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2015年03月25日

シトロン

生まれて3ヶ月のとき、シトロンはうちに来た。
俺は小学校三年生だった。
それから俺は、毎朝犬小屋を覗いた。

丸くなって寝ているシトロンを呼んで、赤い綱をつけてやる。
川辺の空気という、腹の減る匂いを、朝から嗅がせるためだ。
だけど、一人歩きなんて、上等なことはさせてやらない。
その為の赤い綱だ。

シトロンは、小股で歩く。
やつは俺の撫で撫で攻撃を警戒してか、
斜め45度後ろを、とことこ歩いてくる。

やつが糞をしたら、目の前で拾う。羞恥プレイだ。
「こんなにしやがって、なんて健康的な犬なんだ」
言葉責めだって忘れない。

歩くのに飽きた俺は、シトロンを急き立てて、
サイクリングロードを走っていく。
道の終点、公園まで一目散に。
水溜りの泥水なんて、飲ませてやらない。
お前には、公園の流水がお似合いだ。

594 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:04

4歳のとき、シトロンの心臓に虫が見つかった。
俺は手を変え品を変え、やつに薬を飲ます。
バカなシトロンは気づきもしない。
俺を信じやがって、美味そうに薬入りの餌を食いやがる。

そんな時だって、ドッグフードなんてやらないぜ。
高い飯なんて、お前の口には合わないだろ。
どうせすぐに吐き出しやがる。
お前には、味の薄い犬用メニューがお似合いだ。

595 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:05

8歳のとき、祖父さんが死んだ。
兄弟が泣く中、俺はじっと黙ってそれを見ていた。
人前でなんて、泣いてたまるか。

シトロンは俺の制服を汚して、しがみつく。
だけど、しゃがんでなんかやらない。
俺の頬なんか、舐めさせてやらない。
お前には、俺の足元がお似合いだ。

596 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:06

12歳のとき、シトロンは神経症になった。
後ろ足を引きずって、15分も歩けない。

公園はおろか、サイクリングロードまでなんて、とても行けやしない。
朝の散歩も、町内を周って、とっとと帰ってくる。
もう一度行きたいなんて、見上げたって、知らないぜ。
偉そうな顔をするくせに、少し歩くとしゃがみこむお前。
お前には、町内一周程度がお似合いだ。


597 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:07

13歳のとき、シトロンは行方不明になった。
仕事から帰ってきたら、いつもの小屋に、姿が無い。
赤い綱も無くなっていた。

俺のシトロンを、誰が連れて行きやがったのか、
俺は家族を問い詰めた。
だけど誰も知らない。
町中、あっちこっちを走り回った。
だけど、どこにもシトロンはいない。
真夜中になって、ぐったりしたシトロンが帰ってきた。

近所のババアが、勝手に連れて行っていた。
問い詰めると、そのババアは毎日俺たちの目を盗んで、
シトロンにプリンだの味の濃い煎餅だのも、勝手に食わせていた。
そんな人間様の食い物をやるんじゃねえ。
怒る俺に、ババアはいけしゃあしゃあと、
「散歩に行けなくて、可哀想」だなんて言いやがった。

それを決めるのはお前か?
医者と相談していたのはお前か?
違う、俺だ。シトロンは俺の犬だ。
ババアを警察に引き渡して、俺はシトロンを家に入れた。
庭の小屋になんか、もう帰してやらない。
お前には、俺の傍がお似合いだ。


598 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:07

14歳のとき、シトロンは寝たきりになった。
糞尿だって垂れ流し。
飯だって、俺様が食わせてやらなきゃ食えなかった。

「オラオラ腰を上げろよ」
ご主人様にケツを拭かせるなんて、なんてやつだ。
お前のために流す涙なんて、俺には無い。
悲しそうに見上げるなんて生意気だ。

お前は黙って、甘えてればいいんだよ。
堂々と寝そべってやがれ。
お前には、暖かい部屋がお似合いだ。


600 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:27

一年後の秋の日、シトロンは死んだ。
虹の向こうになんて、俺の許しも得ずに逃げやがった。

黒いくせに、時々青くも見えた瞳を半分開けたまま。
俺は、シトロンの目を閉じる。
それから、濡れた頬をなでる。
硬くなった身体は、地面に張り付いたようだった。

幸せそうに眠りやがって。
帰ってこいなんて、言わないからな。
俺が虹の向こうに着くまで、祖父さんと一緒に待ってやがれ。
お前には、静かな朝がお似合いだ。


601 名前: わんにゃん@名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/13 08:27

お前の毛布も、おもちゃも、ずっと俺は捨てられない。
どうして15年しか生きなかった。
俺の力が足らなかったのか。
それとも、もっと早く送っちまった方が良かったのか。
どうせなら妖怪にでもなればよかったのに。

ミルクくさい香りで、家が満たされて、
お前の匂いも、家中からどんどん消えていく。

虹が出たら俺は、小さな手を引いて、
サイクリングロードを歩く。
俺の幸せを、お前に見せつけてやる。
虹の向こうで、待ってやがれ。
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