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2022年04月14日

オーストラリアで保育士の資格取得赤ちゃん

色々考えた結果、Child Care Education チャイルドケアの資格を取ることに決めて申し込みました。簡単に言えば、保育士の資格です。


私の大の苦手な英語でのリーディング力が問われれるということで、やる前からストレス溜め気味です・・涙ぽろり


インターネットでの勉強になるので、申し込みの受付完了と同時にアクセスリンクが送られてきて、さっそく勉強に取り掛かれるシステムになっていました。


オーストラリアでは、TAFEという専門学校が主流で、そこに行って資格を取得する生徒がたくさんいます。オーストラリア市民権がある生徒に関しては割引が利くので、授業料も外国人生徒よりは断然安くなります。私がTAFEに通うつもりで調べていたときは、授業料が約100万円ほどでした。学校に通う期間は2年間です。


私がインターネットで資格取得することを決めた決定的な理由は、授業料(30万円ほど)と、英語能力検定の表示が不必要だったことです。学費的には良心的なのですが、その分自分で用意することが多くなります。というのも、実際に職場に行って職業体験を240時間以上することが決められています。その間に、与えられたタスクをクリアし、その職場から証明書をもらわないといけません。TAFEに通っている場合、TAFE側が職場を紹介してくれたり、学校の先生が一緒に職場に来て働き方をチェックしたりして、項目にサインしていきます。子供達とどう接していくのか、グループマットセッションと言って大きなグループの子供達を相手に、歌なり、本読みなり、アクティビティをする様子をチェックされます。これを全て自分で用意しなければいけませんでした。

ちなみに私が資格取得した会社は、Australian Collegeといいます。興味がある方はリンクを貼っておきます。

https://www.australiancollege.edu.au/


まず最初に勉強を始めて行く上で、仕事体験の時間も問われるので、勉強を進めていくのと同時に近所のチャイルドケアにレジメ(履歴書)を持って行き、チャイルドケアの資格を取るために勉強していることを伝え、仕事体験、もしくは実際に働かせてもらうことは出来ないかという交渉に出向きました。いちいち建物の前に立つたびに緊張します。
近所のチャイルドケアだけでも5か所ほど回りましたが、結果、ボランティア活動はいつでも出来るから好きな時に来なさいということと、実際に仕事は簡単にもらえないということでした。


240時間も仕事体験をしなければいけないのに、給料は一切出ない現実と、勉強をしている間、子供達2人はそれこそチャイルドケアに預けながら勉強をしていたので、金銭的にはマイナスでしかありませんでした。それでもとりあえず出来ることから始め、あと1か月以内に職場が決まらなければ、近所のチャイルドケアでボランティア活動を始めようと思っていました。


ある時、日本人のママグループ内のママ一人が、数年前に英語を伸ばすためにチャイルドケアでボランティア活動をさせてもらっていた時があると言っていたのを思い出しました。その人は、チャイルドケアの仕事に興味があったわけではなく、ただ単に、自分の子供を預けていた場所で一緒に働き、英語を使う環境に自分を置きたかっただけらしい。それでもその行動力は素敵だと思いました。そしてそれを理由にボランティア活動をしたい彼女を受け入れてくれたそのチャイルドケアのオーナーも素敵だなという印象を受けました。


そこで、その方がボランティア活動をしていたチャイルドケアの名前と場所を聞いて、私もあわよくば働かせてもらえないかという交渉をしに行きました。友達の名前を挙げて、過去にそこでボランティア活動をしていたこと、それから私自身チャイルドケアの資格を取得するために勉強を始めていることなどを話してきました。すごく感じの良いオーナーで、そのチャイルドケアもアットホームな印象を受けました。オーナー曰く、今すぐ働くことは、従業員の人数的に間に合っているから無理だけれども、空きが出たらすぐ連絡してくれるということ、それから他のチャイルドケアと同じでボランティア活動ならいつでも来ていいと言うことでした。


今回はなんとなく手ごたえを感じました。あからさまにダメと言われたわけではなく、空きが出たら連絡をくれるということ。どうせ働くなら、ボランティアでもそのチャイルドケアで働きたいと思いました。


連絡が来るまでの間は、勉強に集中して出来る限り進めておこうと思いましたが、レジメ(履歴書)を渡してから2か月ほど経った頃でしょうか。そのチャイルドケアからの連絡はまだありません。やはりそんなに上手くはいかないのが現実です。思い切ってこちらからまた連絡しました。数ヶ月前にレジメを渡したこと、空きが出たら連絡してくれるということでしたが、今現在どのような状況かということ。色々質問すると、曜日と時間を確認するから、また追って連絡させてほしいということでした。


今回は本当に連絡をくれるのだろうか?と不安になりましたが、それから1週間後くらいに実際に連絡が来ました。ボランティア活動ではなく、ランチカバーというポジションの仕事でした。ランチカバーとは、名前の通り、従業員がランチ休憩している間を補う仕事です。なので時間的には昼の11時〜14時の3時間の仕事でした。
当時娘は5歳、息子は2歳でした。娘はPre-Primaryといって小学校に入る前の準備教室に通っていました。日本の幼稚園とは違い、勉強の準備も始まっており、小学校と同じ時間割で学校生活を送ります。息子は家の近くのチャイルドケアに通っていて、こちらは朝7時〜夕方6時まで開いているので、都合の良い時間に送り迎えをします。
よって、このランチカバーというポジションは私にとって、感謝以外の何物でもない都合の良いシフトでした。英語が流暢に話せない私なんかを受け入れてくれて、しかも私の生活に合ったシフトをくれて、勉強のサポートまでしてくれる、至れり尽くせりでした。


こうして私は、たかがランチカバーとはいえ、仕事を見つけて勉強も順調に進めていき、資格取得に向けて毎日頑張る生活を続けていきました!!














posted by Mookie at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 資格

2022年04月13日

オートミールで作るクッキー&ケーキケーキ

オートミールにどっぷりはまっているオーストラリア在住の主婦です。


今回作ったのは、

Oatmeal Cranberry Pecan Cookies オートミールクランベリーピーカンクッキー

ケーキDate & Walnut Coffee Cake デーツと胡桃のコーヒーケーキ

です。

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レシピの写真とは見た目がかけ離れていますが味は美味しいです笑笑

毎週何かしらオートミールを使ったデザートを作っているのですが、これからどんどん作った物をアップしていこうと思います。


というのも、作ろうと思ったキッカケは、ただ単に、オートミールがダイエットに良いと聞いたから。。。簡単に影響されやすい女です。。。笑


キッカケはそんなでしたが、結果、味にはまってしまいました。オートミールが苦手という人もいるようですが、私はごはん代わり、パン代わり、デザートやヨーグルトと一緒に、何にでも使えるオートミールが大好きで、常時ストックしております黄ハート


子供達はオートミールのクッキーが好きで、朝食にクッキーを食べたりしています。そして一番喜ぶのは、そう、うちの旦那。。。朝4時に起きて仕事に行く旦那は、私が作ったケーキやクッキーをタッパーに入れて持って行き、朝食や休憩時に楽しんでいるようです。

ダイエット目的などさらさらなかった旦那でしたが、私が作るオートミールを使ったデザートを食べるようになってから、お腹がぺったんこになりました!!!!!


