2018年09月02日
啐啄同時⊹⋛⋋( ՞ਊ ՞)⋌⋚⊹
以下引用
出典は宋代の仏典『碧巌録』七則・十六則。雛が卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」、母鶏がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」といい、両者が一致し同時であってこそ雛は誕生することができる。これになぞらえ、仏教の修行において師弟の呼吸がぴったりと合って悟りの境地へ導くことをいう。
一般的にいって、教育は、内的な自覚に基付き主体的・自発的に自ら内から向上しようとすることを、他から外から支援し促進して積極的・計画的に成長させる営みであるが、この語はまさにその教育の秘奥ともいうべき根本的な機微をいい得て妙である。
解説 / 教育学部教授 竹内 明
空手の師匠と弟子の間にも、このような指導の在り方が求められるのでしょうね。
指導者が何が言いたいのか分かりかねる弟子と、弟子が何が分かっていないのか分からない指導者。そんなもどかしいやり取りを何度目の当たりにしてきたでしょうか。もちろん傍からみた弟子かつおについても同様でしょう。
いつか指導員として人に空手を教える立場になったとき、「教わる側の感性と未熟さ」をしっかりと感覚的に残しておきたいと思います。啐啄同時な稽古が行えますように。
(/ω\)
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コメントありがとうございます。
人にものを教える、なんと尊く難解な作業なのでしょうと思ってしまいます。
小生は順当にいけば年内には初段、その一年後には二段の昇段審査を受け、指導員の資格も取りたいと考えています。
それこそ「相手の立場に立って考える」という想像力と、「このことを知っているor分かっている」というアセスメントは、空手に限らず大切な視点なのでしょうね。
そして、何よりの宝物は、善い師にめぐり逢い、沢山の壁にぶち当たり乗り越えてきた自分の修行過程でしょうから、たっぷり扱いてもらえる今のうちにモリモリ稽古しておきたいと思います。
見てくれて嬉しいです!ありがとうございます!
啐啄同時、初耳でしたが覚えました!
とても大切な心構えですね。
名前の通り、自分は教える側に立つことが多いのですが、どうしたらわかりやすく伝わるかをよくよく考えております。
また、まだまだ修行の身であるので、できるだけ学ぶ機会を得たいと思って色々取り組んでいます。教わる立場と教える立場、双方の考えを上手に使っていきたいと思います