数学をやる. 計算がうまくいかない.
今日は夕方からデイケアで認知療法がある.
午後に家を出ればいいのだが, 早めに出かけて駅の近くの喫茶店に行く.
紅茶を頼む.
この喫茶店は地下にあって時々絵の展示なども行っている. 穴蔵のような雰囲気で落ち着く.
夕方前にデイケアに着く.
デイケアのメンバーと話をして時間を潰す. 映画の話になり, 話の流れでメンバーの一人から細田守監督の『時をかける少女』の DVD を借りた.
今日の認知療法では今後の進め方について PSW さんと相談した.
過去の記憶に苦しめられている現在の状態への対処として, 新たにスキーマ療法というものをやっていくことにする.
自分の苦しみは, 幼少期・少年期の両親との関係と, 仕事で大きな失敗をした後に受けた罵倒や冷笑・蔑みの記憶から生じている.
スキーマ療法は精神の深い傷を解きほぐして, 心を平穏な状態にまで回復させようという治療方法である.
時間はかかると思うが進めていこうと思う.
かなり疲れた.
帰宅して食事. 冷奴とチーズ.
後片付けをして休む.
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苦しいですね. 武雄さんの煩悶が伝えわってくるようです.
武雄さんとやり取りを続ける中で, 私自身も気付いたことがあります.
心の病というものは, 個人の気質・性格との結び付きを抜きに考えることはできないということです. それほど個人と深く関わっているものだということです.
武雄さんにとってはあたりまえのように感じられることかも知れませんね.
でも私は, 性格と心の病とはなぜか意識して分離して考えるようにしていたのです. 自分の性格が病的だと思いたくなかったのでしょうね.
私は鬱病になりました. 以前の主治医による診断では, その原因は私の幼少時・少年時の両親との関係性だというものでした.
この診断に納得しつつも, たとえ両親との問題のある関係性が無かったとしても, 私は鬱病になっていた, もしくは慢性的な抑鬱症状に悩まされていたのではないだろうかと思うのです.
内向的で対人的な関係を恐れる自分の性格は, しばしば子どもの頃の私を沈鬱な気持ちに導きました.
そこにはやはり苦しみがあったのです.
慎重に考えたいと思いますが, 性格が心の病を引き起こす, あるいは社会との関係性の中で心の病となっていくという可能性は無いでしょうか.
特に鬱病の場合, 性格によって個人が追い詰められていくということは私の経験上確かにあり得るように感じます.
武雄さんの気質は, 多分に木村敏氏のいう「分裂病」的な傾向に近いとのことでしたね.
木村敏氏によれば, 「分裂病」とは, これから訪れる未来への不安, 未来の中に自分が存在し得ないという不安を伴うものだといいます (私の解釈なので間違っているかも知れません).
武雄さんは「これから」に対する「本能的な拒否感であり抵抗」を持っていると書いています.
だとすれば, 外の世界が変わらない以上, 武雄さんが治癒するためにはその拒否感あるいは抵抗を消し去る, あるいはそこまで行かなくても和らげることが必要なのではないかと思います.
しかしそれは武雄さんの性格を破壊することになってしまうのではないでしょうか.
「破壊」というのは強い言葉ですが, 私は性格は根源的な部分では変わらないと思っているのでこのように強い言葉を使っています.
そして性格の破壊を伴う「治療」は私の求めている治療とは異なる気がします.
武雄さんの性格を守りながら, 武雄さん自身の苦しみが癒えるためには, どれほど時間がかかろうとも自己の存在のありかをこの世界の中に探し求めるしか無いのではないかと思います.
不躾なことを書いてしまって申し訳ありません.
武雄さんの苦しみほどではありませんが, 私も自分の居場所がわからずさまよい続けていると思います.
武雄さんの混乱と苦しみが少しでも穏やかになりますように. 祈っております.
わたしの言わんとしていること、わたしの直面している「当惑」をほぼそのまま理解してもらえたと感じています。
けれども、これまでの経験で、同じことを言っても、たとえば都の精神保健福祉センターの相談員や保健所や市役所の保健師にはまったく通じません。
極論するなら、わたしの悩みは、「治っていいのか?」というところに還元されるように思います。また一方で、引き続いて、「この現代に於いて元気になるということの不明さ」もあります。
底彦さんが読み取られたように、外界に、自己という存在を外側から支えるものが存在しない世界で人が生きられるのか?