食物繊維がたっぷりで有名なオートミール。ついでにさらに一緒にデーツまで入れてデザートを作っているもんですから、食物繊維だらけ。砂糖は一切使わずはちみつとデーツの甘味のみ!!!旦那のダイエットに最適でした!!元々便秘症ではなかった旦那ですが、さらにスムーズになったお通じ!!お陰でほっそりです!!


さてさて、今回作ったクッキー、もちろんレシピに沿って作ってはいるのですが、上記でも言った通り、レシピに載っている砂糖類は一切使いません。なので結果、自分流にはなっていますが、砂糖なしで十分おいしいです!!


レシピのリンクを載せておくので、もし興味のある方は英語のレシピですが是非作ってみてください八分音符

https://uprootkitchen.com/2012/11/30/oatmeal-cranberry-pecan-cookies/

https://creative-culinary.com/date-coffee-cake-walnuts-espresso/


コーヒーケーキに関しては、小麦粉表記を全てオートミールに変え、上のアイシングのトッピングはあえて作りませんでした。結果、かなりのカロリーカットですはさみ

小腹が空いた時に、市販のお菓子を食べるより、よっぽどヘルシーで罪悪感ゼロですよ八分音符八分音符八分音符












posted by Mookie at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 料理

2022年04月12日

Early Childhood Education Qualificationsチャイルドケアの資格

私が日本語教師アシスタントの仕事を始めて1年数ヶ月経った頃、日本語教師をしていた私の友達が、他校での日本語教師の仕事に受かり、転職することになりました。私は別な日本語の先生のアシスタントとしてボランティア活動を続けることも出来たのですが、給料が発生しないことには変わりがないので、アシスタントの資格について色々調べてみました。TAFE(専門学校)などで資格を取得することは出来るのですが、アシスタントの仕事は、当たり前ですがアシスタントとしてしか働けません。


噂では教師のアシスタントという仕事は、知り合いのコネが大事になってくるということと、アシスタントとしての就職率が割と低いということ。それから教師アシスタントの資格を取っても確実に就職先が見つかるかどうかはわからないと言う事を聞きました。


これらを踏まえて、違う資格を取ることを考え始めました。せっかく1年以上も教師アシスタントとしての仕事をしてきて経験も積んできたのに、この経験を無駄にしたくないと思い、この経験を活かせる上に、他の仕事も出来る資格を見つけたのです。


それは、「Early Childhood Education Qualifications」です。


いわゆる、保育園、幼稚園などの先生の資格です。この資格の中にもレベルは色々あり、簡単に言うとCertificate 3 (サティフィケイト3)は、幼稚園内でのアシスタントの仕事、Diploma(ディプロマ)は、担任の先生や、クラス内のカリキュラムを作ったりなどのレベルとなります。そこで私が目を付けたのは、このチャイルドケアのDiplomaという資格で、この資格があると、デイケア(幼稚園、保育園など)で働くことも出来るし、小学校の先生のアシスタントとしての資格も同時取得することが出来ます。


先生のアシスタントの仕事が万が一見つからなかった場合、デイケアで働けるだろうと、自分に保険をかけたような感じです笑 


この資格を取得するに従い、問題になってきたのは私の英語力。私の英語力でこの資格が取得できるだろうか・・不安が押し寄せてきました。TAFE(専門学校)という学校に通うつもりで色々調べていて、またもや自分で自分が嫌になりました。英語能力検定を受けて、チャイルドケアの資格を取るに当たるほどの英語力を証明しなければいけません。メルボルンで語学学校に通っていた頃、将来何か資格を取るために英語検定も受けておこうと思い受けたCambridge Courseケンブリッジコース。見事に落ちてしまい、英語の資格がありません。TAFEに通うには、この資格か、もしくはIELTSの点数を最低でも5.5ポイント取っていないと受けることが出来ません。また1から資格を取るために英語学校に通うのも、時間がかかります。本当に自分を恨み、悔やみました。

どうしてあの時テストに落ちたんだ?なんでもっと頑張れなかったんだ?

悔やんでも仕方ないので、どうにか他の方法を探し始めました。


当時参加していた日本人のママグループの中にいる数人のママが、TAFEに属しているAMEP(Adult Migrant English Program)という無料のクラスに通っていました。この英語クラスは、オーストラリアに移住して5年以内の移民の人達をサポートするプログラムで、子供がいる人達のためにCrecheクレシュという託児所も備え付けられていています。英語の資格を取るためにまた英語を習い始めたらいいだろうか・・・当時の私は、あと数ヶ月でオーストラリアに移民して5年が経とうとしていました。始めるなら今しかない、これを逃したらAMEPにも通えなくなってしまう、そう思い、さっそく問い合わせてみました。

「知り合いからAMEPについて聞いて連絡させてもらったのですが、クラスについて聞かせてください」


電話をかけて質問すると、

「このクラスは、本当に限られた英語しか話せない人達を対象にプログラムを組まれていて、自分で電話をかけてこれるくらいの英語力があるなら、もしかしたらあなたにはつまらないかもしれないわよ?」

と。。。えっ?そうなの!?


思い切って電話したのに、なんとなく断られてしまいました。それでもいいなら受けてもいいとのことでしたが、自分のレベルに合った英語を勉強できないなら、他方法を探したほうがよさそうだと思いました。

自分の英語力のことを考え、勉強するならface to face、先生にすぐに質問できる環境の方がいいと思い、TAFEに通いたかったのですが、別な方法を見つけました。

「オンラインクラス」

です。インターネットでの勉強に、英語能力の資格を提示する必要がないとのことだったので色々もっと調べてみると、学費もTAFEに比べて断然安いことがわかりました。TAFEは$9000(約100万円)で、ネットでの資格取得は、$2600(約30万円)ほどでした。これはネットで受けるしかない!と思い、旦那に相談すると、承諾してくれました。


すぐに申し込みをすると、その日からすぐ勉強がスタートできるという事だったので、さっそく始めることにしました。勉強の仕方や、何かわからない事がある生徒には、Tutorsチューターというサービスが使用でき、チャイルドケア担当の先生に連絡を取ることが出来ます。電話でもメールでも質問が出来るそうです。グループセッションという、同じコースを受けている他の生徒との対談も出来るようになっていて、インターネットで勉強と言っても色々用意されていました。


私が受けたチャイルドケアの資格は、2年コースになっていました。もちろん生徒によっては、2年かからずに終わる生徒もいるみたいですが、2年以上時間がかかる生徒は、1か月遅れる事に学費が追加されていくシステムになっていました。私の1番不得意と言っても過言ではない、リーディング力が大前提必要とされていて、読み物の量はこれでもか!というほどの量でした。それに加えてリサーチや、ライティング力も問われ、挙句の果てに職業体験場所は自分で探す必要がありました。TAFEに通う生徒には、TAFEに付属されているCrecheクレシュで職業体験とする事が出来るほか、学校側が職業体験場所を決めてくれるところもあります。運が良ければ、その職場体験場所で就職できることもあるそうです。


