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2018年09月16日
18切符で東海道8(岳南電車1日フリー乗車券で小さな旅)
由比宿で中途半端に時間が余ってしまい、どうするか考えて最後に訪れたのが途中駅の吉原駅にあるローカル線、岳南電車。
この岳南電車はかつては岳南鉄道と呼ばれていたそうですが、現在は岳南電車となっているようです。
元々貨物輸送がメインだった鉄道だそうで、沿線は半分くらい向上になっています。現在はもうJR側が貨物を休止してしまったために廃止とか、かつて使われていた貨物専用の機関車と思われる車両が今も基地に残っています。
フリーパスは700円、購入は吉原駅窓口。冬になると夜景列車という夜景を楽しむ消灯列車が走っているようですが、この時期はまだ夏季なので走ってませんでした、残念。
吉原本町
沿線を見る限りここが一番栄えている感じです、元々東海道五十三次の一つ吉原宿だった場所に当たるみたいです、高潮で海沿いにあった吉原宿が流され(本吉原)、次に内陸に移したらそれも流され(中吉原)結果内陸部のここ(新吉原)に移ってきたという歴史があるみたい。
このあたりが本陣だったそうですが、何もないですね。
唯称寺、メインストリートの裏に並行して神社仏閣が並んでいるのがいかにも宿場町という構造ではあります。
唯称寺のすぐ近く、天神社。
平家越えと左富士
平家越え…平家の軍勢が富士川の戦いの際に飛び立つ鳥に驚いて逃げたという話が伝わりますが、それがここ。かつての富士川はここを流れていたそうです。
左富士、東海道五十三次に描かれた松並木の最後の生き残りだそうです、吉原宿に向かうときにずーっと右に見えていた富士がここで北上することになるため左に見えたということから。
厳密な意味での最寄がないので歩きます。
湧水の町
富士市は富士山のすぐそばなせいか各地に湧き水が湧いています。
須津駅より徒歩数分、須津湖、池ですけど。一帯はこんな感じの池がちらほらあります。
車両基地のある岳南富士岡、古い機関車が残っています。動いている車両は2両の緑と1両の赤い車両。
岳南富士岡駅より、泉の里湧水公園、ここも湧き水。
再び吉原本町へ、保志奈食堂。所謂食堂ですが、かなりのコスパ、安い、うまい。720円でチャーハンに肉、サラダ、あんかけミニラーメンまでついています。満足度高いです。
夜の電車で〆。
この岳南電車はかつては岳南鉄道と呼ばれていたそうですが、現在は岳南電車となっているようです。
元々貨物輸送がメインだった鉄道だそうで、沿線は半分くらい向上になっています。現在はもうJR側が貨物を休止してしまったために廃止とか、かつて使われていた貨物専用の機関車と思われる車両が今も基地に残っています。
フリーパスは700円、購入は吉原駅窓口。冬になると夜景列車という夜景を楽しむ消灯列車が走っているようですが、この時期はまだ夏季なので走ってませんでした、残念。
吉原本町
沿線を見る限りここが一番栄えている感じです、元々東海道五十三次の一つ吉原宿だった場所に当たるみたいです、高潮で海沿いにあった吉原宿が流され(本吉原)、次に内陸に移したらそれも流され(中吉原)結果内陸部のここ(新吉原)に移ってきたという歴史があるみたい。
このあたりが本陣だったそうですが、何もないですね。
唯称寺、メインストリートの裏に並行して神社仏閣が並んでいるのがいかにも宿場町という構造ではあります。
唯称寺のすぐ近く、天神社。
平家越えと左富士
平家越え…平家の軍勢が富士川の戦いの際に飛び立つ鳥に驚いて逃げたという話が伝わりますが、それがここ。かつての富士川はここを流れていたそうです。
左富士、東海道五十三次に描かれた松並木の最後の生き残りだそうです、吉原宿に向かうときにずーっと右に見えていた富士がここで北上することになるため左に見えたということから。
厳密な意味での最寄がないので歩きます。
湧水の町
