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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年02月27日
通信学校!
 おはようございます。

今日は、通信学校!です。

ここ2〜3日回線が安定してなくってお話が途絶えましたが

以前の続きから始めたいと思います。

四国松山での教育が終わるとすぐに専門の学校へ入校するのです。

我輩の場合は職種が通信科であったため通信学校へ入校することに

学校は神奈川県横須賀市にあるのです。

久里浜駐屯地・・・漁村???小さな川のほとりにあり

いつも潮風の匂いが漂う場所です。

近くでは昆布や海からの幸を干しているのどかな地域

特徴はあの有名な黒船がついたところです。

ペリー船が入港した町として海岸には記念碑もあり

風光明媚な地域で職種の教育を受けたのです。

幸いなことに我輩はちょうど新通信機器と旧通信機器の入れ替わる時期に

教育を受けることができたのです。

新しいものと古いものが入り乱れる中の通信を・・・

新しいものだと今の電子交換機や多重無線機などもデジタルのものに

古いものでは昔あったテープの符号を送るもの

少年時代のニュース番組の始まるときに流れていた通信機などがあり

興味のある人には楽しいものがたくさん

そんな時期の教育ですからまだ、一般部隊でも馴染みのないものが

たくさんあったのです。

その反対に古い機材を知らない隊員も多くお互いに

新しい知識を学ぶもの古い知識を学ぶものと両方にメリットがあったのです。

幸い我輩のいた部隊では少し前から入れ替わりが始まっており

馴染み易かったことを今もありがたく思っています。

四国松山での教育とは少し違い厳しさを感じるより

学ぶことに重点があったように思います。

食堂では焼肉ができるスペースがあり

週に一度先着50名焼肉を食べることができるのです。

この日ばかりは早めに午前の授業を切り上げ食堂へ・・・

いつも教官から呆れかえられるほど焼肉を食べました・・・

そんな学校での生活にも困ったことが一つ・・・

夜中に大きな音がするのです。

鉄の扉のしまる音・・・寝静まった夜中に・・・

神奈川県は温泉が多くあり、火山の関係から

一日に一度は地震が起きていたのです。

地震があると鉄の扉が大きな音とともにしまる。

その時の音と言ったら飛び上るほどの大きなもの

それも3か月教育終了の時には慣れて

音が聞こえないと、寝た感じがしない

慣れることは怖い・・・実感!

ここでの生活の楽しかったことは四国松山での生活と

180度違っていてよく遊んだ記憶の多く残る駐屯地の思い出です。



 明日は、先人の碑!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 08:47 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年02月26日
回線の不具合!
 おはようございます。

昨日、保存して公開した記事もうまく掲載できてないみたいです。

このサイトの記事では掲載できてたみたいで

そのままにしていたのですが

リンクしているサイトからみると公開できてない

広告の掲載もできない状態・・・・

回線が復旧できるまでひとまずお話の掲載を控えさせていただきます。

広告掲載の提携を承認していただいた会社様にも申し訳ないです。

信用問題になりかねない・・・

しばらくHPページもダウンロードです。

早く復旧したもらいたいものです。

いろいろなサイトに影響が出てます。

我輩の掲載しているサイトだけですが・・・

世界のMSNでも・・・世界的なものでしょうか・・・





 では、また。

2009年02月25日
いざ、江田島へ!
 おはようございます。

今日は、いざ、江田島へ!です。

四国松山での教育の間いろいろなことがあったのですが

その中でも大きく心に残るものの一つに江田島見学があるのです。

高松港から海上自衛隊の輸送艦で広島県へ

広島県にある江田島には海上自衛隊幹部学校があり

そこへ第70期陸曹候補生共通教育中隊の生徒は見学に行くのです。

教育の一環として行くのですからそれ相応のものが・・・

季節は秋から冬へと移り変わる中の夜明け前

隊員たちは、各人のベットから毛布を2枚持って自衛隊のトラックへ

季節と地域の特性かかなりの冷え込み・・・

高松港までのトラックの荷台はかなり寒く皆、毛布にくるまり

移動をしていたのです。

高松港からは海上自衛隊の輸送艦へ乗り込んだのですが

スペースは狭く毛布にくるまり隊員が重なるように夜の海を航海するのです。

明け方の5時頃には無事広島県へと到着するのですが

松山駐屯地を出て24時間トラックと輸送艦の中で気持は少しブルーに

江田島駐屯地・・・海上自衛隊の幹部学校のある駐屯地に

教育隊から見学・・・しかも訓練を兼ねているとはいえ

海上自衛隊の輸送艦を使用してのものですから

それ相応のことがあるわけです。

話に聞くと旧陸軍の資料館としては日本有数の資料館!

