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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年08月25日
夜中の斥候!
 おはようございます。

今日は、夜中の斥候!です。

四国松山で受けた教育の中に夜中の斥候!があったのです。

今、振り返ってみれば小学生の時に行った高野山での肝試しと似てる。

二人ペアーになって駐屯地の近くにある演習場へ斥候!

行く経路と方法は各人の判断。

目的地までの経路上の警戒部隊の規模や場所、交代の間隔を偵察。

駐屯地にかえって各ペアーごと報告。

正確な報告の有無を問われる。

以前、屋根裏部屋のお話の中でも紹介したように演習場へは、みかん畑を通り

行かなければたどり着けない地域。

そこまでの民家も農家なのでしょう、家の庭にはたくさんのみかんの木も植えられ

木にはたくさんのみかんがなっているのです。

装備を整え偵察すべき駐屯地を出発した私たちは、演習場へ向かう細い道を

走ったのです。

夜の道は白く見え自衛隊の戦闘服では遠くからでも気つかれる。

道の両脇に体を寄せみかんの木に身を隠し演習場へ途中人の声で隠れ

あたりを見渡す、姿勢は低く空と道とを透かすように人の有無を確認。

ふと、自分の置かれている場所を見るとそこにはたくさんのみかんが・・・・

斥候であるにも関わらず農家のおじさんの声を思い出す。

キュウイの実は取ってならない、原価が高くしかも時期が少し早い・・・・

みかんは、収穫も終え後は木の実を採りに来る動物や鳥のためのもの、

みかんも来年のために上手に取ってくれ。

取り方の練習までしてくれたおじさんを思い出す。

しかも、こんな時に、演習場までは高台から見渡せる場所を通るため

かなりの速度での移動、体は汗でぬれ喉の渇きまで・・・・

相棒の姿も確認できないままの私は木に実ったみかんを一つ・・・・

喉の渇きがとれ甘味のあるみかんに心をいやされていたのです。

きずいた時には相棒もそばでみかんを・・・

二人顔を見つめこみあげてくる笑いを押さえたのです。

目的の場所まではまだ3kmは残っている、先を急がねば斥候報告何んて

何も出てきやしない。

腰まである側溝に身を隠し先を急ぐ二人、目的地の高台には旗が立てられ

数名の助教が監視をしている。

岩の間に身を隠し敵の人数・交代の有無・斥候の時間を確認。

1時間前に進んだ別のグループの斥候が私の前に・・・・

銃を持って引き寄せる・・・・高台から見渡せる場所を二人

大きな声で話しながら歩いては私たちまで見つかってしまう。

かなり驚いたのだろう、声もないまま顔を見つめている。

偵察した情報を教えてもらう。

情報ではもう少し先に一名監視の情報。

少し移動を試みる・・・かなりの斥候が前方に・・・・

何やら様子が変だ・・・・数名のグループがつかまっているらしいことにきずく

もはやここまでか・・・・私と相棒の二人はここで引き返すことに

帰りは敵から遠くなる気も緩む・・・

いつしか来た時と同じみかん畑の中へ・・・・本来防護マスクの入った

鞄にみかんを数個隠して入れる。相棒にもきずかれないように・・・・

再び駐屯地までの山道を走りかえり付いた私は、斥候の報告書を・・・・

書き終わる頃には全員かええてきた状態。

行く時と違う風景は部屋にはたくさんのみかんが置かれてあったことくらい。

戦利品なのだろうか?私だけでなくいつ間にか沢山のみかんに

ただビックリするばかり、松山にたどりついて農家のおじさんの

みかん狩りの教育の意味がハッキリとわかる瞬間。

毎年この時期の教育隊の風景だったのかも知れません。

農家のおじさんには感謝を・・・・

山の頂上にあるみかん小屋へは誰も足を踏み入れる事はなかったでしょう。





 明日は、池の中の帽子!です。





 では、また。

2009年08月24日
横須賀の町!
 おはようございます。

今日は、横須賀の町!です。

私の感じたところ不思議な雰囲気の残る町・・・

そう言うイメージが強く残る町だった気がします。

陸上自衛隊通信学校がある場所・・・

そこへ私も行く機会が訪れたのです。

