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春嬉しいこと二つ

みなさんお久しぶりです。おととい昨日と嬉しいことがあったので報告します。

まず始めは、おとといの事。おとといは2か月ぶりの娘との面会の日でした。会った場所は、熊本市動植物園。

娘はよほど嬉しかったらしく、始めからテンションノリノリ。写真撮る時のポーズも決まってました。

親として嬉しかったのは、言葉がだいぶスムーズにいろいろ出るようになってたことですかねぇ。こないだ会った時は、「パパ」ともなかなか呼んでもらえなかったんですが、今回は何度も呼んでもらえました。会話も成り立つのが感動でした。

かけっこも、だいぶ速くなって……。追いかけるのが大変なぐらい。








次に嬉しい出来事は、昨日のこと。あいかわらず無気力に寝転んでいると、買い物に行っていた両親が、新しい家族(柴犬:2か月)を連れて帰ってきたこと。前々から亡くなった犬の代わりに、犬を飼いたいともらしていたが、突如実行したようだ。

前の犬はジャックラッセルテリアだったこともあり、相当活発で暴れ回るぐらいだったが、今回はそこまではないようで一安心。
人懐っこく、その仕草や表情に癒されてます。


ところが、その知恵はなかなかのもので、前の犬はけしてできなかった檻からの脱走をしてしまうことが今日発覚!上手に脚やアゴを使って檻を乗り越えるんですねぇ。これに対処はするため、4角を封じるために板をはったものの、もうちょっと大きくなったらこれも越えそうな気がする……。

今は名前がまだ定まっていない状態。俺がおしてるのは「ポン太」なんだけど、父は「ヤマ」とかいうし、母は「サン」とか「チャオ」とかいうしで、いつ統一されるやら……。

なかなか更新ができない理由

こんにちはみなさん。久しぶりの更新になります。こう更新の頻度が低くなっているのには訳がありまして……。
今日はその辺をぶっちゃけ語っちゃおうと思います。

よくここにいらしてくださるみなさんなら覚えておいででしょうが、去年の8月下旬から2か月ほど突然俺はブログができなくなりました。その理由を病気で入院とだけお伝えしていたのですが、実はそれ、非常にやっかいな病気でして……。

病名はずばり統合失調症といいます。どんな病気か、俺に起こったことを話します。

8月の下旬ごろ、俺は変でした。変なのは、自覚症状としてはまったく寝ずにほとんど食べずに一日中ブログに向かったりしていても平気でした。でも、自覚症状はそれだけで、ほんとに恐ろしいのはここから。

今あの当時を考えると、すごく美しい白昼夢を見ていて、それを現実のものと思い込むという症状です。リアルな妄想を見ているというのか。
その白昼夢を統合失調症の陽性症状といいます。躁鬱病でいうところの躁の状態になっている状態です。この時期に、「言葉のサラダ」といわれる現象がおこるそうなんですが、見た白昼夢を「言葉のサラダ」で表現するとこんな感じです。

旧友 元カノ サプライズ かくれんぼ 映画撮影 ワンピース 諸葛亮孔明 天体観測 ご褒美 万物の霊長

なんだか、支離滅裂でしょう? よく夢見たときそんな感じじゃないですか。それを起きていて見る感じです。しかも本人にとっては目の当りにしている現実です。周りから見たら異常人ですね。その状態が8月末のあのブログの記事に一端が見えてます。(あまりに見苦しいので今非公開にしてますが)

その異常な状態に近所の人が気づき、警察もかけつけ、親や姉に連絡を取って、強制的に入院ということになったのです。

医療保護入院という優しい名前ですが、現実は刑務所よりひどいような場所(檻)に監禁されるというものです。それが1週間ぐらいでしょうか。でも俺としてはまだ夢を見ているので、この監禁状態に納得がいかないという感じです。

しばらくしてやや落ち着いたら、狭い檻の監禁状態からは解かれましたが、今度は閉鎖病棟に移りました。そこでようやく自分が白昼夢を見ていたということを気付き始めるのです。