こうして、私の2年間に渡る勉強が始まりました。子育て、家事と同時進行で出来る限りで頑張ります!!















posted by Mookie at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 資格

オーストラリアの学校で日本語教師アシスタントノート2(開)

観光地エリアのホテルでの掃除の仕事を7,8ヶ月ほど経験しましたが、季節的に冬は忙しくなく、仕事が急遽なくなることが立て続きました。子供達を預けて仕事に来ているのに、自分は仕事がないという状態でした。これでは保育園代ばかりが飛び、給料が入ってこないということになり兼ねないので仕事を変えることにしました。


そこで手に職がない私に何が出来るかと考え思いついたのが、自分の子供達に日本語を教えてきた経験を活用できないかということ。日本人のママグループの中に、ローカルの高校で日本語を教えている先生がいました。その方が前に、

「日本語教師のサポーターに興味がある人はいつでも声をかけてください」

と言っていたのを思い出したのです。高校での仕事だったら、娘が学校に行っている時間内に出来る仕事だということもあり、それにオーストラリアの高校生がどんな勉強の仕方で日本語を勉強しているのかということに、単純に興味がありました。さっそく日本語を教えている友達に連絡をしてみました。すると、


「サポーターの仕事はいつでも入ってもらって構わないけど、給料が出るわけではなく、ボランティア活動の一環なので、1週間に1回、$30のガソリン代が出るだけ」


とのことでした。教師のヘルプという立場は、Teacher's assistant アシスタントの資格が必要になり、それに加えて、その教師がアシスタントを希望したとしても、学校側のアシスタントを雇う費用が足りなければ契約が不可能とのことでした。確かに何度か聞いたことがありました。アシスタントだけに限らず学校関係の仕事は、結構コネが必要で、人との繋がりが仕事を繋ぐということを。


少しガッカリはしましたが、アシスタントの仕事に少し興味を持ち始めていた時だったので、とりあえず経験を積む意味で仕事をさせてもらうことにしました。この先、履歴書にも高校でのアシスタントの仕事をしたことを記せるので、それは何かしらプラスになるのではないかと考えました。


アシスタント当日。学校に出向くと、フロントオフィスでサインインするように頼まれ、名前と連絡先を記入しました。これはボランティアで校内に入る人全てが毎回しなければいけない事らしいです。それから担当の先生が来るのを待つように言われました。数分すると、ママグループでの雰囲気とは少し違う友達が、奥から歩いてきて、教室に案内すると言ってくれました。

担当する学年は、Year7〜12(中学1年生〜高校3年生)で、時間割毎で移動します。私の最初のクラスは、Year7です。子供達は私をジロジロ見て、私の友達に

「この人だれ〜?」

と子供らしい質問をしていました。友達は、

「今日から一緒に勉強を手伝ってくれるアシスタントの先生だよ」

と生徒に紹介してくれました。すぐに授業は始まり、日本の学校と同じように出席確認からスタートしました。Year7ということで、日本語の授業はまだ始まったばかりの年なので、ひらがなゲームなどがメインでした。私の仕事は、カードを黒板に貼って発音させたり、プリントを配って書き方を教えたりというシンプルなものでした。Year7の授業は初級ということで、私でも手伝えることが多かったように思います。


次に手伝ったクラスはYear9(中学3年生)でした。Year7と比べると、子供達がもう子供達ではなく、体も大きく、日本人の私は誰よりも体が華奢に見えました。体格が全く違い、上から見下ろされるような雰囲気です。体の大きさだけ迫力があったわけではなく、授業が始まってすぐにYear7との違いに気づきました。授業態度がものすごく悪いのです。私を見てすぐに、

「なんだコイツ!?」

と近づいてきてから、ガンつけてきました。私が席に戻るように言うと、

「はぁ?指図してんじゃねー」

それを見た私の友達が、

「アシスタントの先生にその態度と口の利き方を気をつけなさい。次やったら生活指導の先生を呼びます」

と慣れた感じで生徒に注意していました。友達曰く、あの生徒がクラスのリーダー的存在で、クラス内の7,8人の生徒達を引き連れて何かしら問題を起こしているそうです。ただ、生活指導の先生に会いに行かされると、生徒それぞれの点数的ものがあるらしく、それが減点されて学校の成績に響くシステムになっているそうです。


なるほどな〜と思いながら、どんな仕事でも楽なことばかりではないなと実感する体験になりました。


アシスタントの仕事をするようになって数ヶ月経った頃、悪さに拍車のかかった生徒が、私に向かって鉛筆を投げてきました。背中に当たったので、誰が投げたかはわかっていましたが、「鉛筆を投げたは誰ですか?」と聞くと、やんちゃグループの子供達が笑いを堪えているのがわかりました。そのグループの中の一人が次は堂々と私に向かってさらに鉛筆を投げながら罵声を浴びせてきました。私の友達がそれを見て、

「はい、あなた達生活指導の先生に会いに行きましょう」

と生徒達を指名すると、「はぁーー!?何もやってねーし!!」とあからさまな態度を取りながらも、連れて行かれていました。


Year9の生徒はかなり荒れている雰囲気でしたが、そのグループの子達の態度が悪いだけで、クラスの半数の子供達は静かに授業を聞いていました。他の学年も色々担当しましたが、Year10〜12のクラスは、基本的に真面目な授業態度だったというイメージです。レベルもぐっと上がり、日本語で文章を作ったり、会話編に移ったりと、授業内容がとても興味深かったです。

Year11(高校2年生)の生徒の中には、日本語の授業を通じて日本の文化に興味を持ち、日本への留学を決めた生徒達もいました。


私がアシスタントの仕事を始めて1年数ヶ月経った頃、日本語教師をしていた私の友達が、他校での日本語教師の仕事に受かり、転職することになりました。それによって、私のアシスタントとしての仕事もここで終わりとなりました。


私はアシスタントの資格について色々調べました。結果、教師のアシスタントという仕事は、上記でも言ったとおり、知り合いのコネが大事になってくるということと、アシスタントとしての就職率が割と低いということ。それから教師アシスタントの資格を取っても確実に就職先が見つかるかどうかはわからないと言う事。もちろん、たまたま仕事が見つかるケースもありますし、オーストラリアは特に行動次第なので、交渉次第ではうまくいく可能性もあります。


ですが、これらを踏まえて、他の資格を取ることも視野に入れながら考え始めました。せっかく1年以上も教師アシスタントとしての仕事をしてきて経験も積んできたのに、この経験を無駄にしたくないという思いもあり、この経験を活かせる上に、他の仕事も出来る資格を探し、ついに見つけたのです。それについては、次のブログで紹介します。



