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2022年04月23日

Carrot Cake Baked Oatmeal Cups🧁

オートミールでお菓子作り🧁私の週末の趣味の時間八分音符

お菓子だけではなく、朝食にオートミールをご飯代わりにして、納豆やアボカドと一緒に頂いたり、粉末にして小麦粉代わりに使用してパンケーキを焼いたり、クリームソースを作ったりもしています。オートミール万能すぎて大好きです黄ハート黄ハート黄ハート


旦那が子供達を連れて出かけてくれたので、2時間の自由時間に作ったのはコレ❣


Carrot Cake Baked Oatmeal Cups キャロットケーキベイクドオートミール🧁

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最近はオートミールに加えてデイツにもドハマり中で、何にでもデイツを入れています。30歳を超えた頃から、あんなに甘い物に興味がなかったのに甘党と化してきています。。。飲み物の甘いのは今も苦手ですが、ケーキやクッキーは昔は苦手でした。和菓子の甘いのは昔から好きなんですけどね〜。好みって変わりますよね八分音符


今回作ったキャロットケーキは、もちろん小麦粉も砂糖も無しで作っています。レシピにはメイプルシロップを使用するように書いてありましたが、他の材料にUnsweetened applesauceとあり、私の家にあったapple sauceは砂糖が最初から入っていたので、このメイプルシロップをスキップしました。そして、Dry ingredientsにあるレーズンとピーカンの代わりに、デイツと胡桃を入れています。それと、Shredded coconutがたまたま切れていて家になかったので、代わりに代用したのが、コレ↓

Nutty Almond Coconut & Cacao Nib

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今回作ったキャロットカップケーキのレシピはリンクを貼っておくので、英語レシピですが興味がある方は是非作ってみてくださいね八分音符

https://www.ambitiouskitchen.com/carrot-cake-baked-oatmeal-cups/


ついでに最近のお気に入り↓

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これ美味すぎ〜黄ハート黄ハート黄ハート
パンケーキに塗ったり、オートミールパンと一緒に食べたり、歯ごたえといい味といい、食べた感もあり大満足❣❣❣

ちょっとお値段がするから、値引き対象になってる時にストック買い☆



次は何作ろうかな〜八分音符八分音符










posted by Mookie at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 料理

2022年04月22日

オーストラリア•パースでコロナに感染🦠

私が住むオーストラリアのパースは、コロナの感染が広がるまでだいぶ時間がかかりました。


アメリカやヨーロッパ、日本を含め、世界的に広がっていく様子、医療崩壊事態をニュースで見かける中、今までと同じ生活を3年もの間続けてこれたのは、西オーストラリアの州境をブロックし、外からの旅行者を入れない動きを早い時点から始めていたおかげで、被害がほぼゼロに等しかったのです。日本で5000ケースを超え、緊急事態宣言を出す、どうのこうのと騒いでいる中、パースでは1ケース出て3日間ロックダウン。日本と全然違います。


2022年今年に入り、州境を開けた瞬間から1か月も経たないうちに一気に広がりました。しかし、パース市民の落ち着きよう。この過去3年間、他国での感染風景をニュースで見てきて、どんな状況かを把握してきていた分、気持ちの準備が出来ていたのでしょう。私自身、近所で数件出たという話を聞いた際にも、そろそろか、もうじき来るな、と心の準備が出来ている状態でした。



私の職場、チャイルドケア(0〜5歳児が通う幼稚園的施設)でも、兄弟姉妹感染から始まり、1,2ケース出たと思ったら一気に広がり、近所の小学校、もちろん私の子供達が通う学校でも感染者が出始めました。


そんな中、風邪なんか1年に1度ひくかひかないかの娘が、喉の痛みを訴えました。今こんな状況だし、念のためラットテストをしようか、ということで念のためテストをしました。他の症状は全くありません。喉の痛みだけで熱もなし、咳もなし、鼻水なし、普通の風邪よりも症状がないほどでした。テストをして10〜15分で結果が出るラットテスト。

結果は陰性。

やっぱりな、と思い、私は仕事に行く準備をしました。普通の風邪なら喉が痛いくらいなら学校に行かせるのですが、今はコロナが広がりつつあるので念のため学校を休ませ、家にいるように言いました。喉の痛み以外症状はないので、食事も問題なく出来ていました。娘はもう小さくないので、私が仕事に行っている間は家で勉強、本読みをし、テレビの時間のリミットなどを決めて、家事のリストを作って手渡しました。仕事に出かけるためにバッグを手に持って玄関に向かいながら何気なくラットテストをもう一度見ると・・・


陽性ラインがう〜っすら見えるか見えないかくらいの色で出ていました。


ん?これは陽性なのか?それとも私の目が老眼化してきているのか!?手に持ってしっかり見てみると、やはり見えるか見ないかくらいの薄さで線が出ています。


「陽性反応出てる!!」


と娘に言うと、娘はパニックで泣き崩れてしまいました。何が何だかわからないので恐怖を感じたのでしょう。かわいそうに・・


急いで職場に連絡し、急遽仕事に行けなくなったと説明しました。濃厚接触者として7日間自宅待機の始まりです。

それにしても30分後に陽性反応が出るとは・・テストを捨てないで取っておいて良かったです。

息子は風邪の症状も何もなかったので、学校に行かせていました。娘の陽性反応が出たのは、息子が学校に行って30分ほど経った時でした。私の職場に連絡した後すぐに学校に電話し、娘に陽性反応が出たこと、息子はクラスに出席しているので迎えに行くことを説明し、事を終えました。


こうして、まさかまさかの、コロナ第1感染者が我が家から出ました。喉の痛みのみのコロナです。この先症状がひどくなったら怖いので、様子を見ながら生活していこうと思い、ニュースで見たように、娘は自分の部屋での隔離生活が始まりました。朝から夜まで部屋で過ごすので、食事は部屋まで私が運んでいました。丸一日家の中にいると良くないと思い、庭に出て本を読ませたり、何か遊びを考えたりと、こちらもだいぶ頭を使いました笑

家で出来るアクティビティを準備しました。

(娘用)
•粘土
•マニキュアで貝殻のデコレーション
•プラ板
•上級者塗り絵

(息子用)
•隔離1週間の間にシャッフルダンス習得する
•割り箸で手作りパチンコ
•サッカーチャレンジ
•スケボーチャレンジ
•料理

私も普段出来ない場所の掃除をしたり、家にある材料のみでの料理を頑張って作ったりと、1週間は思った以上に早く過ぎていきました。


結果、娘の症状が悪化することもなく、私や旦那、息子に移ることもなく、無事に隔離から解放されました。学校と仕事にも無事に復帰して、平和ないつも通りの生活が送れています。本当に良かったです光るハート

コロナの症状は本当に人それぞれで、症状もさまざまです。感染者が少しでも症状が軽く済んでくれることを祈っています。










posted by Mookie at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気

2022年04月21日

バイリンガルの日本語教育🦘

私の子供達は日本とオーストラリアのハーフで、日本語と英語のどちらも話します。自分の子供が出来るまでは、外国に住んでいるかぎり英語は話せるようになるし、私が日本語を使っていれば子供達も自然に日本語が出来るようになるだろう・・・そう思っていました。


