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2016年05月15日

第174回 御大典奉祝






文●ツルシカズヒコ




 一九一五(大正四)年十一月四日、野枝は郷里の今宿で次男・流二を出産した。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、野枝は出産後、西職人町(現・福岡市中央区舞鶴二丁目)、福岡玄洋社そばにあった代準介・キチ夫婦の家に一ヶ月ほど滞在した。

 十一月十七日、野枝は原稿用紙に向かい、らいてう宛ての書簡形式の原稿「らいてう氏に」を書いた。

 それによれば、野枝は当初、流二を里子に出すつもりだった。

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 ……子供の事では随分迷ひました。

 けれども結局矢張り同じ他人(ひとで)をかりるにしても自分の近くでないとどうしても安神(あんしん)出来さうにもありませんので連れてかへることにしました。

「里子にやるとにくむやうになるから、それではどちらの為にもいけないから」沢山の例をひいて誰も彼も不賛成をとなへますし、良人(おつと)も此度は本当に父親らしい愛をもつて子供に対してゐて、矢張り不賛成なのです。

 私も随分気づよくなつて、たとへ三四ケ月でも、留守中の停滞してゐる仕事を片づける間丈(だ)けでもおいて来やうと思つたのですけれども一日一日とだん/\さう云ふ決心もいろいろ考へて見ますと不安になつて来ますので捨てました。

 そして連れてかへることにしました。

 その代りになるべく時間をとられないやうにしつけやうと思つてゐます。

 幸ひに、今度の子はおどろくほど手がかゝりませんので、これならと云ふ気もします。

 一日中下にねてゐますので、おむつの世話とお乳を与(や)りさへすればそれでいゝのです。


(「らいてう氏に」/『青鞜』1915年12月号・第5巻第11号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p297)





「らいてう氏に」から、他の野枝の言葉を拾ってみる。


 ●私は一週間目から産褥をはなれて居ります。

 この辺は御大典奉祝の「ドンタク」で大変です。

 東京も大変でせう。

 ●今まであがきがとれないやうな苦しむでゐましたけれども全くあれは体のせいだつたと思ひます。

 ●……これからはどんなにでも働けるやうに体も心もかるくなりました。

 ●かへりましたら新年号の編輯に全力をつくさうと思つて居ります。

 ●……岩野さんの「愛の闘争」が丁度私のお産した朝、四日につきました。

 皆がはら/\するのをその日から三日かゝつてよみました。

 ●四月ばかりの間ですがもう一年も東京からはなれてゐたやうな気がします。

 かへりには彼処(あそこ)にもこゝにもよりませうなんて云つてゐましけれども此の頃はたゞ一心に東京へかへりつく事ばかり考へてゐましてもう特別急行で何処にもよらないつもりに二人ともなつてゐます。

 ●……下の関からは特別急行で廿六七時間でつくとしてもあそこまでにざつと六七時間かゝりますからどんなに急いでも卅時間以上かゝるのですものね……こんどかへりましたら本当に働きますわ……

 ●せめて新年号は少しはいゝものにしたいと思つて居ります。

(大正四、一一、一七)


(「らいてう氏に」/『青鞜』1915年12月号・第5巻第11号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p297~299)





「御大典奉祝」とは十一月十日に京都御所で行なわれた大正天皇の御大典のことである。

『東京日日新聞』社会部記者だった神近市子は、新聞記者としてこの御大典を取材した。

 社長室に呼び出された神近は、社長から直々に御大典取材の命を受けたのだった。


「外国からもたくさんの来賓が見えるだろう。その取材にはおおいに働いてもらわなくてはならない。そのためには服装その他の準備が必要だろうから、これで支度をしなさい」

 私は三百円という大金を渡された。

 私はその金で服装をととのえ、十一月に京都御所の紫宸殿(ししんでん)で行なわれる即位礼を目ざして西下した。

 むろん、私などは式典には出られなかったが、そこに集まってきた高官や外国からの賓客にインタビューして、記事を東京に送るのが仕事だった。

 ……いちばん印象に残っているは、尾崎行雄外務大臣夫妻の談話をとったことだ。

 尾崎氏は先妻を亡くされ、後妻はアメリカ婦人だった。

 京都ホテルに訪ねていくと、夫妻で快く会ってくださり、御所での式典のようすを詳細に話してくださった。


(『神近市子自伝 わが愛わが闘い』_p134~135)





 神近は尾崎行雄を「外務大臣」としているが、「法務大臣」の誤記であろう。

 また、尾崎行雄の後妻はアメリカ婦人ではなく、イギリス婦人である。
 
 取材を終えた神近は、当時まだ珍しかった自動車に乗り慰労休暇を楽しんだ。


 日本ではじめての自動車四台が『朝日新聞』と『毎日新聞』とに輸入され、京都市民を驚かしていたとき、それを勝手に使って、どこでも見物してくれというのである。

 私はその貴重な自動車で、二条城や苔寺や三十三間堂や嵐山など、最高の京都見物をしたり、外人客を連れて奈良に遊んだりした。


(『神近市子自伝 わが愛わが闘い』_p136)


 このとき、神近は奈良の安堵村在住の富本憲吉に嫁いだ紅吉にも会い、ふたりは時の経つのも忘れて、その後のお互いの生活を語り合った。





 御大典が行なわれた十一月十日、大杉栄と妻の保子は弓技をした。


 天皇即位式の日で、午後三時半に国民一斉に万歳三唱して奉祝することとされている。

 調査書によれば、大杉は掘保子と三時に家を出て、伝通院前の内田大弓場へ行き、ちょうど三時半ごろに矢を射はじめ、一時間ほど弓技をした。

 大仰な即位式への反発、当てこすりである。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p163)



尾崎行雄夫人2



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社・1972年3月24日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 11:04| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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