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シュミルソン
達郎マニアであります。ついにサンソン超常連になりました。カジュアル、シューズ、コスメ等を扱う小さな広告会社やってます。ゴルフは竹林隆光さんにクラブセッティング90点いただきながら未だに100叩いたりしてます。ハワイでゴルフしてシャワー浴びてビール飲むと寿命が5年延びるというのが持論です。オオーベイベー!
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2020年07月18日

<番外編>山下達郎 氣志團万博レポート

今回の投稿は2017年9月17日に氣志團万博山下達郎バンドが出演した際に観に行った際の翌日に「初めて”夏フェス”ってものに行ってみたのですが」として投稿されたもののライブレポート部分に絞ってさらに一部加筆訂正したものです。
2020年7月30日20時から配信されるMUSIC/SLASHでは、この氣志團万博出演の模様がすべてオンエアされるとのことで、ここにアップいたします。
と言うことは、この配信に対しては100%ネタバレです。当日会場に行かれた方以外は閲覧注意でお願いします。
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折しも雨が小降りになって氣志團綾小路翔のビデオコメントが始まり、その発言とビデオ構成に場内爆笑の渦。そのシャレっ気に氣志團人気の根強さの一端を垣間見た気がしました。
最後の一言「山下達郎…本当に実在するのか!?

さあ、開演です!
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山下達郎ライブでは必ず1人多重アカペラがプロローグで流されるのですが、今回は先週発売になったばかりで、来週封切られる映画「ナミヤ雑貨店の奇跡」のテーマソング「REBORN」のアカペラアレンジからライブスタート。

1曲目は、今年のライブアンコールで演奏された、近藤マッチへの提供曲「ハイティーンブギ
「これ山下達郎の曲なの?」っていうリアクションが多かったようですが、歌詞に出てくる「オマエが望むならツッパリをやめてもいいぜ」も氣志團万博にマッチしてた?ですね。
(今回の加筆)このあとのファンクラブ会報等のコメントからすると、どうもこのハイティーンブギを2017年のツアーでやったのは、この氣志團万博出演を見据えてのものだったらしいです。

2曲目の「スパークル」は達郎ライブオープニングの定番曲。達郎ギタープレイの代名詞「スパークルのリズムカッティング」が会場のビジョンで大写しになったのはファンにはたまりませんでした。特に左手(テレビでは決してみられませんからね)
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そしてMCでは「山下達郎です。夜露死苦!」「台風がなんぼのもんじゃい。」「雨風上等です。そんなのが怖かったらライブなんてできません」「ただこんな天気で皆さん冷え込んでいるでしょうから、セットリストを変えました」「バラードをやめて、皆さんがあったまるような曲ばかり集めました」

ということで、3曲目は「ボンバー」このファンクチューンではベースの伊藤広規さんが活躍。ここ数年達郎さんが夏フェスに登場する際には、ツイッターで達郎さんの声と共にバンドの演奏力の高さのメンションがアップされますが、特に「スラップベースハンパねー!カッケー!」のツイートが目立ちます。
今時のアマチュアバンドのスターはベーシストなんですってね。
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<ナタリーより転載>

4曲目は、一見のお客さんに“つかみはOK”「硝子の少年」。
昨日のサンデーソングブックでの達郎さんの発言「客は歌うな」(Yahooニュースでも話題)とは言われても、STAY WITH ME〜は歌っちゃいますよね、フェスでは。この曲のギターオブリガードはKINKI と同じ佐橋佳幸さん。夜空に放たれるギターの音色は野外フェスならではのもの。

ここで目ざとい達郎ファンは、バックコーラスの位置に4本目のマイクが用意されていることは誰しも気付いていた筈。
そう、竹内まりやさん登場です。
その5曲目は「アトムの子」幼稚園や小学校の運動会でも一部でお馴染みになっているこの曲は、途中で鉄腕アトム主題歌、ドラえもん主題歌などが度々歌われるのですが、今夜は「アンパンマンマーチ」ちょうど隣にいた小学校低学年の2人の男の子はお母さんと顔を見合わせていました。
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<ナタリーより転載>

ここでメンバー紹介「ドラムス:小笠原拓海」から始まって、最後は「コーラス:竹内まりや」
すぐ前にいた20代前半とおぼしき男性「えっ!?」て表情。あれだけビジョンに大写しになっていたのにね。まあそんなものでしょうか。

6曲目が、ある意味今夜のそして、このイベント全体のハイライトと言っても大げさでなかった「恋のブギウギトレイン」。その昔アン・ルイスに提供されたこの曲では小雨降る中、長〜い花道の一番先端まで進んでギターカッティングを見せてくれました。ステージに戻って「もうイッカイ」今度はステージの今度は中央のセットの階段を駆け上がり、1人だけ2階にいる状態で演奏。
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達郎さんはライブでもボーカルマイクはおろか楽器も決してワイヤレスでは演奏しないのですが、今夜は特別ですよね、きっと。しかしあの国宝級のテレキャスター、雨に濡れて大丈夫だったんでしょうか?
(今回の加筆)このことをサンデーソングブックに葉書を書いたら光栄にも達郎さんにお読みいただきまして
いいんです。いいギターは濡れようが放り投げようが、全然問題ありません」ってお答えいただきましたが、ほんとかよ!?って今でも思ってます。
ピアノの難波弘之さんは「鍵盤が濡れて滑って弾きにくかった」とご自身のSNSで書いていらっしゃいました。
またドラムスの小笠原拓海さんに後日 目黒ブルースアレイで行われた別のライブの際に「氣志團万博よかったですね!」とお声がけしたところ「あんな天候だからメンバーみんなで逆に目一杯やろうって結束した結果でした」とお答えいただきました。

7曲目ラストの曲も、夏フェスエンディングお決まりの「さよなら夏の日
もうしっかり陽は沈んでいましたが、「雨に濡れながら僕らは大人になっていくよ」は本当にこの場にマッチしていて、思わずウルッときました。

今年のツアーの達郎さんの歌唱、声の出方は近年でもベストだと思っていましたが(と言っても元々のレベルが違いますが)特に今回は本当に素晴らしかった。演奏時間が通常のライブの1/5にも満たなかったからかも知れませんが、1曲目から全くよどみもなく、ハイノートも楽々といった感じでした。(自分にとって達郎さんの声の調子良さを計る秘密のバロメーターが、ある曲のある部分に存在するんですけどね)

また、このバンド個々のROCK、POPS、そしてJAZZ(メンバー中二人)ミュージシャンとしての日本最上級の演奏能力の高さとアンサンブルの素晴らしさを、他のミュージシャンが目的で来場した特に若いオーディエンスに聴いてもらえた事は、とても有意義だったと思います。

さらに、屋外は残響がない分とてもいい音でした。達郎さんのボーカルは勿論、すべての楽器の音、コーラスまでとてもバランスも良く聴けたことも素晴らしかったです。
(今回の加筆)この音響についてネットでの専門家の投稿を見ているとこの音の良さは驚異的だったらしく、どうやったらこれだけ各楽器の分離をハッキリ出せるのだろう?と言った書き込みがありました。