医師に聞けば、俺に起こったのは「丸太に火がついた状態」と形容される症状のようだった。幻覚を見ている状態だったようだ。よく幻聴が聴こえる人もいるらしいが、俺にはそれはなかった。
上記のような症状を見て、みなさんまるで覚せい剤やった人みたいだなって思いません?
まさに統合失調症の陽性症状とはそんな状態です。

入院2週間目ぐらいにしてやっと自分を取り戻して、自分が何か病気にかかっているということを自覚できました。
つまり陽性症状からは抜け出たのですが、ほんとに厄介なのはこれからでした。「焼け焦げた丸太は灰になって残る」ように、陰性症状が出始めました。鬱病と同じ状態です。俺は20代前半からしばしばこの鬱状態になり病院にお世話になっていましたが、この時になってやっと自分が統合失調症の陰性症状によって鬱病みたいな感じに見えているということがわかったのです。つまり、昔からずっと陰性症状だけは出ていたことになります。

この陰性症状を言い表すなら、世の中が白黒に見えるというか、とても味気ないものに見える感じです。自分が興味を持っていたことすらつまらなくて何もやる気が起きない人間の抜け殻になったような感覚とでもいうんでしょうか?

退院してから、ブログを再開したものの、なかなか更新ができないのはこういった理由です。日常のすべてのことがつまらない、さらに身体も思うように動かず何もできない。まさに生き地獄みたいな生活を送っているっていうわけです。

最近はこのブログ、田舎暮らしのことを書いていましたが、それは自ら選んで田舎暮らしをしているのではなく、一人暮らしがままならない精神障碍者となってしまって、親元で暮らすしかなくなったということなんです。

仕事にもまた就けるようになるか、今でもまだ目処はたっていません。とにかく自分にできる自信があることが少ないからです。

この病気、世間的に偏見がひどいと言うことで、実は病気の事について語るのを医者に堅く口止めされていますが、ここにいらっしゃるみなさんになら話しても構わないかなって思って話して見ました。

なんだか言ってちょっとはすっきりしました。今日はこの辺で……。

歴史民俗資料館

お久しぶりの更新になります。これだけ久しぶり+新年1発目だと、何を書こうか迷いましたが、今回これでいきます。天草市歴史民俗資料館です。

天草市役所に行く用事があったついでに、なにやらそのような看板が見えたので、ふら〜と行ってみることにしました。

どうやら、ず〜っと昔からの天草からの出土品とかを展示してあるみたいなんですが、俺の目についたものを写真とともにピックアップしてお届けします。

入るとまず目に付くのが、馬車でした。天草は天草五橋といわれる橋がかかるまで、交通は切り離されていた(渡し船で渡していたらしい)ので、交通が自動車中心になるまではだいぶ遅れたとのこと。



次に目についたのは、復元された昔ながらの家屋。日本昔話の世界ですな〜。



こうした家屋で使われていたような生活用品や農具などがずらっと並んでいたんですが、これ何だと思います?




正解は、昔の炬燵です。たぶん、真ん中の鉄のまあるいやつの中に炭とか入れてあったまったんでしょう。


では、こちらは? 大きさは直径30〜40センチぐらいでそれほど大きくありませんが……。




な、な、なんとこれ洗濯機なんですねぇ。汚れ、ちゃんと落ちるんでしょうか?


今の生活っていろんな電化製品があって、便利ですよねぇ。もう昔には戻れないです。
とはいえ、電気を利用するには原子力発電とかにも現状は一部頼っている部分もあるので難しいところです。

原子力使わなくても持つ世の中にしたいですね。

ポンカン収穫!