日本の各地域・・・北海道から沖縄までの通信科の職種の隊員の集まる学校。

町の中は漁師町、いつも潮風の匂いが漂う静かな町。

町の中ほどにはモダンな建物・・・・鹿鳴館。

大正ロマンが漂う面影に歴史が刻まれていたのです。

坂道を岬に向かい歩くと勾配のある下り坂・・・尻こすり坂の異名を持つ

お尻をこするかの如く勾配のある坂を降りると一隻の黒い船が・・・・

ペリー上陸記念公園・・・そう浦賀である。

昔、外国から来たあの黒船がついた場所。

歴史の背景から通信技術もこの地で発展したのかも知れない。

岬の先端に行けば海の幸のおいしいものが沢山食べられる。

特にまぐろの料理は学生の間でも一度は行かなければと歴代の申し送り場所。

夜になると学生は街に繰り出す。

横須賀中央まで京浜電車で・・・・ネオンきらめく繁華街には

アメリカ海兵隊の兵士も交る不思議な街・・・・

そこで見つけた一軒のパブ・・・中には映画に出てくるアメリカンな感じの

おしゃれな店に学生たちが一人・・・また一人と集まり始める。

夜も更ける頃には通信学校の学生たちのグループと海兵隊のグループの

笑い声でいっぱいになる。

門限のあった私は帰路を急がなければ・・・・

駐屯地へ帰る途中にある小さな川沿いの一軒の店に立ち寄る。

卵焼きと焼きそばとおにぎりを急いで注文しアルミホイルにくるんで持って帰る。

やっとの思いで辿り着いた門ではすでに門限が・・・・

朝まで門の片隅で眠ることも・・・・・

不思議な感じのある町、営内に帰った私はアルミでくるまれた

おにぎりと焼きそば・卵焼きを暖房のスチームの上に置く。

バルブを回しカンカンと鳴り響く音を確認して少し眠る。

目覚めの朝食はすでに温まり元のおいしい状態に・・・・

風の便りで聞いた声、漁師の船の上の食事も暖かく食べれる。

アルミホイルのありがたさはこんなところにも・・・・

食事も終われば洗濯にアイロン・半長靴を顔が映るくらい磨く。

明日から新しい一週間の始まり。

窓から入る潮風が心地よい。

なんとも不思議な感じのする町だ・・・・遠い昔の思い出です。





 明日は、夜中の斥候!です。





 では、また。




Posted by ビギン at 09:44 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月22日
銃剣道の合宿!
 おはようございます。

今日は、銃剣道の合宿!です。

自衛隊の大事な訓練の一つです。

訓練最盛期も終わる秋から冬にかけて各部隊では銃剣道や持久走のムードが

強く部隊の中でも今年の優勝旗は我が中隊へと士気が高くなってくるのです。

銃剣道も大事な訓練の一つ殺人の技?とまではいかないでも

戦地に行けばこれをなくしては生きては帰れないもの・・・・

「借与の筒は武器ならず、寸余の剣なびかせん」・・・・

自衛官の装備の腰につけた剣、銃の先に付け敵地に・・・・

訓練も演習場でする訓練と冬の時期にする訓練といろいろあるのです。

当然、自衛官として訓練を受けるのですから

銃剣道と持久走どちらかを選択しなければならないのです。

どちらも必要な訓練、自衛官なんら必ず・・・・

私は銃剣道に縁があったのでしょう。

縁があったというより、持久走は苦手・・・・

自衛隊の装備を付けて何キロも走るのですから辛くないはずはない。

まして、1500メートルを5分程度の早さなら腐るほどいる自衛隊

いくら頑張ってもつらさは・・・・

そんな気持ちもあってなのか銃剣道へ。

武道も人よりすぐれているわけではないのですが必ずどちらかを選択するのです。

体の小さな私には銃剣道は不利・・・・

そんな私も毎年のように冬には師団の連隊へ銃剣道の合宿へ

参加を命じられるのです。

銃剣道の強化よりまた別の意味合いが強かったのかも知れません。

師団内の各部隊から集まるのですが懐かしい顔が沢山・・・・

合宿も鬼のようなしごきがなければ楽しいものに・・・

しかし、そう甘くはない、朝からかなりの距離を走りまるで

持久走の合宿のように、体育館では大人と子供のように

まるで遊ばれているようなもの・・・・

手に持った木銃はどこかへ飛ばされまるで串刺しにされるかの様に

胸や喉に決められる。

武道の不思議な部分はここにあるのかも???

