2024年12月26日
2024年 野球界重大ニュース 〜メジャーリーグ編〜!!
2024年も残すところあと6日となってきました。
ここからは今年野球界で最も印象に残った事柄を私見ではありますが、重大ニュースとしてメジャーリーグと日本に分け、5つずつ取り上げて振り返ってみます。
まず今回はメジャーリーグ編です!!
★ 2024年 野球界重大ニュース 〜メジャーリーグ編〜
◆ ホワイトソックス歴史的大敗 !!
アメリカンリーグ中地区に所属するホワイトソックスは今季MLBワースト記録を62年ぶりに更新する41勝121敗と大敗を喫しました。
今年の開幕前にはディラン・シース投手をパドレスへトレードで放出。さらに開幕 7試合目に昨年ブレイクしたルイス・ロベルト・ジュニア外野手が右股関節痛のため一時離脱。5月24日から6月6日に球団ワースト記録となる14連敗、6月7日に勝利で連敗を止めるも、さらには7月13日から7月29日にかけては球団ワースト記録を更新する15連敗を喫し、最終的に8月5日にア・リーグ記録に並ぶ21連敗まで更新しました。
そして今季のトレードデッドラインに併せてマイケル・コペック投手をドジャースへ、エリック・フェッド、トミー・ファム外野手をカージナルスへそれぞれトレードで放出。
また、大型連敗中でオールスター空けのチームミーティング時に監督のペドロ・グリフォルが「球界最悪のチームかもしれない。もし、(歴代)最低勝率で(シーズンが終了して)最低のチームになれば、お前らはその一員として覚えられる。お前たち選手が、球界最低のチームにした責任を負うんだ」と発言したことから、「連敗の責任を選手たちに擦り付けている」とチーム内外から批判が殺到。
これを受け球団は 8月7日にペドロ・グリフォルの解任を発表、残りのシーズンはコーチのグレイディ・サイズモアが暫定的に指揮を執ることになりました。
また、グリフォルの監督解任に併せて、ベンチコーチのチャーリー・モントーヨ、三塁ベースコーチのエディ・ロドリゲス、打撃コーチ補佐のマイク・トーサーも解任されることに。
9月1日にメッツ戦に敗れ今季107敗目を喫し、球団ワースト記録となり、9月27日には年間121敗目を喫し、1962年のニューヨーク・メッツの年間120敗(40勝、勝率.250)という近代メジャーリーグ(20世紀以降)の最多敗戦記録を更新しました。
なお、レギュラーシーズン最終6試合を5勝1敗で乗り切ったことで、最終成績は41勝121敗、勝率.253で終え、最低勝率記録の更新はなんとか回避しました。
そして来季からホワイトソックスの冠スポンサーが7月に企業名を変更したことにより、本拠地「ギャランティーレート・フィールド」が「レート・フィールド」に名称変更することが発表され、シーズン中、他球団ファンの嘲笑を受け続けたファンは「ギャランティード(保証)」がなくなることにも大きなダメージを受けた模様。
「来年は優勝を保証できないので、名前から保証を外した」「つまり、基本的にホワイトソックスに保証は存在しない」などコメントが殺到。
いずれにしてもホワイトソックスは来年3月27日、レート・フィールドでエンゼルスと対戦して新球場名デビューとなります。
◆ ア・ナ両リーグ左腕が3冠を達成し、サイ・ヤング賞を受賞 !!
メジャーリーグでは今季、ア・リーグ:タリック・スクーバル(タイガース)、ナ・リーグ:クリス・セール(ブレーブス)が、両リーグで勝利数、防御率、奪三振数の投手3冠を達成。ともに左腕でサイ・ヤング賞も受賞しました。
◇ア・リーグ スクバル(タイガース)28歳
18勝4敗、防御率2.39、228奪三振
◇ナ・リーグ セール(ブレーブス)35歳
18勝3敗、防御率2.38、225奪三振
スクーバルはメジャー5年目の28歳。高く評価されてきたポテンシャルがついに全面開花し、31先発(192回)、18勝4敗、防御率2.39、228奪三振、総合指標bWAR6.3とア・リーグ投手部門1位を総なめ。
スクーバルの快投はタイガースにとって10年ぶりのプレーオフ進出を演出。レギュラーシーズンの 9月19日から、プレーオフの地区シリーズ第5戦まで28.2回を連続で無失点に抑え、タイガースをあと1勝でリーグ優勝決定シリーズ進出というところまで導きました。
そして、ナ・リーグのセールは、カムバック賞も受賞し、紆余曲折を経た末の念願のサイ・ヤング初受賞。今季からブレーブスに移籍するまではホワイトソックス、レッドソックスのエースとして活躍していたセールは、球界屈指の投手として活躍しながらも、サイ・ヤング賞とは縁がなく、2012年から2018年まで毎年オールスターに選ばれ、サイ・ヤング賞投票でも上位に入ってきました。しかし、チームを世界一に導いた2018年を境に故障と不振に苦しむようになり、このままサイ・ヤング賞を受賞しないままキャリアを終えるかと思われていました。その矢先、レッドソックスからブレーブスへトレードとなり、35歳にして投手三冠を獲得。悲願のサイ・ヤング賞を獲得しました。
◆ メジャー史に名を刻む方々の惜別(逝去)。。
これまでのメジャーリーグ球界で数々の記録や記憶に残る、元プレーヤーの方々が今年安らかな眠りにつきました。
● ウィリー・メイズさん
野球界で最も称賛された野球のシンボルの一人である殿堂入り外野手のウィリー・メイズさんが、6月18日93歳で亡くなりました。