冬の寒さも本番にさしかかりつつある昨今、みなさんいかがおすごしでしょうか?冬、こたつに入って食べるものといえば、もちろんみかんですよね?たびたび紹介していますが、うちの両親は、現在ポンカン農家をやっております。ちょうど時期は収穫期ということで、俺も作業に駆り出されておりました。



朝早くから、シルバー人材センターで雇った作業員の方々と一緒に、ポンカンをちぎるわけなんですが、シルバーの方々はまだまだ元気です!脚立の上に登ったり、木に登ったりして、まるで猿のように収穫していきます。

俺の中心的な作業はどのようなものかというと、みなさんが収穫したコンテナを小屋やビニールハウスの中に運び込むという役目なのでありました。一つのコンテナは10キロほどとはいえ、こればっかりやってると中々骨が折れる作業なわけでありまして……。

元気なシルバーさんをよそに、俺は筋肉痛でグロッキーです。

今ごろ収穫したポンカン、すぐに食べるよりは2週間から1か月ぐらい寝かしてから食べた方が食べごろということで、今は熟成するのを待っているところです。

今年の糖度はどうかな〜? おいしくできてるかな〜?





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みかん農家の看板犬

今日は朝一番から事件が起こりました。
それは、母の「リックが死んだ」という泣きじゃくる声とともに始まった。

リックとは、この家で飼っていたオス犬のことで、実は先月外科手術を終えて養生しているところだった。
病気というのは、脇の下に腫瘍ができたというものであり、その辺をごっそり切除するという大掛かりなものだった。術後、その腫瘍を病理検査に出して見ると、実に悪性のものだということがわかり、手術をしたものの、その運命はもう覚悟していた。

家族みんな覚悟をしていたものの、エサをやりに小屋に行った母はなきじゃくりながら、その遺体を抱え込んで部屋に入ってきた。
いざその時を迎えてみると、その現実があまりにも悲しく、母は何度も「リックが死んだ」と言うばかり……。
その様子に、父と俺もそばに駆け寄った。
「まだ、温かいのよ。たぶん、朝方死んだんだろうね……」とようやく母が違う言葉を発した。
「リック…。リック! おい!」父親が呼びかける。
しかし、返事はなくぐったりとしている。その身体は力なく母親にだっこされている。
俺はついに来る時が来たかとがっくりソファに横たわった。

リックとの出逢いは、ほんの4年半前のことだった。
4年半前、かねてより寝たきりだった祖母が亡くなった。父にとっては、戦争で父をなくしてから女手一つで育ててくれた母だった。
気丈に葬儀を仕切るものの、いつも元気な親父らしくなく力がないのが側にいてわかった。まるで、魂が抜け出ているかのようにエネルギーが感じられなかった。
その様子を見ていて、心配になった俺は、葬儀が終わった後「犬でも飼ったら?」と勧め、その日のうちにペットショップに犬を見にいった。母は、「見て来るだけよ」と言っていた。
俺と親父も、半分見るだけのつもりで行ったのだが、そこで目が合ったのがリックだった。まだ生後2週間ぐらいの子犬だったが、元気ですぐに俺や親父の手をぺろぺろと舐めた。
すぐに二人とも気に入って買って帰った俺達に、母は「やっぱり……」と呆れていた。

家に連れ帰った後も、とにかく元気でぴょんぴょんリビングを駆け回っていた。犬種はジャックラッセルテリア。飼い始めた後に知ったのだが、中型犬の身体に大型犬が入っていると言われるほどのやんちゃな犬なのだった。(映画マスク2を見たことのある人ならご存知のあの行動力のある犬種である)
このリック、とにかく人懐っこく、人が来るたびによろこんで飛び跳ねる犬で、あっと言う間にこの狭い集落の中で、ポンカン農家の看板犬として人気者になった。よく言われていたのは「あんたのとこの犬は、番犬にはならんな〜」というほど、人に対して吠えなかった。
そしてやんちゃで食いしん坊でみかん好きなこの次男坊は、散歩が日課の両親の愛犬として4年半暮らしてきたのである。

その遺体の側で、まだ「リック。リック……。元気出さんかい」と呼びかけ続ける父親。祖母の葬式でも泣くのをこらえていた親父の涙を、生まれて初めて見た。
「目が動いたぞ。まだ生きとっとじゃなかか?」と何度か言っているのに、何も返す言葉がなかった。

