2010年12月11日
すみません〜 このフェラーリをください(売って下さい)
昨日は何の車が欲しいか絞れてきたと書いたが、今日は妄想ドライブで与太話を書こうと思う。
私はフェラーリを知ったのは1984年のミドシップ テスタロッサからである。それまで930ターボや911カレラやアイアンバンパー以前のコルベット以外の国外車に興味がなかった。日本車ならハコスカGT-R(PGC10、KPGC10)かトヨタ2000GTを将来購入して所有したいと思っていた。
フェラーリを知ってからはポルシェもコルベットも何処かへ行ってしまった。それから少し経って、西風さんのGTロマンが連載されてコミックが本屋に並び存在を知ってから日本車以外の車、フェラーリ以外の車に興味を持つようになった。車好きは保育園に入る以前(その時にアリタリアカラーのストラトスやハコスカ等の車のおもちゃで遊んでいた記憶がある)からだが、今のように幅広く車好きになったのは西風さんのおかげである。とても感謝している。
その後、1987年に衝撃的な出来事が二つ起こった。一つはスカイラインGT-Rが復活するというニュースだった。もう一つはフェラーリF40が発表されたことだった。
この出来事で私が免許を取ってから所有したい車がほぼ決定した。どちらかをいずれ購入して運転してみたいと思った。
フェラーリF40の実車を見た時はこの車が購入できたら他に何もいらない。フェラーリ貯金をしよう、と思ったことがあった。
その後にギターに興味を持ったことにより車好きといっても本を見て楽しむ程度になっていた。
免許は取ったが、いつかはフェラーリF40、スカイラインGT-Rと過去には思っていたが実際にはそんなに甘くはなかった。赤と黒色のツートンカラーの中古の86が人生で初めて所有する車になった。フェラーリBBだ、と言ってはみたが、実際はただのカローラである。
その車で人生で初めて鈴鹿サーキットに車で行った。それ以前に鈴鹿サーキットでレースを見たことがあったがその時は列車、電車で行った。ただ、フェラーリF40の日本で観る事が最後のレースになるだろうポッカ1000Km耐久レースをF40を観る為だけに行った。
ピットウォークでF40の並んでいるピットからまったく動かなかった。今でもその時に撮った写真が残っている。実際にレースを観て、もうF40では勝負ができない時代になったんだな、と感じた。でも、いつかF40を購入したいとなおさら思った。
それから、フェラーリが買えないか本気でお金の計算をしていたが、結局はF40が欲しいのだから、308GTBやディーノ308GT4、308GT4を購入しても満足できないなあ、と気づき購入することをあきらめた。
高校生の頃に車の本を読んでいるときに西風さんと同じくらいに影響を受けた自動車評論家にであった。その方は福野礼一郎さんである。彼の著書は今でも愛読している。また、彼に影響された漫画家は多く、現在湾岸ミッドナイトを書かれている楠さんは完全に福野信者の一人である。なぜなら、湾岸ミッドナイトは福野さんが以前に書かれた小説 バンザイラン そのものだからである。
福野さんのことが大嫌いな車好きはとても多い。彼の歯に着せぬ評論はとても好き嫌いが分かれると思う。車を数ミリも動かしていないのに数値(車の車幅、車高、エンジンの取り付け位置等)だけ見て何がわかる。車を少しだけ動かすだけで100mすら走らせていないのにそれだけですべてその車のことがわかるはずがない、などという声が聞こえてきそうである。
彼は元々がいい所のお坊ちゃんで暴走族から大学生時代に車のブローカーをやっていたりということから車を評論することがスタートしている。
チューニング雑誌 オプション がまだオートスポーツの別冊としてスタートした時に稲田大二郎氏に見込まれて雑誌の編集に携わっていた頃に雑誌屋、編集業、評論家がスタートした。
オプションではセリカXXに大金をつぎ込みチューニングして最高速トライアルをやっている。彼は後の著書でセリカXXの前に購入した発売間もないソアラを売ってセリカXXを購入したことに後悔した、と書いている。格好に騙された悪い例だ、と書いている。セリカXXは所詮セリカ以外の何物でもなかった。それに比べてソアラは当時の日本車の中ではましな車だった、と書いている。
暴走族時代にハコスカやケンメリのGT-Rがいかに名ばかりで遅いかも体験している。S20エンジンは高回転を回すために作られたエンジンで街中でのストップ&ゴーで走らせるエンジンではない、と体験している。数値的な興味を持ったのもその頃らしく、S20エンジンの市販車エンジンの最大馬力160馬力を出す為の回転数は市販車そのままのエンジン、ミッション、デフではでないことが数値を見れば簡単にわかる、と書いている。
また、彼は評論家としてはフェラーリをぼろ糞にこき下ろしている。しかし、彼はフェラーリを何台か所有した経歴がある。それは、評論家としての自分と個人的な嗜好とは別である、という彼独自の線引きができているからである。