わずか40分間の演奏で、コアなファンにとってはお馴染みの曲ばかりでしたが、素晴らしいライブをこんな会場で、こんな状況で体験できた幸せな一日でした。

もちろん、このレポートは達郎マニアの自分だからの主観によるものですが、自分の周りにいた観客の反応に加え、ツイッターの書き込みを見ると、当日集まった初めて山下達郎のライブを観た人達が受けた衝撃は、その一部を読んだだけでもとても大きかったことが窺い知れます。

最後にこれを書きながら思ったのですが、今更ですが氣志團の演奏も見たかった気がします(笑)



2020年07月09日

なんと小金井でゴルフしちゃった。

本当に久しぶりのゴルフネタ投稿であります。

コロナウイルスの影響で暫くラウンドから遠ざかっていたこともありますが、スイング、特にドライバーやフェアウエィウッドなど「大きいクラブ」の調子が悪いというか、おかしくなってしまい、スコア的にもブログに書くのもおこがましい状況になったのも間が開いた一因です。
で、今回訳ありであの「小金井カントリー倶楽部」で初めてラウンドする機会があって、これは「書かずにはいられない」ってことでブログアップに至りました。

小金井カントリー倶楽部って聞いて、ゴルフをある程度知っている人ならまずこう口に出すでしょう。「会員権が日本一高いゴルフ場」バブルの頃は4億円を超えたとか・・・。
まあ、一般ゴルファーにしてみれば別世界ですね。
自分にとって今回ここでやってみたかった一番の理由は自宅から近いからであります。グーグルマップで検索するとなんと14分。実際当日は20分かからずに到着しました。何しろ家の駐車場出たら右折一回、左折一回で到着するんですから。
でも実はもっと近いゴルフ場がありまして、それは桜ヶ丘カントリークラブ。自宅から12分であります。

やって来ました小金井カントリー倶楽部。
入口からクラブハウスまでこんなに近いゴルフ場も初めてで、恐らくその距離50m。
ご覧の様な和風クラシックなクラブハウス。武家屋敷のようであります。
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中もご覧の様に重厚な雰囲気。
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で、当然と言えば当然ですがこういったところはドレスコードもしっかりしております。
これをよく読んで心してラウンドに望むように・・・といったおふれがあります。
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着替えもそこそこに、アプローチ練習しようと思ったら今回お招きいただいた某キャディさんが待ち構えていらして、あーだこーだ話しが弾んでしまい結局4〜5球パター転がして10番ホールからスタート。

ところで所謂「名門」って言われているコースって例外なく素敵なアプローチ練習場が整っていますよね。
メンバーさんはラウンド後にアプローチ練習するんですね。確かにこれは上達のキモかもしれません。
我々もラウンド後15分ぐらい練習してみました。
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今日は我々、つまりこう言ういいコースで滅多にやったことないプレイヤーの事を鑑みて、とても若いキャディさんを宛がって頂いた様です。ベテランの方だと怒られちゃうの目に見えてましたからね、きっと(笑)
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写真ではマスクでお顔拝見できませんが19歳!のチャーミングなキャディさん。
当日はメインのAグリーン 6430ヤード

で、スタートホールは真っ直ぐで平らなミドルホール

とりあえずフェード気味に打って、飛ばなくともフェアウェイにおいておこうと言う意図とは裏腹に情けないチーピンで左ラフ。4Uでフェアウェイに出してから残り95yがナイスオンしましたが、予想より10y近く飛んでるってことはフェアウェイからフライヤー?そういえばあまり芝刈られていませんでしたね。

何とかボギースタートの次は450y近くのミドルホールで、今の自分じゃ絶対2打じゃ届かないので3オン狙いの2nd 5wが大トップというかチョロに等しいショット。やはり大きなショットがおかしいまま。
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結果3オンもできずに素ダボ
これ自分では原因分かってるんです。トップで左手グリップが緩んでオーバースウィングになっちゃってます。これ一種のイップスです。緩むぞ緩むぞって自分を暗示にかける最悪なパターン。

それはともかく、コースは若干のアップダウンはあるもののほぼ平ら。あとフェアウェイはその回りのラフを含め(今のルールでスルーザグリーンって呼んでいいのかな?)意外なほど広かったですね。
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あとロケーションが住宅地の真ん中にある故に、こんな景色のホールが結構あります。でも実は先にカントリー倶楽部があって、後からその周りが宅地になったと言うのが正しい表現ですね。開場昭和12年だそうですから。
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アイアンで打てるショートでは何とか1オンでパーを獲るものの、その後もドライバー、フェアウエィウッドの不調は続きます。頭ではどうすればグリップ緩まないかは分かっているんですけどね。それが出来ないのがイップスなんですね。
結局ボギーオンアプローチの距離が長くなったり、バンカーに入ったり、結果長いパーパットがのこりボギー、ダボの山が築かれます。

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そのバンカーですが、数も多めで深いものもかなり多く、砂も硬め。1発で出すことはできても自分の実力では1パット圏内に寄せることは出来ません。

そんなこんなで、あがり4ホールで3ダボというグダグダで48〜19パットという今二つの結果でインコース終了。
ハーフ2時間半かかったと言う事でCAUTION出ました。
メンバーさんはハーフ1時間半くらいで廻るそうです。まあ自分も2時間以内で廻れるとは思いますが、その辺は諸般の事情で、次の機会があったら頑張ります。

そのままスルーで後半アウトコーススタート。
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左手グリップ問題は、トップでシャフト(グリップ)を親指先に意識して乗せる事で何とか解決。
ドライバーが結構安定、球筋も本来のドローに戻り、セカンド以降が楽になり、結果1パットも増えてスコアも安定しました。
アウトコースはインコースに比べ、より変化に富み、写真の様にバンカーが沢山(12個)あるロングホール
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箱庭っぽいショートホールなど
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クラブセッティングは5w7w除いてドライバーからSW、パターまですべてPING

そしてネットで見ていると一番多く写真が出てるのが「シグネチャーホール」(恐らく)のクラブハウスを望む9番ホール。打ち上げ420yは結構シンドかったです。
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てな具合で後半は何とか43〜13パットで回れました。

コースの全体の印象は、先程も書いた様に広くほぼ平らながらアウトコースには打ち上げ、打ち下ろしのホールもあり、ミドルはかなり長目のホールもあったり、200yのショートがあったりと色々なクラブが使えて楽しかったです。
ロングホールがやや短めでしょうか?そのロング4ホールで6オーバーはいただけません。調子がよければロングが稼ぎどころでしょうね。
ラフはこの時期だからそこそこ深めで、すっぽり嵌ってボール探しに時間がかかってしまったホールがいくつかありました。
フェアウェイは芝が結構長め、グリーンは当日9.5ftとのことでしたが、自分の感覚とはまずまず合っていて3パット1回、1パット5回でした。
バンカーはかなり多く、背丈以上の深さのものも結構ありました。砂は比較的硬めでしたが、バウンスが弾かれるほどではなく、なんとかなったって感じです。でもバンカーの打ち方知らないと苦労しそう。

事前にお聞きした話ではベアグラウンドがかなり多いと言うことでしたが、確かにアウトコースの木が茂っている下はベアグラウンド目立ったホールもありましたが、まあそこに打たなきゃいい訳で(笑)