メイズ氏はニグロリーグでプレーしたあと、1951年にジャイアンツでメジャーデビューし、1973年にメッツで引退するまで通算3293安打、660本塁打、339盗塁、打率.301、OPS.941を記録。
センターでは史上最高とも言われる守備力を誇り、12度のゴールドグラブ賞に輝きました。ジャイアンツのグレッグ・ジョンソン会長は「本日、我々は真の伝説を失いました」とのコメントを出し、メイズ氏の死を悼んでいます。
メイズ氏は1951年に20歳でメジャーデビューし、121試合で20本塁打を放って新人王を受賞。朝鮮戦争に従軍して2シーズン近くを欠場したものの、メジャーに復帰した1954年にはキャリア1度目のMVP受賞。1957年からは12年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、自己最多の52本塁打を放った1965年には2度目のMVP。2試合制だった時期も含め、オールスター・ゲームには通算24度も選出されています。
首位打者1度、本塁打王4度、盗塁王4度。1954年のワールドシリーズで見せた背走しながらのスーパーキャッチは「ザ・キャッチ」と呼ばれ、メジャーの歴史に残る名シーンの1つとなっています。
● ピート・ローズさん
メジャー史上最多の4256安打を放ち「ヒットキング」と呼ばれたピート・ローズさんが9月30日、83歳で亡くなりました。
歴代最多の通算4256安打を誇る安打製造機。選手として文句なしの実績を誇るローズ氏ですが、現役晩年の兼任監督を務めていた時期に野球賭博を行っていたことが発覚。自身が率いるレッズの試合も賭けの対象としていたことが明らかになり、永久追放処分を受けてアメリカ野球殿堂入りの資格も喪失。結局、現在に至るまで永久追放処分は解除されておらず、殿堂入りの資格も失ったまま、史上最高の安打製造機はこの世を去ることになりました。
1941年4月14日生まれのローズ氏は1960年7月にレッズと契約し、1963年4月にメジャーデビュー。1年目から170安打を放つ活躍で新人王に選ばれ、この年から1985年まで23年連続でシーズン100安打以上を記録。1968年、1969年、1973年と 3度の首位打者に輝き、1973年にはキャリアハイの230安打をマーク。1978年には20世紀以降のナ・リーグでは最長となる44試合連続安打を記録。
1973年にナ・リーグMVPに輝き、1975〜76年にはワールドシリーズ連覇も経験。1975年のワールドシリーズでは打率.370(27打数10安打)の活躍を見せ、シリーズMVPに選ばれました。1978年オフにFAとなってフィリーズへ移籍すると、移籍1年目の1979年は208安打を放ち、打率.331の活躍。翌1980年には自身3度目のワールドシリーズ制覇を経験。
1983年オフにフィリーズを解雇され、エクスポズと契約も、半年プレーして選手兼任監督として古巣レッズへ復帰。1986年オフに解雇されるまで現役を続け、引退後も監督業は継続し、最終的には野球賭博により1989年8月に永久追放処分を受けました。
歴代最多の通算3562試合に出場して同じく歴代最多の4256安打を放ち、打率.303、160本塁打、1314打点、198盗塁、OPS.784を記録。オールスター・ゲームに17度選出された人気者で、「チャーリー・ハッスル」の愛称で親しまれ、シルバースラッガー賞1度、ゴールドグラブ賞 2度のほか、1976年にはロベルト・クレメンテ賞も受賞。監督としては通算412勝373敗を記録も、プレーオフ進出はなし。
安打を量産する打撃面が注目されがちですが、守備面では内外野の様々なポジションをこなすユーティリティ・プレーヤーであり、一塁、左翼、三塁、二塁、右翼の 5ポジションで通算580試合以上にスタメン出場しtfcました。なお、アメリカ野球殿堂入りの資格は失っているものの、レッズの球団殿堂入りを果たしており、現役時代を通して背負い続けた「14」はレッズの永久欠番となっています。
● フェルナンド・バレンズエラさん
10月22日、メジャー通算173勝を誇るメキシコ出身のフェルナンド・バレンズエラさんが63歳で亡くなりました。
MLB機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーは「フェルナンド・バレンズエラは同世代の選手のなかで最も影響力のある選手の1人だった」との声明を発表。
バレンズエラ氏は1981年に13勝7敗、防御率2.48、180奪三振、11完投(うち8完封)という大活躍を見せ、最多奪三振のタイトルを獲得。新人王とサイ・ヤング賞をダブル受賞しただけでなく、オールスター・ゲームでは新人ながら先発投手を務め、チームのワールドシリーズ制覇にも貢献しました。
1990年までドジャースでプレーしたあと、エンゼルス、オリオールズ、フィリーズ、パドレス、カージナルスと多くのチームを渡り歩き、メジャー通算17年間で173勝153敗2セーブ、防御率3.54、2074奪三振を記録。殿堂入りは果たしていないものの、引退後もラテンアメリカの野球コミュニティを中心に大きな影響力を誇り、多くのファンから愛された人物でした。
今年はバレンズエラ氏が大活躍した1981年以来43年ぶりにワールドシリーズでドジャースとヤンキースが対戦。バレンズエラ氏は試合前のセレモニーに呼ばれてもおかしくないレジェンドですが、シリーズの開幕を前にこの世を去りました。
● リッキー・ヘンダーソンさん