富士市は富士山のすぐそばなせいか各地に湧き水が湧いています。
須津駅より徒歩数分、須津湖、池ですけど。一帯はこんな感じの池がちらほらあります。
車両基地のある岳南富士岡、古い機関車が残っています。動いている車両は2両の緑と1両の赤い車両。
岳南富士岡駅より、泉の里湧水公園、ここも湧き水。
再び吉原本町へ、保志奈食堂。所謂食堂ですが、かなりのコスパ、安い、うまい。720円でチャーハンに肉、サラダ、あんかけミニラーメンまでついています。満足度高いです。
夜の電車で〆。
18切符で東海道7(由比宿を歩くが…骨折り損のくたびれ儲け)
このまま関東に戻るルートを通りつつ、東海道線に揺られながら由比駅に到着、由比駅から由比宿へ歩きます…がいろいろ失敗だった。
由比駅から本陣公園まで向かう道、ずーっとこんな感じ、結構長いです。この日はまだ暑かった。
本陣公園前の亀軍団、狭い堀にひしめき合っています、エサとかなに食べているか不明。
東海道由比宿面白宿場館…15時まで。
で本陣にある広重美術館ですが…月曜日だった。完全に骨折り損のくたびれ儲け。いつものパターンながらやらかした。
宿場町らしく、通りの裏にこういった神社が並んでいます。
宿場町らしく、こういった宿場町時代の由来を書いた看板がちらほらあります。
由比駅前にある今宿の文字、具体的に何なのかはわかりませんが、このままもう少し峠の方に歩いても本陣とかの文字がグーグルマップに見えます。
そして由比駅ですが…駅員さんがいません。そして張り紙が張ってあります。18切符のお客様はスタンプ押していれば通っていいです見たいな内容…前にも見ましたが、結構アバウト。
ポイント・注意点
・由比宿は蒲原駅と由比駅との中間点くらいにあり、どっちの駅からも結構歩く
・さらに由比駅から薩田峠方面には間の宿がある
・全体的にかなり歩くことになる
・月曜日には広重美術館は休み
・コミュニティバスはあるが本数に限りあり
由比駅から本陣公園まで向かう道、ずーっとこんな感じ、結構長いです。この日はまだ暑かった。
本陣公園前の亀軍団、狭い堀にひしめき合っています、エサとかなに食べているか不明。
東海道由比宿面白宿場館…15時まで。
で本陣にある広重美術館ですが…月曜日だった。完全に骨折り損のくたびれ儲け。いつものパターンながらやらかした。
宿場町らしく、通りの裏にこういった神社が並んでいます。
宿場町らしく、こういった宿場町時代の由来を書いた看板がちらほらあります。
由比駅前にある今宿の文字、具体的に何なのかはわかりませんが、このままもう少し峠の方に歩いても本陣とかの文字がグーグルマップに見えます。
そして由比駅ですが…駅員さんがいません。そして張り紙が張ってあります。18切符のお客様はスタンプ押していれば通っていいです見たいな内容…前にも見ましたが、結構アバウト。
ポイント・注意点
・由比宿は蒲原駅と由比駅との中間点くらいにあり、どっちの駅からも結構歩く
・さらに由比駅から薩田峠方面には間の宿がある
・全体的にかなり歩くことになる
・月曜日には広重美術館は休み
・コミュニティバスはあるが本数に限りあり
18切符で東海道6(掛川城と旧掛川城めぐり)
花鳥園を去ったら次は掛川城へ向かいます。
掛川城
大手門、市街地の中にぽつーんとあります、掛川城の本丸はここからさらに数分。
歴代城主と家紋、変わり過ぎ。
天守(復元)が見えます。この日は月曜日で美術館などは開いていません。この日はまだ34度時代だったので暑い暑い、書いている今は25度くらいと快適。
この天守閣の売りは復元だけど木造で本物っぽさを再現していることみたいです。ちなみに日本初木造天守って書いてありました。
天守閣からの眺め。最終的に太田(一応太田道灌の流れらしいが不明だそうです)氏が幕末まで城主を務めることになったみたいです。
天守閣からの眺め、二の丸方面が見えますが、奥に怪しい丘があります、多分もっと古い時代の城ではないかと推測し向かってみます。
三の丸方面、ただの広場。