と言う訳で、初めての小金井だったわけですが、今まで行ったことのある所謂「名門」と呼ばれるコース(そんなに無いですが)に比べると、単調さが無く、もちろんコースとしてアンフェアな部分があるべくもなく大いに楽しめたラウンドでした。
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もし再度お伺いできるチャンスがあれば、ショットの調子整えてから、そしてキャディさんに色々お聞きしながらラウンドしてみたいです。

しかし、今回ラウンドして一番のインパクトは、誰もが知っている名前と立地でしたね。


2020年06月30日

SNSの罵詈雑言

木村花さんの自死について。
番組見てないから断定的なこと言えないけど、こうなることは番組制作側に予想がつかなかったのかな?
こうなることって彼女が死を選ぶってことじゃなくて、SNSで非難が巻き起こるってこと。
木村花さん.jpeg

今や番組プロデューサーをはじめとして制作側は今後一生のトラウマになる人多くいるんじゃないかな?
と思ったら偶然今日(7/2)発売の文春砲が正にそこ突いていた。https://bunshun.jp/articles/amp/38765?page=1
この記事によれば完全な制作側のやらせだったと。ある程度予測していたものの これが事実なら CXは放送免許停止くらいの責任あると思う。

先週の女子プロゴルフ アースモンダミンカップ。
何でテレビ放送やらなかったんだろう?
でもある意味それが吉と出たよね。ネット中継4チャンネル。ゴルフ好きにはいろんな見方ができてよかった。
特に日曜日雨天順延で月曜日に最終日ができたって、画期的だった。
もしテレビ中継あったら、3日目の結果で優勝決めて事は間違いないよね。ネット放送オンリーだからこその帰結だった。
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渡辺彩香プロ5年ぶりの優勝 おめでとうございます。

ところでこのYou Tube中継は視聴者のコメントが入るインタラクティブだったけど、恐らく普段はテレビ観戦で独り言で済んでいたおっさんたちが罵詈雑言を放っていたのは見るに堪えなかった。
もちろんコメントの殆どは選手の好プレーに対する感心やエール、贔屓選手への応援なんだけど、容姿や体型に対する非難、蔑み、更にはミスショットを馬鹿にするなどなど。匿名なのをいいことにまあ酷い発言が多かった。
「お里が知れる」って言葉あるけど、どういう育ち方して大人になったんだろう?って思う。

ネトウヨってどんな人たちなんだろう?たまに目にする匿名コメントを見ていると、結局日本をどういう国にしたいんだろうって思う。戦前回帰?軍国主義礼賛?でも戦争したい訳じゃないよね?
この辺り感情的じゃなくて解説している本ってないかな?

あと今年のコロナウィルス下においての「自粛警察」「正義中毒」
これもSNSの匿名性が輪をかけていることなのだろう。
ネット上で似たもの同士が集まりやすく、同調圧力がかかる事で攻撃性は益々高まっていく。

2ちゃんねるってまだ稼働しているの?
今は分からないけど、当時は罵詈雑言の巣窟だった。
でも自分がかつて働いていた会社が倒産する際の2ちゃんねるの盛り上がりは、正直に言うと楽しかった。
何故って自分はその時点で当事者じゃなかったのと、誰がみてもあまりに酷い経営者だったから。
もう20年くらいになるのかな?ボクも何度か書き込みしたよ。
でもボケ、アホ、馬鹿なんて「お里が知れる」ことしなかった。
「分かる人」だけがニヤっとしてくれるような事だけ何度かね。
その真意を「分かる人じゃない」奴がムキになってしてくるレスを眺めるのも楽しかった。別の人がボクの発言をフォローしてくれたりしてね。

でもね、匿名で人を非難したり貶めるような書き込みは、卑怯だよね。
もし何かを批判したいのなら、堂々と実名でやればいい。責任持ってね。
実名で行うことで歯止めが効くだろうし。
誰しも心の中で思っていることが有っても、そうすることで社会は穏便に成り立っているわけであって。
あるいは現実に相対した生身の人間に同調を求める、あるいは討論する。
それがネットの普及〜2ちゃんとか出始めた20年前くらいからおかしくなったと感じる。
怒りや感情の高ぶりをたやすくぶつけられて、世の中に簡単に発信できる様になった。
それは日頃のストレス発散のため?憂さ晴らし?
誰かを攻撃することで自己を正当化する?自己顕示欲?
でもそれって殆どその場のことだけで、終わっちゃうと思うんだけどね。
でもやられた方はたまったもんじゃない。

かと思えば、中には思いっきり実名で酷いことやってる人もいるんだよね。
以前このブログで取り上げた伊藤詩織さんの一件チャチャ入れまくってる女性漫画家
ここまでやるには当人(漫画家の方ね)も相当な覚悟の上だと思うけど、先の木村花さんの一件がきっかけとなっているいないは別として、伊藤さんがその女性漫画家を提訴した事に対する司法の判断は大いに興味ある。
黒川氏の(#検察庁法改正案に抗議します)による定年延長ギブアップ*もこの判決に影響するのだろうか?

で、この件についても伊藤さんの記者会見You Tubeのコメント欄をみると、まあ匿名罵詈雑言のオンパレード。中には偏執的としか思えないような超長文の書き込みがあったり・・・。安倍擁護?それとも単に鬱憤晴らし?
反吐が出そうになったのでチラ見でやめたけど、これぞ今回のテーマそのもの。

本当にイヤな時代になったもんだ。


*私見ですが、安倍晋三の定年延長法案ギブアップは、先に政権が賭け麻雀記事を事前に掴んでて、そっちが先に世の中に出ちゃうと体面丸つぶれになるので、国民の皆さんの多くからご批判を・・・の方を先に選んだんじゃないでしょうかねえ?






2020年06月01日

働き方 変わると思うよ。

皆さんは、緊急事態宣言以来、いやそれよりも前、3月中旬くらいからは如何様にお仕事なさっていますか?
宣言解除で通常勤務に戻られている方もいらっしゃると思います。
そして仕事だけじゃなくって日常生活も劇的に変化してますよね。

かくいう私も会社を3月中に時差通勤から休業措置にしました。
でも必要に迫られて、と言うことは不要不急じゃないと思うんですが、週2回は出社しております。
それはとにかく事業を存続させること。
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通勤電車もこのくらいだったらいいよね。(4/17の模様です)

まあ一言で言えば、金策ですね。
区役所行って、法務局行って、銀行行って、税務署行って、政策金融公庫行って、ハローワーク行って・・・。結構忙しい。
電話通じない、散々待たされる、たらい回し、埒があかない・・・なんて覚悟していたんですが、これが意外と
スムーズだったりして。
営業できない分そっちに一早く注力できたせいでしょうか。

じゃあ、おうちテレワークってどうだったかっていうと、これがなかなか快適。
だいたい、出社にかかる時間をまるまる寝坊できるのがいい(笑)往復2時間以上を節約できるのって素晴らしいことじゃないでしょうか?
MacBookとiPhoneあればOKだし。

ただし問題が一つ。
何故かすぐに眠くなっちゃうこと。
15時くらいにちょっと30分の仮眠のつもりが、目覚めると暗くなってたりして(汗)

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富士山見ながらビバテレワーク!