特攻隊や幼くして帰らぬ人となった魚雷の乗組員の

実際の持ち物・手紙・その当時着用していた服・持ち物

大事に保管され貴重な資料として残っているのです。

中には息の途絶える中書かれた遺書・・・手紙のところどころには

その当時の血の跡がおびただしく残っており

見学中の隊員の中には涙するもの・・・気分の悪くなるもの

我輩は、背筋に寒気を覚え一時も早く資料館から出たい・・・

心の底からそう思うほど感じるものが大きかったのです。

見学の時間としては約2時間余り

行き帰りにかかる時間は48時間そんなに時間をかけてでも

見学をするほどの貴重な資料館だったのです。

それまでの自衛隊での生活の中には戦争というものの

捉え方と見学以降の考え方との違いは歴然

自衛官だから戦争に行くのは当たり前・・・

どこかで、そう思う自分がいた

それ以降考えは新隊員として大津駐屯地で受けた

教育のことが頭に残り自衛隊としての考えを一段と強く

生活をしていかなければと思うようになったのです。



 今でも、松山駐屯地で教育を受ける陸曹候補生が

江田島駐屯地へ見学に行き各人いろいろな思いを心に

各部隊へと帰っていくのだと思うと頼もしく思うのです。





 明日は、通信学校!です。






 では、また。



2009年02月24日
スチュワーデスさん!
 おはようございます。

今日は、スチュワーデスさん!です。

昨日の四国松山での生活に付随した話題です。

以前の話でも一度松山空港の話をしたと思うのですが

松山空港は世界の空港の中でも離発着の難しい空港として有名だそうです。

そのため、海側からの着陸を主にしているようなのですが

発着のときが大変まるで天地の感覚がなくなるほど旋回をしないと

離陸できないのです。

空港の先には石槌山があり気流の関係や地形の関係で

困難を要するのだそうです。

そんな空港へ向かう飛行機の中での出来事なのです。

我輩は教育を受けるため四国松山へ飛び立ったのですが

準備の段階で少し不手際があったのです。

自衛隊の制服の肩の部分には部隊のわかるものが

袖には勤続年数の判るものがつけてあるのですが

いずれも制服に縫いつけなければならないのです。

我輩、四国松山に梱包して送ったものは付けてあったのですが

着用していく制服にはひとつだけ付けてないものがあったのです。

袖口の勤続年数を表すものが・・・・

脳天気というのか我輩伊丹空港から松山空港までの間に

付ければいい・・・・気楽なものです。

ポケットに針と糸を入れ飛行機の中へ

その当時座席には煙草の吸える座席と窓側とを選べたのです。

我輩は飛行機が無事伊丹空港を飛び立ったあと

制服の上着を脱ぎ針と糸で袖口の精勤章を縫い始めたのです。

自衛隊の制服の精勤章とパイロットの制服の袖口と

似ていたからなのかも知れません。

スチュワーデスさんが我輩の元へ来て私が縫って差し上げましょうか

思わず我輩はスチュワーデスさんの顔を見上げ

笑顔に魅了されたのです。

我輩、部隊ではシャイで通るくらい恥ずかしがり屋なのです。

自分でもわかるほど顔が赤くなり思わず

自衛官たるもの自分のものは自分でできますから・・・

とっさに出た言葉に後で、きれいなスチュワーデスさんに

お願いすればよかった・・・後悔先に立たずとは・・・

松山空港の特徴もこの時、スチュワーデスさんに

教わったのです。

この時の、スチュワーデスさんとの少しの言葉のやり取りが・・・

我輩には心温まる飛行機の時間として心に残っているのです。



 明日は、いざ、江田島へ!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 05:28 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年02月23日
石槌鍋!
 おはようございます。

今日は、石槌鍋!です。

昨日お話した四国松山へ教育を受けるため入校してた時の話です。

厳しい訓練をそこで受けるのです。

自衛官として陸曹になるために受けなければならない教育なのです。

今までと違って体力的にも厳しく辛いこともたびたび・・・

そんな中でも、楽しみはあるものです。

自衛隊の駐屯地の中にアルコールを飲める施設があるのです。

厳密に言うとその施設以外でのアルコールは禁止!