子供のようにあしらわれても自分の形や剣を磨く・・・

相手より早く、より正確に、間合いも考え・・・・

一年目の合宿より二年目・・・・三年目には・・・・やっとの思いの一本。

いつの頃からか合宿に参加するのが楽しくなっていたのです。

合宿場はまるで十年前からともに生活をしていたかの雰囲気に・・・

不思議と懐かし顔ぶれに感じたのもどこかで縁があったのかも知れません。

私の自衛隊生活懐かしい人々が多く今思えば自衛隊ではなかったのかも???

こんな思いも今では妙に懐かしい気がするのです。




 明日は、横須賀の町!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 10:19 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月21日
ラッパ教育!
 おはようございます。

今日は、ラッパ教育!です。

自衛官として生活の中では様々な教育があるのです。

今日のラッパ教育もその中の一つなのです。

今、日本の国ではなくなった軍隊にはラッパ隊というものあったそうです。

軍隊がこれから戦場へ向かうのにラッパ隊を先頭に行進曲で進んだそうです。

ラッパ隊のラッパの音に気付き敵の攻撃を受けた場所が戦闘地域・・・・

いうなればクマよけの鈴みたいなもの???

戦地から帰還するもラッパ隊を先頭に帰って来るのです。

ラッパの音が聞こえると今まで建物の中にいた住民や兵隊たちが出迎える。

本来のラッパの意味はこうした部分だったようです。

兵士の士気が落ちないようい急ぐ時にはテンポの早い曲

戦地でなくなった兵士を土にかえす時には葬奏の譜

野営で朝起きるのもラッパの音・・・夜寝るのも・・・・

何かと軍隊の行動はラッパの音で始まるのです。

当然、今の自衛隊にもその風習が多くあり

朝の目覚めの時には起床ラッパ鳴り響き

夜、消灯を迎える時には消灯ラッパが駐屯地に鳴り響くのです。

私がラッパの教育を受けた時は、師団にある音楽隊へ・・・

部隊長に申告を済ませた後、音楽隊へ約三ケ月教育

途中には悩みも多くなかなか音がでない

本来音楽に携わっていた隊員とは違い個人差もかなり大きかったようです。

私も多分にもれず音が出なかったのです。

それまで飲酒は禁止されていたにも関わらずこっそりクラブへ・・・・

お酒を飲むスペースである対内クラブの片隅に隠れるように座り

お酒を・・・・半ばやけ酒のように周りではラッパから

きれいな音が出ているにも関わらず未だ私のラッパからは息の音だけである。

禁止をされているお酒もすすむにつれ本来の自分に・・・・

脳天気な私は千鳥足で部屋へ帰りそのままラッパを口に

目はどことなく座り足もおぼつかない状態・・・

まるで体に力が入らない・・・そんな状態で吹いた私のラッパから

音が響き渡ったのです。

日夕点呼を前に鳴り響くラッパに各部屋から整列の声が・・・・

当直からは、今日は少し早いが点呼!の声・・・・

不思議と鳴り響いたラッパの音に自分でもビックリ・・・

何が功を制するかわからない・・・・その日から教育に参加している

私のラッパからはきれいな音が鳴り響き始めたのです。

ラッパの教育隊の伝統、天神川を川上へラッパからは行進曲と駆け足の局と

これから日々生活をする中の曲を吹きながら行進するのです。

途中ある病院からはがんばれの声も、奇声のように聞きながら

教育も終了すると警衛隊として勤務に就くときラッパ手として

勤務に・・・・マイクの前に立ちラッパを・・・・