人と相対さないと交渉ごとはできない?失礼にあたる?
いやいや取引先も出社していないから気兼ねしなくていいよね。
っていうか、来ないでくれって言われてるし。

ひょっとするとこんな働き方が世の中のデフォルトになるかもって思います。
本当に必要なとき以外 人と会わずに仕事する。もちろん知った人、知った会社、知った組織との場合に限られるかもしれませんが。
でも、2年半前から続けている自社ECで使っているカート会社の人とは、実際始めて会ったのってビジネス始めてから1年以上たってからだったし。
会ったことない人と信頼関係築くこともこの先当たり前になってくるのかもしれません。


でもこんな状況が20年前に起こってたらどうしたんでしょうねぇ。



それにしても早く収束してハワイ行ってゴルフしたいなぁ。
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2020年05月10日

思い切ってランディ・ニューマンのお話をしましょう

いつかはこのブログでランディ・ニューマン RANDY NEWMANについて書いてみたいと思っておりました。
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でもなかなか書けなかった理由があります。
それは、私自身の英語力の問題とアメリカ文化とキリスト教に対する不見識からであります。
彼は現代アメリカが生んだ偉大なソングライター&シンガーでありますが、他の高名なシンガーソングライターとの大きな違いは、より歌詞の比重が大きいこと。もちろん作曲能力も非常に高い人でありますが、その歌詞が分からなくちゃ始まらない。
だから自分はLPもCDも訳詞がついていた日本盤を買っていました。サブスク主流の現在なかなか悩ましい問題であります。
また更にライブやTV出演の際、彼の二言三言に観客や司会が大笑いする事に、こっちはさっぱり分からないのはとても残念。マジにランディニューマンの歌ってる事、喋ってる内容を理解するためにもっと英語を勉強しておきゃ良かったなって今でも痛切に思っております。

1983年に一度だけ来日した折、青山日本青年館で彼のコンサートに行ったんですが、歌と合間のトークに客席から幾度も巻き起こる笑い声について行けなかったのは、とても残念だった記憶があります。もっとも笑っていたのはほぼ外国人だったんですけどね。
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自分が行ったコンサートで外国人比率が2番目に高かったのがランディニューマンでした。
ちなみに一番はジョニ ミッチェルです。


私が彼の事を初めて知ったのは、ニルソンの代表作 「ハリーニルソンの肖像」のB面最後に納められていた「サイモンスミスと踊る熊」と言うとても可愛く素敵な曲でこれは今でもお気に入りの一曲です。そしてその次作のアルバムが全曲ランディニューマンの作詞曲の「ハリーニルソン ランディニューマンを歌う 」NILSSON SINGS NEWMAN
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ランディニューマンとハリー ニルソン

私 このアルバムはアメリカポピュラーミュージック史に残る大傑作だと思います。達郎さんもこのアルバムを「珠玉の名盤」とサンデーソングブックで紹介しております。

その後ランディニューマン自身のアルバムを何枚も集め愛聴してきました。
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そして大学生になって彼自身の代表作のSail Awayと言う曲の歌詞に衝撃を受けました。

  アメリカでは食べるものに苦労はしない。猛獣に追われてジャングルを逃げ惑うなんて事はない。
  アメリカではみんな自由さ。一日中神様のこと歌ってお酒飲んでればいいんだ。
  アメリカ人になるって偉大なことだよ。
  さあ、アメリカに向かって船出をしよう。


ランディニューマンは白人です。自分たちの数代前の仕業をこうやって歌にします。

  みんなは我々のことが嫌いみたい。なんでかな?
  そりゃ完璧にはできていないけど頑張ってるんだ。
  でも回りの奴ら、昔からの友達からさえも馬鹿にされるなんて。
  だったらでかい一発落としてやるぜ。

自分の国の大統領をこう揶揄します。ポリティカルサイエンス

かと思うと、
  キャロライン どうかボクのものになっておくれ。
  君はボクのタイプの女の子なんだ。
  春の日が君を包むとき君の回りにはボクしかいない。

  
なんてストレートなラブソングがあったり、キャロライン

  老人よ、目を開けて、誰がさよならを言いに来るのか見るんだ。
  人は誰でも死ぬんだ


こんな寂しくて悲しくて残酷な歌も書いています。オールドマン
自分の父親が危篤になって病院から呼ばれ、ぼんやり曇った海辺の道を運転していた時、不意にこの歌詞とメロディが浮かびました。

そして、いつかこのブログでランディ ニューマンについて記そうと思った一番大きな理由は、以下の出来事があったからであります。

2005年ハリケーン「カトリーナ」によるルイジアナ ニューオリンズの大洪水の際に、ちょうどお隣のテキサスから出張で日本に来ていたアメリカ人何人かと食事をしていたときのことです。
話題が当然この大洪水の話になった時、私はある歌の事を思い出しました。
それがランディニューマンのルイジアナ1927という曲。ルイジアナ ミシシッピー川の過去の大洪水の事を歌ったこの曲をご存知ですか?と尋ねると、ピートもビリーもボブも「知らない」
私は「じゃあ、明日この曲が入ったCDの歌詞カードを持ってきます」

そして翌日歌詞カードを見せると、ボブは「ああランディニューマンか」
ビリーは「誰それ?」
ボブ「♬You've got friend in me・・・」
ビリー「Oh! I know」 
あ、そうか。ランディ ニューマンって今やトイストリーの歌の人で有名なんだよな。
で、私「Louisiana 1927がこれで・・・」
ボブ「ちょっと待ってくれ、なんだこの曲」
ボブはLouisiana 1927の一曲前にあった曲の歌詞に見入っていました。
「おい、ピート、ビリーこの歌詞見てくれ!」
それがGOD SONG 神の歌でありました。

私はボブに聞きました。
「何をそんなにエキサイトしているんだ?」
ボブ
「ここにはジーザスクライストが人間に対して・・・・・」

「???」
ちなみにボブはネイティブアメリカンの血が入っています。そのことと関係あるのか?

そこで、このブログの冒頭に戻ります。
自信の英語力とアメリカ文化とキリスト教に対する不見識です。


  カインはアベルを殺したがセツは何故だか分からなかった。
  もしもイスラエルの子らが満ち溢れるべきでならば、
  何故誰かが殺されなければならないのか?
  そこでセツは神に問うた。

中略
  神曰く、人は何の意味のなく わたしには意味の薄いものだ 
  人はこの荒野を追われる
  なぜならば人はわたしがそこにいると思っているからだ
  だからわたしは人類を愛するのだ

中略
  わたしはあなた方の街を焼き払った
  いかにあなた方が盲目にまちがいなかったか
  あなた方はみなわたしへの信仰を置くことに
  もの狂おしく熱中するするに違いない
  だからわたしは人類を愛するのだ
 




神様は、自分は人間たちに災難を振りまいて来たのにもかかわらず、人間たちは私のことを崇めてくれる。
だから私は人間のことを愛しているんだよ。

ボブがこの歌詞を見入った理由は、この解釈でいいのかな?
福音派とか信心深いキリスト教徒を皮肉っている?

もしそうなら、アメリカ人としてこれを作って歌うのって凄いことだと思うけど、大丈夫だろうか?

残念ながら、自分はこの歌が真に意味することが理解できておりません。
もし、このブログを読まれて、このランディ ニューマンが作った歌詞の真意がおわかりの方がいらしたら、是非お教えいただきたいと思います。


最後に、つい最近彼がアップしたこのビデオをご覧ください。先ほど書いたSail AwayならぬStay Awayであります。この曲の意味はおわかりですよね?


