2013年02月26日
恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました
読売新聞の方としばらくお付き合いがあって、新聞代も出せないくらい生活が厳しいと言いながら
三ヶ月間だけ入れてもらっていました。
全然読まない日もあり、もったいなかったのですが
「編集手帳」と「人生相談」はなんとなく目が行っていました。
編集手帳はごく短い表現で、世相やニュースについて、的確に捉えていてためになります。
またその反面、人生相談は、夫婦関係、親子関係、嫁姑との関係についた悩みが多くあり、
自分が一人で気ままに暮らせていることをつくづく平和だなぁと思ってしまいます。
先日「30年戦争」奇跡の帰還という記事を見て、
その記事はとても捨てる気にはなれませんでした。
横井庄一伍長
「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」
彼は、空からポツダム宣言受諾を伝える日本語新聞がまかれても
大音量のスピーカーで「戦いは終わった」と日本語で呼びかけても
ジャングルから出ることはなかった。
全てを「敵の策略」と疑い「甘い手に乗るものか」と無視した。
皇太子様ご成婚を載せた記事も無視した。
入手したトランジスタラジオで東京五輪や東海道新幹線の開業を知った。
それでも対米戦争は続いていると信じていた。
「大東亜共栄圏を完成させるためには百年くらい戦争を続けなければならない」
そう教えられていたことも大きく影響を及ぼしていた。
小野田寛郎元陸軍少佐
スパイとしての訓練を積み、フィリピンのルパング島に派遣されて次の指令を待っていた。
「3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」
「玉砕は一切まかりならぬ」
この言葉を信じていた。
「戦争は終わった」という捜索隊の呼びかけを彼は信じなかった。
家族らが寄せ書きした日章旗を拾ったときも、
名前が一部誤りがあったため、偽情報工作と考えた。
元上官が直接ルパング島を訪れて、任務解除の“命令”を告げた。
「ご苦労様でした。ゆっくりしなさい」
この命令を受けて初めて祖国の地を踏んだ。
横井氏にしても小野田氏にしても計り知れない年月を祖国のために費やしました。
彼らのような精神力、忍耐力、誰が真似を出来るでしょうか?
この記事は資源ごみの中に捨てることは出来ずに取っておきました。
深く、深く考えさせられました。
うまく言葉では表現できないのですが、深く深く・・・
もう一人いました。
台湾出身の日本兵、中村輝夫氏。
戦後、兵士たちは台湾に復員するが、その中に中村の姿はなかった。
「日本は負けておりません。自分は日本に帰りたい」
そう言い切った。
しかし彼には日本国籍がなく、台湾に戻ることになった。
だが、妻はすでに再婚していた。
ショックのあまり、帰還するバスの途中で妻を降ろして親族の家でふさぎ込んだ。
戦いはまだ終わっていないと信じて、一人で孤独に戦争を続けていた最中に
妻が再婚していた・・・これも悲劇です。
三ヶ月間だけ入れてもらっていました。
全然読まない日もあり、もったいなかったのですが
「編集手帳」と「人生相談」はなんとなく目が行っていました。
編集手帳はごく短い表現で、世相やニュースについて、的確に捉えていてためになります。
またその反面、人生相談は、夫婦関係、親子関係、嫁姑との関係についた悩みが多くあり、
自分が一人で気ままに暮らせていることをつくづく平和だなぁと思ってしまいます。
先日「30年戦争」奇跡の帰還という記事を見て、
その記事はとても捨てる気にはなれませんでした。
横井庄一伍長
「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」
彼は、空からポツダム宣言受諾を伝える日本語新聞がまかれても
大音量のスピーカーで「戦いは終わった」と日本語で呼びかけても
ジャングルから出ることはなかった。
全てを「敵の策略」と疑い「甘い手に乗るものか」と無視した。
皇太子様ご成婚を載せた記事も無視した。
入手したトランジスタラジオで東京五輪や東海道新幹線の開業を知った。
それでも対米戦争は続いていると信じていた。
「大東亜共栄圏を完成させるためには百年くらい戦争を続けなければならない」
そう教えられていたことも大きく影響を及ぼしていた。
小野田寛郎元陸軍少佐
スパイとしての訓練を積み、フィリピンのルパング島に派遣されて次の指令を待っていた。
「3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」
「玉砕は一切まかりならぬ」
この言葉を信じていた。
「戦争は終わった」という捜索隊の呼びかけを彼は信じなかった。
家族らが寄せ書きした日章旗を拾ったときも、
名前が一部誤りがあったため、偽情報工作と考えた。
元上官が直接ルパング島を訪れて、任務解除の“命令”を告げた。
「ご苦労様でした。ゆっくりしなさい」
この命令を受けて初めて祖国の地を踏んだ。
横井氏にしても小野田氏にしても計り知れない年月を祖国のために費やしました。
彼らのような精神力、忍耐力、誰が真似を出来るでしょうか?
この記事は資源ごみの中に捨てることは出来ずに取っておきました。
深く、深く考えさせられました。
うまく言葉では表現できないのですが、深く深く・・・
もう一人いました。
台湾出身の日本兵、中村輝夫氏。
戦後、兵士たちは台湾に復員するが、その中に中村の姿はなかった。
「日本は負けておりません。自分は日本に帰りたい」
そう言い切った。
しかし彼には日本国籍がなく、台湾に戻ることになった。
だが、妻はすでに再婚していた。
ショックのあまり、帰還するバスの途中で妻を降ろして親族の家でふさぎ込んだ。
戦いはまだ終わっていないと信じて、一人で孤独に戦争を続けていた最中に
妻が再婚していた・・・これも悲劇です。
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