実際は、子供達も親もお互いに頑張らない限り、その国の言葉だけになりがちです。



★子供達が普段、日常的にしていること

・朝食後の日本語勉強30分&音読
・毎週土曜日の日本語補習校
・土曜日のみは、テレビも音楽も日本語のみ
・私との会話は完全に日本語のみ
・朝起きてから学校に行くまでの会話も日本語のみ(姉弟間)

これは日常的にしています。姉弟間の会話が英語になりがちなので、気づいた時に私が「日本語!!」と声をかけて直す、という感じです。


コロナが始まる前までは、毎年、もしくは2年に1度日本に帰っていたので、日本語を話す機会がもっとありましたが、今は本当に大変です。ハーフの日本人同士の友達との付き合いを続けて、たまに日本語だけを使う日を設けたりしています。



子供達が小さいうちは、私と一緒に過ごす時間が多かったせいで娘は3歳半まで完全に日本語のみ。英語は理解すらほぼ出来ていませんでした。息子は、私が仕事復帰したこともあって、生後7か月の頃からデイケア(保育園)に通っていたので、英語の方がメインでした。娘が4歳になるまでは、日本に毎年帰国し、娘は幼稚園に3ヶ月短期入園を毎年していました。小学校にも短期入学を体験し、そのおかげで日本語の基本は出来ているので会話には問題ありません。息子は、幼稚園に短期入園を1回しましたが、娘が行ったほどの体験が出来ていないせいで、日本語の基本も危ういレベルです。会話は成り立つのですが、細かい日本語のニュアンスが出来ていなかったり、イントネーションやアクセントがあったりと、外国人が話す日本語、と言った感じです。学校に入学するまでは、1週間に2日ほど、日本人プレイグループ(日本ではママグループとでも言うのでしょうか?)のコミュニティに通っており、同じ環境の日本人ハーフの子供を持った家族が参加し、子供達を遊ばせ、親達は色々情報交換などをし、時間を共有していました。


今の日本語のレベルを保つために、日本語ルーティンを続けています。学校に通っているから、勉強を毎日させているからと言って、今以上に日本語が上手になるわけではありません。1日を通して英語を使う時間の方が圧倒的に多いので、日本語は忘れないように努力しない限り、どんどん失っていきます。


日本で生まれ育った私でさえ、子供達との会話と、親と電話で週に1度話す程度しか日本語を使わないので、単語をどんどん忘れていく始末です。自分自身の日本語も忘れて行かないように、日本語の小説を読んだり、日本語のテレビを観たり、このブログを始めたのも、日本語を使うキッカケになるようにと思って始めたのも1つの理由です。これほど努力しないと、いくら母国後でも普段使っていないと衰えていくものです。


日本人ママ同士の交流や、補習校の際に他の親御さん達と話す機会もありますが、普段どうやって日本語の勉強をさせているか話題になることがあります。みんなそれぞれですが、「子供チャレンジ」を日本から取り寄せて勉強している人が何人かいらっしゃいます。私自身、子供の時にチャレンジを使用していて、赤ペン先生にテストを直してもらった経験があるので記憶に残っています。今の子供チャレンジは、海外に移住している人達のために、海外郵送までもしてくれるようです。


実は私も子供達が小さい頃の勉強法に、子供チャレンジを活用していました。毎日毎日しまじろうでした。日本から教材を取り寄せていたわけではありませんでしたが、日本人ママからの情報で、やはり子供チャレンジはバイリンガルの子を育てる上でも本当に使い勝手が良いと聞いていました。生活編、外出編、色んな場面でのマナーをわかりやすく説明したDVDなどもあり、私は子供チャレンジの教材をセカンドハンドで購入して使用していました。ひらがなやカタカナも、しまじろうのひらがなの歌を毎日歌って覚えさせました。結果、今現在もまだその歌が頭に残っていて、たまに口ずさむほどです笑



私は昔、友人の手伝いを通して、日本語教師のアシスタントの仕事をしていました。それがキッカケで日本語を教える事に興味を持ち、特に自分の子供達の日本語の勉強のサポートにもなるようにと、0〜5歳児のバイリンガルの子供達を対象にする日本語教師の資格を取得しました。歌やダンス、色んな教材を利用して、資格を取得した際に学んだ事を活用し、実際に自分の子供達にも色々教えてきました。そこで学んだことも、やはり子供チャレンジの教材には自然と含まれており、子供達が楽しみながら学ぶことが出来るようになっていて、本当に感心しました。小さいお子さんがいる日本人ママに、日本語の勉強法や子育て法を聞かれた際には、かならず子供チャレンジを勧めています。日本語の基本を学ぶには本当に使って良かったなと思います黄ハート



日本に住んでいる子供達もしまじろう大好きな子供達たくさんいるんでしょうね八分音符

















posted by Mookie at 06:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て

2022年04月19日

オーストラリアに住んで気づいた日本人の性質

私は現在、西オーストラリアのパースに住んでいます。移住して15年ほど経ちました。今回は、海外に住んで気づいた日本人の性質についてお話しようと思います。


日本人は基本的にシャイで物静かで、それでもってすごく丁寧で親切と言われています。世界的に見てもきっとそういうイメージでしょう。日本に住んでいただけでは気づけなかったような気がします。



仕事に関しては、本当に働き者です。長時間の体力勝負の仕事でも文句1つ言わないで黙々と仕事をするのが日本人です。それに加え、仕事がすごく丁寧です。私は今まで本当にたくさんの国籍の方たちと働いてきましたが、もちろん国柄だけではなく、その人次第というところもあるのですが、基本的に日本人と一緒に働いて怠け者だと思ったことはほぼありません。もしくは、多少出来なくても一生懸命な姿を見せてくれるので一緒に働いていて嫌な気分にはなりません。他にも働き者はたくさんいました。韓国人や中国人も仕事は真面目にしていました。ただ、丁寧さに欠けるか、平気で文句をタラタラ、更には上司やオーナーにも怖がらずにガンガン言いたいことを言いに行きます。これは日本人にはない所かなと思いました。日本人は多少しんどい事があっても謙虚に何もなかったかのように過ごすことあります・・よね?笑


それから、やるべき仕事がある場合、仕事終了時間が多少過ぎていてもなるべく終わらせてから帰る事が多い日本人。他国籍の従業員は、仕事が残っていようが終わっていまいが、時間が来たらそのまま帰宅します。明日やればいいよね〜という感覚と、給料が出ないならやらない、もしくは残業代が出ても残りません。日本人にもそのくらいの割り切りが必要なのでしょうか?笑


上記でも言ったとおり、国籍だけで決まるわけではありません。ただ、日本人が働き者なのは世界的にも知られています。日本ではそれが当たり前ということもあるのでしょうが、そのおかげで仕事に関して良いイメージを持ってもらっていることは、とても誇りに思います。




次は旅行での話です。これはとても興味深い結果となりました。私自身日本人として生まれ育ち、国柄を理解した上で、考え方や行動を考えさせられる経験となりました。


私は子供が二人いて、子供達が小さい頃は毎年日本へ帰っていました。旦那は仕事の関係で一緒に来れないことが多く、私が1人で小さい子供達2人を連れて帰ることが数回あって、そこで感じた/経験した日本人の対応です。