Venus in sweatpants
That's who you are.

Baby, keep your distance, please.

Stay away from me
Wash your hands
Don`t touch your face
How do you like that?


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2020年04月21日

HAWAII ARCHIVES 収束したらまたハワイに行こう!その1

コロナウィルス禍の元、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私もご多分に漏れず「テレワーク」ってのをやっておりますが、これだと曜日の感覚が無くなりますね。
職業柄、比較的自宅でPCの作業と電話である程度仕事はこなせる方だと思っているんですが、お昼ご飯のあと眠くなっちゃうのが困りますね。ちょっと昼寝してから仕事しようと思って気が付いたら5時だった、なんてことが起こります。
ひとついいことは、日曜日の夜が憂鬱じゃなくなったこと。明日も会社行かなくてもいいんだって考えるとね。

それにしても、いつになったら先行きが見えてくるんでしょうか?
自分は何のために仕事に精を出してるのか?何年か前のブログでかきましたが、ハワイ行きたいなぁ。来年?行けるといいですね。
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最近、ブログやFacebookで皆さんネタ切れなもんだから、過去の旅行の写真とか出していらっしゃる方沢山おられますが、じゃあワタクシもこのブログに出していない過去のハワイ旅行の写真でも出してみようかな?それに沿った想い出もってことで、お暇な方は宜しくお付き合いの程お願い致します。

で、まあまあ回数行ってるんで、今回はオアフだけになるでしょう。(書き終わってみないと分からない)

最初に行った1979年から記憶を頼りに書いてみると
1979 AIR:パンアメリカン HOTEL:ハワイアンリージェント(今のワイキキマリオット)
1984 AIR: JAL HOTEL:シェラトンワイキキ〜マウイから
1985 AIR: JAL HOTEL:パシフィックビーチ〜カウアイから
1986 AIR:ユナイテッド HOTEL:クオリティイン 今はなんてホテルになってるんでしょう?
1988 AIR:ノースウエスト HOTEL:アウトリガーイースト〜マウイから
1992 AIR:中華航空 HOTEL:アウトリガーワイキキタワー〜ハワイ島から
1993 AIR:ノースウエスト HOTEL:ホテルニューオータニカイマナビーチ  
1995 AIR:ノースウエスト HOTEL:ホテルニューオータニカイマナビーチ
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ホテルニューオータニ自分にとってオアフのベストホテル
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ここまで書いて、その先はいつだったかもう思い出せませんが、ワイキキだとアウトリガーリーフ、イリカイ、アイランドコロニー、ハワイアナ、ヒルトンハワイアンビレッジ、ワイキキプリンス、ワイキキショア、イリカイコンドそして気張ってハレクラニにも泊まりました。
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これは従兄弟の結婚式。そういえばこの時はいろんなことが起きました。
まずは成田で搭乗ゲートで待っていると・・・「お客様こちらへ、広めのお席を用意しました」人生初のラッキーアップグレード。やった、ビジネスクラス!
そこまではよかったんですが、ワイキキで予約していたお気に入りのハワイアナホテルにチェックインしようとしたら、ロビーに人が集まっていてなんかおかしな雰囲気。
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なんと、この日に破産したって!?
ワイキキのど真ん中にもかかわらずご覧のように緑あふれるこぢんまりとしたアットホームなホテルで過去2回くらい泊まったことあったんですが・・・
結局、なんとか交渉してエクストラ支払って泊まらせてもらいましたけど。

ノースショアねぇ。リピーターは行きたがるよね。いつだったか仕事がらみの10人くらいでツアー組んでいったけど、ホノルル到着早々空港からレンタカー借りてまずハレイワからワイメア行ってなんて計画してる・・・
そんなのイヤだよね。勝手に行きなよ、オレ ホテルに荷物預けてビーチの木陰で昼寝してるから。
そういう時に限ってお昼にはチェックインできちゃったりするんだよね。
で、ノースショア
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見事なチューブライディング!
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僕はオアフだったらウインドワードの方が好みかな?
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いまや猫も杓子も行くラニカイビーチ、パンケーキ食べに行くための街と化したカイルアもウインドワード=東海岸だけど写真が古くてアナデジ変換めんどくて、そのうちアップしようかな?90年代はまだラニカイビーチも人はまばらで結構いい写真あるんですけどね。

みんな行きたがるといえば、アウラ二
ディズニーオタクの巣窟。すっごく高いので一泊だけ泊まりました。楽しかったけどね。
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なんか、今回はおもいっきりとりとめのない投稿になりました。
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朝日グリル、また行きたいね。

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リケリケドライブイン コロナウイルスのあおりでつぶれちゃったってききました。
残念。サイミンまた食べたかったな。

つぶれちゃったと言えば、ワイキキ朝食の定番ワイラナコーヒーハウス
ここのカウンターで食べるBREAKFAST IN AMERICAは、ああハワイきてよかったな、っていつも思わせてくれたんですけどね。残念です。
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でも、この写真みてまたハワイ行きたいよね、なんて思ってくれる人がいればいいですよね。

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Aloha! See you at Chart House again soon!

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2020年03月19日

OLDIES BUT GOODIES?

旧式のiPhoneで山下達郎サンデーソングブックのアーカイブを常日頃聴いているのは、以前このブログでも書いた通りであります。

90年代からMD撮り貯めたものを少しずつMacに移行しつつランダムに聴いていると、忘れていたいい曲が沢山出てきます。特にカーステで流している際に自分で運転していない時、結構シャザム〜apple musicで現行iPhoneに取り込む機会が多くなります。例えばここ最近シャザムった曲はこんな感じです。

リタ・クーリッジ You 、キンクス All Day and All of the Night、ニック・ロウ Cruel To Be Kind、キングトーンズ 夢の中で会えるでしょう などなど。
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曲だけではなく、達郎さんのトークを聴くのも楽しみ。
80年代に比べれば大分落ち着いた(笑)といえども、その速射砲がごときトークは特に初めて接する人にとっては衝撃に感じられる様で、「え!山下達郎ってこんなにおしゃべりな人だったの?」という発言は良く耳にします。
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音楽に対するメンションは、当然ながらかなりディープになります。楽曲、演者に対する知識は勿論のこと、楽器、奏法、録音技術、果ては作曲法から音楽行政までに及びます。
先日聴いたエアチェックで非常に興味深いコメントがあったので、ここで筆記したいと思います。

リスナーからのハガキ:達郎さんを見ていると古いものを大事にしながら新しいものも適度に抑えている様に感じます。ボクも温故知新できる(放送ママ)様になりたいです。

これに対する達郎さんのコメントは・・・
自分の感性で古いものがいいと思ったらそれでいいんです。
私27歳の時にオンスト(ON THE STREET CORNER)出しました。まだドゥーワップとか誰も知らない頃で、周りのみんなからは「オマエなにそんな音楽やってんだ」とかシーラカンスだとかガラパゴスだとか言われましたが、元々古いものが好きなのでやってきました。