ボリュームに手をやり時間が来ると・・・・初めてマイクの前で吹くラッパに

足が震えるたのを覚えているのです。

今でもテープでなくマイクの前でラッパ手が吹くラッパの音で

昼食や自衛隊内の生活が送られているのでしょう。

真鍮磨きで毎日磨いたラッパも今では音が鳴ることもなくなりました。




 明日は、銃剣道の合宿!です。




 では、また。

2009年08月20日
洗面器を的に!
 おはようございます。

今日は、洗面器を的に!です。

以前、屋根裏部屋のお話の中でも紹介したのですが今はない訓練場での

忘れられない出来事・・・訓練のお話です。

ガソリンが入った携行缶へ引火した時もこの訓練場。

近くに民家がないわけではないのです。

滋賀県浜大津駅から少し走ったところ南志賀里駅から少し山に入ったあたり

小さな訓練場があったのです。

訓練場と言うより野外射撃場だったのかも知れません。

近江神宮から日吉大社を結ぶ線の丁度真ん中辺りに

その訓練場はあったのです。

自衛隊に入隊して初めて手にする銃に誰もが緊張を・・・・

当然と言えば当然、今まで手にする事はなかったはず

日本では自衛隊か警察か国の許可した猟友会等の一部の人以外に

触ることは、表向きにはないはずですから・・・

高校を出て間なしの若者が手にし射撃の姿勢を習い

そして射撃!

最初は空砲を的に向け撃つ!

屋内射場ではなく屋外の小さな射撃場!

訓練のとおり姿勢を・・・気お抜くと後ろから思いっきり蹴り飛ばされる

当然である・・・18・9の青年といえど銃を持っての訓練なのだから

おかしな動作をするととび蹴りが・・・・周りの隊員に怪我を・・・

怪我だけで終わればまだ良い・・・中には・・・・

はじめから弾を込めて撃つはずもない空砲から・・・・

一メートルほど前に置いた洗面器に向け照準を合わせる。

撃ての号令で数名一緒に打つ・・・・自分の前の洗面器が割れて飛び散る

弾など入っていないのに・・・

それを見た別の隊員は緊張のあまり射撃が出来ない。

撃ったはずの空砲が銃に残ったまま・・・

撃ち方やめの号令で一斉に元の姿勢に・・・・どこから飛んで来るのだろう。

助教のとび蹴りが炸裂・・・若い隊員は頭を押さえうずくまる

とうとう射撃が出来ないままその日の訓練は終了となる。

実弾を撃つまでにはかなりの訓練を受ける。

中には萎縮し自分弾はどこにも当たった形跡がない隊員もいる。

中には目をつむって射撃!助教にきずかれ蹴り飛ばされる。

今思えば日本の国の若者は皆当然の姿なのだろう。

銃を人に向けて撃てることの方が異様である。

自衛隊で訓練を受けながらこの世と違った世界に自分がいることに気付く。

蹴られしゃがみ・頭を押さえ・・・・昔の自分に懐かしさを感じることがある。

人を殺す訓練を今の自衛隊はしている?????

今の自衛隊ではない。

昔から自衛隊はそうなのだ・・・・

有事の時にはすぐに銃を手にし撃つ事が出来る。

本当の怖さを分かっていない日本の国民たちが多い。

戦争に負けてから時がそうさせたのだろう。

幸せのままの日本の国を残せればいいのに・・・・




 明日は、ラッパの教育!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 09:25 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月19日
戦闘訓練!
 おはようございます。

今日は、戦闘訓練!です。

同じ自衛官でも職種がらあまり私には縁のない訓練!