やや落ち着いて、午後天候も回復したので、リックを埋葬することにした。場所は我が家のお墓のある場所の横。海の見晴らせる場所で、看板犬らしく墓地の入り口で、お墓に参る人々を迎える場所だ。近所の石屋からちゃんと墓石ももらってきた。

リックの死を聞いた近所の人が言った言葉。
「犬は家につくと言われていて、家の禍ごとを背負っていってくれる」
その言葉を聞いた母は、早速最近傷んでいた肩の痛みが引いてきたと言っていた。
今年は俺にとってもいろいろあった年だったので、それも背負って行ってくれたんだと思う。

あ〜、悲しい話ですいませんでした。m(_ _)m


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天草キリシタン館

天草と言う地に住むようになった以上、せっかくならこの地の名所を巡ろうということで、今日は天草キリシタン館に行ってまいりました。車
この施設、数年前一度行ったことがあるものの、なんでも改修されたばかりということでどんなもんかなと思い入ってみたのであった。



入ると、まずは天草島原の乱に至った経緯などを紹介するビデオが流されていて、改めて島原の乱について詳しく知ることになったわけですが……。

要約すると
島原の乱とは、キリスト教の禁教や過酷な年貢の取り立てにブチ切れた農民が蜂起した日本史上最大の一揆であるということである。

島原の乱って、誰でも知ってるほど有名なのは何でかって思ったら、日本史上最大だったからなんだな〜と妙に感心しつつ話を聞く。

もともとはこの熊本天草の地はキリシタン大名が統治していたものの、改易によって悪徳大名が統治することになったことから、だんだんと不満が高まり、当時弱冠16歳だった天草四郎を総大将として、天草で決起、その後船で長崎島原に渡って原城で籠城戦になったというものである。

原城の一揆軍は3万7千人。対する幕府軍は12万5千人の大軍でもって取り囲んで海上からの砲撃等を行ったものの、容易には落とせず、ついには兵糧攻めに切り替えて、弱ったところをやっと総攻撃により落城させたという。
城中の3万7千の一揆軍は全滅というからすさまじい……。

この施設では今、『陣中旗』というのをメインに扱っている。まあ読んで字のごとく陣に掲げた旗なのであるが、これらの展示物は全部撮影禁止だったので、天草キリシタン館のリンクからちょろっとしかご覧に入れることができない。しかし、これ直に見ると乱の激しさを物語るように血しぶきやら刀傷があって、なかなか迫力がある。

展示品は、他にも一見するとただの仏像にしか見えないが、裏返してさらに逆さまにするとしっかりクルスが描かれているといった有様で、いかに禁教時代に弾圧を逃れて信仰をしていたかというのを物語っている。

唯一写真撮影がOKだったのが天草五島の教会の写真展。その写真展を写真撮影してきましたのでご覧にいれましょう。






写真を見ると、なんとなく日本の風景や文化とキリスト教が融合してるって感じがしますね。
現在、天草で特にキリスト教信者が多いということはないんですが、かつてはその厚い信仰心を誇った天草という地を改めて思い返し考えたこと。

やっぱり、人を救うべき宗教のために人が争うってのはバカげてる!


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あんたがたどこさ♪

ちょっと前から、また生まれ故郷の天草に戻っている。この地は以前紹介したことがあって、ブログ村の県民ショー的人間観察トーナメントで準優勝した記事メモがある。今回はさらにこの地について。

「あんたがたどこさ」ってみなさん一度は耳にしたことがあるだろう。
音符あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場(せんば)さ
船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ」
という歌詞の歌だ。
正式名称は肥後手まり唄というのだという。

「この地は、なんと、そのあんたがたどこさの発祥の地である!」と言いたいところなのだが、船場と名のつくところはここだけではなく、おそらく熊本の各地、海上交通の要所の地ならこの地名がついているだろう。船

うちの先祖は、船で貿易をすることを生業としていたそうなので、この海上交通の要所の地に腰を下ろしたのだろう。
しかし、その昔栄えた場所も、今や限界集落化していて、戸数も30年前の4分の3に減っているということだ。
たしかに、散歩をしていても若い人にはまず会わない。ぴちぴちぎゃるなんかには絶対に会わない。(´;ω;`)