私の友達が転職するということで、同じ学校で一緒に働くことは出来なくなってしまいましたが、それをキッカケに、自分で出来る他のことを見つけたので、また新しいことに向かって歩き始めますおやゆびサイン




















posted by Mookie at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2022年04月11日

オーストラリアのアパートメントホテルで清掃作業の仕事

4年ほどの専業主婦を経て、娘が学校に行っている間と息子がデイケア(0〜5歳児が通う保育園的場所)に行っている間の時間を使って仕事をしようと思い、やっと見つけた掃除の仕事。


朝はいつも通り子供達を6時半頃に起こし、朝食を済ませてから簡単な日本語の勉強。当時まだ3歳半の娘とは、絵本を一緒に読んだり、日本の童謡を聞かせて手遊びを教えたりしていました。娘の相手をしながら7ヶ月の息子の着替えを済ましてデイケアに送り出すのが朝のルーティーンでした。旦那は早朝4時に起きて仕事に行くので朝私達が起きたときにはもう家にいません。


娘の学校には一緒に歩いて行っていたので(徒歩で10分弱ほど)、朝8時に家を出ていました。


子供達を無事送り出したら、自分の仕事の準備をして出かけます。ホテルまでは車で片道30分ほどでした。
ホテルに着くと、地下駐車場に車を停めるように言われ、スタッフカードを支給されました。車を停めて中に入ると、清掃員部屋へ通され、そこには他の従業員達や、荷物置き場、休憩場所など全てが備わっていました。初めてファーム以外のローカルの仕事を始めるということで、オーストラリア人が多い職場かと思いきや、全員アジア人でした笑 自分が受かった理由がわかりました笑 第一審査と面接で受かり、この仕事をもらいましたが、基本的にはアジア人の従業員が欲しかったみたいですね。。


というのも、オーストラリア人で掃除の仕事をする人はあまりいないのと、アジア人は国柄几帳面なので、大雑把な仕事の仕方をしません。この国に住んで色んな国の人に会いましたが、アジア人は本当にマメだと思いました。西洋人の方が割と何でも雑です。良くも悪くも基本的には大らかで、ストレスフリーな感じなので、仕事の仕方にも差が出ます。もちろん人にもよりますが、掃除の仕事に関しては、アジア人は向いているかもしれませんね。その国柄を買ってもらってか、仕事をもらうことが出来ました。


一緒に働く従業員の国籍は様々で、韓国人が3人、インドネシア人が一人、そして私でした。北の棟と南の棟でホテルが別れており、2つのグループに分かれて仕事をしました。初めは、スーパーバイザー(主任)と一緒に仕事をして段取りを教えてもらい、だいたいを覚えると、他のグループに回されました。

この掃除の仕事をしてまず驚いたことは、掃除に使うタオルが全てお客さんが使ったバスタオルだったということ。。衝撃的でした。「どうせこのタオルはクリーニングに出すんだから」と言い、掃除専用のタオルがあるわけではなく、部屋で使っているタオルを掃除に使うという・・・今まで私自身がホテルに宿泊して利用していたタオルは、全て掃除にも使われていたんだなという現実を知りました。このアパートメントホテルだけじゃなく、基本的にホテルの掃除にはこのようにお客さんが使用した後のタオルを使って掃除をするそうです。もちろんビショビショに濡れたタオルと使うと、鏡やシャワールームの窓などに水垢がつくので、乾いたタオルを使用します。日本のホテル清掃も、使用済タオルを使って掃除をしているのでしょうか・・。きっとそうなんでしょうね。。


私の雇用状態は、「カジュアル」臨時雇用です。オーストラリアで言うカジュアルとは、雇用主がカジュアル雇用の従業員を自由に使えるということです。仕事がなければ、その従業員に対して「今日は仕事が少ないから休んでいいよ、帰っていいよ」と言えます。逆に、仕事が忙しければ、例えば週2日だけ働く予定で契約していたとしても、その従業員に朝一に連絡し、「今日急遽働いてくれないか?」とお願いすることも出来ます。いわゆる、正社員やパートのように、就業時間を約束されていない状態です。逆を言えば、従業員側、私から、「明日からもう来ません」「今日辞めます」というのも通用することになります。この雇用主、従業員側の両方に融通が利くことから、有給休暇や、病気休暇などの手当ても一切つきません。





仕事を始めて半年ほど経った時、季節はちょうど5月6月でオーストラリアは日本と季節が逆なのでちょうど冬に入る頃でした。私が働いていたホテルは、ビーチ沿いにあり、観光客が長期滞在をしながらサーフィンなどのマリンスポーツを楽しむ場所で人気でした。冬に近づくにつれて、観光客が減っていき、ホテルの滞在者も必然的に減り、掃除の仕事が暇な状態が続きました。そこで一番先に雇用主から休むように連絡が来るのが私でした。雇用形態がカジュアルだということ、それから子供達を預けている間しか仕事が出来ないことから、時間に制限があるので、だったら他の従業員に仕事を頼んだ方が雇用主的には有利です。

こうして、私は子供達をデイケアに高い額を払って預けているのにも関わらず、仕事を休まざるを得ないことが続き、金銭的余裕がなくなる所まで行きました。


他の仕事を探そうか考え始めましたが、私には手に職という資格が一切ないので、他の仕事と言っても出来ることは限られていました。レストラン、カフェ、掃除、ファームの仕事など、誰でも出来るような仕事しかありません。そういった仕事は、もちろん時給が良いわけでもありません。ホテルの掃除の仕事をしながら、何か資格を取るべきではないか・・と考え始めました。



私に出来ること・・・私なんかに何ができる?数ヶ月考えているうちに、なんとなくアイディアがまとまりつつあり、私は決心してホテルの仕事を辞めることにしました。何か新しいことを始めるということは、どんな時でもドキドキ、ウキウキするものです。掃除の仕事も私にとっては初めてのことで、色々学ぶことが出来たので、良い経験になりました。私の代わりに掃除の仕事をしたい人がいないかとホテルのオーナーに言われたので、日本人ママを数人を紹介し、私は最終日を終えました。私が辞めた後も、日本人のその友達は数年間そのホテルで仕事を続け、スーパーバイザー(主任)の立場まで昇進したそうです。



私はというと、次の仕事を探すために行動に移し始めました。。。














posted by Mookie at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2022年04月10日

オーストラリアで仕事復帰🦘

娘が3歳半、息子が7ヶ月の頃でした。娘に英語力をつけさせるために行かせることを決めたDay Care(デイケア)。※日本でいう保育園のような場所で、0〜5歳児が通います。娘を通わせるついでに息子も預けることにしました。デイケアに行った子供達は、小学校に入学したときに社交性と自立性が、デイケアに行っていない子供達よりも長けているという話を聞きました。