彼の評論はその車を所有している人達やいずれ所有したい、と思っている人達にとってはショッキングな文章だと思う。しかし、彼の評論を冷静に見るとその車の本質がわかると思う。それでも好きならば、好きで彼の評論することにイチイチ目くじらを立てることなどないと思う。そのことはその車を設計した人もその車を所有している人にも冷静に文章を見ている人達には面と向かって文句を言われたことがないことに現れている。冷静に文章を見られない人は、許せない、と言って苦情を言ってくるそうである。
私の好きな車をぼろ糞にこき下ろしている時があるが、私は彼に苦情を言うなんてことはさらさら思わないし、反対に痛快で面白い文章だと思い、いつも彼の書く文章に関心させられている。
そんな彼が一生の内で最後のフェラーリとして購入した車が365BB/GT4である。この車は(288GTOはGrBのホモロゲーションモデルなのでこれらに含まれない)F40、F50、エンゾ(エンツォ)などと同じくスペチアーレとして作られるはずの車だった。だが、発注数が多かったので予定より多く作られた、という後のF40のような車である。
初めてのボクサーエンジンミドシップエンジン搭載車であるが、ボディが他のフェラーリ、例えば、365GT4(通称デイトナ)に比べてもそれほど重量が重くない。後に発表された512BBはこの車の発展型、といわれているが、実は見せ掛けだけゴージャスにした車である。だから、リアフェンダーが張り出していたり、ロングテールになっていて見た目は良いが重量がかなり重くなっているので走りにかなり影響が出ている。それをカバーする為に排気量を上げているがそれも焼け石に水である。
彼はそのことを承知しているし、S20エンジンではないが数値的に見てどう考えても最大馬力が出ないことも重々承知している。評論家としての彼ならフェラーリはGT(グランツーリズモ)以外の何物でもなくて、最高速を楽しんだり、コーナーリングを楽しむ車ではない、というだろうが、彼の個人的嗜好で考えるとこの車以外欲しいフェラーリが自分の人生の中では現段階ではない、と結論づけたのである。
彼はよくフェラーリ命という人の中で同じ車種一筋の人間があまり見たことがない、と言っている。ほとんどの人が車を乗り換えていると言っている。
スーパー7命、エラン命、ミニ命、という人は多くいる。その車種一筋で車趣味を楽しんでいるが、DINO命、デイトナ命、512BB命、という人間はとても少ない、と言っている。ほとんどの人間はもっと古いフェラーリの車種が欲しい、となっていくし、そういう行動を目の当たりにしている、とよく書いている。デイトナを知ったら、次は275GTBが欲しくなる、と言っている。
デイトナは程度の良い車(Good 悪い Very Good Goodより少しまし エクセレント 良い ミントコンディション とてもに良い 新車並み)でよくて80スープラなみのスピードしか出ないと言っている(ちなみにDINO246はMR-2並みと言っている)。そのデイトナは重くてブレーキの利きが悪く止まらない、と言っている。
275GTBはもう言うまでもなくデイトナよりはるかに遅く、ブレーキがまったく利かない、と言っている。
それでも皆の行き着く先はその車である、とよく書いている。
私はフェラーリの中で所有したい車を選ぶとしたらF40以外だとそのぼろ糞にこき下ろされているDINO206GTB、246GTB、275GTB、275GTC、カリフォルニア(現代の車ではない方)、250SWB、250Tdf、そして、もっと数がなく希少なレーシングマシン250LMが欲しいと思っている。これらのミントコンディションの車は億を軽く超える。買える訳がない。それに比べればF40は安価である。もちろん、その車さえ買えない。
私が所有したいフェラーリはどれも高額である。結論を言うまでもなく夢のまた夢、さらに夢の話である。
フェラーリの新しいモデルは見る分にはとても良いし、実際に見ると興奮する。しかし、自分で所有しようとは思わない。
すみません。このフェラーリをください(売って下さい)。そう言ってはみたいがそんな日は来ないだろう。もうはるかかなたの夢の世界の話である。でも、たとえ夢でも持っていたいと思う。
私は車好きの方とお話しすることが好きである。その車に情熱を持っている方なら車種の値段が高額だろうとそうではなかろうと関係ない。
私は私の好きなフェラーリを所有している方とお話をしてみたいといつも思っている。
君もがんばればいつか私のようにフェラーリが買えるよ、という人もいるかもしれない。
でも、そういうオーナーの方となるべくお話することがないように期待していつもお話させてもらっている。
私はこれだけはやめられないんですよ、という答えを期待していつもお話をさせてもらっている。フェラーリオーナーは紳士であって欲しいと思う。
そこが最新モデルのフェラーリオーナーと古いモデルのオーナーの差ではないかと最近気づき始めている。
私の人生では言うことがないだろう台詞だが、私はこれ(古いフェラーリ)だけはやめられなくてねえ、と微笑んで車好きの方にやさしく接してお話ができたらいいなあ、といつも思っているのである。