息子が初めて日本に行ったとき、当時まだ1歳前で、娘は3歳でした。機内や空港で回りに迷惑にならないように、子供達がうるさくしないようにと、おもちゃや絵本、気を紛らわせる物などたくさん対策を練って旅行に臨みました。子供達がまだ小さかったこともあって、粉ミルクやオムツ、着替えやタオルなど、必要な物が多く荷物もものすごい量になっていました。それでも最低限に抑え、少しでも荷物が少ないように色々考えて準備しました。当時3歳の娘に自分の荷物は全て自分で持ってもらい、本当に頑張ってもらいました。

日本で洋服や必要な物は買えるので、スーツケースは2つありましたが、1つは必要最低限の物が入っていて、もう1つはほぼ空っぽでした。日本の本ノート2(開)やオーストラリアでは購入出来ない物を買って帰るためのスペースです。よって、子供2人プラス、赤ちゃん用のバッグ、そして機内に持ち込む用の荷物、そして2つのスーツケース、1人で運ぶには結構な荷物でした。空港内にはスーツケースを運ぶカートがあるので大丈夫だろうと思っていました。

トランジットでシンガポールに数時間滞在した際、機内から外に出るとき、息子は抱っこ紐を使って抱っこし、娘は手を繋いで歩きました。シンガポール空港に行ったことがある人はわかるかもしれませんが、あの空港、道が長ーーーーいんですよね。結構な距離があります。第1ターミナルから第3ターミナルの乗り換えだったでしょうか、移動距離がものすごくあります。機内で寝ていた子供達を起こして移動だったこともあって、息子は抱っこしているので大丈夫だったのですが、娘がぐずりました。最初はぐずぐずしながらも歩いてくれていたのですが、飛行機を出た瞬間から泣きながら「抱っこ〜」とせがんでくるのです。お姉ちゃんと言ってもまだ3歳、そりゃしんどいでしょうね。「広い場所に着くまで頑張ってねー」とお願いし、無理やり歩かせました。スーツケースは日本まで送られるので、機内にに持ち込んだ荷物のみでの移動ではありましたが、それでも大きなバッグが2つありました。


その姿を見て声をかけてきてくれたのは、外国人のおばちゃん。

「子供2人も連れて大変ね。私が荷物を持ってあげるから娘ちゃんをみてあげたら?」

と言って、カートがある所まで荷物を持ってくれようとしました。そして別な外国人の若いお兄さんが、

「カート持ってきてあげるよ」

と言って取りに行ってくれました。1人でも大丈夫だろうとは思っていましたが、手を差し伸べてくれたことにすごく感謝でした。その私達の横を何人の日本人が通り過ぎたことでしょう。私達親子は日本語で会話をしていたので、日本人だということはわかっていたと思います。

ここで気づいたのが、日本人よりも外国人の方が他人へ手を差し伸べることに抵抗がないということです。日本人は周りの目を割と気にするタイプでもあるので、「きっと他の誰かがやるだろう」と心のどこかで思っていたのかもしれません。

数人の外国人に助けてもらいながら、無事にトランジットを終えていざ日本へ向かってまた別な飛行機に乗り込みました。機内でも息子がぐずった時に声をかけてくれたのは、外国人夫婦でした。おじさんが声をかけてくれるたびに息子が泣き止みました。気を使ってくれたことに申し訳なく感じましたが、同時に感謝でした。その横で泣いている息子を見て見ぬしている日本人。悪気がないのはわかっています。きっと、どうしていいのかわからなかったのでしょう。国柄もあるかもしれませんが、「出しゃばる」ことをしないのが日本人です。


成田空港に着いた時でした。荷物受け取りの場所でスーツケースを待っていました。その間にスーツケースを乗せるカートを探していたのですが、たまたま周辺にありませんでした。さすがにカートなしでは移動できない・・・そうこうしているうちにスーツケースが手元に来てしまいました。娘がぐずっていたので、念のために持ってきた2個目の抱っこ紐を使い、娘をおんぶし息子を前に抱っこしていました。もうやるしかない、そう思った時に、空港で働いているおじさんがカートを大量に移動している姿を見つけたので、そのおじさんの所へ藁にもすがる思いで向かいました。その時の私の姿が、2人の子供達を前後に抱え、片手に大きなバッグを2つ、片手にスーツケース、もう1つのスーツケースは足で蹴りながら前に進みました。本当に恥ずかしい姿だった気がしますが、もうどうにかカートを手に入れたいがために一生懸命でした。


ここでもまた声をかけてくれたのは、アジア系のおばちゃんとその娘さん。娘さんがスーツケースを運んでくれて、おばちゃんが他の荷物をすぐさまに手に取ってくれ、そしてカートまで引き渡してくれました。
その行動の早さと言ったら、ものすごく自然でスムーズで、何のためらいもなく快く手伝ってくれるのでした。助けてアピールをしているかのような荷物の多さで恥ずかしくなりましたが、そんな私にそのおばちゃんは、

「1人で子供2人連れて旅行なんて大変ね、よく頑張って飛行機乗ってきたわね」

と声をかけてくれました。子供がいる人だからこそわかってくれたこの苦労。無事に日本に着いたこと、理解してくれて声をかけてくれた事に加えて気遣いの言葉、その場で泣きそうになりましたが耐えて、感謝の気持ちを伝えてその場を離れました。


この1回の子連れ旅行だけではありません。子供を連れて旅行するたびに声をかけてくれるのは外国人ばかり。日本人は本当に物静かで、気づいているのに気づいていないフリをする傾向があります。私自身、日本で生まれ育っているので、困っている人への手助けに少し戸惑い、もしくは恥ずかしい気持ちがあるのかもしれない事が痛いほどわかります。よって、わざと無視していないことも理解の上でこの経験談を話しています。



大変だった時に周りに助けてほしいと思っているわけではありませんが、結果手を差し伸べてもらった時にすごく有難いと思いました。そして私も自然に他人に手助け出来る人になりたいと心から思いました。


日本人として、本当のやさしい心、気遣いが出来る心を、恥ずかしがらずに堂々と人前でも見せることが出来るようになったら、ますます日本人へのイメージや信頼度が上がると思います。自分が日本人であることに誇りを持っていますが、日本人の良い所はもっとある気がするので、もっともっと発揮していけたらなと思います。


これは海外旅行、もしくは海外で生活をしてみて初めて、日本人を客観的に見れたことによって感じた事だと思います。本当に良い経験をしたなと思います。
















2022年04月18日

オーストラリアで転職八分音符

ストレスからくる病気をキッカケに、自分のストレスを軽減するために出来ることを実行しました。


その中で一番大きなキッカケになったことは、職場を変えることでした。自分の中で大丈夫と思っていたことが、案外大丈夫ではなかったのかもしれません。みんなもきっと辛いはず、しんどいのは自分だけじゃないとずっと思っていましたが、この考え方も今思えば日本人独特な考え方だったかなとも思います。全ての人がそうであるべきなように、私が住んでいるここオーストラリアでは、「自分が第一」の考えの人が多い気がします。


「自己中心的」


日本ではあまり良い印象の持たれる言葉ではありませんが、ニュアンスを変えれば


「自分の考えをしっかり持つこと/行動すること」


ととらえられます。もちろん何事も「〜すぎる」はよくありませんが、時には自分の考えを主張して行動することが大事な時もあります。


私はオーストラリアに移住して今現在15年以上経ちますが、この国で生活して、日本人ならではの謙虚な気持ちは時には通用しないことを学びました。気が強いくらいでないと生きていけません。。