子供達がデイケアに行き始めた頃、旦那の職場でこんな事が起き始めました。

「リストラ」です。


オーストラリアでは鉱山の仕事が結構盛んで、仕事はもちろん大変ですが、給料も割と高いということで人気の職業でした。旦那も娘が産まれてから家族を養うために、今までの仕事を辞めて鉱山の仕事のために私達とは離れた場所で仕事をし、お金を稼いでいてくれました。ただ、経費削減と労働強化を理由に2013年頃からリストラが始まり、旦那もその中の一人になってしまいました。数年間頑張って働いた成果が実り、出世もしていた時でした。「理由は給料が高いから」でした。旦那は一瞬にして仕事を失ってしまったのです。


仕事をリストラになり家に帰ってきてからは、落ち込んでいる場合もなく、家族のためにまた新たな仕事を探すべく、就活を始めました。私も実は、子供達がデイケアに行ってくれるなら仕事復帰したいと考えていた時でした。英語を使う機会がすっかり減り、自分の英語力を伸ばしたい欲もまた戻ってきました。そこで、オーストラリアでは主流な、求人サイトの”Seek”で仕事を探し始めました。

旦那は元々オフィスでの仕事より、ファームジョブなどの外での仕事を好んでいたので、車で30分ちょっとのファームの仕事に受かり、すぐに働き始めました。

私はというと、娘が学校に行き始めても続けれる仕事となると時間が限られていました。学校に行っている間に出来る仕事、9時から2時くらいの間に出来るのは、レストランやカフェ、もしくは掃除関係の仕事でした。レストランの仕事は今まで経験があったので、何か違うことをしてみようと思い、アパートメントホテルの掃除の仕事に申し込みました。求人サイトなので、個人情報をタイピングし、レジメ(履歴書)を貼り付けたら終わりです。一次審査が通れば職場から連絡がきます。

申し込みして1週間くらい経った頃でした。ホテルから電話が来て、面接に来るように言われました。最初の審査が通りましたハート️ドキドキ緊張で、指定された場所に行くと、他にも面接を受けに来た人達が数名並んでいました。名前を順番に呼ばれて中に入りました。大きな部屋で個人面接でした。日本での面接とほぼ変わらず、

•なぜ志望したか
•自分の長所短所
•自分がその職場で働いたら何に貢献できる自信があるか
•あなたはどういう人か教えてください


でした。当たり前ですが、全て英語で受け答えし、自分の出来る限りのことをしてきました。これで受からなかったら仕方ない・・そのくらいに思っていました。


面接から数日後、ホテルのオーナーから連絡が来て、受かったとの報告でした。オーストラリアで色々な仕事をしてきましたが、メインではファームの仕事と、日本食レストランのみで、今回のように完全にローカルの仕事は初めてでした。たかが掃除の仕事ではありますが、今まで経験したことのない職種なので新しいことを色々吸収して頑張りたいと思います。子供達が学校とデイケアに行っている間だけの仕事なので、たったの4時間ほどの仕事ではありますが、娘を妊娠して以来仕事をしていなく、専業主婦期間が4年もあったので、子育て以外の何かを自分で始めることにすごくウキウキしていたのを覚えていますハート










posted by Mookie at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2022年04月09日

オーストラリア🦘姑からの話し合い希望・・・

嫁&姑問題はそれぞれの結婚生活の上で色々あるでしょう。

うちの姑は、私達家族のことを全て知りたがる、知りたがり屋。その割に孫の面倒は見たがりません。

私は1人目、二人目ともに切迫流産/早産を経験し、入院生活を送りました。
(前回のブログでも説明しているので興味がある方は是非そちらをご覧ください。)

1人目は日本で出産したので、私の母親が色々手伝ってくれましたが、2人の妊娠生活中に入院になった時に、姑に娘の面倒を見ることを完全に拒否されました。旦那の仕事は鉱山の仕事で、2週間仕事で1週間休みというシフト。飛行機で仕事に行くので、丸2週間は家にいない状態です。なので入院が決まったときに、娘を見てもらえないかお願いしました。するとハッキリ無理と断られたのです。


その時の絶望感。友達に旦那が帰ってくるまで娘を預かってもらうしかないかと考えていたら、姑は、旦那が帰ってくるまでは仕方ないから面倒見ておくけど、帰ってきたら自分達でどうにかしなさい。とだけ言われました。旦那に連絡するとすぐに帰ると言ってくれて、その日の夜には飛行機で帰ってきてくれたので、娘は姑と夜を一緒に過ごすことはありませんでした。


それ以降姑は私に連絡してくることがほとんどなくなり、あれだけ何でも知りたがり屋だったのにも関わらず、色々根掘り葉掘り聞いてくることはなくなり、旦那にだけ電話するようになりました。私が娘をお願いした日から、拒否されるようになりました。それだけ娘の面倒を見たくなかったのだと思います。私の入院中に顔を出すことも1度もありませんでした。


入院生活が終盤を迎える前に、私の母親が日本から来て娘の面倒を見てくれていました。その間に、姑から旦那に1本電話がありました。

「2人が産まれたら忙しくなるだろうから、その前に話し合いの場を作りたい」

と言うことでした。姑は私に対して言いたいことがあるらしく、病院に会いにくるというのです。お見舞いにも一切来ないのに、文句は言いに来るんだ?と思いましたが、この先も嫌でも付き合いは続くので、今のうちに何か言いたいことがあるならば言ってもらって解決できることは解決してしまおう、そう思いました。



面会当日。いつもと同じ感じで病室に入ってきた義理両親。軽く世間話をしてから本題に。

義理母が私に対して気分が悪かったこと
(簡単に説明します)
•娘の面倒を長期間に渡って見てもらおうと思ったこと
•娘の面倒を見てくれと頼む時の言い方が気に食わなかったこと
•義理両親の言う冗談を理解しないこと
•頻繁に会ってくれないこと

これかが原因らしい。

言い訳すると、義理母は逆上してくるので、全ての言い分を全て受け入れました。言いたいことはたくさんありましたが、とりあえず謝りました。

私が気づかないで、もしくは私の英語力のせいで話し方に間違いがあったかもしれないからです。心の中で、どんな事情があろうとも、一生こっちから娘をお願いすることはないと決めました。

入院してからはこの面会まで1度も会っていませんでしたが、普段の2週間に1度会うだけでは足りないようなので、これはさすがに条件を出しました。せめて会う場所は、公園なり、カフェだったとしても遊具付きの場所にしてくれと。毎回会う場所は義理母が決め、カフェにコーヒーを飲みに行くだけなので、娘は遊ぶ場所がなく、会っている間の2時間は、ただ椅子に座って過ごすか、私が散歩に連れて行くかしています。私が連れ出している間、義理両親と旦那が楽しく会話をして過ごします。ぶっちゃけ私と娘はそこにいるだけで、時間が過ぎるのを待っているだけなので、ここは私も強く出ました。2週間に1度以上会う機会を設けたい場合、遊具なしの場所には行きません、と。これには義理母も面白くなさそうな顔をしていましたが。全ては娘のためです。