「生の根拠」ということは、わたしが試行錯誤しながら二階堂奥歯の言葉を元に思索を進めてきましたが、彼女との決定的な違いは、彼女には人間的なつながりの側面に於いて、昨日も、明日も「変わらないもの」があったような気がします。
わたしは「これまでのあたりまえ」が来週には「これからのあたりまえ」になっている世界で生きてゆく自信がありません。それはこれも底彦さんの指摘にあるように、本能的な拒否感であり抵抗なのです。
精神医療に於いて、いったい何処に自分の存在が拠って立つ足場を見出すことができるのでしょうか?それを提供乃至示唆するのは精神医療の領域ではないのでしょうか?
一方で、わたしは単純にこの苦しみから逃れたいという気持ちがあります。楽になりたい。しかし楽になるということが、単に症状が消えることであるのか?という内的な葛藤が常に付き纏って離れないのです。
仮に、仮に、「これであなたの悩み、苦しみはすべて霧が晴れるように消え去りますよ」といわれても、わたしにはその言葉の意味がわかりません。
わたしが育ってきた「これまでのあたりまえ」は最早存在しません。わたしにとっては「治る」ということが、「これからのあたりまえ」に順応する事以外を意味するとは思えないのです。
そしてこのような話が、考えが、精神医療の臨床の場で話せないのだとすれば、残されているのは絶望以外にないのではないでしょうか・・・
混乱の中より・・・
体調が悪くなっているとのこと, 本当に苦しいですね. そんな中, コメントをありがとうございます.
まず, 私の「苦しみ」の原因ですが, 本文に書いた内容でほぼ間違い無いと思います.
両親との関係性については, 以前の主治医が時間をかけた分析の後に明らかにしてくれました.
それ以外の他者からの罵倒や冷笑を原因と見做すことは, 自分の苦しいときの症状と認知療法の結果から導いたものです.
症状の原因を突き止めることは難しい作業だと思います.
私の幸運は, 以前の主治医が根気よく時間をかけて原因を突き止めようと試みる医師だったことです.
特に両親との関係性については彼から指摘されるまで自分でも自覚すらしていませんでした. その主治医曰く, 私が受けたのは両親からの精神的な虐待だそうです.
金曜日に主治医のところに行かれるのですね. けれども武雄さんは混乱し, 戸惑っている. 「何をどうしたいのか?」がわからないと.
苦しいときに混乱するという経験は私にもあるので共感できます. 混乱の質は異なるでしょうが, 何をどうしたらいいのか, 私も途方に暮れるばかりでした.
主治医が何かしらの救いを与えてくれるのではないかと願って診察室に入りましたが, それは極めて事務的に終わり, 私の状態は何も変わらなかったのを覚えています.
私は武雄さんの主治医がどのような方なのか知りません. けれども, 短い時間で果たしてその主治医の方がどこまで判断してくださるか...
自明性ということについて.
上記の武雄さんの文章を読むと, 武雄さんは何が自明なのかということを認識している, 少なくとも過去の時点では認識していたという印象を受けます. 「昨日までの自明性が明日からは最早自明ではなくなる」という記述からそのように感じました.
木村敏氏の, そして元々の「自明性の喪失」という概念の提唱者であるブランケンブルクによれば, 現存在の確かさが失われていくことによって, そしてそのことへの不安によって, 自己を取り巻いている様々の「自明性」が失われてしまうということだったと理解しています.
それは, 当たり前が喪失されることによる自己の喪失でもあります.
だとすれば, 確かに武雄さんの言う自明性の喪失というものは, 木村敏氏の言うものとは異なっているようですね.
武雄さんの書いている自明性の喪失というものは, 空間性・時間性を伴っているように思います.
武雄さんを構成している何らかの確かなもの, 依っているもの ── それらを武雄さんは「自明」なものと認識しているわけですが ── を武雄さんは空間性・時間性の中に確かな形で位置付けることができない.
なぜならばそれらは明日には破壊され失われてしまうから. そういうことなのではないでしょうか.
文字通り「これまでのあたりまえ」が非情な形で「これからのあたりまえ」に取って代わられてしまうという現象が起こるということです.
武雄さんはそれを受け入れることができない.
もちろん私にもできません. けれども私には諦めて唯唯諾諾と従うという処世術が良い意味でも悪い意味でもあって, 「これからのあたりまえ」に馴染もうという意識が芽生えるのだと思います. ああ, あまり良い意味ではありませんね.
私は武雄さんの「これからのあたりまえ」に容易に従わない本能 ── それ以外の言い様があるでしょうか ── に共感したいです.
そのような武雄さんが, 仮に「これからのあたりまえ」を受け入れるという大きな無理を侵そうとする行為には, 武雄さんの精神にとっての危機を招くと思います.
私の場合には, 過去の記憶によって引き起こされる苦しみが緩和すれば相当に状態は良くなると思います.