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私はフェラーリを知ったのは1984年のミドシップ テスタロッサからである。それまで930ターボや911カレラやアイアンバンパー以前のコルベット以外の国外車に興味がなかった。日本車ならハコスカGT-R(PGC10、KPGC10)かトヨタ2000GTを将来購入して所有したいと思っていた。
フェラーリを知ってからはポルシェもコルベットも何処かへ行ってしまった。それから少し経って、西風さんのGTロマンが連載されてコミックが本屋に並び存在を知ってから日本車以外の車、フェラーリ以外の車に興味を持つようになった。車好きは保育園に入る以前(その時にアリタリアカラーのストラトスやハコスカ等の車のおもちゃで遊んでいた記憶がある)からだが、今のように幅広く車好きになったのは西風さんのおかげである。とても感謝している。
その後、1987年に衝撃的な出来事が二つ起こった。一つはスカイラインGT-Rが復活するというニュースだった。もう一つはフェラーリF40が発表されたことだった。
この出来事で私が免許を取ってから所有したい車がほぼ決定した。どちらかをいずれ購入して運転してみたいと思った。
フェラーリF40の実車を見た時はこの車が購入できたら他に何もいらない。フェラーリ貯金をしよう、と思ったことがあった。
その後にギターに興味を持ったことにより車好きといっても本を見て楽しむ程度になっていた。
免許は取ったが、いつかはフェラーリF40、スカイラインGT-Rと過去には思っていたが実際にはそんなに甘くはなかった。赤と黒色のツートンカラーの中古の86が人生で初めて所有する車になった。フェラーリBBだ、と言ってはみたが、実際はただのカローラである。
その車で人生で初めて鈴鹿サーキットに車で行った。それ以前に鈴鹿サーキットでレースを見たことがあったがその時は列車、電車で行った。ただ、フェラーリF40の日本で観る事が最後のレースになるだろうポッカ1000Km耐久レースをF40を観る為だけに行った。
ピットウォークでF40の並んでいるピットからまったく動かなかった。今でもその時に撮った写真が残っている。実際にレースを観て、もうF40では勝負ができない時代になったんだな、と感じた。でも、いつかF40を購入したいとなおさら思った。
それから、フェラーリが買えないか本気でお金の計算をしていたが、結局はF40が欲しいのだから、308GTBやディーノ308GT4、308GT4を購入しても満足できないなあ、と気づき購入することをあきらめた。
高校生の頃に車の本を読んでいるときに西風さんと同じくらいに影響を受けた自動車評論家にであった。その方は福野礼一郎さんである。彼の著書は今でも愛読している。また、彼に影響された漫画家は多く、現在湾岸ミッドナイトを書かれている楠さんは完全に福野信者の一人である。なぜなら、湾岸ミッドナイトは福野さんが以前に書かれた小説 バンザイラン そのものだからである。
福野さんのことが大嫌いな車好きはとても多い。彼の歯に着せぬ評論はとても好き嫌いが分かれると思う。車を数ミリも動かしていないのに数値(車の車幅、車高、エンジンの取り付け位置等)だけ見て何がわかる。車を少しだけ動かすだけで100mすら走らせていないのにそれだけですべてその車のことがわかるはずがない、などという声が聞こえてきそうである。
彼は元々がいい所のお坊ちゃんで暴走族から大学生時代に車のブローカーをやっていたりということから車を評論することがスタートしている。
チューニング雑誌 オプション がまだオートスポーツの別冊としてスタートした時に稲田大二郎氏に見込まれて雑誌の編集に携わっていた頃に雑誌屋、編集業、評論家がスタートした。
オプションではセリカXXに大金をつぎ込みチューニングして最高速トライアルをやっている。彼は後の著書でセリカXXの前に購入した発売間もないソアラを売ってセリカXXを購入したことに後悔した、と書いている。格好に騙された悪い例だ、と書いている。セリカXXは所詮セリカ以外の何物でもなかった。それに比べてソアラは当時の日本車の中ではましな車だった、と書いている。
暴走族時代にハコスカやケンメリのGT-Rがいかに名ばかりで遅いかも体験している。S20エンジンは高回転を回すために作られたエンジンで街中でのストップ&ゴーで走らせるエンジンではない、と体験している。数値的な興味を持ったのもその頃らしく、S20エンジンの市販車エンジンの最大馬力160馬力を出す為の回転数は市販車そのままのエンジン、ミッション、デフではでないことが数値を見れば簡単にわかる、と書いている。
また、彼は評論家としてはフェラーリをぼろ糞にこき下ろしている。しかし、彼はフェラーリを何台か所有した経歴がある。それは、評論家としての自分と個人的な嗜好とは別である、という彼独自の線引きができているからである。
