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2015年03月12日

いまさらですが、金剛界 理趣会って?

金剛界 九会って?

EPSON002-Edit-Edit-3.jpg
(金剛界九会曼荼羅)

『西院本両界曼荼羅』の金剛界曼荼羅には九つの会(え)があるので、九会曼荼羅(くえまんだら)と呼んだりする。会は「会合」や「集合」といった意味あいで、中尊に諸尊が集まって一つの世界を形成していることを表している。

そして、それぞれの会は次の経典部分に基づいて描かれている。

  金剛会九会         対応経典品
(1)成身会      『金剛頂経』 金剛界大曼荼羅品 
(2)三昧耶会     『金剛頂経』 金剛秘密曼荼羅品 
(3)微細会      『金剛頂経』 金剛智法曼荼羅品 
(4)供養会      『金剛頂経』 金剛事業羯磨曼荼羅品 
(5)四印会      『金剛頂経』 金剛悉地四印曼荼羅品 
(6)一印会      『金剛頂経』 大乗現証曼荼羅品
(7)理趣会      『理趣経』  
(8)降三世会     『金剛頂経』 降三世大曼荼羅品 
(9)降三世三昧耶会  『金剛頂経』 忿怒秘密印曼荼羅品 

ちなみに、(1)〜(9)の順番のいみについて少しだけ触れると、それぞれの会を(1)から順番に(9)に進む見方を向下門といって仏から衆生への教えの道筋(衆生教化)を表していると考え、また(9)から順番に(1)へと進むことによって衆生が仏へといたる修行のあり方を示しているという。
金剛界 理趣会って?

EPSON007-Edit.jpg
(金剛界 理趣会)

理趣会だけが『金剛頂経』ではなく『理趣経』に基づいて描かれている。ほかの八会の中尊は全て毘盧遮那如来(もしくは法身大毘盧遮那)であるが、理趣会の中尊のみ金剛薩埵(こんごうさった)である。

あまり細かいことを書くとドツボにはまるので、ひらたく言えば、金剛薩埵は菩薩(ぼさつ)なので修行中の身で、修行の末に悟りを開いたのが如来(毘盧遮那如来、びるしゃなにょらい)という感じになる。

だから、金剛薩埵の方が人間臭いというか、わたしたち(衆生)に近い存在で、人間の生の営みにも理解を示す。すなわち、『理趣経』においては性愛の欲求を肯定的に捉え、悟りに至る道の一つであるとする。それで、理趣会にはほかの会(え)には見られない慾・触・愛・慢の四金剛菩薩が見られる。

考えてみればみんなが煩悩を否定し自分の悟りを開くためだけに修行だけをすれば人類は滅ぶ。

と、あまり宗教臭いのは苦手なので、煩悩即菩提とか色即是空とかのはなしはほかの方にお任せして、ここでは曼荼羅図を描くのに必要最低限のことだけふれることにする。

ちなみに菩薩が菩提薩埵の略で菩提心(さとりを得ようとするこころ)をもつ者、道を行くものみたいな感じで、如来が道を来たもの的な意味で捉えてる。道というのは悟りへの道で、まあ、武道とか書道とか求道者の道と同じで、そこから外れずに歩き続けることが重要なんだなあ

というようなどこにでも書いてあることをこのブログに書く必要があるのかどうかわからん。多分、面白いな!って思ったとこだけちょこっと書くくらいかな

次回から金剛界 四印会の下絵を描き始める予定・・・あっと、その前に・・・

では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ

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