教育期間中ですから原則的にアルコールは禁止!

でも週に2回・・・木曜日と土曜日はアルコールが認められているのです。

外出は土曜日・日曜日のいずれか

たまに松山市の駅前で楽しんでくるのですが

松山市内へ外出をするときは制服なのです。

周りの目もありあまり羽目を外す行動は・・・・?

中でも、銀天街・大街道などの大きな商店街には

土・日にはたくさんの制服を着た自衛官が歩いているのです。

我輩は根っからのお調子者・・・・

週二回の許されるアルコール解禁日だけは皆勤賞を・・・

我輩たちの間では裏の表彰として語られているのです。

そこでのメニューにあったのが『石槌鍋』です。

値段は安く500円?なんでもない鍋に大きなラム肉が2枚

個人用のなべで炊きながら食べる松山駐屯地の名物鍋なのです。

アルコール解禁日といえど点呼もあり明日の準備も通常どおり

飲みに行かない隊員のほうが多い中、我輩は皆勤・・・

その御蔭か成績は・・・・です。

でも・・・我輩は心の中では人間らしさが・・

人間の評価は成績だけではない

自分で励まし通っていたのです。

今となっては、大切な思い出となって心に残る

こう言う人生もまた、楽しいと感じます。



 明日は、スチュワーデスさん!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 07:00 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年02月22日
みかん畑!
 おはようございます。

今日は、みかん畑!です。

我輩の思い出の中に忘れることができなものがいくつもあるのですが

今日のみかん畑もその一つなのです。

我輩が四国愛媛県松山に居た頃のことです。

松山と言えばみかんの有名なところでもあるのです。

のどかな町で我輩のいた所は夕方にはスピーカから

町内放送がながれてくる・・・そんなのどかな町の中にある

みかん畑での思い出・・・です。

当時我輩は人生で最も重要な時期の一つに差し掛かっていた頃です。

あまり都会では見かけない風景がそこにはあったのです。

みかん畑に周りを取り囲まれたところに自衛隊の演習場があったのです。

演習場まではいつも駆け足・・・・

町の中の細い道を隊列を組んで走って訓練場まで・・・

毎日の日課で多いときには午前・午後2往復することもたびたびあったのです。

訓練場にはみかんが沢山なっており時には一つ・・・・

農家のおじさんも分かって居られたようでみかんの取り方まで

教わることもあったのです。

訓練はとっても厳しいものでまるで「愛と青春の旅立ち」みたい

修了式の時には映画のまねをして学生全員んで制帽を空へ・・・

池の中に落ちたものも多く叱られた・・・・

そんな訓練の厳しい中で一度だけ地面に吸い込まれるように

眠ったことがあるのです。

みかん畑ですから日当たり最高、山の上にはみかん小屋があり

収穫をしたものはそのみかん小屋へ保管・甘くなったころに出荷

そんなみかん畑のある訓練場へ出た時

教育も終了に近く日頃の訓練の疲れと夜の自習

みんな疲れが溜まっていたのでしょう

その日の訓練はいつものように駆け足・・・

映画のような掛声・・・時には、軍歌を歌いながらの

何かにつけ負荷がかかるように訓練をするのです。

訓練場へ着くと小高い場所へ全員を集めその場で大の字になって横になれ

区隊長からの指示で全員んがその場で横に

誰も眼をあけるな!の指示に全員が堅く眼を閉じたのです。

どれくらいの時間だったのでしょう。

我輩はうかつにも熟睡をしてしまっていたのです。

やがて肌寒さを感じ始めた頃、区隊長の帰るぞ!の声で

起き上がるとみかん畑のある訓練場は夕刻を迎え

山の稜線まで太陽が傾いていたのです。

町からは「重信町からお知らせです」の放送が流れていたのを覚えています。

毎日の日課、4時の放送ここから駆け足で30分帰って

銃の手入れを済ませ格納あとは終礼・・・・

急いで帰らねば時間がない・・・日課は終礼で終わりでない

教育期間中は夜就寝までが日課・・・

毎日の疲れた体がすっきりとした気分

厳しい訓練の中の1〜2時間の出来事が我輩にはとても記憶に残る

教育となったのです。



 今では、その時の区隊長の仕草が我輩に移ってしまって

時々考え事をするとしている仕草の自分に心の中で微笑んでいるのです。




 明日は、石槌鍋!です。




 では、また。



2009年02月21日
カブトムシ!
 おはようございます。

今日は、カブトムシ!です。

我輩の思い出の中にカブトムシの存在が大きく残っているのです。

カブトムシとの最初の出会いは小学生の頃

都会では見ることができないカブトムシを見るため

夏休みに田舎へ行ったのです。

始めてみた我輩はカブトムシの色や形に感動をしたのです。

田舎の母の実家からは、山道を歩いていくのですが

途中木が生い茂りまるで森のようになっているのです。

そこを抜けると細い山道へ入って行くのです。

木の蜜が出てるところを見るとカブトムシが重なるようにいた。

我輩の住む町では見たこともない光景!