彼の評論はその車を所有している人達やいずれ所有したい、と思っている人達にとってはショッキングな文章だと思う。しかし、彼の評論を冷静に見るとその車の本質がわかると思う。それでも好きならば、好きで彼の評論することにイチイチ目くじらを立てることなどないと思う。そのことはその車を設計した人もその車を所有している人にも冷静に文章を見ている人達には面と向かって文句を言われたことがないことに現れている。冷静に文章を見られない人は、許せない、と言って苦情を言ってくるそうである。
私の好きな車をぼろ糞にこき下ろしている時があるが、私は彼に苦情を言うなんてことはさらさら思わないし、反対に痛快で面白い文章だと思い、いつも彼の書く文章に関心させられている。
そんな彼が一生の内で最後のフェラーリとして購入した車が365BB/GT4である。この車は(288GTOはGrBのホモロゲーションモデルなのでこれらに含まれない)F40、F50、エンゾ(エンツォ)などと同じくスペチアーレとして作られるはずの車だった。だが、発注数が多かったので予定より多く作られた、という後のF40のような車である。
初めてのボクサーエンジンミドシップエンジン搭載車であるが、ボディが他のフェラーリ、例えば、365GT4(通称デイトナ)に比べてもそれほど重量が重くない。後に発表された512BBはこの車の発展型、といわれているが、実は見せ掛けだけゴージャスにした車である。だから、リアフェンダーが張り出していたり、ロングテールになっていて見た目は良いが重量がかなり重くなっているので走りにかなり影響が出ている。それをカバーする為に排気量を上げているがそれも焼け石に水である。
彼はそのことを承知しているし、S20エンジンではないが数値的に見てどう考えても最大馬力が出ないことも重々承知している。評論家としての彼ならフェラーリはGT(グランツーリズモ)以外の何物でもなくて、最高速を楽しんだり、コーナーリングを楽しむ車ではない、というだろうが、彼の個人的嗜好で考えるとこの車以外欲しいフェラーリが自分の人生の中では現段階ではない、と結論づけたのである。
彼はよくフェラーリ命という人の中で同じ車種一筋の人間があまり見たことがない、と言っている。ほとんどの人が車を乗り換えていると言っている。
スーパー7命、エラン命、ミニ命、という人は多くいる。その車種一筋で車趣味を楽しんでいるが、DINO命、デイトナ命、512BB命、という人間はとても少ない、と言っている。ほとんどの人間はもっと古いフェラーリの車種が欲しい、となっていくし、そういう行動を目の当たりにしている、とよく書いている。デイトナを知ったら、次は275GTBが欲しくなる、と言っている。
デイトナは程度の良い車(Good 悪い Very Good Goodより少しまし エクセレント 良い ミントコンディション とてもに良い 新車並み)でよくて80スープラなみのスピードしか出ないと言っている(ちなみにDINO246はMR-2並みと言っている)。そのデイトナは重くてブレーキの利きが悪く止まらない、と言っている。
275GTBはもう言うまでもなくデイトナよりはるかに遅く、ブレーキがまったく利かない、と言っている。
それでも皆の行き着く先はその車である、とよく書いている。
私はフェラーリの中で所有したい車を選ぶとしたらF40以外だとそのぼろ糞にこき下ろされているDINO206GTB、246GTB、275GTB、275GTC、カリフォルニア(現代の車ではない方)、250SWB、250Tdf、そして、もっと数がなく希少なレーシングマシン250LMが欲しいと思っている。これらのミントコンディションの車は億を軽く超える。買える訳がない。それに比べればF40は安価である。もちろん、その車さえ買えない。
私が所有したいフェラーリはどれも高額である。結論を言うまでもなく夢のまた夢、さらに夢の話である。
フェラーリの新しいモデルは見る分にはとても良いし、実際に見ると興奮する。しかし、自分で所有しようとは思わない。
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私は車好きの方とお話しすることが好きである。その車に情熱を持っている方なら車種の値段が高額だろうとそうではなかろうと関係ない。
私は私の好きなフェラーリを所有している方とお話をしてみたいといつも思っている。
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でも、そういうオーナーの方となるべくお話することがないように期待していつもお話させてもらっている。
私はこれだけはやめられないんですよ、という答えを期待していつもお話をさせてもらっている。フェラーリオーナーは紳士であって欲しいと思う。
そこが最新モデルのフェラーリオーナーと古いモデルのオーナーの差ではないかと最近気づき始めている。
私の人生では言うことがないだろう台詞だが、私はこれ(古いフェラーリ)だけはやめられなくてねえ、と微笑んで車好きの方にやさしく接してお話ができたらいいなあ、といつも思っているのである。
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