しかし、入ったばかりの教育隊や昇任のための教育隊では必ず

付いてくる・・・当然と言えば当然なのですが

日頃しない訓練をするための訓練がまた大変なのです。

訓練場を走る体力・動作・決まった行動と忘れていることも多く

その度に大変な思いをするのです。

ところが、新隊員として入隊したばかりの時の訓練は少し違うものも

教育を受けるところでも違う・・・伝統がいろいろあるようなのです。

私の受けた教育隊は近畿でも伝統のある場所。

滋賀県大津市にある第109教育大隊・・・・

西には霊峰比叡山がそびえ立ち東には広い琵琶湖を望む風光明媚な場所

昔のアメリカ空軍の整備工場の跡地とあって駐屯地内はアメリカの軍隊に

あの、有名な「愛と青春の旅立」に出てくる軍隊の士官学校とみた感じ一緒。

丁度、「愛と青春の旅立ち」の放映されている時には私は四国松山で

戦闘訓練をしていたのです。

週末の外出の日に映画館で見るたび大津駐屯地を思い出し

当時の戦闘訓練を懐かしんだのです。

映画と同様かなりハードな教官、訓練中にはヘルメットの上から

蹴りが入ることもたびたび、地面に伏せる時にはすこしでもかかとが上がると

踏みつけられ雨上がりの水たまりを見つけるとそこで地面に

顔は泥水の中、尚且つ頭を踏まれ泥水を飲むことも少なくない

映画、「愛と青春の旅立ち」そのものといっても決して過言ではないのです。

駐屯地の西側には飛行機の引き上げるための引き上げ場があり

昔の淀川の護岸沿いのようになったいたのです。

琵琶湖と面し遊ぶならもってこいの場所。

クルーザーで応援しに来る友人の姿はないけれどクルーザーの走り回る中

区隊全員、銃を頭の上に持ち琵琶湖の中へ入ってゆくのです。

泥だらけになった戦闘服、銃口にはあってはならない泥がたっぷりとつまり

隠れてそれを洗い流す。

しごかれてるのか、整備をしているか?

建物は映画の武道場と同じつくり声は響きどなる声もより大きく・・・・

今、思い返してみるとまるで「愛と青春の旅立ち」と同じなぜか懐かしさが

今、私の自宅にはその時の写真が一枚もない。

第109教育大隊の思い出のアルバムとともに消えたようです。



故郷の山河後にして

集いし若き友と友

古き歴史の近江路に

比叡の夕日仰ぎ見て

若き日本の花となれ

我ら109教育大隊伝統の

賢児となるは誉なり



 この歌とともに・・・・

この頃から我が家から一つずつアルバムが消えていったのです。





 明日は、洗面器を的に!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 09:44 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月18日
パソコン!
 おはようございます。

今日は、パソコン!です。

いつからなのか・・・考えてみたんです。

パソコンを使うようになったのは。

遠い昔・・・・一度買った記憶が・・・・

当時のものは非常に高く50万円はした記憶が・・・・・

今では、考えられない金額当時の主要機種はやはり9800シリーズ

5インチの薄いディスクにゲームが入っていたのを覚えている程度

その頃から事務所でもPCを使い文章を作ることがあった

それまではタイプ・・・字をひらって1文字ずつ打ち込んで作成していたのに

便利になったのも束の間、PCとは無縁の職種へ進んだ私が

再びPCを使うようになったのは・・・・・

今と同様、転職を考え離職した頃、当時、迷って・・・

贅沢な買い物・・・必要ないかも知れない。

そう考えていた時、心の中にある思いが。

これからの時代、会社へ報告書を出すにもPCが必要に

特に私の場合字がきれいな方ではない、周りのみんなに歩調を合わせるには

必ず必要になる、そう感じ始め急いで大阪日本橋へ・・・

不思議なもので日本橋で一人の女性と出会った時、PCを買う事を決めたのです。

以前、どこかであったような・・・私の小さい時、保育園の先生と同じ名前の

女性といつも一緒にいる。

小さい頃の保育園から縁があったのか・・・今までの生活の中で必ず出てくる

女性、いつも二人で仲良く腕を組み私の周りにいる気がする。

今、思うとあの時、決心して買ってよかった。

すれ違った時、かすかに聞こえた心の声・・・

あれから6年・・・5年の間は・・・

ハローワークの失業手当をPCに変えたあの時と

少しは変わった私が・・・

これからどうなるのか不安は残るがひとまず良かったようだ。




 明日は、戦闘訓練!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 10:15 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月17日
紙ナフキン!
 おはようございます。

