2022年04月12日
オーストラリアの学校で日本語教師アシスタント
観光地エリアのホテルでの掃除の仕事を7,8ヶ月ほど経験しましたが、季節的に冬は忙しくなく、仕事が急遽なくなることが立て続きました。子供達を預けて仕事に来ているのに、自分は仕事がないという状態でした。これでは保育園代ばかりが飛び、給料が入ってこないということになり兼ねないので仕事を変えることにしました。
そこで手に職がない私に何が出来るかと考え思いついたのが、自分の子供達に日本語を教えてきた経験を活用できないかということ。日本人のママグループの中に、ローカルの高校で日本語を教えている先生がいました。その方が前に、
「日本語教師のサポーターに興味がある人はいつでも声をかけてください」
と言っていたのを思い出したのです。高校での仕事だったら、娘が学校に行っている時間内に出来る仕事だということもあり、それにオーストラリアの高校生がどんな勉強の仕方で日本語を勉強しているのかということに、単純に興味がありました。さっそく日本語を教えている友達に連絡をしてみました。すると、
「サポーターの仕事はいつでも入ってもらって構わないけど、給料が出るわけではなく、ボランティア活動の一環なので、1週間に1回、$30のガソリン代が出るだけ」
とのことでした。教師のヘルプという立場は、Teacher's assistant アシスタントの資格が必要になり、それに加えて、その教師がアシスタントを希望したとしても、学校側のアシスタントを雇う費用が足りなければ契約が不可能とのことでした。確かに何度か聞いたことがありました。アシスタントだけに限らず学校関係の仕事は、結構コネが必要で、人との繋がりが仕事を繋ぐということを。
少しガッカリはしましたが、アシスタントの仕事に少し興味を持ち始めていた時だったので、とりあえず経験を積む意味で仕事をさせてもらうことにしました。この先、履歴書にも高校でのアシスタントの仕事をしたことを記せるので、それは何かしらプラスになるのではないかと考えました。
アシスタント当日。学校に出向くと、フロントオフィスでサインインするように頼まれ、名前と連絡先を記入しました。これはボランティアで校内に入る人全てが毎回しなければいけない事らしいです。それから担当の先生が来るのを待つように言われました。数分すると、ママグループでの雰囲気とは少し違う友達が、奥から歩いてきて、教室に案内すると言ってくれました。
担当する学年は、Year7〜12(中学1年生〜高校3年生)で、時間割毎で移動します。私の最初のクラスは、Year7です。子供達は私をジロジロ見て、私の友達に
「この人だれ〜?」
と子供らしい質問をしていました。友達は、
「今日から一緒に勉強を手伝ってくれるアシスタントの先生だよ」
と生徒に紹介してくれました。すぐに授業は始まり、日本の学校と同じように出席確認からスタートしました。Year7ということで、日本語の授業はまだ始まったばかりの年なので、ひらがなゲームなどがメインでした。私の仕事は、カードを黒板に貼って発音させたり、プリントを配って書き方を教えたりというシンプルなものでした。Year7の授業は初級ということで、私でも手伝えることが多かったように思います。
次に手伝ったクラスはYear9(中学3年生)でした。Year7と比べると、子供達がもう子供達ではなく、体も大きく、日本人の私は誰よりも体が華奢に見えました。体格が全く違い、上から見下ろされるような雰囲気です。体の大きさだけ迫力があったわけではなく、授業が始まってすぐにYear7との違いに気づきました。授業態度がものすごく悪いのです。私を見てすぐに、
「なんだコイツ!?」
と近づいてきてから、ガンつけてきました。私が席に戻るように言うと、
「はぁ?指図してんじゃねー」
それを見た私の友達が、
「アシスタントの先生にその態度と口の利き方を気をつけなさい。次やったら生活指導の先生を呼びます」
と慣れた感じで生徒に注意していました。友達曰く、あの生徒がクラスのリーダー的存在で、クラス内の7,8人の生徒達を引き連れて何かしら問題を起こしているそうです。ただ、生活指導の先生に会いに行かされると、生徒それぞれの点数的ものがあるらしく、それが減点されて学校の成績に響くシステムになっているそうです。
なるほどな〜と思いながら、どんな仕事でも楽なことばかりではないなと実感する体験になりました。