私が保育士の資格を取得するときにお世話になったChild Care(0〜5歳児が通う幼稚園/保育園的な場所)でトータル4年働きました。仕事をして3年目が過ぎた頃、とんでもないことが発覚しました。私の資格保有額の給料がもらえてなかったということです。この国では何も言わなければ何も起きません。ほんとに。。。
っていうのも、日本では上司が仕事の出来を把握していて、仕事の出来る人が昇格したり給料が上がったりするイメージですが、オーストラリアでは自分から交渉しない限り何も起きません。しかし、確定申告時に仕事が出来る出来ない関わらずに毎年わずかながらも上がることが法律で決まっているので、本当にわずかですが時給は上がります。それに加えて、交渉次第で給料が上がるシステムになっています。


私の場合、基本給の額がそもそも間違っていました。どうしてそれが発覚したかというと、仕事中に同僚と給料の話になったとき、私よりも資格がない人の給料が私よりも明らかに高いことに疑問を持ちました。確かに私より長く働いてはいたので、そのせいか?とも思いましたが、その人の基本給が私より高いのには納得がいきませんでした。オーストラリアでは資格の有無が基本給の基盤となってそれにプラスで経験値が加算されます。


思い切って上司に給料の話を出してみると、何事もなかったかのように、

「あ〜わかったわ。次回の給料から上げておくわね」


えーーーー謝罪とか何もないわけーーー!!??


本当にこんなもんです。オーストラリアは何年住んでもカルチャーショックが続きます。人が悪いわけじゃありません。これで通用してしまうのがこの国です。日本では当たり前の事が当たり前ではありません。


基本的には怠け者が多いです。これは私の感覚ですが、「マイペース」すぎると言った方が適格かもしれません。


周りのことを考えずに行動する人が本当に多い。。。特にこの職場では、自分の立場しか考えていない人が多すぎて仕事のしづらい環境だと思って働いていました。このチャイルドケア以外の職場で働いたことがなかったので、当時は他と比べることが出来なったのですが、自分の仕事であるにも関わらず、それをあたかも自分の仕事ではないかのように、もしくはわかっているのに堂々と忙しくて出来るわけがないと言って避けて通ります。これは私には出来ないことでした。きっと私が真面目すぎるのでしょう。やるべき仕事が目に前にあるのにどうやって無視したらいいのでしょう?私は多少ずる賢くならないといけないのでしょうきっと。


不満を上司に話したこともありました。上司は、

「うん、わかってるよ。本人に話しておくね」

と言ったきり、本当に話したのかはわかりませんが何も変わりませんでした。スタッフミーティングを3ヶ月に1度していた際にも、改善策を練ることが目的で集まっているのにも関わらず、ミーティングに参加したくなかった、時間がない、などと文句を言う人達。決定した事が実現することもなく今までと同じ。


こんなことが続いて、私は他の職場を探すことを決心しました。なんだかんだで散々お世話になった職場だったので後ろ髪引かれる想いはありましたが、私自身を変えるチャンスかなと思いました。私なんかを採用してくれるチャイルドケアは他にもあるんだろうか?という不安はありました。仕事の仕方、英語力共に自分にまだ自信がついていませんでした。ダメ元で家から徒歩圏内で行けるチャイルドケアに持っていったレジメ(履歴書)。持って行ってすぐ次の日に連絡があり、トライアル(仕事体験)に来るように言われました。オーストラリアではトライアルがあって、その職場の上司やオーナーが私の仕事や能力を見るという機会を設けられ、お互いに気にいれば仕事がもらえるというシステムです。


トライアルはボランティアなので給料は出ませんが、自分の能力を見せるチャンスです。


自分の出来る限りのことをこなし、その日は帰りましたが、本当に自分でも驚くくらいの早さで次の仕事が決まりました。トライアルに行った次の日にすぐ連絡が来て、いつから働けるかを聞かれました。職場に退職届を出さないといけないので、2週間後からなら働けますと伝えると、新しい職場の上司はこんなことを言いました。

「2週間後から働けるのはいいんだけど、今の仕事を辞めてからうちで働く前に1、2週間ほど自分のために休みを作って時間を作ったらどう?」


これは意外なオファーでした。お言葉に甘えて仕事を変える前に1週間の休みをもらい、リラックスすることにしました。


仕事が決まった事を職場の上司に伝えると、残念そうながらも承諾してくれました。怠け者達は口をそろえてこんなことを私に言ってきました。

「この職場を離れるなんて信じられない、こんなに緩い(楽な)仕事はないのに。。他のチャイルドケアは厳し所たくさんあるよ?」


これで本当の理由がわかりました。やっぱりあえてみんな仕事をちゃんとしてなかったんだ。。。何もしなくても注意されないことをいいことに、最低限に仕事をして給料をもらっていたんだ。。。その働き方が私には合わなかったので、職場を変えると決心したことが本当に正しい行動だったなと確信しました。



何か新しい事を始めるとき、必ずしもどこか緊張したり、不安だったりすることはありますが、何かを始めるイコール自分のチャンスだと本当に思えました。



そして今現在もその転職した職場で同じポジションで仕事をしていますが、今は前の職場がどれだけ怠け者が多かったかを実感できます。今の職場の方が働き者が多い気がします笑



















posted by Mookie at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2022年04月17日

ストレスが原因の病気。。

私の体に異変が起きたのは、年が明けたある年の1月1日のことでした。

オーストラリアでは年末年始のイベントとして、各地で打ち上げ花火が打ち上げられます。家族と友達とそのイベントに行き、楽しんで帰ってきた次の日のことでした。1月1日、日本の正月とは違い、お店が賑わうわけでもなく普通の日です。私はいつものように、時間を見てジムに行き汗を流して帰ってきました。


家に帰ってきてからシャワーを浴びてスッキリしたはずなのに体のあちこちに痒みを感じました。初めは、下着のライン(下っ腹部分)が赤くなっていて掻いていました。すると次々と背中や脇、首も痒くなり、赤みが広がってきました。皮膚に湿疹が出ることはたまにあったのですが、赤みがひどく、ボツボツもなく湿疹ではありません。次第にその赤みが膨らんできて、その時に初めて「蕁麻疹」だとわかりました。


18歳の頃に初めて就職した職場でストレスを感じて全身蕁麻疹を経験していたので、もしかしてまたストレスで蕁麻疹が出たのかと思いました。たしかに、最近ストレスを感じることがたくさんあり、小さな事でイライラしていました。


家事、仕事、ダイエットにジム、自分の時間を作りたくても作れないイライラと、思うように体重が減らないこと&何か食べるとすぐに体重が1,2キロ簡単に増えてしまうこと。(糖質制限ダイエットのせいで太りやすい体質になっていました)
それに加えて、職場でも思うように物事が進んでいませんでした。日本人独特の、他の人の分まで仕事をしてしまい、結果自分の負担が大きくなっていました。オーストラリア人は基本的にのんびりで、怠けていても自分を責めません笑 それをわかっていても上司はその人に対して何も言いませんでした。
ストレスのせいなのか、生理も毎月遅れるようになり、旦那は旦那で、

「万が一生理が遅れている理由が妊娠なら、子供はおろせ」

というのです。これが半年ほど続きました。妊娠を受け入れないなら避妊してくれと頼んでも、それはしないという、ものすごく我がままな、許されることのない行為と言動を繰り返したことに対して、私は耐えきれなくなっていました。