今日は、紙ナフキン!です。

昨日のエプロンからの流れで紙ナフキンの製造工場で働く機会があったのです。

エプロンの時に感じていたどこかで誰かに・・・の気持ちが少し解けた。

紙ナフキンの製造も機械での製造。

それを袋に入れて箱詰めにして出荷、

作業自体は難しいものではないのです。

ところが、作業をはじめて昔、懐かしい調理の時の事を思い出したのです。

今までのお話で既に知っていると思うのですが自衛隊でも

立派な食堂がありそこで調理を担当するのも自衛官なのです。

調理と思われることもあると思いますが自衛隊では必ず付かなければならない

仕事の一つなのです。

調理に携わらないと昇進できない・・・それほど重要な部分の一つ。

そこへ勤務をした時の事を思い出したのです。

食道から出ると藤棚がありそこへはベンチがあり日陰になって涼しい場所。

調理の合間に時々そこで休憩をとることも・・・・

そんな時、決まって料理長から雑学?教育があるのです。

その中に紙ナフキンのことが私の頭に・・・・

自衛隊の食堂でも少し不満の声があったのかも知れません。

紙ナフキンの端に少しの幅のずれ・・・

口の周りを拭くためだけに使うものとしての加工はしていない。

波のように少しのずれが・・・・紙のナフキンもある食堂では

ホークやナイフ、スプーンを包むときもあれば

パンやいろいろなものをとってのせておくお皿にもなるときも・・・・

さまざまな食卓の上のたらない部分を補う貴重なもの。

この時の言葉が脳裏によみがえってきたのです。

心地よい雰囲気の波型を作るためには・・・・

自分なりに答えを出したのです。

工場の中では様々な紙ナフキンの製造する機械が置かれてあり

次の機械へ移るために学べば学ぶほど心地の良い波型が生まれる。

心の中は遠い昔まだ自衛隊へ入ったばかりの頃のおばさんに混ざって

包んだホークやナイフ、スプーンを思い出し、また、その時の料理長の

言葉も心の中によみがえり今までの不思議な感じは

調理に携わるものの必要な知識の部分なのかも知れない。

心地よい雰囲気を周りに与えるためには普通にしなければならないことを

する以外にないのではないかと感じたのです。

いろいろな人がいろいろは場面で使う紙ナフキン使う人の心地よい感じは

製造段階で作られていると思うのです。

実際に自分で体験してみなければわからない部分、聞いて覚えるものとは

違う部分に心地良さがあるのかも知れない。





 明日は、パソコン!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 10:04 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月16日
エプロン!
 おはようございます。

今日は、エプロン!です。

レストランなどではよく使われている紙のエプロン!不思議と感じる部分が

私の中に多くあったのです。

首に付ける紙の紐、最初は懐かしくどことなく

小さい頃の凧あげを思い出していたのです。

お正月にはタコに足のように長い紐を付けてできるだけ高く上がるよう

周りで競うように付けていた事を・・・・

作業も慣れるにつれ以前の記憶がよみがえってくるのです。

会社から宴会の席にはよく出てた紙のエプロン・・・・・

経験した人も多くいると思うのですが紐がすぐに切れて

めんどくさい・・・はずしてしまえ・・・・

時には、エプロンをつけても心地が悪く引きちぎるように外す場面も

私自身幾度となく経験したことだけに心の中に心地よく付けるには・・・・

あるとき、そう思うようになったのです。

糊の付け方にもいろいろ方法があるのでしょう。

以前、どこかで聞いた事がある・・・・思いだそうとするのだけれど

どうしても・・・・ひもの真ん中にぽつりと糊をつけることが・・・・

紐にゆとりを付ける・・・・どこで聞いたのだろう・・・・

遠い昔、確かに私に教えた人がいたはず・・・・・

不思議な思いも重なり作業も楽しくなり始めた頃、

あるテレビのシーンを思い出したのです。

富士の山の護摩供養のシーン・・・

お坊さんが経本を読まずにパラパラめくるシーン・・・・

幾度も繰り返し行われるこの動作にもある意味があることを

なんでもない紙のエプロンの紐付け作業のはずなのにどこからともなく

心の中によみがえってくる、何人もの人が山行を繰り返し

その恩恵を私たちはいただいている、気が付くと

私の手元にある紙のエプロンの紐が一列に並んでいる

今までしたことのない作業なのに・・・・・

遠い昔から私がこの仕事に就く事を知っていたのかも知れない。

そう思ったのです。





 明日は、紙ナフキン!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 11:07 | 冒険 | この記事のURL
2009年08月15日
六地蔵!
 おはようございます。

