2016年06月14日
Bunkamura 西洋更紗トワル・ド・ジュイ展へ行ってきました
またしてもBunkamuraへ。
今回行ったのは西洋更紗トワル・ド・ジュイ展、これはドイツの技師オーベルカンプが、フランスのジュイ=アン=ジョザスの工場で生産した更紗(柄付きの綿)、ジュイの布と言う意味だそうです。現在はそれに近い布全般を指す名前へと広がっているそうで、様々なトワル・ド・ジュイが生産されているとか。
元々綿織物の更紗はインドから多数輸入され、フランスでも真似されていたようですが、それが本来の羊毛等の織物と競合、結果永らく禁止になっており、禁止が解除された頃にはフランスには職人がおらず、その結果スイスで仕事をしていたオーベルカンプに白羽の矢が立ったとか。
最初にお出迎えしてくれるのは大型の布のタペストリー、これらは田園モチーフの原点と題され、トワル・ド・ジュイより遥か以前に製作されたもので、これらの田園モチーフがヨーロッパのデザインの元になっていくとか。
次に出てくるのは多数のインド更紗、元々はインドで遥か昔から制作され、寺院や宮殿等に使われてきたものだそうで、これがヨーロッパに伝わって徐々に形を変えていったものが、西洋更紗となっていくとか。日本に輸入されたインドや西洋の更紗が、更に加工され着物などとして使われていったものが多数展示されています、オランダ船や中国船によって長崎に運ばれ加工されていったものだとか。神話などがモチーフとなっており、インド制なのでデザインなどはインドという感じです。
そして前半戦終了、映像資料として、トワル・ド・ジュイの歴史が解説されています。ベンチが少ないのでちょっと人が多いと立ち見になります。
そしてまず木版でのプリント、最初は木版で布にプリントをを行っていたようです、インドのデザインから影響を受け、花等を主体としたカラフルな図案が展示されています、またドレスなど加工されたものもいくつか展示。後に銅版が普及しますが、木版は木版で作られ続けたとか、木版は木が反るので木を何枚も重ねて作っていたとか。また当時の注文表も展示されており、当時の製品カタログが残ってない現在において、いつどの製品が売られていたかを知る歴史資料としての価値があるとか。
次が単色の銅版、木版についで新技術銅版も導入され、画家であったジャン・バティスト・ユエをデザイナーとして採用、様々なデザインを作っていくことになります。
ちょっと面白かったのが、当時気球が開発された時期にあたっており、気球に怯え気球を攻撃する村人の図案があったり、最初は気球が描かれていたのがすぐに時代遅れになって結果犬に差し替えられたと言う展開もあり、歴史を感じさせるものになっています。よく見てみるとベンチも展示物の同じデザインが使われています。そしてマリーアントワネットのトワル・ド・ジュイで織られたドレスがあった事が伝えられ、それがマリーアントワネットの生涯を記した本の一部として使われているものが展示されています、綿に過ぎないトワル・ド・ジュイのドレスをマリーアントワネットが着ていた事は、今までにないような出来事だったとか。
ナポレオン時代には王立の称号ももらった事が書かれています。
その後工場はオーベルカンプ死後30年で閉鎖されますが、それ以降もトワル・ド・ジュイは様々なところで受け継がれていくと言う形で、それ以降に製作された西洋更紗等を何点か展示して締めくくり。
混雑度はそれほどでもなく、また点数も国芳国貞展と比べるとかなり少ないので、所要時間も1時間もあれば十分かと思います。
いつもは行ってから数日経ってから書いているのですが、今日は珍しく記憶が新しい内に書いているのでスラスラかけます。
今回行ったのは西洋更紗トワル・ド・ジュイ展、これはドイツの技師オーベルカンプが、フランスのジュイ=アン=ジョザスの工場で生産した更紗(柄付きの綿)、ジュイの布と言う意味だそうです。現在はそれに近い布全般を指す名前へと広がっているそうで、様々なトワル・ド・ジュイが生産されているとか。
元々綿織物の更紗はインドから多数輸入され、フランスでも真似されていたようですが、それが本来の羊毛等の織物と競合、結果永らく禁止になっており、禁止が解除された頃にはフランスには職人がおらず、その結果スイスで仕事をしていたオーベルカンプに白羽の矢が立ったとか。
最初にお出迎えしてくれるのは大型の布のタペストリー、これらは田園モチーフの原点と題され、トワル・ド・ジュイより遥か以前に製作されたもので、これらの田園モチーフがヨーロッパのデザインの元になっていくとか。
次に出てくるのは多数のインド更紗、元々はインドで遥か昔から制作され、寺院や宮殿等に使われてきたものだそうで、これがヨーロッパに伝わって徐々に形を変えていったものが、西洋更紗となっていくとか。日本に輸入されたインドや西洋の更紗が、更に加工され着物などとして使われていったものが多数展示されています、オランダ船や中国船によって長崎に運ばれ加工されていったものだとか。神話などがモチーフとなっており、インド制なのでデザインなどはインドという感じです。
そして前半戦終了、映像資料として、トワル・ド・ジュイの歴史が解説されています。ベンチが少ないのでちょっと人が多いと立ち見になります。
そしてまず木版でのプリント、最初は木版で布にプリントをを行っていたようです、インドのデザインから影響を受け、花等を主体としたカラフルな図案が展示されています、またドレスなど加工されたものもいくつか展示。後に銅版が普及しますが、木版は木版で作られ続けたとか、木版は木が反るので木を何枚も重ねて作っていたとか。また当時の注文表も展示されており、当時の製品カタログが残ってない現在において、いつどの製品が売られていたかを知る歴史資料としての価値があるとか。
次が単色の銅版、木版についで新技術銅版も導入され、画家であったジャン・バティスト・ユエをデザイナーとして採用、様々なデザインを作っていくことになります。
ちょっと面白かったのが、当時気球が開発された時期にあたっており、気球に怯え気球を攻撃する村人の図案があったり、最初は気球が描かれていたのがすぐに時代遅れになって結果犬に差し替えられたと言う展開もあり、歴史を感じさせるものになっています。よく見てみるとベンチも展示物の同じデザインが使われています。そしてマリーアントワネットのトワル・ド・ジュイで織られたドレスがあった事が伝えられ、それがマリーアントワネットの生涯を記した本の一部として使われているものが展示されています、綿に過ぎないトワル・ド・ジュイのドレスをマリーアントワネットが着ていた事は、今までにないような出来事だったとか。
ナポレオン時代には王立の称号ももらった事が書かれています。
その後工場はオーベルカンプ死後30年で閉鎖されますが、それ以降もトワル・ド・ジュイは様々なところで受け継がれていくと言う形で、それ以降に製作された西洋更紗等を何点か展示して締めくくり。
混雑度はそれほどでもなく、また点数も国芳国貞展と比べるとかなり少ないので、所要時間も1時間もあれば十分かと思います。
いつもは行ってから数日経ってから書いているのですが、今日は珍しく記憶が新しい内に書いているのでスラスラかけます。
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