タヌキは出ないが、なんでもイノシシは山に出るということで、親父がやってるぽんかん山には、電柵がほどこしてある。鉄砲でも撃てれば、いっちょう猪鍋でもしゃれこみたいところである。
下の写真は、散歩中に見つけた「たわわに実りすぎた柿の木」

しっかし、刺激がね〜(このブログもしましま化しつつある)


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ありがとう。※ブログ復活のお知らせ

お久しぶりの更新になります。2か月以上も更新しなかったのには、訳がありまして・・・・・・。落ち込み実は病気で突如入院する羽目になってました。困った病院今日やっと退院してブログを再開しています。

この2か月の間にいろいろ考えることや出来事がたくさんあり、一度には書ききれないわけなんですが、とりあえずは、この言葉から始めようと思いまして。メモ

ありがとう。笑い

日常の中でこの言葉何気なく使っていますが、とても奥深い言葉だと考えました。
有難いと書くけど、日常に溢れていて、でもなかなか気づかないものって感じかな。

まずは、入院中心配をかけ、頻繁にお見舞いにきてくれたあたたかい両親と姉にありがとう。笑い

そして、親身に診療してくれた医師や細かな配慮してくれた看護士さん達にありがとう。笑い

入院中のおいしい食事を作ってくれた調理師の方々にありがとう。入院中の楽しみだったスイーツを作っているパティシエの人達にありがとう。笑顔

世の中にあるすべてのサービスにありがとう。人間は、一人では決して生きていけないんだと感じたこの体験。この感謝の気持ちを忘れず、生きて行こうと考えました。犬

このブログを応援し、コメントくださる方々にもありがとう。またよろしくお願いします。
すいません

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ボ・シ・タ\(^^)/弐

熊本と言う地。昔は肥後。
「聞いてないよ〜」って思った方、手を挙げてください。アウト
いろいろ特徴があります。

学閥とまではいいませんが、出身高校の繋がりを非常に重視します。俺のいた組織では済々黌閥が強いです。
たいてい、地元ではそうです。
懲役3年高校の人達は、地元を離れている人達が多いからです。
人生の旅してます。飛行機電車船自転車ドキドキ大

この地では、最終学歴をあまり強調する人がいないです。高校の名前を出します。高校はヒエラルキーみたいな感じです。
アホらし。しょうもな。

人を学歴だけで判断しても意味ねえんだよっ! 

お前はそれが自慢か?

それだ・けしか誇るものはねえのか?

もっと自分で自分に誇るようなの持てよっ!


結局、里親制度はアダプト制度という名前になりました。これはFさん発案です。ボカすために英語を使いました。この制度の基本的な担当はFさんでした。俺は副担当。この課のメンバーは、この時でも6人だけ。
課になる前の企画課の係に過ぎなかった時は、係員は係長含めて女傑と俺しかいませんでした。途中からFさんが助っ人になりました。自分の課の仕事を終えて、その後手伝うんです。
悩みを聞いたことはあります。グチとか言う人じゃないんですが。珍しく。
「私、ここで仕事して、正直役に立ててるのかな〜って」
「仕方ないよ。本業じゃないもん。大変だろうなって思ってるよ。たぶん主査も補佐も。両者からはそういうことしか聞かないし。俺個人で言うとめちゃくちゃ助かってる。俺1年目だし。わからないこと多いし。HPやってくれるだけでもほんと助かってる」よく主査と言っているが、内部部門ではこういう言い方をする。係長と言った方がおそらくわかりやすい。
HPは、正直面倒だった。本を公費で購入してもらって勉強した。HTMLとかの知識はなかった。
Fさんも、HPを作ったことはなかった。その本の知識と今までやってた経験で教えたら、ほんの1週間ぐらいで覚えた。はっきり言って、俺のダサいデザインよりこの子が作る方が綺麗。
…………こういう話、たぶんしたから元カノMちゃん怒りました。怒
FさんはHPを回復させてくれてました。ホイミが得意です。

