2016年05月11日
第160回 堕胎論争
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五(大正四)年六月号は発売禁止になった。
『青鞜』にとっては三度めの発禁である。
『定本伊藤野枝全集 第二巻』「私信ーー野上彌生様へ」の解題によれば、原田皐月が書いた「獄中の女より男に」が「風俗壊乱」だとされたからである。
「獄中の女より男に」は、生活苦のために堕胎した女性の内面を相手の男性に宛てた手紙形式で描いた小説だった。
『東京日日新聞』(六月七日)の「青鞜の発売禁止」という記事には、野枝の談話が掲載された。
野枝はこの一件について『青鞜』にこう書いている。
先月号は風俗壊乱と云ふ名の下に発売を禁止されました。
忌憚にふれたのは原田さんのらしいのです。
私は少しもそんなことを考へずに、可なりさうした考へが誰の頭にも浮かぶことを思つて立派な一つの問題を提起するものとしてのせました。
けれども私は不注意な編輯者としてしかられました。
けれども私は可なりあの堕胎とか避妊と云ふことについて男の人たちの意見は聞きました、けれども女の意見は聞きませんから知りたいと思つたのです。
今でもその考へはあります。
(「編輯室より」/『青鞜』1915年7月号・第5巻第7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p247)
これが発端となり堕胎論争が起きた。
原田は胎児は自分のお腹にあるのだから、自分の体の一部であり、自分の腕一本切り落とすのと堕胎は同じである、その自由は認められるべきではないだろうかという問題提起をしたのである。
野枝は避妊はよしとしているが、堕胎は反対の立場である。
野枝は原田の「獄中の女より男に」を読んだ感想を「私信ーー野上彌生様へ」に書いた。
「私信ーー野上彌生様へ」と「獄中の女より男に」は両方とも『青鞜』六月号に掲載されているので、野枝は原田が書いた生原稿を読んだ後に書いたのである。
皐月さんは自分の腕一本切つたのと同じだと仰云つてゐます。
腕は別に独立した生命をもちません、人間の体についてゐてはじめて価値あるものですものね、それを切りはなしたと云つて法律の制裁をうけるやうなことはすこしもないのです。
……ところが腕を一本他人のを切つて御覧なさい、それこそ大変ですわ、直ぐ刑事問題になるでせう。
それと同じですわ、たとえお腹を借りてゐたつて、別に生命をもつてゐるのですもの、未来をもつた一人の人の生命をとるのと少しもちがわないと私は思つてゐます。
皐月さんはお腹の中にあるうちは自分の体の一部だと思つていらつやるらしいんですけれども私は自分の身内にあるうちにでも子供はちやんと自分の『いのち』を把持して、かすかながらも不完全ながらも自分の生活をもつてゐると思ひます。
其処に皐月さんの考へと私の考への相異があるのですわね。
(「私信ーー野上彌生様へ」/『青鞜』1915年6月号・第5巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p223)
生活の窮迫と堕胎については、実際に窮乏から堕胎するケースがあったら同情するという前提で、野枝は自分が窮乏していたころに出産した体験を踏まえてこう書いている。
私も子供を産むことを恐れながらとう/\産んだ一人である。
そうして産まれると云ふことが分つた頃は、一番苦しかった頃であつた。
私はその頃矢張りあゝした恐ろしい事の空想を幾度か経験した。
私はどうかして産まれないことを願つた位愚かな考へを持つた。
私の体の中の他の生命がずん/\育つて気味わるく勝手に動くやうになつても、私はまだどうかして産まれなかつたらと思つた。
若しも私がその頃決して困つてゐなかつたらそんな考へを起しはしなかつたらうと思ふ。
何時かはかうした事件が本当に持ち上つて来るであらう。
いくつも/\。
考えれば本当にいたましい事である。
けれども私の考へを云へばこれは疑ひもなく一つの圧迫にまけた事になる。
罪悪であるとかないとか云ふことを無視して、さうである。
例えはつきりと子供の上に愛が目覚めなくても何処かにかくれてゐるのだ。
さうしてそのかくれた力が矢張りその生命に保護を加へてゐる。
(「雑感」/『第三帝国』1915年6月25日・第44号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p239~240)
野枝はこのとき、一歳半の幼児を持つ母であり、そして第二子を妊娠中だった。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』収録「雑感」解題によれば、『第三帝国』では松本悟朗、『青鞜』では山田わか、らいてうが加わるなどして、堕胎論争に発展した。
野枝は「私信ーー野上彌生様へ」の中で、一歳半の一(まこと)の子育てについての考えも述べている。
静かなあなたのやうな方にはそんなことがないかもしれませんけれど私のやうに感情の動揺のはげいし者には殊にかなしい情ない子供に対して申しわけのない絶望の時がちよい/\見舞ひます。
殊に、ひどくヒステリツクになつてゐる時などに、執念(しつこ)くまつわりついたり何事かねだつたりする時私の理性はもうすこしもうごきません、狂暴なあらしのやうに、まつわりつく子供をつき倒してもあきたりないやうな事があります、けれども直ぐ私は、自分でどうすることも出来ないその、狂暴な感情のあらしがすぎると理性にさいなまれるのです。
そのかなしい感情をどうすることも出来ないと云ふことが私には情なくも腹立たしくもあり絶望させられるのです。
そして子供が可愛さうでたまらなくなります。
子供がそれをどういう風に感受するかと思ひますと、私は身ぶるいが出ます。
けれどすぐ私はそんな時に思ひます。
あゝ、私はまた間違つた教育者を衒(てら)はふとしてゐると。
私のこの突発的な感情を今によく理解させさへすればいゝのだ。
そのうち子供の方で理解するやうになる、と思ひ返します。
自分の醜い処を覆はふとするやうな卑劣なまねは子供に見せたくないと思ひます。
たゞ醜い自分の欠点に対して自覚を持つてゐないと子供に卑しまれると思ひます。
(「私信ーー野上彌生様へ」/『青鞜』1915年6月号・第5巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p224~225)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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