義理母の冗談を冗談と受け取らないに関しては、さすがに冗談と取れない行動&言動をするからです。夫婦間の性事情に口を突っ込んできたり、友達との外出先で待ち伏せされたり。。それはさすがに理解できません。

自分の言いたいことだけ言い放ち、満足したのか、最後にこんな事を行って去っていきました。

「駐車場代かかるからもう行くわね」

もう人間性を疑います。

これからは距離を取って関わって行こうと決心しました。

日本人プレイグループの友達でも、家に連絡もなく押しかけてきて夜ご飯を食べて行く姑もいれば、3人兄弟のうちの1人だけを贔屓する姑もいるようで、みんなそれぞれなんだなと思いました。。。









posted by Mookie at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際結婚

2022年04月08日

二人目の出産赤ちゃん

妊娠後期、日本から私の母親が手伝いに来てくれました。日本での仕事を数週間休んでくれたのです。妊娠35週目で、先生から残りの妊娠生活は家で過ごしなさいと退院を許され家に帰ってきました。先生曰く、家に帰ってもすぐ出産になると思うと言われていたのですが、36週になっても何の兆候もありませんでした。母親が日本に帰国する日にちが近づいていました。最終検診の時に母親が帰国することを先生に伝えると、先生はこんなことを言いました。

「あらそうなの!?じゃぁお母さんが帰る前に赤ちゃん見せたいね?明日(37週目)出産しましょうか?」


えっ?しましょうか?ってそんなコントロールなんかできませんけど?と思っていたら、

「赤ちゃんは十分成長しているので、今産まれてきても何も問題はないでしょう。人口破膜をしましょう」

と言うのです。先生が赤ちゃんが入っている膜を破いてくれるそうで、そうするとほとんどの場合、数時間以内に陣痛が来るそうです。その話を母親と旦那に伝え、了解を得て出産をすることにしました。


出産当日、昼11時頃に分娩室がある棟に来るように言われていたので、娘を私の母親に頼み、旦那と一緒に予定通り向かうと部屋に通されました。そして青い手術服のような物に着替えるように言われました。洋服は全て脱ぐように言われ、その手術服に着替えてベッドの上に座りました。

私は無痛分娩を希望していました。Epiduralと言い、脊椎の中の 硬膜外腔というスペースに細い管(硬膜外カテーテル)を挿入し、そこから局所麻酔薬を注入する方法です。背中のどこら辺かがよくわかりませんが背中に針を刺し、麻酔薬を注入する準備が出来ました。その薬を使うことから、食事を取らないようにと言われました。せっかく部屋まで病院食が運ばれてきていたのですが、しかもよりによっていつもの美味しくなさそうなごはんではなく、意外と美味しそうなごはんだったのにもったいない涙ぽろり食べれない私の横で、じゃぁ僕が食べるよ!と呑気に病院食を楽しむ我が夫。普通にムカつきました笑 


そうこうしているうちに、午後1時頃、人口破水をさせるために先生が病室に入ってきました。1分もしないうちにすぐに袋が破かれ、ぬるま湯のような水が出てくるのを感じました。先生が言った通り、破水させてから2時間以内に陣痛が来ました。陣痛の進みが思ったより早く、午後3時くらいから陣痛がやんわりきたな〜と思ったら、4時頃にはもう結構な痛みになっていました。麻酔医がEpiduralを使いますと声をかけて、私の首の後ろあたりから薬を入れました。背中を通して薬が流れていくのを感じました。数分も経たないうちに陣痛の痛みはほとんどなくなり、麻酔薬の威力に驚きました。ただ、薬が効いて痛みはないのですが、お腹の張はきちんと感じられ、陣痛の波がハッキリ自覚できるのです。これはすごい!
麻酔薬を入れて1時間ほど、また痛みを感じ始めました。麻酔医が、もう一回お薬入れますねー!と言いながら第2弾の麻酔薬注入。それに加え、痛みを感じないように、頭をぼーっとさせるためにという理由でガスを吸わされました。口と鼻を全てカバーされました。ここまでしないと消えない痛み、陣痛と言うものに耐えられる女性の体は本当にすごいなと心から思いました。

先生が、赤ちゃんの頭が出てきたよ!と言いながら私に手持ち鏡を手渡してきました。自分で赤ちゃんの頭を見ろと言うことでしたが、私は自分の赤ちゃんとは言え、血だらけで、しかも自分の股を見る勇気がなくお断りしました。旦那は念願の立ち合い出産をし、赤ちゃんの頭が見えたところから、出産する最後まで全てを見ていました。



そしてついに出産。夕方5時半〜6時くらいだったと思います。産声を上げて元気な男の子が産まれました。旦那がへその緒をはさみで切ってくれたのですが、思った以上にすごく固かったそうです。そのくらい強いへその緒で母親の母体と赤ちゃんがつながっているのですね八分音符


赤ちゃんが無事に生まれたのは良かったのですが、この後まさかの吐き気との闘いでした。日本で出産した時は、産んですぐはベッドから動くなと2時間ほど休ませてもらってから部屋に移動したのですが、オーストラリアの病院では、産んだらすぐに別部屋に移動してね〜と言われます。えっ?もういいの?と思い、わかりましたーと言いながら起き上がろうとした瞬間、ものすごい吐き気に見舞われ、あー無理!!!起きれない!と叫びました。起きたら吐く!!と看護師さんに言うと、じゃぁ一旦横になってと言われ、様子を見ることにしました。先生曰く、麻酔が強すぎたのだということでした。麻酔自体は2回注入しているし、その後ガスまでも使用しているので、体がついて行けなかったようです。その後2時間くらいその場で休ませてもらってから起き上がることが出来、別部屋に移動しました。


無痛分娩を考えている方がいらっしゃいましたら、この産後の副作用的なものも視野に入れていたらいいかもしれませんね!!



こうして無事、私の母親が日本に帰国する前に出産を終えることが出来、息子と対面させることが出来ました黄ハート











posted by Mookie at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て

2022年04月07日

2人目妊娠&切迫早産

娘を妊娠している間は、切迫流産/早産で、大変な目に遭いました。無事産まれてきてくれたことに感謝しつつも、また妊娠したらまた同じことが起きるのではないかと思い、娘に妹か弟が欲しいと思いながらも踏み切れずにいました。ただ、年の差が3歳ほどあれば、きっと娘を抱っこすることも少なくなってくるし、手もかからなくなってきたら、下の子に集中できるだろうと考えていました。


そんな時に聞いたオーストラリアでのニュース。

「来年からBaby Bonus(ベイビーボーナス)の額が下がります」

※ベイビーボーナスとは、子育ての費用を支援するために新生の赤子または養子の両親への政府の支払いです。

娘が産まれたときは、日本で出産しましたが、オーストラリア市民権があることからベイビーボーナスを申請することが出来て、当時$5000ほどもらいました。日本円で約50万円です。そのニュース曰く、次の年の7月以降に生まれた子供のベイビーボーナスは$3000ドルにまで下がるというのです。