残るのは私自身の気質から発生した純粋な抑鬱症状としての鬱病だけになるでしょう. それならば多少は苦しみながらも付き合っていけるのではないかと楽観的に想像することもあります.
一方で武雄さんの苦しみが消失するにはどうすれば良いのか, 私にはわかりません.
二階堂奥歯さんは彼女にとって最後の月になった 2003 年 4 月の日記に「死にさえしなければいい。生きていればいい」と書いています (4 月 10 日). 私は彼女の言葉を指示します.
けれどもそれは, あまりにも大きな苦痛を伴うことも事実なのではないでしょうか.
武雄さんは金曜日の診察のときに「あたりまえがわからない」と主治医に告げることはできそうですか?
この問いかけについて医師と対話を行ったとすれば, 何かが変化しそうな兆しはありますか?
少しでも武雄さんの苦しみが癒されることを祈っております.
あまり間を置くと何にも書けなくなってしまうので、性急に本題に入ります。ご容赦ください。
◇
底彦さんはクリニックに行く前に、今日はこんなことを話そうと予め考えて行かれますか?
わたしは今度の金曜日に、記憶にある限り、今年初めて主治医のところに行く予定です。今月に入り、ほんとうに「目に見えて」体調が悪くなっています。
底彦さんのブログに頻出する「苦しい」という言葉が、「我が事」になっているようです。
上記の投稿によると、底彦さんの「苦しみ」の原因は既に解明されていると考えていいのでしょうか?ではその「症状」ではなく「原因」そのものは、どのようにして突き止められたのでしょう?
金曜に主治医のところに行く予定であると言いました。けれども、わたしは非常に混乱し、戸惑っています。つまりわたしは依然として「何をどうしたいのか?」がわかっていないからです。
これは木村敏に吹きこまれたわけでも何でもなく、わたしにとって、この世界は「不思議な世界」です。そして「患者側にとって、主体的に治療に参加するということは自分が病んでいるということを認めることだ」ということをとりあえずの前提とするとして、わたしは自分が正常であると感じたことはこのような状態になってから一度もありません。そして底彦さんもご承知のように、わたしは自分を狂人であるとさえ考えています。ではわたしには既に「主体的な治療」に要する自覚が備わっていると言えるのでしょうか?
わたしはただ、「自分は正常ではない」「自分は狂人である」という認識を持つだけです。言い方を換えれば、自分が「どのように」「病んでいる」のかは、全く分かりません。肝心なのは、自分は病んでいる、正常ではないという自覚があることであって、「どのように病んでいるかは医師の判断に任せればいい」のでしょうか?
「精神病とは関係性の病」であると言ったのは誰だったでしょうか。
嘗て三枚橋病院の創立者だった人は、患者が退院してゆく時に、「きみの病気の原因は家族関係にある、それが手つかずのままではまたすぐにここに逆戻りだ」といって、患者の家族全員を集めて話し合ったといいます。つまり患者自身の症状は治まったが、原因はそのままであるという判断です。
わたしが良くなるということは、とりもなおさず、失われた自明性の回復ということでしょうか。
では自明性とは何でしょうか?
所謂「ニュー・ノーマル」・・・JRのCMの言葉で言えば「これからのあたりまえ」というものでしょうか?
自明性というものは「これからのあたりまえ」という風に、昨日までの自明性が明日からは最早自明ではなくなるということでしょうか?
そのことこそ、 a man with a past / Clock Without Handsでわたしが問い続けてきたことではないでしょうか?
なるほどこのように見てくると、わたしのいう自明性の喪失というものと、木村敏の言う自明性とは若干趣を異にしているようです。
けれどもわたしは何故ほとんどの人たちが、何の抵抗もなく「これまでのあたりまえ」
から「これからのあたりまえに」ほんとうに当たり前のように「乗り換えることができる」のかが、まったく「あたりまえではなく」わからないのです。
まるでモードのように、年々歳歳移ろいゆく、「これからのあたりまえ」に乗り遅れないこと、それが即ちわたしが良くなったということなのでしょうか・・・
底彦さんご自身は「治癒」ということを、完全ではないにせよ「症状の消失乃至緩和」と考えておられるのでしょうか?
意地の悪い言い方に聞こえたら申し訳ありませんが、仮に8割方、いまの苦しみが消失したら、正直、それがゴールなのでしょうか。
底彦さんのブログを読んでいると、
「生きていればやりたいことはあります」という二階堂奥歯の言葉を思い出すのです。
そこがわたしのと大きな違いだといつも感じています。
無理矢理に書いたので、不躾なところが多いかと思います。
どうかご理解ください。
武雄