2015年08月26日
本紹介 No. 039『新釈尊伝』
『新釈尊伝』
前回紹介した溝口史郎 著『ブッダの境涯』を探している時にまだ読んでいない釈尊伝をみつけたので読んでみました。
渡辺照宏 著 『新釈尊伝』(春秋社 1978)
『新釈尊伝』の『新』とは?
構成
B6判、490ページ、モノクロ写真のみ
構成は以下の通り。
はじめに
前生の物語
佛陀の誕生
太子の入城
太子の環境
太子の結婚
太子の瞑想
太子の出城
出城直後の太子
ボサツの宗教体験
六年苦行の様相
ボサツは理想に向かって進む
佛陀への門出
降魔 − マーラとの戦い
成道は迫る
佛陀出現 − 祝福を受けた成道
初めて法輪を転ずる
聖なる中道
燃える火の法門
僧団の出現
大迦葉とその妻
戒律のできるまで
雨安居の定め − 佛陀を迎えた祇園精舎
佛陀の帰城
貴族の出家相つぐ
佛陀の宣教の拠点
水の争い・父王の死
女性の出家をめぐる諸問題
佛教の同時代の宗教
邪悪な迫害
指切り青年の出家
紛争を収める佛陀
佛陀と提婆の間
入滅の前ぶれ・鷲の峰の説法
パータリ村の最後の説法
入滅前の出来事
静かな入滅を前に
生涯を閉じる
あとがき
索引
内容
本書は『大法輪』誌上に三年間三十八回にわたって連載された原稿を元にまとめたとこのとです。
本の文章は平易で読みやすく、前半は主として前回読んだ『ラリタヴィスタラ』から取り、後半は主に『大パリニッバーナ経』から引用し、それぞれに他の経典の内容を踏まえて話を進めている。
また、釈尊伝に沿って興味深い解説を加え内容の理解を助けている。
一方で、多数の回にわたる連載内容をまとめたために、それぞれの回の内容が一部重なっており、また、複数箇所にほぼ同様の内容が表現されている。
本題『新釈尊伝』からいわゆる佛伝に見られる神通力や奇跡・伝説的行いを現代科学的思考や西洋合理主義的立場から排除した「人間釈尊伝」のようなものがまず思い浮かんだ。
ところが予想に反して著者はそのような西洋合理主義的思考で神通力や奇跡・伝説的行いを排除、無視しては佛教の本質を見失ってしまうと考え、
神通力や奇跡の一部は実際に釈尊が行い、また、伝説的事柄についても重要な意味を含んでいる可能性があると主張する。
さらに「佛陀伝説を学ぶことはすなわち佛教そのものを学ぶことなのです。」(p74)といい佛陀伝説を理解することの重要性を説く。
例えば、降魔成道に見られるマーラとの対決についても本能的欲望によって成り立っている原始的な社会から釈尊が樹立しようとしている法による秩序社会への転換に対する抵抗を表していると理解する。
マーラとの対決をこころの葛藤や精神的活動などと現代的解釈として捉えるのではなく、瞑想下の釈尊にとっては現実以上に現実であるとする。
また、著者は「パーリ聖典万能説」に疑問を持ち、「原始仏教」やその研究方法に対しての疑念を表している。
曼荼羅作画とのかかわり
釈尊伝は曼荼羅作画と直接的な関係性が薄いように思われる。
しかし、現在の僕にとって佛教を理解することは釈尊を理解することに近い。
釈尊を理解し、佛教を理解し、密教を理解し、曼荼羅を理解する。
釈尊の生涯が佛教の背骨である。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
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