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ウェールズスレート博物館

 赤レンガの東京駅。その屋根は天然スレート葺きだ。天然スレートは、砕くと薄い板状に割れる、粘板岩が原材料。寿命に優れ、メンテナンスが不要で、高い防火性能が特長だが、石綿を原料にした、安価な人工スレートに市場を奪われてきた。

 すでに1800年前のローマ砦の建設のころから、ここ北ウェールズは、良質のスレートの産地として知られていた。後のエドワード1世の築城でも、ここのスレートを使っている。

 18世紀、イギリスの産業革命により、マンチェスターなどの小さな村に、大規模な工場が次々に建設され、同時に労働者が生活するための住宅も大量に作られた。このため、屋根などに使う重要な建材のひとつ、スレートも、大量に生産されることになった。

 1870年代には、Dinorwigの採石場は3000人の労働者が働いていた。そのときには、ウェールズの一大産業にまで発展し、カナーフォン地域を中心に、英国で生産する4分の3のスレートをウェールズで産出するまでにいたった。

 1898年の最高潮の時には、ウェールズのスレート産業は、労働者17000人、総生産量48万5千トンに達した。

 ウェールズは、別名カンブリア。地質学的にも重要な発見が相次いだ地域で、石炭、鉄鉱石、銅など、産業革命を支えた豊富な地下資源にも恵まれている。ストーンヘンジの石材のなかにも、遠くウェールズから運ばれてきたものがあり、古来から、ウェールズの地下資源が注目されてきたことがわかる。

 これらの地下資源によってウェールズは急激に繁栄したのだが、衰退も早かった。1950年頃に相次いだ、中東、アフリカでの油田発見により、石炭から石油へ急速なエネルギー革命が起こったのだ。

 地下資源の採掘と、それによる繁栄は、ウェールズ人の誇りを大いに高めたが、その一方で、支配する側、される側という構造も生んだ。急速な産業発展に伴う競争の激化は、賃金の低下につながり、労働者達は労働組合を作って、これらに抵抗しようとした。

 ウェールズ、スレート博物館には、広大な敷地に何本も敷かれた鉄道跡、巨大な設備が残る加工場跡を見ることができる。過去の繁栄と衰退、そこに働いていた人たちの仕事ぶり、生活ぶりが伝わってくる、体験型博物館だ。

   
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