小林亜星さんは、大学の先輩でもあるが、在学中も、卒業後も、残念ながらご縁はなかった。音楽クラブで音楽にのめりこんで、結果それが作曲家という職業になった。
たいへん僭越ながら、私も大学時代、ポピュラー音楽クラブに所属していた。同じクラブの先輩や後輩には、レコード会社など音楽業界に進み、有名アーティストのディレクターをやったものも数人いる。私もマスコミ業界の端っこで社会人として働いてきたから、亜星先輩のお仲間といえるかもしれないと密かに思っていた。
それから数日、今度は、寺内タケシさんの訃報である。
名前を聞いただけで、顔面神経痛?(たぶん)で、いつもまばたきをしていた様子と、めちゃくちゃ早弾きのスーパーギターテクニックで演奏する姿が目に浮かぶ。ギターなどを弾いてみたいと思ったいくつかのきっかけのひとつは、寺内さんだったと思う。
当時、寺内さんのエレキギタープレイは、強烈なインパクトがあった。
筒美京平さんが亡くなったり、昭和の音楽史を彩ってきた才能豊かな人たちがこのところ、鬼籍に入られている。
私もいつの間にか、70歳が視野に入ってくる年になった。70歳などというのは、はるか遠い景色であった。20代や30代の頃は、70代の人は、もう人生あがりの年と思っていた。しかし、その年回りが近づいてみると、なんのことはない、外見は年寄りになったが、中身は若造の頃と大差ない。実は今だに女性が大好きだし(笑)。
人はいつか死ぬ。どのような死を迎えるかは、どんな大金持ちでも選ぶことはできない。
その日を迎える時まで、まじめに一生懸命生きるしかない。最近、そう思う。
ああ、思えば昭和は遠くなったものだ。
#寺内タケシ #小林亜星
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