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2015年08月14日

本紹介 No. 036『アショーカ王碑文』

『アショーカ王碑文』

中村先生の『古代インド』やコーサンビー氏の『インド古代史』を読んで、『アショーカ王碑文』に興味を持ちました。

塚本啓祥 著 『アショーカ王碑文』(第三文明社 1976)

アショーカ王碑文表紙.jpg
『アショーカ王碑文』

今回はKindle版で読んでみました。

アショーカ王碑文_Acrobat.jpg
(『アショーカ王碑文』Kindle版 パソコン表示画面)

文字の大きさや明暗など変えられるのでなかなか読みやすいです。

書籍版『アショーカ王碑文』が高価な古本しか見つけられず、手が出なかったというだけなんですが・・・
構成

『アショーカ王碑文』Kindle版はリフロー形式なのでフォントサイズやページ表示幅の調節により1ページあたりの字数や行数が変わります。

そのため固定したページ番号がなく、その代わり行番号に相当する「ロケーション番号」が設定されています。

例えば第四章のはじめのページは「No.925/3116 - 28%」となっておりますが、この「No.925/3116」がロケーション番号です。

『アショーカ王碑文』Kindle版の総ロケーション数は3116。いくつかの白黒写真が掲載されています。

内容は以下の通り。

    まえがき
    凡例
    目次
    序説
     一 碑文の所在地
     二 政治と社会・経済
     三 法による統治
     四 仏教との関係
    碑文
     1 十四章摩崖法勅
     2 別刻摩崖法勅
     3 小摩崖法勅
     4 七章石柱法勅
     5 小石柱法勅
     6 洞院刻文
     7 皇后法勅
    訳注
    解説 参考文献
    略年表
    地図
    索引
    電子化クレジット


また、書籍の発行は1976年となりますが、電子化クレジットを見ると電子書式版は2013年の発行のようです。
内容

本書は大きく序説、碑文、訳注および解説 参考文献からなります。

序説では碑文の所在地や碑文成立時の政治や社会、碑文ではそれぞれの碑文の日本語訳、訳注に碑文の訳注、解説 参考文献に碑文の解説と参考文献が載っています。

メインとなる碑文の内容については思ったほど多くはなく、序説、訳注、解説 参考文献が充実しています。

アショーカ王碑文に興味を持った理由としては、なぜアショーカ王は法政へと方向転換したのか?についての納得のいく答えを得たいと思ったからでした。

まだ見ていないアショーカ王碑文のなかにそのヒントがあるかもしれないと思いました。

本書に十四章摩崖法勅 第一三章に「カリンガを征服した時の、天愛の悔恨」により「天愛の熱心な法の実修、法に対うる愛慕、および法の教誡が〔行なわれた〕。」とありるようにカリンガ征服を後悔し法政へと転換したことが知られます。

また、「私がどのような努力をなそうとも、〔それは〕有情に〔負うている義務の〕債務を履行するためであり、更に、彼らを現世において安楽ならしめ、また来世において天に到達せしめるためである。」(十四章摩崖法勅 第六章)という法政を司るものとしての立場を明らかにしています。

しかし、そのような意識の変化が実際にはどの段階から、何を理由として芽生え、具体的にどのような悔恨が引き金となり、どこまで真摯に、あるいは、どの程度政治的な配慮から離れて存在したのか?を知りたく思いました。

そして、残念ながら本書から望む答えは見つかりませんでした。

アショーカ王碑文についてもっと調べるべきか、あるいはアショーカ王の伝記や伝承文学に目を通した方がよかったかもしれないと思い始めています。

どのような「悔恨」が王の意識を大変換させたのか?

あるいは、その本質は釈尊の教えの真髄のなかにしか見入出せないのかもしれません。
曼荼羅作画とのかかわり

アショーカ王碑文の存在は紀元前において法政により大国を統治した王が実在したことを示しています。

アショーカ王に続く王朝が途絶えてしまい他の王朝がその意志を継がなかったことから、法政は現実的ではないのかもしれません。

密教曼荼羅と法政は直接結びつかないようにも思えますが、そこにある理想の追求、真髄の希求という意味では、ある大きな流れの一つの姿と見えなくもないと思ったりします。

では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ

posted by mandalazu at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本紹介
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