一方、傍流とも言われた日本民主党の系譜は、岸信介から福田に引き継がれ、今日の清和政策研究会、詰まり安倍派へ至る。
もっと大事な事があって、それは少し大きく言えば、自民党とは何か、と言う事だ。
今述べた様に、自民党には二つの立場があり、前者は幾分リベラルな鳩派に傾き、後者は鷹派へと傾いた。
国民の求める物全てに対処しようと言う総合商社の様な物である。
これでは、政策を問う政権交代など起きるはずはない。
野党が政権交代を唱えるとすれば、「政治と金」を持ち出して自民党の体質を糾弾する以外になかった。
こうして、日本の政治は、多くの場合、「金とスキャンダル」絡みの単なる政局になる。
この事が日本の政治を大変に貧弱な物としている。
今日では、自民党の中の本流と傍流の区別も意味をなさない。
党として何を目指しているのかも分からない。
派閥は在る物の、そこに大きな政治的信条の対立も見られない。
これでは派閥は選挙目的の人と金の集合と言う事になってしまうであろう。
「アメリカ」と「世論」と言う言わば二大顧客の為の政治が自民党政治であった。
この現実主義こそが自民党の長期政権を可能とし、又、自民党を内容不明で虚ろな国民政党にしたのである。
だが、そのやり方はもう通用しない。
自民党が真に国民政党であるならば、その目的は国民への利益、便益の差配ではなく、日本の向かうべき方向を国民に提示して、世論を動かす事でしかあるまい。
京大名誉教授 佐伯 啓思
愛媛新聞 現論から
もう自民党は国民政党ではない。
自民党のやり方は通用しない。
政権交代をして欲しい。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image