだけど、本書からは様々なジグソーパズルのピースを用いて何か別の絵を描こうとしているように見える。
それは、多数の文献から必要となる部分を抜き出し、本論に当てはめて再構築している像なのだと思う。
不必要なピースが混ざっているかもしれないし、ピースの向きや配置が違うのかもしれない。それを判断する基準を僕がもっていないためにみえてくる絵もそれが正しいかどうかを判断できない。僕にとってはそんな雰囲気の本です。
しかし、描かれている個別の内容は豊富で大変興味深く読むことができ、密教の神々を理解するための幾つものヒントを得ました。
本書に引用されている文献はどれもおもしろそうなので、機会があったら読んでみたいです。
曼荼羅作画とのかかわり
本書のみに書かれていることをもって、曼荼羅に描かれている密教の神々の原初のすがたを明らかにすることは到底できないが、本書が参考としている多数の論に求めればあるいはいくつかの神の存在理由を知ることができるかもしれない。あるいは、密教の神々の存在理由について自分なりの答えを導き出す方法を知ることが可能なのかもしれないとおもったりしました。
エリアーデ、フレイザー、ランガー、マルクス・エンゲルス、ブリフォールト、ジンメル・・・その他の数々の名著を紐解き様々な考え方に触れることで見えてくる景色があるように思います。
時間があったら読みたいけど、他にも読みたい本が山積みなので・・・描きたい絵もたくさんあるし・・・ま、ぼちぼちで
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
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