二の丸御殿、ここと天守閣だけは月曜日もやっています。この二の丸御殿内には2つの鎧が飾られています、どちらも掛川城主だった以外はあまり接点のない別の家の人間の鎧なのに、片方だけにすると負のオーラがやばいらしく、2つそろえておとなしくなるという変わった鎧だそうで。なので2つそろえて掛川城に置かれているということらしいです。
城内のエリアにあるステンドグラス美術館、本日休み。
竹の丸
掛川城内の竹の丸と呼ばれるところにある建物。松本家という地元の名家が、明治になって城の土地の一部を譲り受けて建てたという和洋折衷の邸宅みたいです。
建物内で最も和洋感がある部屋で、広くて開放感もあります、下の部屋はどちらかといえば和風か、もしくは明治というか大正っぽい雰囲気の部屋が続いています。
建物入り口。
旧掛川城
掛川城の展望台から見た怪しい丘、位置関係からして掛川城関係の何かが絶対あると思い探索してみたら、ここがかつて、今川時代の掛川城の一部だったようです。
小高い丘の上が平らになっており、周囲は土の崖に囲まれています、遺構はそこまで残ってないですが、不自然な形の地形からかつて城か何かだったということはかろうじてわかります。
この建物は一時期掛川城主だった北条氏重が建てた神社だそうです。
駅前
駅前二宮金次郎像、昔ながらのスタイル。二宮金次郎は小田原の人であり、直接掛川で何かしたというより、弟子の一人が立ち上げた大日本報徳社が掛川にある関係でしょうか多分。
掛川駅前は駅前スーパーに空き店舗が目立つなど、もう車社会なんだなーというのが実感できる町。
掛川城
大手門、市街地の中にぽつーんとあります、掛川城の本丸はここからさらに数分。
歴代城主と家紋、変わり過ぎ。
天守(復元)が見えます。この日は月曜日で美術館などは開いていません。この日はまだ34度時代だったので暑い暑い、書いている今は25度くらいと快適。
この天守閣の売りは復元だけど木造で本物っぽさを再現していることみたいです。ちなみに日本初木造天守って書いてありました。
天守閣からの眺め。最終的に太田(一応太田道灌の流れらしいが不明だそうです)氏が幕末まで城主を務めることになったみたいです。
天守閣からの眺め、二の丸方面が見えますが、奥に怪しい丘があります、多分もっと古い時代の城ではないかと推測し向かってみます。
三の丸方面、ただの広場。
二の丸御殿、ここと天守閣だけは月曜日もやっています。この二の丸御殿内には2つの鎧が飾られています、どちらも掛川城主だった以外はあまり接点のない別の家の人間の鎧なのに、片方だけにすると負のオーラがやばいらしく、2つそろえておとなしくなるという変わった鎧だそうで。なので2つそろえて掛川城に置かれているということらしいです。
城内のエリアにあるステンドグラス美術館、本日休み。
竹の丸
掛川城内の竹の丸と呼ばれるところにある建物。松本家という地元の名家が、明治になって城の土地の一部を譲り受けて建てたという和洋折衷の邸宅みたいです。
建物内で最も和洋感がある部屋で、広くて開放感もあります、下の部屋はどちらかといえば和風か、もしくは明治というか大正っぽい雰囲気の部屋が続いています。
建物入り口。
旧掛川城
掛川城の展望台から見た怪しい丘、位置関係からして掛川城関係の何かが絶対あると思い探索してみたら、ここがかつて、今川時代の掛川城の一部だったようです。
小高い丘の上が平らになっており、周囲は土の崖に囲まれています、遺構はそこまで残ってないですが、不自然な形の地形からかつて城か何かだったということはかろうじてわかります。
この建物は一時期掛川城主だった北条氏重が建てた神社だそうです。
駅前
駅前二宮金次郎像、昔ながらのスタイル。二宮金次郎は小田原の人であり、直接掛川で何かしたというより、弟子の一人が立ち上げた大日本報徳社が掛川にある関係でしょうか多分。
掛川駅前は駅前スーパーに空き店舗が目立つなど、もう車社会なんだなーというのが実感できる町。