全身蕁麻疹が出たのは、こんな事が続いていた時でした。明らかにストレスが原因以外の何ものでもない。。
しかし、全身蕁麻疹だけでは済まなかったのです。体全身が痒いことに加え、喉に違和感を感じたのです。これは今までに経験したことがなかったので、どうしていいのかわからなくなっていました。旦那にも相談しましたが、蕁麻疹すら経験したことのない旦那もどうしていいのかわからずじまいでした。祝日だったので病院もやっていません。病院に行くなら緊急病棟に行くしかありませんでした。


とりあえず、アレルギー反応を抑える薬を飲み、様子を見ることにしました。これで喉の異変が変わらなければ緊急に行こうと考えました。10分くらいすると、喉の違和感は少し和らぎ、蕁麻疹も少しだけおさまりました。しかし、蕁麻疹はまだ痒みが残っていて、夜になっても消えません。薬は1日1回と書いてあったので、それ以上飲むことは出来なかったのですが、4,5時間後にまた異常な痒みに襲われ、ベッドに寝ることも出来ません。体が温まると痒みが一層増すので、冷たいタオルで体を抑えるしかありませんでした。夜間医療サービスという電話をかけて質問が出来る所があるので、電話をかけて状況を説明すると、薬は24時間に1回と書いてあるのは副作用が出るからであって、2回目飲んで車などの運転をしないのであれば服用してもいいとのことでした。しかし、そんなに症状が出ているのなら、次の日必ず病院に診察に行くことを進められました。とりあえず薬をもう一度服用し、次の日になるのを待ちました。


朝起きてみると、赤みは残っているものの、膨らみはだいぶ引いていました。痒みは少しありましたが、眠れないほどではなくなっていました。念のため仕事は休み、病院に行ってきました。蕁麻疹とのどの違和感だけでは何の病気かも、何がキッカケになっているかも判断できないので、とりあえず同じ薬と飲んで様子を見ましょうとのことでした。


この日がキッカケに、私のこの症状は毎月続くようになりました。蕁麻疹が出たのはこの時だけでしたが、喉の違和感が1か月に1回、多い時には2回出るようになったのです。
違和感というのは、呼吸は出来るのですが何か喉に引っかかっているような感覚があり、咳が無意識に出てその異物を体外に出そうとするのです。その咳をした際に、異物が出てくるのではなく、血を吐くことがありました。明らかに喉か食道周辺で何かが起きているのです。しかもこの症状が出るのは決まって食事の最中です。最初のうちは、実際に食べ物が引っかかっているのか、もしくはある一定の食べ物に対するアレルギー反応か?と思い、この症状が出始めてから数ヶ月後に、アレルギーテストをしに病院に行きました。私立の病院に行って検査をしたので、一回のテストで2万円以上かかります。結果、何のアレルギーにも当てはまりませんでした。


アレルギー担当の先生の勧めで、Endoscopy(内視鏡検査)に行けと言われました。これも私立の病院で受けると、5万円以上かかるので、公立に病院に検査をしに行くことにしました。私立の病院だと、費用はかかりますが待ち時間が短いということ、公立は待ち時間が下手したら数ヶ月以上先になるというデメリットがあります。とりあえず喉の異変が出ても、大抵10分ほどでその異変は収まるのでとりあえず公立の病院に予約を入れておきました。

思ったより早く空きが出て、1か月半ほどで検査をしてもらうことが出来ました。

結果、異常なし。


もう検査のしようがありませんでした。とりあえず私にできることは、自分にストレスをなるべくかけない方法を探すしかありませんでした。


私がこのストレスを軽減するためにした事

☆ダイエットをやめる
過激な運動と食事制限を気づかないうちに続けていたので、運動を週5日の頻度ですることを辞め、食事も健康的な食事を取るように心がけました。


☆ジムを退会すること
ジムに行きたいときに行けないことにストレスを抱えていたので、この際、ジムを退会することによってその行けないストレスをなくすことを考えました

☆職場を変える
資格を取得する際に始めた職場で、全てを学ばせてもらった場所ではありましたが、他の怠けもの達と一緒に仕事をすることに不満があったので、他の職場に移動してみることにしました。

☆旦那との夫婦生活にリミットを作る
私は心のどこかで3人目が諦められずにいました。そのことを旦那にも言っていましたが、旦那はそれに対して大反対。その割には避妊をしてくれないことにストレスがあったので、避妊をしないなら夫婦生活はこの先一切しないこと、もしくはVasectomyパイプカットをすること。

※パイプカットとはオーストラリアではすごく主流で、男性が避妊手術をする方法です。


これらを順番にクリアしていきました。


面白いことに、毎月のようにあったあの喉の違和感が、ストレスと1つずつ軽減していく事に頻度が減っていったのです。

ジムとダイエットを辞めたあと、毎月あったあの違和感は、2か月に1回になりました。
次は旦那が手術をすることを決心してくれて、術日を予約し施術をした時から、症状が数ヶ月に1回に減っていきました。
そして最後に、職場を変えたことに大きな変化がありました。新しい職場に変えてから半年以上症状が出なかったのです。


これは本当に驚きました。病院の先生から病名を言われたわけではありませんでしたが、色々自分なりに症状とストレスの関係性などをリサーチした結果、おそらくこの病気だろうということがわかりました。


Globus sensation: Causes of a lump in the throat
咽喉頭異常感症(いんこうとういじょうかんしょう)



ストレスは人間にとって本当に悪いことです。健康に害を及ぼします。健康が一番ですね。何事もやりすぎるのは本当によくありません。自分の体験によって、改めて健康の大切さを身に染みて感じることができました。












posted by Mookie at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気

2022年04月16日

ダイエットの落とし穴

1年半もの間、資格を取るために勉強をしていたことによって、体を動かしたい欲が出てきたことをキッカケに入会を決めたジムメンバーシップ。


1週間に4〜5日間ほどはジムに通っていました。


始めのうちは、仕事のシフトが昼間の3時間だけだったことで、朝子供達を学校に送り出した後、仕事が始まる前にジムに行くというルーティンになっていましたが、仕事が週4日で朝から夕方までの8時間労働に変わったことにより、今までのルーティンを変えざるを得なくなりました。


仕事が9時半〜6時。仕事が終わってから家に帰宅し夕飯を作っていたら全てが遅くなるので、朝に夕飯を作っていました。朝5時半に起床、子供達の学校のランチを作ってから子供達を起こします。準備を手伝い、朝食を作って食べさせます。食べさせてる間に夕飯の準備をしました。子供達の日本語の勉強を朝30分間習慣にしていたので、勉強を手伝い、それから学校に送っていきます。一旦帰宅し、片付け、掃除、洗濯を済ましてから仕事に行くので、朝は大忙しでした。仕事が終わって帰宅すると、夕飯はもう出来ているので温めて食べさせるのみ。子供達を8時までに寝かしてから、私はジムへ向かう。というルーティンになっていたので、毎日が忙しすぎて時間が足りないと感じていました。


こんなルーティンに変わって数ヶ月経ったとき、自分でストレスを感じていることに気づきました。子供達が8時までに寝てくれない時、旦那が夜子供達の寝る準備の手伝いをしないで呑気にテレビを観ているとき、小さいことにイライラすることが増えてきました。