アシスタントの仕事をするようになって数ヶ月経った頃、悪さに拍車のかかった生徒が、私に向かって鉛筆を投げてきました。背中に当たったので、誰が投げたかはわかっていましたが、「鉛筆を投げたは誰ですか?」と聞くと、やんちゃグループの子供達が笑いを堪えているのがわかりました。そのグループの中の一人が次は堂々と私に向かってさらに鉛筆を投げながら罵声を浴びせてきました。私の友達がそれを見て、
「はい、あなた達生活指導の先生に会いに行きましょう」
と生徒達を指名すると、「はぁーー!?何もやってねーし!!」とあからさまな態度を取りながらも、連れて行かれていました。
Year9の生徒はかなり荒れている雰囲気でしたが、そのグループの子達の態度が悪いだけで、クラスの半数の子供達は静かに授業を聞いていました。他の学年も色々担当しましたが、Year10〜12のクラスは、基本的に真面目な授業態度だったというイメージです。レベルもぐっと上がり、日本語で文章を作ったり、会話編に移ったりと、授業内容がとても興味深かったです。
Year11(高校2年生)の生徒の中には、日本語の授業を通じて日本の文化に興味を持ち、日本への留学を決めた生徒達もいました。
私がアシスタントの仕事を始めて1年数ヶ月経った頃、日本語教師をしていた私の友達が、他校での日本語教師の仕事に受かり、転職することになりました。それによって、私のアシスタントとしての仕事もここで終わりとなりました。
私はアシスタントの資格について色々調べました。結果、教師のアシスタントという仕事は、上記でも言ったとおり、知り合いのコネが大事になってくるということと、アシスタントとしての就職率が割と低いということ。それから教師アシスタントの資格を取っても確実に就職先が見つかるかどうかはわからないと言う事。もちろん、たまたま仕事が見つかるケースもありますし、オーストラリアは特に行動次第なので、交渉次第ではうまくいく可能性もあります。
ですが、これらを踏まえて、他の資格を取ることも視野に入れながら考え始めました。せっかく1年以上も教師アシスタントとしての仕事をしてきて経験も積んできたのに、この経験を無駄にしたくないという思いもあり、この経験を活かせる上に、他の仕事も出来る資格を探し、ついに見つけたのです。それについては、次のブログで紹介します。
私の友達が転職するということで、同じ学校で一緒に働くことは出来なくなってしまいましたが、それをキッカケに、自分で出来る他のことを見つけたので、また新しいことに向かって歩き始めます
そこで手に職がない私に何が出来るかと考え思いついたのが、自分の子供達に日本語を教えてきた経験を活用できないかということ。日本人のママグループの中に、ローカルの高校で日本語を教えている先生がいました。その方が前に、
「日本語教師のサポーターに興味がある人はいつでも声をかけてください」
と言っていたのを思い出したのです。高校での仕事だったら、娘が学校に行っている時間内に出来る仕事だということもあり、それにオーストラリアの高校生がどんな勉強の仕方で日本語を勉強しているのかということに、単純に興味がありました。さっそく日本語を教えている友達に連絡をしてみました。すると、
「サポーターの仕事はいつでも入ってもらって構わないけど、給料が出るわけではなく、ボランティア活動の一環なので、1週間に1回、$30のガソリン代が出るだけ」
とのことでした。教師のヘルプという立場は、Teacher's assistant アシスタントの資格が必要になり、それに加えて、その教師がアシスタントを希望したとしても、学校側のアシスタントを雇う費用が足りなければ契約が不可能とのことでした。確かに何度か聞いたことがありました。アシスタントだけに限らず学校関係の仕事は、結構コネが必要で、人との繋がりが仕事を繋ぐということを。
少しガッカリはしましたが、アシスタントの仕事に少し興味を持ち始めていた時だったので、とりあえず経験を積む意味で仕事をさせてもらうことにしました。この先、履歴書にも高校でのアシスタントの仕事をしたことを記せるので、それは何かしらプラスになるのではないかと考えました。
アシスタント当日。学校に出向くと、フロントオフィスでサインインするように頼まれ、名前と連絡先を記入しました。これはボランティアで校内に入る人全てが毎回しなければいけない事らしいです。それから担当の先生が来るのを待つように言われました。数分すると、ママグループでの雰囲気とは少し違う友達が、奥から歩いてきて、教室に案内すると言ってくれました。
担当する学年は、Year7〜12(中学1年生〜高校3年生)で、時間割毎で移動します。私の最初のクラスは、Year7です。子供達は私をジロジロ見て、私の友達に