12月21日、アスレチックスなどで活躍し、通算1406盗塁の歴代最多記録を持つ、リッキー・ヘンダーソンさんが65歳で亡くなりました。
「史上最高の1番打者」と言われ、通算1406盗塁、2295得点、先頭打者アーチ81本のメジャー記録を持つ名選手の死去を受け、MLB機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーは「何世代もの野球ファンにとって、リッキー・ヘンダーソンは盗塁と1番打者の代名詞でした。アスレチックスで最も愛された選手の1人であり、25年間のキャリアで、ほかにチームにも大きな影響を与えました。近年のルール変更の際には、彼の時代を念頭に置いていました」との声明を発表しています。
ヘンダーソン氏は25年間のメジャー生活で通算3081試合に出場し、3055安打、打率.279、297本塁打、1115打点、2295得点、1406盗塁、出塁率.401、OPS.820を記録。通算2190四球は歴代2位ですが、敬遠を除いた2129四球は歴代最多であり、選球眼・長打力・俊足・盗塁技術をすべて備えた理想の1番打者として長年活躍しました。
盗塁王のタイトルは実に12度。1990年ア・リーグMVP、オールスター・ゲーム選出10度、シルバースラッガー賞3度、ゴールドグラブ賞1度と数々のアワードを受賞し、1989年にアスレチックス、1993年にはブルージェイズでワールドシリーズ制覇を経験。1989年はリーグ優勝決定シリーズMVPに輝いています。
1976年のドラフト4巡目で指名され、アスレチックスに入団。1979年にメジャーデビューすると、翌1980年には早くもシーズン100盗塁をマークし、1982年に歴代最多の130盗塁、1983年にも108盗塁を記録。その後、ヤンキース、アスレチックス(2度目)、ブルージェイズ、アスレチックス(3度目)、パドレス、エンゼルス、アスレチックス(4度目)、メッツ、マリナーズ、パドレス(2度目)、レッドソックス、ドジャースと多くのチームを渡り歩き、パドレスでプレーした2001年に通算3000安打を達成。ドジャースでプレーした2003年が最後のシーズンとなり、このとき44歳。
4度にわたって在籍したアスレチックスへの影響力は特に大きく、2017年には本拠地オークランド・コロシアムのフィールド部分が「リッキー・ヘンダーソン・フィールド」と命名されました。奇しくも今年はアスレチックスがオークランドを本拠地としてプレーする最後のシーズン。アスレチックスがオークランドを去ると同時に、「史上最高の1番打者」もこの世を去りました。
◆ 「ドジャース」ヤンキースとの名門対決制し
史上8回目の世界一!!
2024年メジャーリーグの頂上決戦は、日本時間10月31日、3 勝1敗とヤンキースに王手をかけていたドジャースが第5戦のシーソーゲームを制し、2020年以来 4年ぶり史上8回目の世界一に輝きました!!
【2024年のドジャース】
開幕は韓国のソウルで迎え、パドレスと対戦(開幕投手はタイラー・グラスノー)。
9月2日にマジック19が点灯。9月26日に3年連続22回目の地区優勝を達成。9月29日に98勝64敗でレギュラーシーズン全日程を終了。
ホストシーズン・ディビジョンシリーズではパドレスと対戦し、第5戦で勝利したことでリーグチャンピオンシップシリーズに進出。リーグチャンピオンシップシリーズではメッツと対戦し、4勝2敗で下して2020年以来4年ぶり25回目のリーグ優勝を達成。
ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースと43年ぶり対戦。
10月30日の第5戦では7-6で逆転勝利し、4年ぶり8回目となる世界一を達成。
★ ワールドシリーズ 結果
日付(現地) 試合スコア 開催球場
10月25日 第1戦 ヤンキース3−6xドジャース ドジャー・スタジアム
10月26日 第2戦 ヤンキース2−4ドジャース ドジャー・スタジアム
10月28日 第3戦 ドジャース4−2ヤンキース ヤンキー・スタジアム
10月29日 第4戦 ドジャース4−11ヤンキース ヤンキー・スタジアム
10月30日 第5戦 ドジャース7−6ヤンキース ヤンキー・スタジアム
2020年以来史上8回目の世界一に輝いたドジャース。ワールドシリーズMVPには、5試合で20打数6安打4本塁打12打点の活躍を見せたフレディー・フリーマン内野手が選ばれました。
フリーマンはワールドシリーズ記録となる 年をまたぐ6試合連続本塁打、12打点など、文字通り歴史に残る打棒を見せ、ドジャースの世界一に貢献。
フリーマンにとって最大のハイライトは、第1戦におけるサヨナラ逆転満塁本塁打。2対3 とリードされた10回裏二死満塁、フリーマンは初球をライトスタンドに運んで第1戦の勝利をもたらしました。第1戦の勝利からドジャースは勢いづき、一気に3連勝で王手をかけ、世界一を決めた第5戦も、4点ビハインドの 5回表二死満塁からセンター前へタイムリーを放ち、その後の同点・逆転劇を演出。
フリーマンはシーズン最終盤に負った足首の負傷を抱え、守備・走塁がままならない状態でしたが、それを感じさせないプレーでチームを鼓舞。獅子奮迅の活躍で、ドジャースを世界一へと導きました。
そして大谷はWSで負傷してしまい打の主役はフリーマンに譲ったものの、チームの精神的支柱として世界一に貢献しました。
◆ 大谷翔平 前人未到「50−50」達成
メジャー7年目ついに悲願の世界一!!