旦那に相談し、こういうニュースを聞いたけど実際どうなのかな?すると、もうそれは決定らしいと言うことを聞き、こればまずい。7月前に二人目を出産しなければ!!ケチ精神が働きました。もらえるもんはもらいたい☆

そのニュースを聞いた日から私達の妊活がスタートしました。幸せな事に、体外受精などの難問をこなすことなく自然妊娠でわずか2か月で妊娠に成功に、何も問題がなければ予定通り翌年の7月前までに出産できることになりました。ただ問題は、切迫流産/早産問題。


オーストラリアの医療は、日本とシステムがだいぶ違い、専門医に会うにはmedical referral紹介状が必要になります。日本のように、自分から産婦人科に足を運ぶことが出来ません。始めに、GP(general practitioner)に会いに行く必要があります。GPは基本的に健康状態の全てを把握している機関で、日本のように〇〇科というように分かれておらず、ここで診察してもらった後にその科のプロに診てもらう必要がある患者のみが、紹介状をもらって必要な科に送られます。


私は娘の妊娠中にあった事が気がかりだったので、WAでは有名な産婦人科を紹介してもらい、私立の保険に加入し、念には念を押してその先生に診てもらえるように希望を出しました。特に妊娠過程に問題がなければ私立ではなく公立の病院で診てもらうことによって医療費は無料になります。私立にした場合、保険代が高くかかりますが、代わりに待ち時間がほぼなく先生に診てもらうことが出来ます。


娘が産まれた時点で念のため、プライベートの保険には加入していたので私立の病院に診てもらいに行っても、保険内で収まるのでそれ以上の金額を支払うことはありません。
先生に会って診察をしてもらった初回に、娘を妊娠した時の話をし、心配事を全て伝えておきました。オーストラリアでは、内診検査があまり主流ではなく、必要な患者のみが受けることになります。基本的には全てエコーで確認するのですが、私は先生に内診をすることもお願いしていました。娘を妊娠しているときに子宮頚管が短くなっていることが原因で切迫早産になった経験があるので、そればかりは内診をしないと子宮頚管の長さがわからないからです。


それらを前もって説明していて本当に良かったと思います。妊娠29週に検査に行ったとき、

「一応内診もしておきましょう」

の一言で検査をした結果、先生が一言。

「あなたの希望を聞いて内診してみて本当に良かったわ。子宮頚管は妊娠29週の時点では4cm程なければいけないのですが、あなたのは2cmを下回っているから申し訳ないけど今日から入院になります。家族に連絡して、今すぐ入院の準備をしてきてください」


あーやっぱりか。


そんな感じでした。体感では痛みも何も感じることがなく、お腹の張りが少しあるくらいなので、自分で切迫早産に気づくことはとても難しいです。この先生にお願いしていて本当に良かったと思います。公立の病院ではおそらくこのような検診もしてくれないと思うので。。


旦那の仕事は鉱山の仕事で、2週間仕事で1週間休みというシフトです。基本的に家にいないので、この入院をどう切り抜けるが一瞬のうちに色々考えました。義理両親は近くに住んではいるけれども、娘の面倒を見てくれるタイプではないので悩みましたが、こんな状況も状況なのでダメ元で電話して娘を預かってもらえるが聞いてみました。


「○○(旦那)には聞いてみたの?仕事数週間くらい休めるじゃないの?私達はそんな長い期間面倒なんか見れないわよ」

ハッキリ断られました。旦那が飛行機で家に帰ってくるまで丸1日かかるので、旦那が帰ってくるまで娘は見ててあげるけど、その後は自分達でなんとかしなさい、と。自分の母親がいたら何の問題もなく喜んで預かってくれるだろうに・・と入院しなければいけない自分の体を恨み、自分の母親と義理母を比べて苛立ちが募っていきました。散々ストーカーなみ行為や、私が娘に会わせてくれないと文句を言う割には、いざお願いするとこうやって断ってくる。本当に理解が不能です。お願いしてみようと思った自分がバカでした。少しでも期待した自分に嫌気がさしました。旦那にも全て説明し、すると、

「僕の母にはもう何も頼むな、どうせ助けてくれるつもりなんかさらさらないから。がっかりするだけだから」

その通りだと思いました。こんな緊急でも助けてくれないのなら、もういないと思って生活した方がよっぽど気が楽です。


結局旦那は1か月半ほど仕事の休みを取り、娘の面倒を見ながら私のお見舞いに来るという生活をしてくれました。


入院生活はというと、日本のあのひどい入院生活を経験しているせいか、ものすごく優雅なひと時を過ごすことが出来ました。食事のメニューも選択でき、毎日シャワーを浴びることも出来、何より点滴がない生活だったことが一番助かりました。オーストラリアの薬は日本の物とより強く、効果が強く感じます。アジア人の私は基本的には西洋人に比べて体が小さいので同じ種類の薬を飲んでも効き目が強くなります。先生が1週間に1度検診してくれるのですが、その際にも

「あなたは入院生活を苦に思ったいないようね?ベッドも毎日綺麗に直し、いつもニコニコしているし、他の患者さんとは大違いだわ笑」

そう言われました。日本でのあの苦しすぎる入院生活を味わっていれば、こんなの天国でしかありません笑 やはりあの日本の病院は普通ではなかったのだと確信しました。妊娠中で情緒不安定になっているのに、それに上乗せするようなあのストレス入院生活はもうこりごりです。

入院生活は妊娠29週から始まり、35週までの約2か月弱続きました。病院のごはんはとても美味しいとは言えず、サンドイッチやあまり美味しくないパスタなどが当たり前で、それを旦那に話していたら家からふりかけおにぎりおにぎりを作って持ってきてくれました。あのおにぎりは一生忘れません笑 


妊娠中に先生に心配されたことがあります。これは日本で娘を妊娠し入院していた時とはほぼ正反対とも言えることでした。
私は、妊娠8ヶ月まで体重が1キロしか増えませんでした。娘を妊娠しているときは、妊娠8ヶ月で5キロ増えて先生にすこたま怒られました。日本の産婦人科の先生に、妊娠生活最後まで5キロ以上増やすなと注意されていました。オーストラリアでは、「あなたの1キロはあまりにも増えてなさすぎだから、これからどのくらい食べているのか全てチェックさせてもらいます」と言われ、Food Diary食べ物日記的なものを記録されていました。入院前まで娘を追いかけまわる生活をしていたせいで、体重が増えなかったようでした。入院して1か月程で6キロ一気に増え、出産時までにトータルで9キロも増えていました笑 何も心配いらなかったようですね笑


入院が決まった時に先生に言われた一言。

「あなたは何度妊娠しても、切迫流産/早産になりやすい体質だから毎回入院することになりそうね」

3人目もあわよくば欲しいと思っていたけれど、自分の母親が近くに住んでいない妊娠生活はかなり難しいものがあります。義理母はもう頼れないので3人目は諦めざるを得ない状況でした。。。