所謂トレンドとかその時代の流行とかはですね、新しいトレンド、流行りに追い越されるためにあるものなんです。どんどん刷新されていきますから。その中で淘汰されて本当にいいものだけがスタンダードとして残っていくという・・・、トレンドなものほど陳腐化が早いんです。
ですからあんまり流行りを無批判に追わない方がいいです。
若い頃は特にそうだと思います。
いいと思わないものを聴いたってしょうがないじゃないですか。自分が本当に心の底からいいと思うものを選んで、そういうものに出会える様に選んで聴いて、自分の価値観磨いて。そういう感じでございます。
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それは、作曲、編曲、歌唱のみならずレコーディング方法にも及んでいて、たとえば80年代中盤から流行したゲートリバーブというエフェクターを使った録音方法。デュランデュラン、フィル コリンズ、ジャパンなどが典型で、達郎さんはそれこそ「絶対に使わなかった」と言い切ります。
自分の感じた例として、90年代中頃に制作された竹内まりやの海外の超一流ミュージシャン(ロバータ・フラック、ボビー・コールドウェル、フィービー・スノウなどすごいメンツ)による英語カバーアルバム、Sincerely... ~Mariya Takeuchi Songbook ところがこれすごく古くさく感じます。これってゲートリバーブの使用が大きなウエイトを占めていると感じます。
いかに楽曲が普遍的でもアレンジと録音方法が一過性の流行を追うと陳腐化してしまういい例だと思います。
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と言うわけで、この私も普段聴いている音楽の9割は60年代、70年代の音楽ですかね、達郎さん、まりやさんを除いては。
でもサブスクのこの時代、昨今の音楽も手軽にいくらでも聴ける訳でありまして、何かのきっかけさえあれば気にとまった曲、ミュージシャンについては聴く様にしてるんですけどね、例えば川谷絵音とか。

でもね、60年代70年代には自分にとってまだまだ未知の名曲が無限がごとくあるんですよね。
それこそコロナウィルス感染で今週亡くなったアラン・メリル〜ウォッカコリンズのアルバムを聴こうと思っております。
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なんて事書いていたら、先程のサンソンで以前から気になっていたこの曲がかかったので、早速シャザムってライブラリーに加えました。
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2020年03月01日

超私的マイフェイバリット外人プロレスラー ベスト10

昨年末の予告からやっとこのネタいってみます。

今も昔も男の子は(大人もか)多かれ少なかれプロレスが好きになります。
この私も例外ではなく、思い出せば祖父の影響が強かったかな?
昭和30年代後半、じーちゃんと一緒に茶の間のテレビで見た記憶が残ってます。毎週金曜日の夜8時の日本テレビはディズニーアワーとプロレスが一週おきに放送されていました。
力道山の記憶も何となくあります。ジャイアント馬場はまだ若手で、豊登、芳の里、吉村道明の時代。
馬場で思い出すのは大阪球場?で行われたジン・キニスキーとのタイトルマッチ。(何のタイトルだったか覚えてませんが)日曜日の昼間に中継があって、白黒画面に吸い込まれる様に見た記憶があります。キニスキーのメリケンサック(分かります?)のパンチで馬場のデカい胸板から流血していたことが、子供の時自分にとって衝撃でした。
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さて、今回のテーマは外人レスラーです。
ある時を境に何故だか分かりませんが、日本人レスラーより外国人レスラーを応援する様になりました。
もちろん外人レスラー誰しもを応援する訳ではありません。そこで今回の「凝れば凝るほど」では自分が好きだった外人レスラーベスト10とその思い出を書き綴ってみたいと思います。
あと、当然ですが2000年代いや1990年代以降のレスラーは全く出てきませんので、そこんとこ宜しくお願い致します。

第10位 バーン・ガニア 絶対的決め技 スリーパーホールドの使い手バーン・ガニア。絞め技でギブアップを奪うって凄い。
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プロレスってほとんど試合のパターンが決まってますけどそれでいいんです。そのパターンに持ち込む過程、そしてお決まりの結末を楽しむ。それがプロレスってものですから。


第9位 キラー・カール・コックス "Killer Karl Kox" KKKですね。悪役として敢えて米国民の憎しみを買うリングネーム。その後も湾岸戦争の時にGREAT HOSSIEN ARABとかもっと遡ればグレート東郷とかいましたね。
それはともあれカール・コックスと言えばブレーンバスターです。彼がブレーンバスターの開発者とのことですが、彼の場合は担ぎ上げた相手を脳天からマットに落とすという恐ろしいもの。しかし、なぜ故に担ぎ上げられた相手は両足をピンと揃えて真っ直ぐ上げるんでしょう?まあ、それもプロレスって事で・・・。Unknown-2.jpegUnknown-1.jpeg


第8位 マスクド スーパースター 悪役を演ずるには美男子が故にマスクを被ったという変わったパターンのレスラー。大型なのに身のこなしが軽く、得意技のランニングネックブリーカードロップは非常に高さがあり強烈なダメージを与えたのでした。
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第7位 ホースト・ホフマン 我ながら渋いセレクト。これぞ「プロ」レスラーでしょう。バックの取り合いから関節技に流れる様に移行。サイドスープレックス、セコバックブリーカー(ボーアンドアロー)レッグシザース・・・。こ書くためにYouTube見ましたが、痺れますねぇ。
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第6位 ダイナマイト キッド 休むことなくとにかく動き回る。この思いっきりの良さ、裏返すと見ていてひやひやしました。それは相手の受けるであろうダメージもそうだし、技をかける自分自身も怪我をしやしないか見ていて心配になった程です。身体を張るとは彼のこと。まさにダイナマイト キッド=爆弾小僧であります。
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第5位 バロン・フォン・ラシク ラシクの得意技はなんと言っても「クロウ」。相手の頭、顔面、胃袋を5本の指で鷲掴みにするだけの単純な技。個人的に好み(笑)のワザで、この使い手としてはフリッツ・フォン・エリックが第一人者ですが、自分はラシクが好みでした。初めてテレビで見た試合の印象が強烈で、190cmを超える日本人選手(ロッキー・羽田)をリング内からトップロープ越しに片手でその頭を掴んで、リングにひき吊り込んだのは衝撃でした。そして羽田の頭からは5筋の鮮血が・・・!またラシクのもう一つの得意技ブレーンバスターは、前述のKKK同様相手を脳天からリングに落とすという必殺技でした。ただそこからフォールには行かず、ブレーンクロウでギブアップさせるのが彼の流儀でした。
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第4位 ビル・ロビンソン 人間風車ビル・ロビンソン。彼の代名詞ダブルアームスープレックスは相手がリングにたたき落とされるギリギリまでフロントネルソンを離さない危険な技。
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ワンハンドバックブリーカー、フロントスープレックスなど多彩な投げ技が魅力を放ち、関節技にも長けていた。その黎明期から80年代まで、日本のプロレスは日本人vs外国人対抗の構図だったのが、ロビンソンを知った時は日本側のエースとして活躍していた記憶がありました。超私的な体験としては、当時の両国日大講堂で行われた対ジャンボ鶴田戦を観戦にいった際、鶴田を担ぎ上げたロビンソンは結構リングに近い席にいた我々の方を見て、ニヤっと笑ったのを40年以上経った今でもハッキリ覚えています。そしてショルダーバスター(担ぎ上げた相手の方を自分の膝に落とす技)を装ってツームストーンパイルドライバー、そのまま脳天をリングに叩きつけて3カウントを取ったのでありました。