今季、昨年まで所属していたエンゼルスからドジャースに移籍した大谷翔平は、昨秋の右肘手術のため打者に専念したシーズンとなりましたが、打ちまくり、走りまくり、54本塁打&59盗塁を記録し、メジャー史上初の「50−50」を達成しました!!
まず大谷の通過点と化した過去5人しか達成していない40本塁打&40盗塁は、8月23日、本拠地でのレイズ戦で4回に40盗塁目を決め、同点で迎えた9回二死満塁の第5打席で自身初のサヨナラ満塁本塁打で40号本塁打を記録し、MLB 6人目の「40本塁打&40盗塁」を出場126試合目で達成。
2006年のアルフォンソ・ソリアーノ(ナショナルズ)の147試合目を大幅に更新する史上最速での達成となりました。
そして迎えた現地 9月19日、敵地でのマイアミ・マーリンズ戦に1番・指名打者で先発出場。
6回の第 4打席で 49号2ラン、7回の第5打席で左越え50号2ランを放ち、この試合ここまで 2盗塁で今季51盗塁していた大谷は、前人未到の「50本塁打−50盗塁」を達成。
さらに勢いの止まらない大谷は、9回にもこの日自身のキャリアハイとなる 1試合10打点目となる51号3ランを放ち、記録を「51−51」まで1日で更新しました!!
今季大谷は最終的にシーズン159試合に出場して打率.310、54本塁打、130打点、59盗塁、OPS1.036。
史上初となる「シーズン50本塁打&50盗塁」に加えて自身 2度目となる本塁打王のタイトルだけでなく、打点、出塁率(.390)、長打率(.646)、OPSでもリーグトップに立ち、得点(134)、塁打(411)はメジャートップ。
そして指名打者専任での「MVP」受賞という史上初の快挙も成し遂げました!!
☆ 悲願の世界一!!
大谷が世界の頂点に上り詰めました。今季ドジャースに加入した大谷翔平(30歳)は激動の1年を乗り越え、メジャー7年目で悲願を達成。有終の美を飾り、山本由伸投手(26歳)らチームメートと歓喜を分かち合いました。
ワールドシリーズ第5戦、最後の打者のバットが空を切った瞬間、声を上げ、極上の笑顔でベンチを飛び出した大谷。痛いはずの左腕を振り、マウンド付近に広がる歓喜の輪に飛び込むと、目の前にいる選手や球団スタッフを力いっぱい抱きしめました。
「ただただうれしい。ナイスゲームだった。新しいチームに来て、最高の終わり方ができて、最高の1年だった」
メジャー7年目で初めて見る山頂からの景色。ずっと大谷は笑顔。
アルコールの甘い香りのクラブハウス。4度目のシャンパンファイトは 96本のシャンパンと180本のビールが用意され「『最高』以外に言葉がない。一番格別なシャンパンファイト。もう先はないですし、存分に楽しみたい」。ビールを浴び、ゴーグルをおでこに着けたまま、大谷がはじけまくりました。
世界を驚かせ続けた1年。昨季終了後にエンゼルスからFAになり、ド軍と当時プロスポーツ史上最大規模の10年7億ドル。チームの補強費を軽減するため、約97%にあたる6億8000万ドルを後払いにする前代未聞の契約。
2月末にはアリゾナのキャンプ地で結婚を電撃発表。開幕戦を迎えた韓国では専属通訳による違法賭博事件が発覚し、球団は通訳を電撃解雇。「彼が僕の口座からお金を盗み、なおかつ、僕の周りにもウソをついていたのが結論」。大谷は警察の捜査に協力しながらプレーを続け、強い精神力で逆境をはね返しました。
メジャー史上初の「50−50」を達成。2年連続本塁打王、初の打点王も獲得。
初めて臨んだポストシーズンでは、ワールドシリーズ第2戦の走塁で左肩を亜脱臼。痛み止めの注射を打って打席に立ち、歯を食いしばってバットを振り続けました。
この日(5戦目)は4打数無安打でしたが、チームの世界一に「自分たちの野球ができたことに誇りを持っていますし、最後まで勝ち切れたというのは本当に誇りに思っています」と胸を張った大谷。
試合後のロバーツ監督の記者会見では、大谷がフリードマン編成本部長に「あと9回(ワールドシリーズ制覇を)やりましょう」と言ったことが話題になりましたが、2025年の来季は二刀流復活を期待されているドジャーブルーの血が流れている大谷が、投打の柱となって連覇を目指します!!