「子供達が寝てくれないと私はジムに行けない」


どこかで焦りを感じていました。


ジムに行き始めて半年以上が過ぎていました。運動したい欲があったことをキッカケに通い始めたジムでしたが、行き始めて4か月が過ぎた頃には、体重が5キロは軽く減っていました。体を動かしたくて毎日ランニングを楽しみ、それに加えておもしろいほどに体重がみるみる減っていき、今まで着ていた洋服がどんどん緩くなっていきました。ジムに行くことにハマり、ダイエットが上手くいっていることに喜びを感じていました。


家事と仕事をこなすことに負担を感じているわけではありませんでしたが、夜8時以降にジムに行くことに少し疲れを感じていました。丸1日忙しく過ごしていたので当たり前なのですが、それでも子供達も旦那もいない自分だけの時間を作りたい、自分のルーティンを崩したくない、運動しないといけない感に襲われ、ジムに行く時間がどんどん遅れていることにイライラし、ジムに行くことが前ほど楽しめていませんでした。


その頃から体重が減らなくなってきました。ジムに行ってどれだけ走っても、前のように気持ちいい、楽しいと思うことが減ってきたのです。



そんな時、夜な夜なYoutubeやテレビで「糖質制限ダイエット」という言葉をよく聞くようになっていました。主食を抜けば体重が落ちるんだ!?とすぐに影響され、その頃からジムに行って運動することにプラスし、糖質カットの食事に変えていきました。主食をカットすることによって、体が糖を欲しがって今まで食べていなかったお菓子などを異常に欲しがるようになりました。お菓子を食べたらせっかくここまで痩せたのにまた太ると思い、ランチをスイカのみにしてみたりでもプロテインは取らないといけないと思い、肉とサラダのみ、のような体には悪影響な食生活になっていきました。そんな生活を続けて数ヶ月が経った頃、体重がさらに減って、その頃までには8キロ減になっていました。


当時の私は、食事制限と運動で健康に痩せたと思い込んでいました。周りからも痩せたねーという言われることが増えて、嬉しく思っていました。人生痩せてた時期がなかった私は、小学生の頃に太っていた事がキッカケでいじめに合ったりと、どこかしらで太っていることにトラウマがありました。30歳を超えてから痩せて標準体型になったことをすごく嬉しく感じていました。


痩せたことは嬉しかったのですが、もうその頃にはちょっとした摂食障害になっていたのかもしれません。日本で洋服のサイズがSサイズになったことがなかった私は、Sサイズがすんなり入ることに喜びを感じていたのですが、その反面、食べ物に対する欲が日増しに増えていきました。家族と仕事があることによって、自分の思うようにジムに通えないことにストレスを感じている事が続き、小さなことでイライラすることが増えていきました。


そこで気づいたのが、ほんの少し糖質を取った時には、体重が信じられないくらい増えるのです。食に対する欲が増えてきて、少しだけならとパンを食べたり、ごはんを食べた次の日には、簡単に1キロほど増えているのです。今までの努力はなんだったんだ!?とまたさらにイライラし、体重が数百グラム増えているだけですごく気にしていました。



これがいわゆるダイエットへの落とし穴です。。。



この後、私の体に異変が起き始めます。。。自業自得ですね。。。私の体の異変に関しては次のブログで。。。














オーストラリアで保育士

1年と半年かけて、ネットでの勉強を通して保育士の資格を取得し終わりました。長かった〜あせあせ(飛び散る汗)


実技検定があり、同じ職場の上司に子供達との接し方、アクティビティの用意、準備の仕方、カリキュラム制作まで全てチェックが入ります。36ユニット全てにテストがあり、ひとつひとつ丁寧に確実にクリアしていきました。

日本の幼稚園のように、歌かピアノが出来なければいけないという審査はないのですが、20人ほどの人数を集めてグループセッションをする能力が試されます。自分が幼稚園に通っていたときの記憶がはっきりあるので、日本の幼稚園とはかなり違うことが多く、日本では全員の生徒が同じアクティビティをすることが多いですが、オーストラリアのチャイルドケアでは、同じアクティビティをする、プラスで、一人一人の個人の得意&苦手分野を伸ばすためのカリキュラム制作もあります。



これを英語でこなすことの大変さ、本当に身に染みて感じました。英語の童謡すらも知らなかったので、Youtubeなどで色々調べて、覚えたい曲をノートに写し、歌詞を暗記することから始めました。夜、自分の子供達が寝静まったあと、イヤホンをつけて童謡を歌う練習、ダンスの練習をしました。

その甲斐があって全ての試験に受かり、無事、オーストラリアでの保育士の資格Child Care Education Diplomaを取得することが出来ました黄ハート


やり終わって、とにかく一安心。。。と思いきや、1年半かけて勉強してきた書類関係の書き方など、これらが永遠と続くことを知らされます笑


オーストラリアでのチャイルドケアの仕事は、とにかく書類関係の仕事が多い。生徒それぞれ一人ずつのプランがあるので当たり前なのですが、英語で記述することに時間がかかる私は、職場で仕事を終わらすことが出来ず、家に帰ってきてから夜書き物の仕事をするという事が続きました。

個人のプログラムに加えて、クラス全員のアクティビティプランもプラスされるので、頭が爆発しそうでした。。


これらの仕事をこなした上に、もちろん子供達の世話と、親御さん達とのコミュニケーションが加わってくるので、この仕事の量になれるまで、Diplomaの資格は取りましたが、Cert3というDiplomaのサポートの仕事を半年ほどしながら仕事に慣れることから始めました。

長い間ランチカバー(他の先生達がランチ休憩をしている間にヘルプに入る仕事)のポジションの仕事をしていたので、書類関係や、親達とのコミュニケーションは一切したことがありませんでした。資格は取り終わっても、まだまだ学ぶことがたくさんありました。


ランチカバーの仕事をしていた時は、Baby Room(0〜2歳児)、Toddler Room(2〜3歳児)、Kindy Room(3〜5歳児)の部屋と転々としていたので、子供達全てを把握していました。その後、ToddlerとKindy Roomでは長い間働きました。クラスの担任ポジションではなく、自閉症の子供の担当でした。みんなと同じくグループで集まったり、同じアクティビティとしたり、順番を守ったり、というのがその子にとっては難しかったので、その子の親と会話をしながら、どのようにサポートしていくかを考え、1対1で過ごしました。一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、自分の子供のように情が沸いてきました。自閉症の症状に詳しくもなかった私は、私なんかが担当していいのだろうか?と疑問に思いながらも、出来る限りのサポートをしていくことで、その子供を通して色々学んでいくことが出来ました。わからないながらも、一生懸命接していた姿に、その子の親御さんはすごく感謝してくれていて、私も色々学ばせてもらったことに感謝し、お互いにすごく良い関係を作ることが出来ました。



この経験があってから、その後、Baby Roomに移るように言われました。この部屋の担当になって最初の半年は、書類関係の作成、子供達のルーティーンを知ること、親達を知ることなどに集中し、Diplomaの資格はあってもCert3というDiplomaのサポートをする仕事に回って、Room Leaderルームリーダーの仕事を学んでいきました。


それから半年ほど経ち、当時一緒に仕事をしていたDiplomaの先生が別な職場に移動することとなり、私が資格があることからルームリーダーのポジションに立つことになりました。半年ほどかけてDiplomaの仕事内容を学んできてはいましたが、いざそのポジションに立つとなると、すごいプレッシャーでした。それでも自分の出来る限りのことはしていこうと決め頑張りました。

結果、職場のオーナーから仕事を認めてもらい、それからBaby Roomの親御さんからの評判がすごく良くなり、仕事へのやりがいもどんどん感じられるようになりました。



英語が出来ないことを不安に、何も始めないでいたらそのまま何も変わらず、出来ないながらも何か1歩足を踏み出すと、自分でも思ってもいなかったことが出来るようになったりするので、やはり行動力は大事だなと思いました。












posted by Mookie at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 資格

2022年04月15日

オーストラリアのジムでエクササイズ!!