さて、ボシタ祭りの話に戻ろう。
「俺達の学年、熊本に3人しかおらんとたい」
「は? そんなはずないでしょ? 悪の枢軸3Mの一人は?」
「その日、彼も用事があって。俺もどぎゃんかわからん。やっぱり10人ぐらいはいっとたいね。旗持ちだけん。一日だし」
「どんくらいの大きさがあんの?」
「まあ、そこまでじゃなかよ。それに腰にベルトで固定するし」
「そんならできるな」
「今”あいつ”が居酒屋で飲みながら他の人と一緒に勧誘しとっとたい。電話番号教えてよか?」
「いいよ」”あいつ”という人物は、私の記憶が確かならばイベント会社で働いているはずだ。この人も懲役3年高校1年の時に同じクラスだった。この1年の時のクラスは団結が強い。なぜなら、担任であった国語教師が東大卒でめちゃ嫌な奴だったからだ。性格が陰険。しかも頭おかしい。

一度こういうことがあった。
何が原因だったか忘れたけど、「このクラスの団結のために、みんな自分の髪を抜いて、提出してください」笑顔
ドヨドヨドヨ。汗悲しい怒り落ち込みウインクびっくり怒
そして、集めた髪をビニールに入れてクラスの掃除用具入れの裏に貼った。
貼る前、
「誰ですか? このクルクルしてる人は」
俺の近くの席にいる人たちが振り向いた。笑い
「ははははは」高笑いした。(ノε`*)ンププ(。・∀・)y─オイラは、自分の髪を抜いた後、ピーって引っ張って、超クルクルにした。それを近くにいた女子が見ていた。女の子女の子女の子びっくり笑いそう、昔よくやった遊びだ。
実は、「アホめ怒」という抗議の意味をつけてやった。「なんだコイツは怒
クラスには、野球部の坊主の奴もいるし、もともと髪が薄い人もいる。それに、髪を捧げると言う意味を考えろ。この変態。怒国語教師ならわかるだろ。

これがわからなかったら、お前には資格はあっても◇はない

「でも、“陰険”ってマジいばってたよね〜。30前半だったのに」
「ああ、中学高校生相手にしかイバれないからだろ?バニー
「もう50ぐらいだよね。やっぱまだ結婚してないんでしょ?ダメ
「たぶんそうだよ笑い」数年前の同窓会みたいな時に会った。その時も独身だった。男の子相変わらずの性格だった。(*・з・)ぷッ/オイラはこいつの口調のモノマネしてた。高校時代。
「俺達、女子高の文化祭にこっそり行った時もずっと正座させられたし」
「悪の枢軸3Mって言われてたからな。でもな、何も悪いことしてねえよ。ただ女好きなだけだし」
 この会話は、4月の日本語教師の新築祝いホームパーティ乾杯での“高校1年50人斬”とオイラとの会話だ。
その時妻も娘も一緒に行っていた。オイラはこの時、食中毒気味だった。落ち込みその前日ぐらいかの昼に食べたサンドイッチがたぶん当たった。汗おいしいパン屋のやつだけど。
 50人斬り18禁は娘赤ちゃんと遊んでやっていた。オモチャ使って。
「この娘、ずっと笑ってるよね〜笑い
「しつこいでしょ? ずっとこういう遊びで大うけしてるよ笑い
オイラは危機感を感じた。この男がやる気炎なら、何歳年下でも余裕で食う。たぶん中学生でもイチコロだ。キラキラルックスも高校時代とほとんど変わってない。今で言うと、あの芸能人に似てる。えっと、「るろうに剣心」の実写版映画の人。
…………オイラは男性芸能人の名前はそんなに憶えてないっ

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ボ・シ・タ\(^^)/

恐ろしいほどのタイミングで大ちゃんから電話携帯がかかってきた。昨日の話。
目薬は用意してください。アイスアイスとかの準備は整いましたか?
老眼鏡めがねかけましたか?
マウスのくるくるパソコン付いてますか?
ツッコミの準備笑いはできましたか?