ここからは今年野球界で最も印象に残った事柄を私見ではありますが、重大ニュースとしてメジャーリーグと日本に分け、5つずつ取り上げて振り返ってみます。
まず今回はメジャーリーグ編です!!
★ 2024年 野球界重大ニュース 〜メジャーリーグ編〜
◆ ホワイトソックス歴史的大敗 !!
アメリカンリーグ中地区に所属するホワイトソックスは今季MLBワースト記録を62年ぶりに更新する41勝121敗と大敗を喫しました。
今年の開幕前にはディラン・シース投手をパドレスへトレードで放出。さらに開幕 7試合目に昨年ブレイクしたルイス・ロベルト・ジュニア外野手が右股関節痛のため一時離脱。5月24日から6月6日に球団ワースト記録となる14連敗、6月7日に勝利で連敗を止めるも、さらには7月13日から7月29日にかけては球団ワースト記録を更新する15連敗を喫し、最終的に8月5日にア・リーグ記録に並ぶ21連敗まで更新しました。
そして今季のトレードデッドラインに併せてマイケル・コペック投手をドジャースへ、エリック・フェッド、トミー・ファム外野手をカージナルスへそれぞれトレードで放出。
また、大型連敗中でオールスター空けのチームミーティング時に監督のペドロ・グリフォルが「球界最悪のチームかもしれない。もし、(歴代)最低勝率で(シーズンが終了して)最低のチームになれば、お前らはその一員として覚えられる。お前たち選手が、球界最低のチームにした責任を負うんだ」と発言したことから、「連敗の責任を選手たちに擦り付けている」とチーム内外から批判が殺到。
これを受け球団は 8月7日にペドロ・グリフォルの解任を発表、残りのシーズンはコーチのグレイディ・サイズモアが暫定的に指揮を執ることになりました。
また、グリフォルの監督解任に併せて、ベンチコーチのチャーリー・モントーヨ、三塁ベースコーチのエディ・ロドリゲス、打撃コーチ補佐のマイク・トーサーも解任されることに。
9月1日にメッツ戦に敗れ今季107敗目を喫し、球団ワースト記録となり、9月27日には年間121敗目を喫し、1962年のニューヨーク・メッツの年間120敗(40勝、勝率.250)という近代メジャーリーグ(20世紀以降)の最多敗戦記録を更新しました。
なお、レギュラーシーズン最終6試合を5勝1敗で乗り切ったことで、最終成績は41勝121敗、勝率.253で終え、最低勝率記録の更新はなんとか回避しました。
そして来季からホワイトソックスの冠スポンサーが7月に企業名を変更したことにより、本拠地「ギャランティーレート・フィールド」が「レート・フィールド」に名称変更することが発表され、シーズン中、他球団ファンの嘲笑を受け続けたファンは「ギャランティード(保証)」がなくなることにも大きなダメージを受けた模様。
「来年は優勝を保証できないので、名前から保証を外した」「つまり、基本的にホワイトソックスに保証は存在しない」などコメントが殺到。
いずれにしてもホワイトソックスは来年3月27日、レート・フィールドでエンゼルスと対戦して新球場名デビューとなります。
◆ ア・ナ両リーグ左腕が3冠を達成し、サイ・ヤング賞を受賞 !!
メジャーリーグでは今季、ア・リーグ:タリック・スクーバル(タイガース)、ナ・リーグ:クリス・セール(ブレーブス)が、両リーグで勝利数、防御率、奪三振数の投手3冠を達成。ともに左腕でサイ・ヤング賞も受賞しました。
◇ア・リーグ スクバル(タイガース)28歳
18勝4敗、防御率2.39、228奪三振
◇ナ・リーグ セール(ブレーブス)35歳
18勝3敗、防御率2.38、225奪三振
スクーバルはメジャー5年目の28歳。高く評価されてきたポテンシャルがついに全面開花し、31先発(192回)、18勝4敗、防御率2.39、228奪三振、総合指標bWAR6.3とア・リーグ投手部門1位を総なめ。
スクーバルの快投はタイガースにとって10年ぶりのプレーオフ進出を演出。レギュラーシーズンの 9月19日から、プレーオフの地区シリーズ第5戦まで28.2回を連続で無失点に抑え、タイガースをあと1勝でリーグ優勝決定シリーズ進出というところまで導きました。
そして、ナ・リーグのセールは、カムバック賞も受賞し、紆余曲折を経た末の念願のサイ・ヤング初受賞。今季からブレーブスに移籍するまではホワイトソックス、レッドソックスのエースとして活躍していたセールは、球界屈指の投手として活躍しながらも、サイ・ヤング賞とは縁がなく、2012年から2018年まで毎年オールスターに選ばれ、サイ・ヤング賞投票でも上位に入ってきました。しかし、チームを世界一に導いた2018年を境に故障と不振に苦しむようになり、このままサイ・ヤング賞を受賞しないままキャリアを終えるかと思われていました。その矢先、レッドソックスからブレーブスへトレードとなり、35歳にして投手三冠を獲得。悲願のサイ・ヤング賞を獲得しました。
◆ メジャー史に名を刻む方々の惜別(逝去)。。
これまでのメジャーリーグ球界で数々の記録や記憶に残る、元プレーヤーの方々が今年安らかな眠りにつきました。
● ウィリー・メイズさん
野球界で最も称賛された野球のシンボルの一人である殿堂入り外野手のウィリー・メイズさんが、6月18日93歳で亡くなりました。
メイズ氏はニグロリーグでプレーしたあと、1951年にジャイアンツでメジャーデビューし、1973年にメッツで引退するまで通算3293安打、660本塁打、339盗塁、打率.301、OPS.941を記録。