我輩は初めて見る天然のカブトムシにいつしか夢中に

そんな中、ある一言がきっかけで一人で山の中へ行くことに

ある一言・・・とは、田舎へ我輩と弟といとこ行ったのですが

いとこの「一人で山に入るの怖いくせに!」・・・

我輩も小さいながら男だったのです。

思わず一人でもカブトムシを取ってこれる・・・

お互いに意地になっていたのかも知れません。

「じゃ、行ってきてカブトムシ捕まえて来て!」の言葉に

颯爽と山道へ向かったのです。

ところが・・・時刻は夕方を迎えた山道

入口の森がなんとも気味悪く感じ

心の中では怖かったのです。

しかも、カブトムシの周りには沢山のスズメバチ・・・

いとことの約束だ・・・行かなければ責任感のようなものが・・・

その時・・・事もあろうかカブトムシが森の入口を

歩いていたのです。

まるで我輩に拾って??と言わんばかりに

我輩とっさに捕まえ虫かごに・・・

本心は山へ夕方あがるのが怖かったのが

カブトムシのほうから・・・幸いにも暗い山道を登ることもなく

帰ってみんなの前で我輩は、大きな顔で威張っていた

本当のことは弟もいとこも知らない。

この時のカブトムシの記憶が心に残っていたのです。



それから何年か後の比叡山へ行った夏のこと

朝、体操をするため皆で出かけた山の道でも一匹のカブトムシが

我輩の目の前を歩いていたのです。

まるで、あの時のカブトムシと同じように・・・・

不思議と心の中であの時の・・・森の入口のカブトムシがそこに現れた!

そう強く感じたのです。



そんな少年時代も年々忘れいつしか社会人として

生活をしている時再びカブトムシが我輩の前へ

自衛隊の演習場での朝・・・山へ山菜を取りに行った時

そこにも一匹のカブトムシが現れたのです。

我輩の前を歩くカブトムシ・・・

その先には食べごろになったアケビがあったのを覚えています。

それから間もなく我輩は地元へ戻ることになったのです。




 明日は、みかん畑!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 06:48 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年02月20日
新たな家族の一員!
 おはようございます。