そしてついに二人目を出産します赤ちゃん









posted by Mookie at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て

バイリンガルの育て方とは

私は娘が小さい時からバイリンガルとして育てたいという願望があり、自分が娘のために出来ることは色々試してきました。英語圏で生活していれば、嫌でも勝手に英語は話せるようになるだろうし、日本語をなるべく集中的に教えて行こうと考えていました。


小さい頃から日本語の絵本を毎日読み聞かせし、テレビも音楽も全て日本語という生活を娘が3歳くらいまでしていました。そんな生活に加えて、娘が2歳から4歳までの3年間、毎年日本に帰国し、3ヶ月間ずつ幼稚園に短期入園させていました。旦那の仕事のシフトが、2週間仕事で1週間休みということで、旦那が仕事で家にいない2週間は完全日本語環境で生活していました。そして度重なるイベント事(誕生日、クリスマス、正月など)に旦那が家にいなく、旦那の家族と旦那無しでその日を過ごす事が多かったので、どうせなら私は自分の家族とも過ごしたいと思い、娘の学校が始まるまで毎年日本に帰ることを決めました。結果、3歳くらいまでには日本語はとても流暢に話せるようになっていました。読み書きも3歳から教え始めていたので、ひらがなやカタカナも十分にできていました。


ここで大きな問題にぶつかりました。私のエゴで、娘と日本語中心で話した生活をしてきていたせいで、父親(旦那)との会話が成り立たないということが起きました。娘は3歳の時点で英語力はほぼゼロ。完全に日本語のみでした。旦那が話しかけても英語で会話が出来ないのですぐに私のところに戻ってきてしまうようになったのです。それを見ていて、これはヤバいと思いました。


オーストラリアでは4歳から「Kindergartenキンディ」と呼ばれる幼稚園的な所に行き始めます。
※オーストラリアの州によってこの呼び方は様々です。西オーストラリアではキンディと呼びますが、東側では違う呼び方のようです。
キンディに行くのに英語が話せなかったら友達も作れないし、心細い気持ちになるかもしれないと思い、私はすぐに行動に出ました。キンディが始まる前に、満3歳児が通う「Pre Kindyプリキンディ」というものがあります。簡単に言えばキンディに行く前に行く、練習場所みたいなところですね。とりあえずそこに連れて行ってみることにしました。説明会なども色々あり、たくさんのお母さんお父さん達が見学に来ており、学校内での授業内容などの説明を受けていました。

私は娘が産まれてから日本語に力を入れていたので、一緒に遊ぶ友達も日本人、話す言語も日本語ばかりで、英語を使うことがどんどん減っていってしまっていました。この説明会に行ったときに、自分の英語力のなさにガッカリし、自信をなくしました。元々自分の英語力に自信はありませんでしたが、先生が説明していることの半分ほどしか理解出来なかったのがとてもショックでした。娘はわけもわからずに、学校内のおもちゃや遊具で遊び始め、楽しそうにしていました。


とりあえず申し込みを済ませ、1週間に2日の数時間だけですが、通わせてみることにしました。初日は、色んなおもちゃやドレスアップコーナーなどに気を取られ、私がいてもいなくてもどっちでも良さそうな雰囲気だったので、そのまま先生にお願いして帰宅しました。2回目の登校時に、「ママ今日も帰るの?」と聞かれ、幼稚園は子供たちが勉強する所だからママ達は入っちゃダメなんだってさ。後で迎えに来るね」と言うと、寂しそうにはしつつも理解したのが、おもちゃ遊びが楽しいのか、気にせず教室に入っていきました。話を聞くと、授業中泣き叫ぶ子がいるらしく、母親が全然離れられないでいる子も2人ほどいたらしいのです。娘は割と一人でも大丈夫なタイプなんだろうか?と思いながらも、強い子に育ってくれててほっとしました。


こんな感じで、プリキンディに通うことは何とか成功しました。プリキンディは1年行かせるつもりだったのですが、時間がたった2時間と短いのに授業料がかなり高額で、どうせその額を払うなら「Day Careデイケア」に入れた方がいいじゃないかと旦那と話し合いました。デイケアとは、日本でいう保育園みたいな所で、0歳児〜5歳児が通う場所です。ほとんどのデイケアは朝7時〜6時まで開いていて、1日料金を払うと、時間関係なくセンターが開いている限り預けることが出来ます。


家から歩いて行ける距離のデイケアに試しに行ってみると、割と綺麗で良さそうだったので、プリキンディを辞めてデイケアに入れることにしました。


娘は当時3歳半で、息子が7ヶ月になった頃でした。息子はまだ小さかったのですが、デイケアに行ってから小学校に入学した子は、社交性が全然違うという話を聞いていたのと、息子には娘のように全く英語が話せない状況にならないようにと思い、姉弟二人同時にデイケアに預けることを決めました。息子はBaby room(赤ちゃん0〜2歳児部屋)で娘はKindy(キンディ3〜5歳部屋)


最初の数ヶ月は何の変化も見られませんでした。娘は英語が出来ないわりには楽しそうにデイケアに行ってくれていたので助かりました。気づいたときには、娘は英語は話せないなりにも、理解力が伸びていることがわかりました。旦那が仕事から帰ってきて話しかけた時も、全て理解しているようでした。子供の脳はすごいですね!!

こうして、学校のキンディに通い始めるまでデイケアに週3日ほど通い、英語力を伸ばしていきました。4歳半になった娘は、小学校に所属するデイケアに通い始めました。ですが、最初の数ヶ月間は学校に行きたくないと泣きました。理由をきくと、みんなの言ってることがわからない時があると言うのです。それから自分だけ英語が上手に話せないと言いました。これは私に大きな原因があり、本当に申し訳ない気持ちになりました。娘の担任の先生は、幼稚園の先生歴15年以上のベテラン先生でした。移民の国、オーストラリアだけあって、娘のクラスには数人程、英語を母国語としない子供たちがいました。その先生は臨機応変にその子たちのサポートもこなしていました。特に驚いたことは、クラスの生徒全員に日本語で「キラキラ星」の歌を教え、クラス内で発表会を開いたことです。4歳の生徒達はみんな楽しそうに日本語で歌を歌っていました。先生から、「娘さんが張り切ってみんなに教えてくれていましたよー」と教えてもらい、先生のすごさに本当に感動しました。娘を楽しませてくれて、他の生徒も楽しませながら学ばせる、さすがプロだなーと思いました。


キンディに行き始めて3ヶ月、娘は英語を少しずつ話し始めました。それから新しい友達も出来て、学校に行くことに抵抗がなくなり、毎日元気に登校するようになったのです。これは娘にとっても試練でもあって、私にとってもとても勉強になった経験でした。


バイリンガルの子供を育てるということがこんなに難しいということは知りませんでした。海外に住んでいたらほっといてもバイリンガルに育つのかと思っていた自分が本当に恥ずかしいです。親も子供も共に努力が必要でした。そしてこのバイリンガル子育ては今後もずっと続きます。。。












posted by Mookie at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て
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