さていよいよベストスリーであります。

第3位  ディック・マードック ブレンバスター!と叫んで相手の腕を自分の首の後ろに掛け頭に腕を巻き付ける、もう一方の片手を相手のリングタイツを掴み高々とその身体を垂直に差し上げる。すると古舘伊知郎は「アブナイ、アブナイ」と絶叫。そこで自ら腰砕けの様に尻餅をつく。すると差し上げられた相手は脳天からマットにめり込み失神する。倉持隆夫は「テレビをご覧のよい子の皆さん、この真似だけは絶対にしないで下さい」o0490083913749374129.jpg20131230njpw2.JPG

他にもオクラホマスタンピート、カーフブランディング等々大技で我々を魅了してくれました。
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見よ!この藤波の表情


第2位 ブルーザー・ブロディ  一番強いプロレスラーは誰か?と言う問に真っ先に出てくるのはブロディでしょう。
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初来日の時だったと思いますが全日本プロレス新春恒例のバトルロイヤルで、真っ先に狙われ一挙に何人もに覆い被されフォールされた際、カウント2で少なくとも5人をはね飛ばしたのには驚きました。デカイ上に引き締まった身体から繰り出されるドロップキック、コーナーポスト最上段からのニードロップは破壊力抜群と言う表現を超越し戦慄が走りました。けれど、自ら流血を演出したり不可解な試合放棄など理解しがたい一面も持ったレスラーでした。
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第1位 スタン・ハンセン
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自分にとってハンセンの一番の魅力はその間髪を入れずに技を繰り出すスピード感。相手をロープに飛ばしてニーパット、倒れたところに間合いを取らずエルボードロップ、引き起こして再度ロープに飛ばして戻ってくるところをエルボーパッド
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こんな事さえありました。相手がハンセンの130キロの身体をやっとのことでバックドロップすると、先に起き上がってドロップキックを放ったのは投げられたハンセンなのです。攻め込まれてどんなにダメージを負っていても、そのままリングに倒れ込むことなく、必ず立ち上がって反撃する痛快な姿勢に魅了されました。本人いわく「筋肉増強剤等を一切使わず真の身体の強さでここまで戦ったのは自分だけだ」

そして今回の投稿をこの映像で締めくくりたいと思います。


2020年02月09日

グラミー賞とCITY POP

最近25年振りくらいでWOWOWと再契約しました。
ちょいとビジネスの絡みでグラミー賞観る必要あったんです。

ちなみに以前の際は、オートバイのワールドGP観るための契約だったんですけどね。
ガードナー、ローソン、シュワンツ、レイニー、ドゥーハンの時代でした。

で、2020グラミー賞 ビリー・アイリッシュ。 グリーンに光るGUCCIカッコ良かったです。
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あとはLIZZO、アリアナ・グランデ、テイラー・スイフト・・・正直さっぱり分かりませんわ〜(汗)

音的に殆ど聴いていないので何ともコメントのしようがありませんが、う〜んどうなんでしょう?
以前このブログでも書いている様に、1970年代前半に最もシンパシーを感じている自分にとっては、ひと言で言えばどれも音像が暗いです。リズムが殆ど人力じゃない=打ち込みばっかり。
でもしょうがないか、時代の趨勢?
それにロックンロール無いなぁ。でもグラミー賞ってロック部門ってあるみたいだからロックバンドはいるんでしょうけど。
ロックって流行ってないのかな?今の20代30代の人には。

そういえば去年Superflyのライブ観に行ったんですが、正直いうと面白くなかった。
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あんなブログ書いたボクにとってもね。
それは、彼女がロックンロール、ハードロックもっと言えばローリングストーンズやらなくなっちゃったからなんです。バラードばっかで。アップテンポの曲もボクに言わせりゃありきたりでロックンロールしてない。
でも大多数のファンにとっては今演ってる音楽こそが彼女の魅力なのでしょう、きっと。
ボク以外にもSuperflyについてブログ書いている方いらっしゃいますが、結局はシングルヒットした曲の紹介ばかりになっちゃう。
Superfly 蔦谷じゃダメなんですよ、多保孝一じゃないと。

それは兎も角、自分の趣味としてはグラミー賞 音的に全く響きませんでした。

ところで、この数年巷で話題になっているCITY POPであります。
1980年前後の日本の<都会派>ロック〜ポピュラーミュージックが海外で話題になっているらしいんですが、
きっかけはこの曲。

韓国のDJがYouTubeにアップしてから4700万回以上が世界中で再生され、そのコメントの殆どが海外からのものだったり。時を同じくして大貫妙子のアナログを探しに来日したアメリカ人青年がテレビで紹介されたり。
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このアルバムは来日外国人が探されているものの筆頭ではないでしょうか?

自分なりにその理由を考えてみました。
今回のグラミー賞をみても感じられる暗い音像と打ち込みやサンプリングばかりのリズムがベースの楽曲に対し、80年前後の洋楽志向の和製ポップス(死語)=「CITY POP」のグルーヴに富んだ人力のリズムと抑揚に富んだメロディ、そして綺麗なコーラスがそう言う音に初めて接した人達にとって、極めて新鮮に感じられているのではないでしょうか?
またそもそも今から40年も前の音作り=特にそのアレンジと録音が今聴いても全く古臭くありません。よく言われる「普遍的」なサウンドなのです。アナログ録音だったせいなのでしょうか?
(もちろんすべてが良かった訳でも普遍的な曲作りをされていた訳でもないし、今聴くと情け無い楽曲もありますが)

逆に90年前後の多くのポピュラーミュージック、ロックが洋・邦とも、今聴くと耳障りが悪く特にリバーブ(残響音)が不自然、もっと言えば不快に聞こえます。デジタル録音のせいなのでしょうか?それとも当時はその手の音像が好まれたのかな?
自分は単に1人の音楽ファンであって、作り手ではないので的確な説明は出来ませんが、一部のミュージシャン、レコーディングエンジニア達は2000年くらいからはデジタルを如何にアナログ=自然な音に近づける事に心血を注いでいるという話しも読んだことがあります。

まあ、小難しい事は置いといて、ひと言でいえばCITY POPは軽快で耳に心地よいサウンドだった、それが一部のDJ、マニアに発掘されて多くの人に受け入れられたと言うことですね。


私は今まで80回このブログで、あーだこーだ書いてきた訳ですが、どうしても「かつてはこうだったんだよ」という話しになりがちです。前回のフォードvsフェラーリもしかり、DEEP PURPLEの話しもしかり。それがともすれば自分より20歳、30歳、いやもっとお若い方にどう受け入れられているのか?が少し心配になる事があります。
でも、昨今のこのCITY POPブームに接するにつけ、60〜80年代前半の話しを若い人たちにもここでするのも意味あるかな?なんて思い始めています。
そう言う観点からすると山下達郎が40年前と基本同じ音楽をステージで同じ様に歌い、生音で演奏していること、そしてそれが今の20代30代にも非常に好意的に受け入れられている事は、時代が変わってもいいものをいいと捉える感覚は変わっていないんだなと思いました。

そう言えば10年くらい前にこんな事が有りました。
当時我が社には「クラブ」でDJやってた社員がおりまして、結構人気があったようです。そんな彼に1976年のDoobie BrothersのアルバムTakin' to the StreetWheels of FortuneRioを聴かせたところ、「これヤバイっすよ!」「貸して下さい」って言って「クラブ」で披露したところ「とてもウケた」そうです。このアルバムはその彼が生まれる前の音源でした。
いちど聴いてみてください。皆さんの耳にはどう聞こえるのでしょうか?