センターでは史上最高とも言われる守備力を誇り、12度のゴールドグラブ賞に輝きました。ジャイアンツのグレッグ・ジョンソン会長は「本日、我々は真の伝説を失いました」とのコメントを出し、メイズ氏の死を悼んでいます。
メイズ氏は1951年に20歳でメジャーデビューし、121試合で20本塁打を放って新人王を受賞。朝鮮戦争に従軍して2シーズン近くを欠場したものの、メジャーに復帰した1954年にはキャリア1度目のMVP受賞。1957年からは12年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、自己最多の52本塁打を放った1965年には2度目のMVP。2試合制だった時期も含め、オールスター・ゲームには通算24度も選出されています。
首位打者1度、本塁打王4度、盗塁王4度。1954年のワールドシリーズで見せた背走しながらのスーパーキャッチは「ザ・キャッチ」と呼ばれ、メジャーの歴史に残る名シーンの1つとなっています。
● ピート・ローズさん
メジャー史上最多の4256安打を放ち「ヒットキング」と呼ばれたピート・ローズさんが9月30日、83歳で亡くなりました。
歴代最多の通算4256安打を誇る安打製造機。選手として文句なしの実績を誇るローズ氏ですが、現役晩年の兼任監督を務めていた時期に野球賭博を行っていたことが発覚。自身が率いるレッズの試合も賭けの対象としていたことが明らかになり、永久追放処分を受けてアメリカ野球殿堂入りの資格も喪失。結局、現在に至るまで永久追放処分は解除されておらず、殿堂入りの資格も失ったまま、史上最高の安打製造機はこの世を去ることになりました。
1941年4月14日生まれのローズ氏は1960年7月にレッズと契約し、1963年4月にメジャーデビュー。1年目から170安打を放つ活躍で新人王に選ばれ、この年から1985年まで23年連続でシーズン100安打以上を記録。1968年、1969年、1973年と 3度の首位打者に輝き、1973年にはキャリアハイの230安打をマーク。1978年には20世紀以降のナ・リーグでは最長となる44試合連続安打を記録。
1973年にナ・リーグMVPに輝き、1975〜76年にはワールドシリーズ連覇も経験。1975年のワールドシリーズでは打率.370(27打数10安打)の活躍を見せ、シリーズMVPに選ばれました。1978年オフにFAとなってフィリーズへ移籍すると、移籍1年目の1979年は208安打を放ち、打率.331の活躍。翌1980年には自身3度目のワールドシリーズ制覇を経験。
1983年オフにフィリーズを解雇され、エクスポズと契約も、半年プレーして選手兼任監督として古巣レッズへ復帰。1986年オフに解雇されるまで現役を続け、引退後も監督業は継続し、最終的には野球賭博により1989年8月に永久追放処分を受けました。
歴代最多の通算3562試合に出場して同じく歴代最多の4256安打を放ち、打率.303、160本塁打、1314打点、198盗塁、OPS.784を記録。オールスター・ゲームに17度選出された人気者で、「チャーリー・ハッスル」の愛称で親しまれ、シルバースラッガー賞1度、ゴールドグラブ賞 2度のほか、1976年にはロベルト・クレメンテ賞も受賞。監督としては通算412勝373敗を記録も、プレーオフ進出はなし。
安打を量産する打撃面が注目されがちですが、守備面では内外野の様々なポジションをこなすユーティリティ・プレーヤーであり、一塁、左翼、三塁、二塁、右翼の 5ポジションで通算580試合以上にスタメン出場しtfcました。なお、アメリカ野球殿堂入りの資格は失っているものの、レッズの球団殿堂入りを果たしており、現役時代を通して背負い続けた「14」はレッズの永久欠番となっています。
● フェルナンド・バレンズエラさん
10月22日、メジャー通算173勝を誇るメキシコ出身のフェルナンド・バレンズエラさんが63歳で亡くなりました。
MLB機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーは「フェルナンド・バレンズエラは同世代の選手のなかで最も影響力のある選手の1人だった」との声明を発表。
バレンズエラ氏は1981年に13勝7敗、防御率2.48、180奪三振、11完投(うち8完封)という大活躍を見せ、最多奪三振のタイトルを獲得。新人王とサイ・ヤング賞をダブル受賞しただけでなく、オールスター・ゲームでは新人ながら先発投手を務め、チームのワールドシリーズ制覇にも貢献しました。
1990年までドジャースでプレーしたあと、エンゼルス、オリオールズ、フィリーズ、パドレス、カージナルスと多くのチームを渡り歩き、メジャー通算17年間で173勝153敗2セーブ、防御率3.54、2074奪三振を記録。殿堂入りは果たしていないものの、引退後もラテンアメリカの野球コミュニティを中心に大きな影響力を誇り、多くのファンから愛された人物でした。
今年はバレンズエラ氏が大活躍した1981年以来43年ぶりにワールドシリーズでドジャースとヤンキースが対戦。バレンズエラ氏は試合前のセレモニーに呼ばれてもおかしくないレジェンドですが、シリーズの開幕を前にこの世を去りました。
● リッキー・ヘンダーソンさん
12月21日、アスレチックスなどで活躍し、通算1406盗塁の歴代最多記録を持つ、リッキー・ヘンダーソンさんが65歳で亡くなりました。