昨日掲載したはずの六地蔵!が何かの手違いで掲載されたなかったようです。

今日は、再び六地蔵!を掲載します。

私が高校生の時の夏の合宿での出来事です。

以前にも屋根裏部屋で紹介した一年生の夏の合宿。

2年の年月が過ぎクラブ活動も引退を迎える

最後の3年生の夏の合宿での出来事です。

私の通う高校の山岳部は山小屋を持っていたのです。

京都府宇治市・・・伏見区との境にあたる地域に・・・・

地名は六地蔵!地名のいわれは私にはわからないのですが

山岳部の管理している山小屋に入る入口に六体のお地蔵さまが立っていたのです。

その年の夏の合宿はクラブの顧問から山岳部の管理する山小屋でしよう、の声に

部員一同賛成の声を上げたのです。

六地蔵駅に降りた部員一同は小さな地図を片手に山小屋のある

山道の入口までたどり着いたのです。

そこからは今までの車道と違って山の中、道を入ってすぐに追分になっていて

そこに六たいのお地蔵さまが並んでいたのです。

この時、私は地名の六地蔵はここにあるお地蔵さまからきた地名なのかも?

そう感じたのです。

山道を上がること約30分そこには山小屋というより

もっと立派な感じのログハウスがあったのです。

当時の部員約20名が入っても大丈夫なくらい中は広いスペースに

辿りつくと間なしに夕食の準備に各人任務を決め食事とキャンプファイヤーの

準備にとりかかったのです。

山の中ですから周りに人の気配もなくまるでクラブで貸し切り状態

食事も終り楽しいひと時を過ごしているとどこから見つけたのでしょう

ウイスキーが出てきたのです。

本来、高校生ですから飲酒なんて・・・・しかし、好奇心旺盛な年頃です。

飲まないわけがない・・・・高校へ入りたての頃の合宿のことも・・・・

時代は繰り返される・・・・あの時の2年前の夏の合宿が脳裏を過ったときには

どこからともなく悲鳴が・・・・クラブの後輩が先輩に無理難題を・・・・

馬乗り状態の後輩の上には人の変わった形相の友人が・・・・・

2年前の夏の合宿でもこうだった・・・・・あの時も警察が・・・・

不安はだんだんと高まりまわりにいた後輩はいつの間にか山小屋の中へ

最後の合宿を迎えた数名が焚火の管理と思い出話を・・・・

お酒もなくなったのでしょう突然山を駆け下り始めた友人を

あわてて追いかけたのです。

2年前の合宿でも誰か追いかけていれば・・・

山道も下りですからかなりの速度追いかける私もこけそうになりながら

後を追ったのです。

山の中から車のライトが見えるところまでさしかかったとき、

このままでは駅前の繁華街へ出てしまう。

なんとか止めなければ・・そう思った時前を走る友人の体が宙を舞ったのです。

車の通る道路の手前で友人を捕まえなだめて再び山小屋へ

すぐ横には来た時見た六体のお地蔵さまがあったのです。

山小屋へ連れ帰った友人を寝かせると再び焚火の前へ・・・・

火も消えかかり寒さだけが身にしみて感じられお酒があると少しは

暖かくなるのに・・・・ふとそう感じたのです。

次第に夜も明け周りには一人、一人と目が覚めた部員が焚火のまわりへ

寒さの中朝食の支度と帰る準備、山小屋の中の清掃

来た時同様分担しての作業。

帰る準備の整った頃、今までどこにいたのでしょう顧問が二人みんなの前に

山小屋に別れを告げ下山を始めた部員達、私も同様一列に並んで下山を

昨晩の寝不足からか歩く足が地に付いていない感じ

時折、意識がふっとなる、その度目が覚めては歩きだす。

丁度、六地蔵に差しかかる頃、意識が途絶え体は宙に・・・・

昨日の友人と同じだ・・・・そんな事を夢の中で感じたような気がする。

2年前の夏の合宿でも不思議な声にOBのお尻に浣腸を・・・・

今、思い出しても不思議な出来事、あの時、聞こえた声は・・・

あの時の合宿もそう、今日のようにいろいろな事件が起こり

生涯忘れ得ぬ合宿となったことを、

今でも不思議な縁なのかと思う事があるのです。

そう言えば、高校三年間私と同じアルバイト続けた先輩も

山岳部だったのを思いだす。

山小屋にはお酒が絶えず置いてある、高校生といえども山へ入ると

命を守るため飲むことがあるのだと・・・・ある夏の公園の売店で聞いた事が

思い出として心に深く残る高校生活だったのかも知れません。




 明日は、エプロン!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 10:28 | 昔を散策 | この記事のURL
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