今日は、新たな家族の一員!です。

以前にも家族の一員として『くま』が我が家に来たことを

お話したのですが『くま』にも親がいるのです。

我輩が『くま』を自転車でつれて帰るとき心配そうに

見ていたのが『くま』の親で『ゲン』・・・

名前は、大阪へ来た時からついていたものです。

『くま』が我が家から姿を消して程なく父の実家から

『ゲン』をつれて帰るか・・・・電話があったのです。

今まで一緒に生活をしていた『くま』の姿がなくなり

我が家は少し寂しく感じていたところへ電話・・・

我輩再び親の『ゲン』を連れに・・・

『ゲン』は利口で少し『くま』と違い活発だったのです。

自宅の入口で鍵を開けるのに手間どうと後ろから押すのです。

まるで早く入れ・・・といっているように・・・

我が家に来てからは我輩の遊び相手として

学校から帰るとまるでボクシングをするかのように

飛びついてきて顔の辺りを叩くのです。

そんな新たな家族『ゲン』には、夜の遊びがあったのです。

市の条例で散歩するのも首輪と鎖をしないといけない決まりの

我輩の住む街で、夜中の徘徊・・・・

『ゲン』には特徴が・・・それは、首がほかの犬達より太い

それも半端でなく・・・まるで砲丸投げの室伏選手のような首

始めはどうして夜中に遊びまわるのか解らなかったのです。

いつも鎖でつないで門のところへ

小屋があり雨にも風にもあたらないように

寂しがらないよういつも小屋から我が家や家族の姿が

見えるようにしていたのですが、朝食を持っていくと居ないのです。

門は閉まっているのに『ゲン』が外へ

門を開ける音がすると飛び込んでくるのです。

まるで、小さい時の我輩のように・・・外でケンカをすると

走って門の中へ・・・これが毎朝の日課となり時には

天敵のおじさんに怒鳴られている『ゲン』

ある日夜遅くに我輩が帰宅すると『ゲン』の目がキラリと

ん・・・これからお出かけみたい・・・・

我輩そう感じたのです。

ひとまず家に入り様子をうかがっていると何かうめき声が

低い声で・・・『ゲン』だ・・・我輩急いで玄関へ

電気を点け玄関を開けるとそこには不思議な光景が・・・

門の外へ宙吊りになっている『ゲン』の姿が・・・

慌てて『ゲン』を助け上げ犬小屋へ・・・

首輪を見てみると頭のサイズと首のサイズが同じで

門から小屋を踏み台に外へ飛び出した時首輪が抜けたのを

幸いに夜遊びをしていたのだ・・・

夜中の『ゲン』のうめき声は首が抜けるまでのほんの一時の声

それからも『ゲン』の夜遊びは続いたのです。

その頃の我輩には、気づくこともなかったのですが

今、思い出してみるとまるで我輩の今までの生活を

鏡のように映していたようです。

小さい体で走り回り何かあるとすぐに駆けつけていた頃の・・・

我が家の大切な一員です。




 明日は、カブトムシ!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 07:00 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年02月19日
JR沿線!(その8)
 おはようございます。

今日は、JR沿線!(その8)です。

東京駅を後にして約20時間夢のような時間も

もうすぐ終わる・・・そんな気がした頃

我輩の体調もいつしか良くなり今までの

夢と現実の境をさまよっているような時間も

ほとんど感じなくなった頃自宅のあるJRの駅へ降りたのです。

改札で訳を話し自宅から乗り越した分の電車代を持ってくることを

係りの人に了解を得ることができ自宅へたどり着いたのです。

そこには、昔、懐かしい時間が流れていたのです。

いつしか忘れていた空間・・・

そうだ・・・この雰囲気は我輩の小さい頃の我が家だ

いつも綺麗に片付いた部屋・・・

家全体が凛とした雰囲気で包まれている

そうだ・・・あの時の父も長い間家を留守にしていた

何処へ出かけたのかも知らされずに暮らしていた頃の我が家だ

家を空けることが多かった父・・・

その頃の我が家の雰囲気に間違いない

自宅近辺もすっきりとした空気が流れている

妙に懐かしく小さい時の父を思い出す自分がいたのだ

ひょっとするとその頃の父も我輩と同じく

夢と現実の境を歩いていたのだろうか

なんだか我輩の歩く姿もその頃のような気がしてならない

いつも歩いていた父のことを思い出し屋根裏部屋へと上がる自分が

不思議と懐かしく感じた。

自宅から駅まで再び歩く我輩の心の中は

平穏を取り戻し今までの時間がまるで夢のように

何事もなく終わっていったのです。



 それから数年・・・我輩の夢と現実の境の空間は・・・・



 


 明日は、新たな家族の一員!です。





 では、また。

2009年02月18日
JR沿線!(その7)
 おはようございます。

今日は、JR沿線!(その7)です。

我輩は、電車の線路の音を「叩き殺す」という声に聞きながら

京都の駅へたどり着くことができたのです。

そこから再び大阪駅へ向かう電車に乗り継いだのですが

我輩とうとう疲れから電車の中で居眠りを・・・・

厳密に言うと今までの不思議な体験と同じ感覚・・・

昨日のテレビのニュースなどで取り上げられている

某国会議員・・・我輩から見るとあの時の感じに思えるのです。

ついでに一言・・・そのときの我輩もアルコールは飲んでいません。

夢と現実の間・・・ふと目を開けるとそこには一人の男性が

二人がけのシートの真ん中に腕を組んで座っている

まるで我輩を睨み付けているかのごとく

そう言えば・・・・以前・・・こんな写真が我輩のアルバムにあった

あれは・・・そうだ、高校の修学旅行の帰りの飛行機の中・・・

スチュワーデスさんのシートにかけた我輩の写真・・・

我輩の屋根裏部屋から消えたアルバム・・・

我輩の前に座っている男性はそのアルバムを見たことがあるのかも???

そう心の中で思い再び重くなる瞼を閉じたのです。

時間にして約25分電車は無事大阪駅へたどり着き

我輩は最後の乗り継ぎをしたのです。



 明日は、JR沿線!(その8)です。





 では、また。

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