「史上最高の1番打者」と言われ、通算1406盗塁、2295得点、先頭打者アーチ81本のメジャー記録を持つ名選手の死去を受け、MLB機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーは「何世代もの野球ファンにとって、リッキー・ヘンダーソンは盗塁と1番打者の代名詞でした。アスレチックスで最も愛された選手の1人であり、25年間のキャリアで、ほかにチームにも大きな影響を与えました。近年のルール変更の際には、彼の時代を念頭に置いていました」との声明を発表しています。
ヘンダーソン氏は25年間のメジャー生活で通算3081試合に出場し、3055安打、打率.279、297本塁打、1115打点、2295得点、1406盗塁、出塁率.401、OPS.820を記録。通算2190四球は歴代2位ですが、敬遠を除いた2129四球は歴代最多であり、選球眼・長打力・俊足・盗塁技術をすべて備えた理想の1番打者として長年活躍しました。
盗塁王のタイトルは実に12度。1990年ア・リーグMVP、オールスター・ゲーム選出10度、シルバースラッガー賞3度、ゴールドグラブ賞1度と数々のアワードを受賞し、1989年にアスレチックス、1993年にはブルージェイズでワールドシリーズ制覇を経験。1989年はリーグ優勝決定シリーズMVPに輝いています。
1976年のドラフト4巡目で指名され、アスレチックスに入団。1979年にメジャーデビューすると、翌1980年には早くもシーズン100盗塁をマークし、1982年に歴代最多の130盗塁、1983年にも108盗塁を記録。その後、ヤンキース、アスレチックス(2度目)、ブルージェイズ、アスレチックス(3度目)、パドレス、エンゼルス、アスレチックス(4度目)、メッツ、マリナーズ、パドレス(2度目)、レッドソックス、ドジャースと多くのチームを渡り歩き、パドレスでプレーした2001年に通算3000安打を達成。ドジャースでプレーした2003年が最後のシーズンとなり、このとき44歳。
4度にわたって在籍したアスレチックスへの影響力は特に大きく、2017年には本拠地オークランド・コロシアムのフィールド部分が「リッキー・ヘンダーソン・フィールド」と命名されました。奇しくも今年はアスレチックスがオークランドを本拠地としてプレーする最後のシーズン。アスレチックスがオークランドを去ると同時に、「史上最高の1番打者」もこの世を去りました。
◆ 「ドジャース」ヤンキースとの名門対決制し
史上8回目の世界一!!
2024年メジャーリーグの頂上決戦は、日本時間10月31日、3 勝1敗とヤンキースに王手をかけていたドジャースが第5戦のシーソーゲームを制し、2020年以来 4年ぶり史上8回目の世界一に輝きました!!
【2024年のドジャース】
開幕は韓国のソウルで迎え、パドレスと対戦(開幕投手はタイラー・グラスノー)。
9月2日にマジック19が点灯。9月26日に3年連続22回目の地区優勝を達成。9月29日に98勝64敗でレギュラーシーズン全日程を終了。
ホストシーズン・ディビジョンシリーズではパドレスと対戦し、第5戦で勝利したことでリーグチャンピオンシップシリーズに進出。リーグチャンピオンシップシリーズではメッツと対戦し、4勝2敗で下して2020年以来4年ぶり25回目のリーグ優勝を達成。
ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースと43年ぶり対戦。
10月30日の第5戦では7-6で逆転勝利し、4年ぶり8回目となる世界一を達成。
★ ワールドシリーズ 結果
日付(現地) 試合スコア 開催球場
10月25日 第1戦 ヤンキース3−6xドジャース ドジャー・スタジアム
10月26日 第2戦 ヤンキース2−4ドジャース ドジャー・スタジアム
10月28日 第3戦 ドジャース4−2ヤンキース ヤンキー・スタジアム
10月29日 第4戦 ドジャース4−11ヤンキース ヤンキー・スタジアム
10月30日 第5戦 ドジャース7−6ヤンキース ヤンキー・スタジアム
2020年以来史上8回目の世界一に輝いたドジャース。ワールドシリーズMVPには、5試合で20打数6安打4本塁打12打点の活躍を見せたフレディー・フリーマン内野手が選ばれました。
フリーマンはワールドシリーズ記録となる 年をまたぐ6試合連続本塁打、12打点など、文字通り歴史に残る打棒を見せ、ドジャースの世界一に貢献。
フリーマンにとって最大のハイライトは、第1戦におけるサヨナラ逆転満塁本塁打。2対3 とリードされた10回裏二死満塁、フリーマンは初球をライトスタンドに運んで第1戦の勝利をもたらしました。第1戦の勝利からドジャースは勢いづき、一気に3連勝で王手をかけ、世界一を決めた第5戦も、4点ビハインドの 5回表二死満塁からセンター前へタイムリーを放ち、その後の同点・逆転劇を演出。
フリーマンはシーズン最終盤に負った足首の負傷を抱え、守備・走塁がままならない状態でしたが、それを感じさせないプレーでチームを鼓舞。獅子奮迅の活躍で、ドジャースを世界一へと導きました。
そして大谷はWSで負傷してしまい打の主役はフリーマンに譲ったものの、チームの精神的支柱として世界一に貢献しました。
◆ 大谷翔平 前人未到「50−50」達成
メジャー7年目ついに悲願の世界一!!
