2016年05月06日
第145回 ゾラ
文●ツルシカズヒコ
大杉が野枝から受け取った手紙は、何か新しいものをもたらすものではなく、彼女の考えのことさらの表明にすぎなかった。
しかし、彼女のそのことさらの表明が大杉は嬉しかった。
特に著書の批評をするのに、これほどまでいろいろと神経質に言ってくるのが嬉しかった。
そして、野枝が谷中村の話にひどく感激させられたことを、自分に知らせてきたことで、大杉は野枝に内的親しみを持った。
僕は直に、彼女に何んとか返事を書かなければならぬ、僕自身に対しての義務を感じた。
しかし僕は又、他の一方にTに対する遠慮をも考へて見なければならなかつた。
僕の書く返事は、又彼女が求めてゐると思はれる返事は、Tにとつて余程の不利益なものでなければならない。
Tとの将来に就いての彼女の予感は、恐らくは彼女よりも以前に、僕自身も予感してゐた事である。
早晩はさうならなければならないものと観察し且つ希望してゐた事である。
当然だと思つてゐた事である。
其当然の事を当然と認めて、彼女に少しでもそれを早めしめる力を与へる事に、余計な遠慮は要らない筈だとも思つた。
(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p562/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p250)
しかし、大杉は野枝と辻との関係はそのこと以外は何も知らなかった。
大杉はよその家庭のことに容喙(ようかい)すべきではないと思い、そして辻に対しては友情の芽生えを感じてもいた。
野枝の自由な成長は辻の寛大さによるものだとも感じていた。
当分は傍観者でいることが、一番無理のないかつ一番利口な態度だと大杉は考えた。
大杉にはここまで進んだ野枝の心持ちが後戻りするはずがないとの確信もあった。
しかし、いざ返事を書こうとすると、大杉の頭の中には野枝と辻との近い将来の破綻を予想しての文面しか浮かんでこなかった。
その心持ちを無理に抑えて書こうとすると、野枝の誠意に応えることができないいい加減なものになりそうだった。
書くなら野枝の心の奥底に響くものを書かねばならぬ。
大杉は何度も書き始めて、何度も紙を破った。
谷中村の事件と自分との関係、野枝と会ってからの彼女に対する自分の心持ち、数日前に堺利彦と会って話した谷中村についてのふたりの考え……。
大杉は何を書いても野枝に対するパッション、感激が湧き上がってきた。
驚いた大杉は、筆を置いて横になった。
『決して彼女に恋をしてはならぬ。』
これは、彼女と相知る最初から、僕の心の中できめていた事であつた。
そして其後も、彼女に対する親しみを観劇の増す度び毎に、益々深くさうきめてゐた事であつた。
僕は今再び又、此の言葉を繰返した。
本当にしつかりと繰返した。
(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p564/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p252)
いったん恋の熱情が湧き出した大杉は、野枝に手紙を書くことができなくなった。
この熱情を彼女に伝えるのは、あまりに恐ろしいことであった。
大杉は野枝に直接会って話したいと思った。
いつものように辻と三人で鼎座しての話なら、冷静に理屈だけの話はできようと思った。
前年(一九一四年)、西崎(生田)花世と安田皐月の間で始まった貞操論争だったが、野枝も『青鞜』一九一五(大正四)年二月号で、この論争に加わった。
しかし「両氏のお書きになつたものを土台としての自分の考へでまだちやんとした貞操観にはなつてゐない」と自ら書いているように、結局、野枝にとって貞操とか処女であるとかないとかということは、さしたる問題ではなかったようだ。
●十日頃平塚氏と会つたときその話が出ていろ/\話して見て……自分の考えを進めてみた。けれども結局本当に痛切な自分の問題にはならなかった。
●そうして最後に私が従来の貞操と云ふ言葉の内容に就いて考へ得たことは愛を中心にした男女関係の結合の間には貞操と云ふやうなものは不必要だと云ふこと丈であつた。
●最も不都合な事は男子の貞操をとがめず婦人のみをとがめる事である。男子に貞操が無用ならば女子にも同じく無用でなくてはならない。女子に貞操が必要ならば同じく男子にも必要でなくてはならない。
●……私は先づ何故に処女と云ふものがそんなに貴いのだと問はるればその理由を答へることは出来ない。それは殆ど本能的に犯すべからざるものだと云ふ風に考へさゝ(ママ)れるからと答へるより他はない。
●だから私は私のこの理屈なしの事実をすべての人に無理にあてはめるわけにはゆかない。
●……他にかう云ふ事も考へ得られる。処女とか貞操とか云ふことを全(まる)で無視する事である。
●私がもし……処女を犠牲にしてパンを得ると仮定したならば私は寧(むし)ろ未練なく自分からヴアージニテイを遂(お)ひ出してしまふ。そうして私はもつと他の方面に自分を育てるだらうと思ふ。
●私は女が処女を失くしたからと云つて必ず幸福な結婚の出来ないと云ふ理由はないと考へる。何故もつと婦人達は強くなれないのだらう。
●あゝ、習俗打破! 習俗打破!
(「貞操に就いての雑感」/『青鞜』1915年2月号・第5巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p167~172)
『青鞜』同号の「編輯室より」で、野枝はこんな発言をしている。
●此度こそは少しどうにかと思ひ/\次号へ次号へと遂(お)はれて一向思つた半分もできません。出来もしないことを発表したつて馬鹿気てゐますから黙つてゐます。併(しか)しそのうちにもつとしつかりしたものを書きたいと思つてゐます。
●今月号に私はゾラの『生の悦び』を読んだその感想をかなり長く書く気でゐましたけれど急にまとまりませんのであんなもので間に合はせました。
●生田さんは青鞜に対抗するやうな雑誌を近いうちにお初めになるさうです。もつと青鞜よりも実際的なそして青鞜のやうに高慢でなく売れないのでないずつといゝ雑誌をお出しになるさうです。実世間により多く触れて多大の経験をお持ちになつた氏の立派な技倆をはやく見たいものだと思ひます。
●生田さんはあの問題をもつて大分方々を歩いてゐらしやるようですがどう云うつもりなのかしらと首をかたむけてゐる人があります。誰も皆生田さんに同情することは事実ですがその為めに生田さんのあの論文が価値づけられると云ふことはなささうです。私はさう云ふ生田さんの惑乱した姿をまともにはとても見てゐられないやうな気がします。
(「編輯室より」/『青鞜』1915年2月号・第5巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p173)
『反響』二月号(第一巻第九号)「具体的問題の具体的解決」欄で、野枝は読者の相談に回答を寄稿している。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、両親の反対を振り切り上京したが、一年間の苦痛な生活に耐えられず「親の家に帰りたい」という十八歳の女性の相談と、寡婦暮らしをしていた姑との急な同居という事態に、「姑を迎へるについて」どうしたらよいかという主婦の相談に対する回答である。
野枝の他に徳田秋声、与謝野晶子、安田皐月、森田草平、平塚明子、よさの・ひろしの回答が寄せられている。
※エミール・ゾラ『生きる歓び』
★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)
★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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