「この人だれ〜?」
と子供らしい質問をしていました。友達は、
「今日から一緒に勉強を手伝ってくれるアシスタントの先生だよ」
と生徒に紹介してくれました。すぐに授業は始まり、日本の学校と同じように出席確認からスタートしました。Year7ということで、日本語の授業はまだ始まったばかりの年なので、ひらがなゲームなどがメインでした。私の仕事は、カードを黒板に貼って発音させたり、プリントを配って書き方を教えたりというシンプルなものでした。Year7の授業は初級ということで、私でも手伝えることが多かったように思います。
次に手伝ったクラスはYear9(中学3年生)でした。Year7と比べると、子供達がもう子供達ではなく、体も大きく、日本人の私は誰よりも体が華奢に見えました。体格が全く違い、上から見下ろされるような雰囲気です。体の大きさだけ迫力があったわけではなく、授業が始まってすぐにYear7との違いに気づきました。授業態度がものすごく悪いのです。私を見てすぐに、
「なんだコイツ!?」
と近づいてきてから、ガンつけてきました。私が席に戻るように言うと、
「はぁ?指図してんじゃねー」
それを見た私の友達が、
「アシスタントの先生にその態度と口の利き方を気をつけなさい。次やったら生活指導の先生を呼びます」
と慣れた感じで生徒に注意していました。友達曰く、あの生徒がクラスのリーダー的存在で、クラス内の7,8人の生徒達を引き連れて何かしら問題を起こしているそうです。ただ、生活指導の先生に会いに行かされると、生徒それぞれの点数的ものがあるらしく、それが減点されて学校の成績に響くシステムになっているそうです。
なるほどな〜と思いながら、どんな仕事でも楽なことばかりではないなと実感する体験になりました。
アシスタントの仕事をするようになって数ヶ月経った頃、悪さに拍車のかかった生徒が、私に向かって鉛筆を投げてきました。背中に当たったので、誰が投げたかはわかっていましたが、「鉛筆を投げたは誰ですか?」と聞くと、やんちゃグループの子供達が笑いを堪えているのがわかりました。そのグループの中の一人が次は堂々と私に向かってさらに鉛筆を投げながら罵声を浴びせてきました。私の友達がそれを見て、
「はい、あなた達生活指導の先生に会いに行きましょう」
と生徒達を指名すると、「はぁーー!?何もやってねーし!!」とあからさまな態度を取りながらも、連れて行かれていました。
Year9の生徒はかなり荒れている雰囲気でしたが、そのグループの子達の態度が悪いだけで、クラスの半数の子供達は静かに授業を聞いていました。他の学年も色々担当しましたが、Year10〜12のクラスは、基本的に真面目な授業態度だったというイメージです。レベルもぐっと上がり、日本語で文章を作ったり、会話編に移ったりと、授業内容がとても興味深かったです。
Year11(高校2年生)の生徒の中には、日本語の授業を通じて日本の文化に興味を持ち、日本への留学を決めた生徒達もいました。
私がアシスタントの仕事を始めて1年数ヶ月経った頃、日本語教師をしていた私の友達が、他校での日本語教師の仕事に受かり、転職することになりました。それによって、私のアシスタントとしての仕事もここで終わりとなりました。
私はアシスタントの資格について色々調べました。結果、教師のアシスタントという仕事は、上記でも言ったとおり、知り合いのコネが大事になってくるということと、アシスタントとしての就職率が割と低いということ。それから教師アシスタントの資格を取っても確実に就職先が見つかるかどうかはわからないと言う事。もちろん、たまたま仕事が見つかるケースもありますし、オーストラリアは特に行動次第なので、交渉次第ではうまくいく可能性もあります。
ですが、これらを踏まえて、他の資格を取ることも視野に入れながら考え始めました。せっかく1年以上も教師アシスタントとしての仕事をしてきて経験も積んできたのに、この経験を無駄にしたくないという思いもあり、この経験を活かせる上に、他の仕事も出来る資格を探し、ついに見つけたのです。それについては、次のブログで紹介します。
私の友達が転職するということで、同じ学校で一緒に働くことは出来なくなってしまいましたが、それをキッカケに、自分で出来る他のことを見つけたので、また新しいことに向かって歩き始めます
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