2021年01月27日
ブライアン・ジョンストン
プロレスランキング
元総合格闘家でプロレスラーだったブライアン・ジョンストンという男を覚えている方も多いと思います。
90年代末頃〜‘00年代始め頃までUFC→新日本で活躍していた選手です。
格闘技デビューはトーナメント形式だった初期のUFCですが、ドン・フライの新日参戦により一緒に新日に参戦します。総合格闘技人気に押された新日本が、あろうことか総合路線を取り入れ始め迷走した時期です。
ドン・フライの仲間ですからヒール的立場でしたが、フライがUFO(世界格闘技連盟。猪木が設立したプロレス団体)と契約したため仲間割れを起こし新日本隊に加入することになりました。
本隊加入当初はどこのユニットにも属さず「新日ベビーフェイスガイジン選手」の立ち位置でしたが、永田裕志、中西学らが組んだユニットのG−EGGS(覚えてますか?)の一員だった福田雅一が’00年の試合中の事故で亡くなった後、福田の後釜としてG−EGGSに加入しています。漢です。
総合ルールの試合には必ずと言っていいほどジョンストンが新日本の選手のセコンドについておりました。
ところが翌年の藤田和之 vs ミルコ・クロコップ戦で藤田のセコンドについたジョンストンは試合中に体調不良を起こし病院に救急搬送。診断の結果、脳梗塞を発症していたことが判明します。
発症後は引退セレモニー等することなくそのままリタイアしていると思います。
現在では結婚し子供もいるようですが、自力歩行が出来ず車椅子での生活となっているようです。
プロレスラーとしてのキャリアは4年程度でしたが、新日本にとって総合を経験したのは良かったのでは。
猪木に無理矢理総合格闘技路線に引きずり込まれた永田裕志は気の毒ですが。
藤田和之は総合に順応していたので早々に新日を離れましたが、カシンや中西は総合に順応出来ませんでしたね。
武藤敬司 vs ペドロ・オタービオなどは総合をやりたくない武藤と、プロレス的流れを分かっていなくてオロオロするオタービオの表情がイタイのが印象的でした。ことわざで言うと『餅は餅屋』ということでしょうか。
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