今季、昨年まで所属していたエンゼルスからドジャースに移籍した大谷翔平は、昨秋の右肘手術のため打者に専念したシーズンとなりましたが、打ちまくり、走りまくり、54本塁打&59盗塁を記録し、メジャー史上初の「50−50」を達成しました!!
まず大谷の通過点と化した過去5人しか達成していない40本塁打&40盗塁は、8月23日、本拠地でのレイズ戦で4回に40盗塁目を決め、同点で迎えた9回二死満塁の第5打席で自身初のサヨナラ満塁本塁打で40号本塁打を記録し、MLB 6人目の「40本塁打&40盗塁」を出場126試合目で達成。
2006年のアルフォンソ・ソリアーノ(ナショナルズ)の147試合目を大幅に更新する史上最速での達成となりました。
そして迎えた現地 9月19日、敵地でのマイアミ・マーリンズ戦に1番・指名打者で先発出場。
6回の第 4打席で 49号2ラン、7回の第5打席で左越え50号2ランを放ち、この試合ここまで 2盗塁で今季51盗塁していた大谷は、前人未到の「50本塁打−50盗塁」を達成。
さらに勢いの止まらない大谷は、9回にもこの日自身のキャリアハイとなる 1試合10打点目となる51号3ランを放ち、記録を「51−51」まで1日で更新しました!!
今季大谷は最終的にシーズン159試合に出場して打率.310、54本塁打、130打点、59盗塁、OPS1.036。
史上初となる「シーズン50本塁打&50盗塁」に加えて自身 2度目となる本塁打王のタイトルだけでなく、打点、出塁率(.390)、長打率(.646)、OPSでもリーグトップに立ち、得点(134)、塁打(411)はメジャートップ。
そして指名打者専任での「MVP」受賞という史上初の快挙も成し遂げました!!
☆ 悲願の世界一!!
大谷が世界の頂点に上り詰めました。今季ドジャースに加入した大谷翔平(30歳)は激動の1年を乗り越え、メジャー7年目で悲願を達成。有終の美を飾り、山本由伸投手(26歳)らチームメートと歓喜を分かち合いました。
ワールドシリーズ第5戦、最後の打者のバットが空を切った瞬間、声を上げ、極上の笑顔でベンチを飛び出した大谷。痛いはずの左腕を振り、マウンド付近に広がる歓喜の輪に飛び込むと、目の前にいる選手や球団スタッフを力いっぱい抱きしめました。
「ただただうれしい。ナイスゲームだった。新しいチームに来て、最高の終わり方ができて、最高の1年だった」
メジャー7年目で初めて見る山頂からの景色。ずっと大谷は笑顔。
アルコールの甘い香りのクラブハウス。4度目のシャンパンファイトは 96本のシャンパンと180本のビールが用意され「『最高』以外に言葉がない。一番格別なシャンパンファイト。もう先はないですし、存分に楽しみたい」。ビールを浴び、ゴーグルをおでこに着けたまま、大谷がはじけまくりました。
世界を驚かせ続けた1年。昨季終了後にエンゼルスからFAになり、ド軍と当時プロスポーツ史上最大規模の10年7億ドル。チームの補強費を軽減するため、約97%にあたる6億8000万ドルを後払いにする前代未聞の契約。
2月末にはアリゾナのキャンプ地で結婚を電撃発表。開幕戦を迎えた韓国では専属通訳による違法賭博事件が発覚し、球団は通訳を電撃解雇。「彼が僕の口座からお金を盗み、なおかつ、僕の周りにもウソをついていたのが結論」。大谷は警察の捜査に協力しながらプレーを続け、強い精神力で逆境をはね返しました。
メジャー史上初の「50−50」を達成。2年連続本塁打王、初の打点王も獲得。
初めて臨んだポストシーズンでは、ワールドシリーズ第2戦の走塁で左肩を亜脱臼。痛み止めの注射を打って打席に立ち、歯を食いしばってバットを振り続けました。
この日(5戦目)は4打数無安打でしたが、チームの世界一に「自分たちの野球ができたことに誇りを持っていますし、最後まで勝ち切れたというのは本当に誇りに思っています」と胸を張った大谷。
試合後のロバーツ監督の記者会見では、大谷がフリードマン編成本部長に「あと9回(ワールドシリーズ制覇を)やりましょう」と言ったことが話題になりましたが、2025年の来季は二刀流復活を期待されているドジャーブルーの血が流れている大谷が、投打の柱となって連覇を目指します!!
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投稿者:toocheebase|11:11|年別 総集編〜
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