2017年03月24日
『健康が一番』 母を認知症の専門病院に
おはようございます、facebookです。
昨日は、 朝8:30a.mに母と一緒に認知症の専門病院M病院に行ってきました。
去年位から、認知症の症状が進んできたので、先日、市役所の介護保険課に相談→介護保険課包括係→
地元の「物忘れ医」W整形外科(認知症診断)→M病院(CT検査、etc.認知症検査など)介護保険申請にあたり、ここ1週間目まぐるしく、動いた。
全ては、母のためだ。介護サービスを受けれるように。
私の母は、9人兄弟の次女に生まれ、農業をしていた両親の代わりに子供の頃から、弟、妹の
面倒をみて、22歳で父と結婚し、子供は、私1人だが、父親が、大酒のみだった為、母は、洋裁の
内職をし、大変苦労して、私を育ててくれました。
私は、一人っ子でしたが、決して、裕福な生活ではなく、質素な生活をしてました。
その後、私は、31歳の時に結婚し、3人の子供に恵まれました。その後、父が、定年し、
その年の還暦に病気で亡くなり、母が、1人になりました。私は、母と別居してましたが、
1人だとかわいそうだと思い、母と同居することになり、それから、家族6人で、同居することに
なりました。母は、働き者で、遊ぶこともなく、80歳過ぎたあたりまで、しっかりしていました。
書道教室にいったり、フラダンス、大正琴など、あと自治区の老人クラブに所属し、活動してました。
それなりに活動的でした。家事と洗濯は、昨年まで、してましたが、だんだん、物忘れや、簡単な機械的な
操作が、わからなくなり、家事(料理など)が出来なくなり、家からあまり出なくなり、寝ることが多くなり
ました。近所の人にも同じ位の高齢者が数人やはり、介護認定を受け、デイケアサービスに
行ったりしてる方が多く、その家族から、早く、介護認定をしてもらったほうがいいよとアドバイスを
受け、いま、動いてます。もっと、早くにすれば、良かったんですが、長男の結婚式などが
あったため、今に至りました。母をみて、あんなにしっかり者だったのに年をったら、
どうなるかわからないと認識しました。
やはり、私のブログのテーマのように『健康が一番』が、人生に於いて、最も重要な課題だと
思いました。 少し、長くなりましたので…、この辺で。
昨日は、 朝8:30a.mに母と一緒に認知症の専門病院M病院に行ってきました。
去年位から、認知症の症状が進んできたので、先日、市役所の介護保険課に相談→介護保険課包括係→
地元の「物忘れ医」W整形外科(認知症診断)→M病院(CT検査、etc.認知症検査など)介護保険申請にあたり、ここ1週間目まぐるしく、動いた。
全ては、母のためだ。介護サービスを受けれるように。
私の母は、9人兄弟の次女に生まれ、農業をしていた両親の代わりに子供の頃から、弟、妹の
面倒をみて、22歳で父と結婚し、子供は、私1人だが、父親が、大酒のみだった為、母は、洋裁の
内職をし、大変苦労して、私を育ててくれました。
私は、一人っ子でしたが、決して、裕福な生活ではなく、質素な生活をしてました。
その後、私は、31歳の時に結婚し、3人の子供に恵まれました。その後、父が、定年し、
その年の還暦に病気で亡くなり、母が、1人になりました。私は、母と別居してましたが、
1人だとかわいそうだと思い、母と同居することになり、それから、家族6人で、同居することに
なりました。母は、働き者で、遊ぶこともなく、80歳過ぎたあたりまで、しっかりしていました。
書道教室にいったり、フラダンス、大正琴など、あと自治区の老人クラブに所属し、活動してました。
それなりに活動的でした。家事と洗濯は、昨年まで、してましたが、だんだん、物忘れや、簡単な機械的な
操作が、わからなくなり、家事(料理など)が出来なくなり、家からあまり出なくなり、寝ることが多くなり
ました。近所の人にも同じ位の高齢者が数人やはり、介護認定を受け、デイケアサービスに
行ったりしてる方が多く、その家族から、早く、介護認定をしてもらったほうがいいよとアドバイスを
受け、いま、動いてます。もっと、早くにすれば、良かったんですが、長男の結婚式などが
あったため、今に至りました。母をみて、あんなにしっかり者だったのに年をったら、
どうなるかわからないと認識しました。
やはり、私のブログのテーマのように『健康が一番』が、人生に於いて、最も重要な課題だと
思いました。 少し、長くなりましたので…、この辺で。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image