事ほど左様に上質な音楽というものは、作られてから何十年を経たとしても時代の試練に打ち勝って、古臭くならないのです。
でも音楽というものは極めて個人的な趣味性が高いもので、例えばこのドゥービーズのRioに対して、いつも三代目みたいな打ち込みとファルセットばっかり聴いている若い女性には全く馴染めないのかも知れません。でもそれは仕方がないことだとは思ってますけど。

これから自分は自分自身まだまだ知らない過去の名曲を発掘し、それを楽しみ、さらにはこのブログを通じて、共感してもらえる人に発信できればと思います。更には新しいミュージシャン、新しい曲でも「いいものはいい」と受け入れられればいいですね。サブスクやシャザムなど便利な世の中になりました。


2020年01月13日

FORD v FERRARI

凝れば凝るほど」本年もよろしくお願い致します。

昨年末にお知らせした次回の予告では「極私的外人プロレスラーベスト10」だったんですが、昨日観に行った映画「フォードvsフェラーリ」でちょいと思ったこと、そして思い出したことがあったので、そっちを先に書いてみたいと思います。
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スターウォーズ最終章とどっち観ようか迷ったんですが、スターウォーズはしばらく上映続くだろうから、てんでFordに行きました。

で、まずはこのブログに接していただく際にこの曲を聴いて頂きながらお読みください。


この映画の主人公はマット・デイモンクリスチャン・ベールなのですが、自分にとってそれ以上にフォードGT40が主役であり、それだからこそ「凝れば凝るほど」で取り上げている訳であります。

自分は漫画雑誌全く読まないので、今、例えば少年マガジンがどんな内容になっているのか知る由ありませんが、1960年代後半、毎週読んでいた小学生の頃には漫画の他にスポーツ選手(特にプロ野球)やカーレースの特集が巻頭のカラーグラビアで取り上げられていました。
この映画にも出てくるダン・ガーニーやリッチー・ギンサー、ロジャー・バックナムなんて名前も少年マガジンで知りました。
そしてこの映画の主役フォードGT40も、その当時正にリアルタイムの少年マガジンの巻頭グラビアでその姿を記憶に焼き付けてきました。だからこの映画のテレビCMを見かけた時 おお!っと思った訳なのです。
10歳の男の子にとって思いっきり車高の低いレーシングカーはカッコイイ以外の何者でもなく、正に憧れの対象でした。
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この映画のメインステージは1966年のルマン24時間レース。そしてタイトルからしてこの「FORD GT40とFerrari P330対決の構図」なのですが、どうせ「フォードvsフェラーリ」ってタイトルは日本版だけのものであって、オリジナルタイトルは違うと思ってたら FORD v FERRARIなんですね。映画全体を通してみるとこのタイトルちょっと違和感あります。

ストーリー自体はこれからご覧になる方のために伏せますが「実話に基づいて」なので、当時小学生だった自分の記憶(少年マガジンからの)と事実確認のために今のウィキペディアで調べた史実とを合わせて、このレースとその周辺状況を思い出すままに書いてみたいと思います。

結果的にこのレースに優勝するブルース・マクラーレンは足が悪くハンディを背負っていたため、ルマン式スタートで出遅れます。ところで現在まで続くF1チームのマクラーレンは彼が創始者なのですね。
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フォードGT40は排気量7000ccというのが時代を感じさせますが、なんとOHVエンジンなんですね。それで7000回転廻るって驚異的ですね。ちなみにフェラーリP330は当然のごとくDOHC 12気筒 で排気量は4400cc。

レース結果はフォードの1,2,3フィニッシュだったのですが、続く4〜6位に入ったのが2000ccの6気筒で健闘したポルシェカレラ6だったのがとても印象的でした。
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このカレラ6は同年の富士スピードウェイで行われた日本グランプリで走ったのをテレビ中継で見た覚えがありますが、子供心にもとにかくカッコ良かった。SFの世界の宇宙船がごときガラスコックピットとガルウィングドア、ホィールハウスは盛り上がり、縦長のヘッドライトカバーなどなど。今でも写真見ただけでワクワクします。
当然、プラモデルも作った覚えが有ります。
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その日本グランプリでカレラ6とデッドヒートを繰り広げたのがプリンスR380
一昨年たまたま銀座4丁目の交差点を通りかかった時、日産ギャラリーに展示されていた赤いレースカーが・・・
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いや感動、興奮。おもわずコンパニオンのオネーさんに逆解説しちゃったりして(汗)
ちなみにプリンス自動車はこの翌年日産に吸収合併されて、翌年の日本グランプリはニッサンR380になりました。

ところで当時はスロットレーシングカーが大流行していた時期で、住んでいた西荻窪にも「西荻サーキット」と「日東サーキット」って二つのスロットレーシング場あって自分も足繁く通ったものでした。でもこのポルシェカレラ6のスロットレーシングカーは無かったと思います。自分はロータス30ジャガーDタイプを持っていました。
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そもそもスロットレーシングカーってご存知ですか?
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こんなコースで1/24スケールのモーターを積んだプラモデルを走らせるんです。コースには細い溝が刻んであり、その両側にスチール製の通電レールが貼ってあって、そこから電気をレースカーが金属製のブラシを通じてモーターに供給。その電圧(電流?)の強弱でスピードをコントロールする仕組みになっていました。
そのコントロールをするリモコンが「スロット」だった訳です。ボディとシャシーはTAMIYA製、モーターはマブチ製の独占状態だったと記憶しています。

話はだいぶ横道にそれましたが、この映画自体はフォード社、フェラーリ社の当時置かれた経済的状況や、主演の2人がこの物語に至るまでの経歴(これが大事)にあまり時間が割かれていないため、ある程度の予備知識を得てから見た方が良いかな?と思いました。
また、レースシーンがちょっと物足りないというか、現在のSFX技術だったり、ドローンの活用などもっと本物らしく作れなかったのだろうかという不満は残りました。実際のF1レースやWGPの中継を見慣れたレースファンにとっては尚更だと思います。
そういった意味ではより人間ドラマに重きを置かれた映画だと感じました。

自分にとって一番印象に残ったのは、クリスチャン・ベールが劇中何度も見せる下から相手をのぞき込む様なこの仕草、表情でありました。
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と言う訳で私のFORD vs FERRARIの感想は以上であります。

じゃなかった、ひとつたいへんな事を忘れておりました
実はクリスチャン・ベールの表情よりもっとイカシてる事がこの映画であったんです。最初に貼り付けたyou tubeの音源、これぞ この映画のテーマソング「ポーク・サラダ・アニー」のオリジナルなのです。映画ではインストですが、やっぱこれじゃなくっちゃね。この曲エルビスがカバーして一般に広く有名になりましたが、やはりこのトニー・ジョー・ホワイトのオリジナルが最高です。せめて映画のエンドロールの時に歌入りのオリジナル流してくれたら良かったのにね。
もう一回聞いてくださいね。