私は1年半ほど、保育士の資格を取得するためにインターネットで勉強していました。



勉強する時間は、基本的には夜です。朝は娘と息子を学校に送り出す準備をし、お弁当を作って学校に一緒に向かいます。オーストラリアでは日本と違って小学校3年生くらいまでは子供達だけでの登校は基本許されません。親が送り迎えすることになっていて、仕事などで出来ない場合は、Before School Care&After School Careといい、学校の前後の預かりに入れるか、もしくはベビーシッターさんにお願いします。


私の当時の仕事のシフトは、ランチカバーといって他の先生達がランチ休憩に入るときにその先生の代わりにクラスに入る仕事で、基本的にはランチ時間のみの仕事になるので、昼11時〜2時までが私の仕事時間でした。なので朝子供達を学校に送り出した後から仕事が始まる時間まで2時間ほどあったので、その時間に何かしたいと考えました。


夜子供達を寝かしつけてから始まる私の勉強時間。夜8時半頃スタートで、11時くらいまでは頑張っていました。もちろんその日の気分によって左右されたり、疲れていると集中できないので早めに切り上げる時もありました。その勉強中のお供に、濃いコーヒーとチョコレートをパソコンの横に常に置いておくというのが習慣になっていました。夜に食べない方がいいのはわかってる・・・けど甘い物がないと頭が働かない。。

言い訳ですね。。。


資格取得の勉強も終わりが見えてきた頃、1年半もの間毎日パソコンに向かって勉強していたので、肩こりもひどいし、体が重く感じました。(ただ単に太っていただけですか・・・笑)

もう少しで勉強から解放される嬉しさと一緒に、体を動かしたい欲が沸いてきました。昔からスポーツが嫌いなわけではなく、いわゆる、若い頃は「割と動けるデブ」でした。小学生の高学年、中学でダンスにはまり、、テニスに長距離走などなっていました。


体を動かしたい感がある間に、何かフィットネスクラス的なものに参加すれば、めんどくさいな〜と思う時があったとしてもお金払ってると思えば続くのではないか!?という考えから、近所のジムに申し込みすることにしました。実際にジムに行ってみると、色々説明されました。

☆メンバーシップが2通りあるということ。

・ジム内にある器具を好きな時に好きなだけ利用する
・ジム内にある器具を好きな時に好きなだけ利用する&フィットネスクラス


ジムは24時間営業で、自分のライフスタイルに合わせて好きな時間に来ていいとのことでした。
この2つのメンバーシップは値段が週に10ドルほど違いました。私はフィットネスクラスにも興味があったのですが、(バイク、ヨガ、ボクシング、HIITなど)他にも色々ありました。時間割表を見せてもらうと、私がジムに来れる時間帯、朝9時〜10時半、夜8時以降にやっているフィットネスクラスがあまりにも少なすぎました。夜のセッションは一番遅くて7時から。子供達を寝かせる準備やら何やらで、とても家を出れる時間ではありません。旦那に頼むことも出来ますが、頻繁に続いたらグダグダ言われそうなので気が乗りませんでした。週末は割と受けれるセッションがあったのですが、平日はほぼゼロに近かったので、とりあえずはジムの器具利用だけするメンバーシップに登録することにしました。



さっそく子供達を学校に送り出した後にジムに向かってみると、ムキムキ兄さん達が大袈裟なほどの声を出しながらトレーニングしています。そんな中、私は器具の使い方がよくわからないので、フロントのお兄さんにとりあえずはシンプルにランニングマシーンとバイクの使い方と教えてもらい、カーディオ中心にやっていくことにしました。

高校を卒業してからろくに運動らしい運動をしたことがない私は、あんなに長距離走で鍛えた持久力もほぼゼロに近いほど、全然走れません。あれ?と思いながらも、もう30歳超えてるからこんなもんか?と思い、ケガをしない程度から始めていくことにしました。その器具にもよるのでしょうが、初めのうちはランニングマシーンで10ラップから始めました。マシーンの画面に学校の校庭にあるトラックの絵が映し出されていて、どのくらいのスピードで、何周走ったか計測されます。それを基準にとにかく走る、初めの一か月はただただ走るだけというのを続けていきました。


朝9時〜10時まで走り、家に帰ってシャワーをして着替えて仕事、という生活を続けていって1か月ほどで、自分でも驚きましたが、2キロ減っていました。今までどれだけ運動をしていなかったかを思い知らされた感じです。たった2キロ減っただけでも、だいぶ体が軽く感じ始めました。体重が減り始めると少しずつ楽しくなっていきました。


ジムに通い始めて2か月が過ぎた頃には、10ラップから15ラップ走れるようになっていて、走るスピードも最初はレベル7だったのが、9か10になっていました。体が慣れてきていました。気分転換に、天気が良いときはジムだけじゃなく外で走ることも始めました。景色が変わっていくので、外で走るのも気持ちが良かったです。

ジム通いから3ヶ月が経ったくらいから、ランニングマシーンだけではなく、筋トレに使う器具にも挑戦してみましたが、こちらはパーソナルトレーナーがいるわけではなかったので、(PTが必要ば場合は別途で支払います)上手く使いこなせずに、長続きしませんでした。お試しで無料でパーソナルトレーナーに診断してもらいながら、自分の体の変えたい所を中心にトレーニングするプログラムを組んでもらいましたが、私のやり方&器具の使い方が悪いせいか、全然効果が出ませんでした。


結果また走るだけか、バイクのみのカーディオ中心のエクササイズを続けていました。

ジムに通い始めて4か月が過ぎた頃、保育士の資格を無事取得することが出来、勉強から解放されました。そしてまたさらに体重は減り、その頃には5キロ減を達成していました。良いことだらけが続き、運動だけでここまで減るなら食事制限を始めたらもっとダイエットが続くのではないかと思い、食事にも気をつけるようになりました。勉強中のお供であったチョコ&コーヒーを辞めました。


ちょうどその時、職場のオーナーからフルタイムにならないかという誘いがあり、資格も取り終えたところだったので、娘の習い事がある曜日以外なら働けるということを伝え、週4日間朝から夕方までの8時間労働に切り替わりました。よって、朝ジムに行っていたルーティーンが変わってしまい、夜子供達を寝かしつけた8時以降ジム通いするというルーティーンに変わりました。


1日仕事をして帰ってきてから家の事をして、それからのジム通いは、なかなかしんどいものがありましたが、高校卒業後10年以上運動してこなかった私がまた運動を生活に取り入れていくことが出来るようになったことに、自分で嬉しく思っていました。












2022年04月14日

オーストラリアで保育士になるための勉強、仕事、子育てと家事両立!!!