その電話を受けて…………。
(えっ困った
「どぎゃんね。元気にしとるね」
「おお、めちゃ元気」
「電話したとはね、今度9月16日暇かなって思うて」
「ああ、空いてるけどOK
「ボシタ祭り馬に出てみんねって思うてたい」
「俺、出たことねえよ」
「それでもよかったい。江原会の幹事学年が俺達の2歳上とたい。そしてね、旗持ち祝日がいるってことで」

ボシタ祭り。馬これは正式名称ではない。しかしやはり熊本の人はこっちの方が馴染みがある。昔はその名称だった。
現在の正式名称は、熊本藤崎宮秋季例大祭という。誰がこんな特徴もない名前を覚えるはてな
一度たみふるさんとこのコメント欄で触れたことがあるが、ちゃんと紹介しよう。
この祭りの名前が変わったのには理由がある。
この祭りは、私の記憶が確かならば、加藤清正が朝鮮の役で城を攻め落としたVSことを記念に始まった。
没した没した。
これがなまってボシタ祭りとなった。
そういう経緯があり、外交上の問題もあって名前が変わった。朝鮮半島を刺激するような名前の使用を控えたのだ。

けっこうこういう配慮はする。
俺が市民参画プロジェクトにいた時、始め「里親制度ダメ」という名前の制度の開始にたずさわった。
この制度、おそらくイメージする内容と異なる。公園や河川、道路等を、地域の人達がまるで里親のように面倒をみるドキドキ小というボランティア推進のための制度だ。
もう、その名前で広報誌を使って大々的にアピールしていた。音量新聞記者室への投げ込みもした。メモ記者室は広報課の隣にある。よくここを使って会見等も開かれる。テレビ
…………最近よく見るのは人事課の謝罪映像だ。すいません不祥事大杉。まあいろんな人がいるからしょうがないけど。人事課カワイソス。汗いつも頭下げてるすいませんのはこの人達。おとといも見た。
(変わってないな……。笑顔この人。もう50代なのに。神妙な顔してるけど普段は超面白い人拍手なのにっ)

また話が逸れた。
その里親制度と言う名前に反応した人達がいた。男の子男の子女の子女の子本当の里親の方々だ。
「私たちは、子供たちを本当の愛情ドキドキ小を持って育てている。私たちの子供は、公園や河川と一緒じゃない」

何回か首長室のある秘書課まで直談判に来た。悲しいすいません市民参画プロジェクトは秘書課の分室。元物置だったところ。(笑)(T▽T)
「この名前は、他の自治体でもそう名付けとるところの多かとばってんね〜落ち込み」課長が職場でボヤいた。この人が悩んで、部下にも考えて欲しい時はこういう謎かけをする。実は、マウスに乗せた手がセクハラですめがねっの人。オイラに「慇懃無礼」「熟考型の黒子(くろこ)」とあだ名したのは人事畑の長いこの人。この人物のあだ名は「朝令暮改」
………………。電球
「やっぱり、人が言われて嫌な言葉って使っちゃいけないんじゃないですか? この段階ですけど、名前変えた方が……」
「そぎゃんたい。OKほんなこつよ。だけん俺のことば、チビとか言うたらいかんとぞ。主査!怒
「なはははははは拍手」主査は、俺の教育係兼係長だった女傑女の子。あの方です。「制服が素敵知的お嬢様女子高列伝」の最初に登場する人。
まあ言ってもいいな。第一高校っていいます。
熊本では、県立高校の方がレベルが高いです。
懲役3年高校である熊本高校・済々黌高校・第一高校・第二高校が人気です。あと、県の南部の人は八代高校に行きたがります。

くりぃむさん、面白すぎます。拍手クォーターバックと男の子試合をかき回すタイプの選手のかけあいが最高。キラキラ

「わたしもー。女の子そう思う〜。ドキドキ小うふふふふ笑い
「ほんとにね〜。みんなでゲームしてただけ〜OK
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