頓服無しで起きたかったが, 鬱が苦しく頓服を飲んで起き上がった.
数学をやる.
Mac を修理に出している間ずっと, 紙のノートに証明を書いてきた.
それがやっと終わって証明が完成した, と思う. 多分.
ずっと梅雨の時期の体調不良が続いている割には, ここ数日で一気に進んでいたことがわかった.
昼食はキャベツときのこのペペロンチーノ.
午後はノートに書き終えた証明を LaTeX で書いていく.
ノートの内容を確認しながら頭から順に書いていったら, くどい記述や意味が重複する記述が何度も出てくる.
たとえば「式 (5) は図式 (3) が可換図式であることを示す」という記述があったとする. そのしばらく先に図式 (3) の可換性を使う箇所が出てくる. そこでの記述が「式 (5) によって可換であることが示された図式 (3) は」という風にわざわざその意味を強調する文章になっていたり.
ある箇所で導いた結果を別の箇所で使う際に, 再び前と同じやり方で導いていたり.
ある小さな命題を示すのに二通り以上のやり方 (集合の元を使って求める式を導く方法, 図式の可換性を使う方法, 両者を混ぜ合わせた方法, とか) で示していたり.
これは仕方が無い.
証明を考えている中で, 自分が以前導いた結果や, 式や図式を引用する意味がわからなくなり, 納得するために再びその結果を導いてみたり, 過剰にくどい文章で引用を行ったりしないと安心できなかった.
頭がうまく回らなくて論理的に考えることが難しかったりするときには, 特に延々と以前と同じ思考を繰り返したり別のやり方に取り組んだりしてしまうのだ.
それで何度も何度も行ったり来たりしたから, くどくて長くていくつもの重複を含む内容になる.
そういう全体を見返すと何か偏執的というか, 病んだ感じというか. 同じような記述が何処までも何の躊躇いも無く繰り返し書かれたノートは正直なところ, ちょっと気持ちが悪かった.
これは, ある回復の表われでもあるのだろう.
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