チャイルドケアの資格を習得するに当たって、職業体験を240時間以上必要とされました。

色んな幼稚園や保育園にレジメ(履歴書)を持って行き、ようやく働く場所を見つけました。子供を託児所に預けながらボランティアで職業体験では金銭的にもキツイので、給料をもらいながら勉強も一緒にしていく環境を見つける事が出来て本当に良かったです。「ランチカバー」と言って、名前のとおり他の先生がランチ休憩をしている間だけ仕事をカバーするポジションです。



今まで家の近所のチャイルドケアに子供達(娘&息子)を預けていたのですが、娘はPre-Primaryと言って、学校の敷地内に付属してある、小学校の練習場所に通うことになりました。小学校と同じ時間割に沿って生活するので朝8時〜2時40分まで学校で過ごします。
息子はというと、私の仕事がまだランチカバーというポジションで昼11時〜2時の3時間だけの仕事なので、チャイルドケアに1日預けて仕事するとなると1日の幼稚園費用を稼げないまま仕事を終えてしまうので、新しい職場に相談して私が働いている間、息子も一緒に来てもいいかと聞いてみました。そしたらもちろんOKと言ってもらい、従業員が自分の子供を預けるには費用も割引対象になるとの嬉しいニュースまでもらいました。


私が働いている間、息子は職場に一緒に来れて、そして午後には娘の学校が終わるまでに迎えにも行けるという、私の生活スタイルにピッタリすぎて本当に感謝しかありませんでした。


ただ、1つだけ本当に心苦しいことがありました。息子を一緒に仕事場に連れていけるのは良かったのですが、私が働いていたチャイルドケアには部屋が3つありました。

Baby room 0〜2歳児
Toddler room 2〜3歳児
Kindy room 3〜5歳児

私は仕事柄ランチカバーというポジションなので、全部の部屋を回って他の先生達のサポートに周ります。
それを良く思わなかった息子。。。私が一緒にいてくれると勘違いしていたのか、同じ部屋にいないことに対してすごく怒り、癇癪を起すことが多々ありました。仕事を始めたばかりの頃は本当に大変で、息子はまだ3歳前でした。年齢的にもう少しで3歳ということで、Kindy roomに入ることになりました。私が他の部屋に仕事で行かなければいけない時、息子はKindyの先生がやさしくサポートしてくれているのにも関わらず、体全てを使って抵抗し、私についてこようとしました。ひどい時には、息子を抱っこしようとしてくれている先生に向かって手を上げたりしていました。これには私も困り、落ち着かせるために息子に話しをして聞かせることの繰り返しでした。日本の幼稚園ではどうかわかりませんが、オーストラリアでは親がいる手前でも、その子に対して真剣に怒り注意します。毎回仕事に行くたびに息子が暴れるので、初めの1か月目は、キンディ担当の先生から息子は毎回注意されて泣いていました。それに背を向けるように他の部屋に仕事をしに行かなくてはいけなくて、すごく心苦しくて、やはり息子は違うチャイルドケアに入れて私は仕事に集中した方がいいのではないかと考えるようになりました。


仕事を始めて数ヶ月経った頃、ランチカバーの仕事の日数が増えました。初めは週1日のときもあれば、週3日入る日もあり、まちまちでした。そのせいか、息子がチャイルドケアのルーティーンに慣れることがなく、グダグダ時間が過ぎてしまっていたのですが、日数が増えたことにより、一緒にいる人達に慣れてきてくれて、職場に着いたときに泣くことが少なくなってきました。私が違う部屋に移動する時には、あらかじめ10分ほど前から、次は○○の部屋に行くからね、と声をかけてあげることによって、息子の気持ちの準備が出来るようになりました。その頃、まだ3歳を過ぎてすぐの時でした。たった数ヶ月で色々学んで成長してくれたなと嬉しく思いました。


それから半年くらいランチカバーの仕事を続けて、勉強も順調に進んでいるときでした。職場のオーナーからこんなことを言われました。


「最近よく頑張っている姿を見れて、嬉しいよ。○○(息子)もキンディクラスに慣れてきたみたいだし、そろそろランチカバーだけじゃなくフルタイムの仕事も考えたらどう?」


嬉しい言葉でした。ただ、私はまだ自分の仕事と英語力に自信が持てずにいました。フルタイムになるイコール、週5日で仕事をし、娘の学校が終わった後もAfter School Care放課後の預かり施設に入れなければいけなくなること、そして一番大きいのは、勉強の両立が出来る自信がありませんでした。ランチカバーだけの仕事であれば、仕事がない日など息子が昼寝をしている間や、子供達が夜寝た後に勉強をする時間を作っていました。週5日で働くとなると、勉強する時間が夜しかないことと、英語で勉強する大変さを身に染みて感じていた時だったので、とても嬉しいお誘いでしたが、資格の勉強がせめて半分以上終わってからまた考えさせてください、と返事させてもらいました。オーナーはそれに対しても、


「そっか、わかったよ。準備が出来たらまたいつでも話においで」

と言ってくれました。本当にありがたいの一言でした。


勉強の方はというと、職場の先輩たちに色々教えてもらいながら順調に進めていき、2年以内に資格を取得しなければいけないリミットがあったのですが、自分の英語力のなさを心配しすぎて最初からスピードを上げて
頑張って勉強していたので、なんだかんだでネイティブの学生さん達よりも進みが早いほどでした。


資格を取得するうえで必要となる就業時間240時間は簡単に過ぎていき、仕事を始めて1年が過ぎた頃には、勉強の70%が終わっていました。残り1年間で30%を終わらせれば、チャイルドケアの資格を取得できます!!子供の頃、あんなに勉強嫌いだった自分が、まさか外国で、母国語以外の言葉で資格を取ることになるとは思いませんでした。自分で自分に驚きました。


しかし、資格の最後の方になればなるほど、責任のある分野に入っていき勉強もますます難しくなっていきました。この資格の一番最初に、法律関係のユニットがあり、その時にはわからな過ぎてだいぶ落ち込みましたが、最後の方もカリキュラム作成から、Quality Improvement Planと言い、その分野をさらに良くするために対策を考えて実行するプランを作成するなど、先生のアシスタントやサポーターの経験しかない私からは想像も出来ない責任感重大な書類作成に入っていきました。


これさえ終わればもうすぐ資格取得!!!


そればかりを考えて仕事と勉強、育児と家事、全てをこなし、がむしゃらになっている時期でした。



資格習得に終わりが見えてきた頃、職場のオーナーがまた声をかけてきてくれました。


「もう少しで資格取れそうじゃない?フルタイムになることは考えてくれたのかな?」


もうこの時は二つ返事で「ハイ」と答えました。正確にいうと、フルタイムというよりは、週4日に希望を出し、ランチカバーの仕事から、朝から夕方までの7.5時間労働になりました。毎週水曜日に娘の習い事があったので、それを削ってまで仕事を優先するのが娘に申し訳なくて、週4日で仕事を希望したらそれでもいいということだったので、結果、チャイルドケアの資格を取り終える前にきちんと仕事をすることになりました。ランチカバーは、書類関係の仕事もなく、親達との関わりも一切ないので、約8時間働くようになって初めて、お世話をしている子供達の親御さん達と面識を持つようになりました。



私の仕事と家事、勉強の両立はこうやって嵐のように過ぎていきました黄ハート


















posted by Mookie at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 資格
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