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2021年07月18日

【安楽死】死ぬ権利は、生きる希望になる。

日本では安楽死が認められていない。

しかしベルギーやオランダなど、
ヨーロッパの一部の国では安楽死が合法となっている。

スイスには安楽死ほう助機関「エグジット」がある。

ずっと苦しい生を送ってきた人にとって、
「死ぬ権利」は生きる希望になる。




「続くこと」はしばしば、良いこととして語られる。

命が続くこと、生き長らえることは尊い。
命が断ち切れてしまうことは悲しい。

そして、こう語られることもある。
「生きてさえいれば、なんでもできるんだから」

だから生きることはポジティブで、
死ぬことはネガティブでタブーな空気がある。



しかし、「終わりがないこと」は、すさまじい絶望になる。

ずっと苦しい生を送ってきた人にとっては、
命が続くことは地獄が終わらないのと同じだ。

「この苦しい生がいったいいつまで続くのか」
出口の見えないトンネルには、本当に出口がない。

なのに「死ぬ権利」は認められていない。
それは犯罪となり、多くの人の人生を傷つけてしまう。

「地獄を出るな」という重圧が、絶望に追い打ちをかける。



終わりがあることは、終わるまでの人生を輝かせる。

死ぬ権利があれば、
「この苦しい生をいつでも終えることができる」
と、気が楽になる。

終わりが決まっていれば、
その日までの時間の使い方も変わる。

なにしろ命が終わるのだから、
ただその日まで耐えたところで損だ。

「どうせあの日に終われるんだから」と開き直れば、
たいていの問題は小さく見えるし、恐れる必要もなくなる。




「人生が苦しい」「死にたい」と言う人に対して、
こう言う人もいる。

「かまってちゃん」
「自分だけが苦しいと思うな」
「もっとつらくても生きている人がいるんだから」


それはなにも間違っていない。
想像を絶するつらい状況でも、
懸命に生きている人はたくさんいる。

だけど、ありふれた返しをすると、
「つらさは本人だけがわかる、人と比べるものじゃない」

まわりからどう見えても、
心に抱えるつらさは本人だけが感じるもの。

むしろ、いつも笑顔で楽しそうに見える人ほど、
心の奥につらさを押し込めて耐えていることだってある。




個人的には安楽死の権利がほしいし、
日本でも認められたらいいなと思う。

犯罪者になってしまう人が出たり、
残された人が悲しんだり、簡単な問題じゃないこともわかる。

だけど、その人の生き方が尊重されるなら、
死に方だって尊重されてもいいはずだ。


死ぬ権利を実際に使うかどうかは別。

それでも、死ぬ権利は、
終わらない生の苦しみを救う、希望になると思う。




→あわせて読みたい
 「おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART2 いちばん理にかなった自殺タイミングはいつか』〜。



posted by 理琉(ワタル) at 21:22 | TrackBack(0) | 人生観

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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