2017年02月21日
東京大仏とその周辺(大仏、赤塚城跡公園、赤塚植物園、郷土資料館等)
板橋区にある東京大仏とかを見てきました。
起点の駅は地下鉄赤塚(東部の下赤塚)から、徒歩20分くらい。都営の西高島平からも似たりよったりの距離。
まずは区立赤塚植物園へ、植物園といってもやや手の込んだ公園といった風、地元民の散歩道っぽい雰囲気。そんなに広くないので所要時間は15分くらい。
その後は東京大仏へ、2mの大仏、2mと聞いてましたが台座も込みだとそこそこ大きい感じ。普通の日だったので特に目立って混んでもなく、普通に参拝。15時45分までしか入れないとの事。
その後は赤塚城跡公園へ、赤塚城は中世の城で、小田原城攻めの後廃城となった城。地形を見ると確かに城跡らしく、天辺が広く平で周囲からはやや高いところにあり、周囲の坂の形も綺麗に整形され、また谷の部分はもしかしらたら堀?っぽい雰囲気もなくもないです(遺構はほぼ残ってないらしいですが)。
入口付近には梅林、時期的にちょうど咲いていました。
城跡公園、多分ここが形的に本丸なのかなぁ。
広場から少し降りたあたり、このあたりは城跡っぽい雰囲気が残っています。
その後は板橋区郷土資料館へ。入場料無料。この日は特別展武具繚乱。十数点の鎧が展示されています、他何故か1点の場違いな西洋鎧が。
建物外観。
顔出して撮影するアレ(いい加減名前を覚えようと思う)。
資料館の後ろは古民家が移築されています。
さらに近くにある板橋区立美術館、この日は地元の小中学生の展覧会会場になってました。
さらに近くにある不動滝、かつて結構な水量を誇っており、かつての講の時に体を清めるために使われていた用ですが、宅地開発が進み今ではちょろちょろと水が流れるだけ。
やはり公園付近にある松月院、板橋十景と言う所だったそうです。
下赤塚駅前にある成田山不動大教会、説明を見る限り、江戸時代に成田山にいけない人のために造られたものみたいです。
東京メトロのフリーパスが効いてたので行ってみた感じの所。ずーっと名前だけは聞いたことがある東京大仏があったのでせっかくだから行ってみました。東京大仏周辺は板橋区立の小スポットが集中した地元民の散歩道といった雰囲気。
起点の駅は地下鉄赤塚(東部の下赤塚)から、徒歩20分くらい。都営の西高島平からも似たりよったりの距離。
まずは区立赤塚植物園へ、植物園といってもやや手の込んだ公園といった風、地元民の散歩道っぽい雰囲気。そんなに広くないので所要時間は15分くらい。
その後は東京大仏へ、2mの大仏、2mと聞いてましたが台座も込みだとそこそこ大きい感じ。普通の日だったので特に目立って混んでもなく、普通に参拝。15時45分までしか入れないとの事。
その後は赤塚城跡公園へ、赤塚城は中世の城で、小田原城攻めの後廃城となった城。地形を見ると確かに城跡らしく、天辺が広く平で周囲からはやや高いところにあり、周囲の坂の形も綺麗に整形され、また谷の部分はもしかしらたら堀?っぽい雰囲気もなくもないです(遺構はほぼ残ってないらしいですが)。
入口付近には梅林、時期的にちょうど咲いていました。
城跡公園、多分ここが形的に本丸なのかなぁ。
広場から少し降りたあたり、このあたりは城跡っぽい雰囲気が残っています。
その後は板橋区郷土資料館へ。入場料無料。この日は特別展武具繚乱。十数点の鎧が展示されています、他何故か1点の場違いな西洋鎧が。
建物外観。
顔出して撮影するアレ(いい加減名前を覚えようと思う)。
資料館の後ろは古民家が移築されています。
さらに近くにある板橋区立美術館、この日は地元の小中学生の展覧会会場になってました。
さらに近くにある不動滝、かつて結構な水量を誇っており、かつての講の時に体を清めるために使われていた用ですが、宅地開発が進み今ではちょろちょろと水が流れるだけ。
やはり公園付近にある松月院、板橋十景と言う所だったそうです。
下赤塚駅前にある成田山不動大教会、説明を見る限り、江戸時代に成田山にいけない人のために造られたものみたいです。
東京メトロのフリーパスが効いてたので行ってみた感じの所。ずーっと名前だけは聞いたことがある東京大仏があったのでせっかくだから行ってみました。東京大仏周辺は板橋区立の小スポットが集中した地元民の散歩道といった雰囲気。
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