2021年06月23日
なぜ日本では政治の話がタブー視されるのか 〜権力者に不都合・自己愛の傷つき・同調圧力〜。
日本ではよく
「政治・宗教・野球の話はタブー」
と言われる。
また、これらの話題になると怒り出したり、
熱くなって他者を攻撃したりする人がいる。
「デリケートな問題だから」
「個人の信念や価値観に大きく関わるから」
そう説明されることがあるが、
どうもそれだけではすっきりしない。
政治が
「人が平和に暮らすためのルールづくり」
だとしたら、
なぜそんな大切なことを話すのが
タブーなんだろうか。
なぜ政治の話をすると怒り出したり、
熱くなって他者を攻撃したりする人が多いのだろうか。
ー目次ー
現在の日本では、
予算の多くが教育・研究ではなく
医療・社会保障に使われている。
これは、イヤな言い方をすると
「未来への投資ではなく年長者へのご褒美」
に使われているということ。
若い人が政治の話をしやすくなれば、
政治に関心を持ち、選挙に行く人が増える。
その結果によっては「若者に有利なルール」を
実現したい政治家が当選する。
そうなれば、
現在の「年長者に有利なルール」が
変えられてしまうかも知れない。
それは年長者にとって都合が悪い。
だから、なるべく話題にされたくない。
サッカー場ではなく、ゲートボール場が増えてほしい。
政治の話になりそうなら、今も色濃く残る
「年功序列」「先輩後輩」の権限で黙らせればいい。
年長者が怒り出せば、年下は逆らえないし、
めんどくさがって敬遠してくれる。
そのために、年長者たちは
タブーな雰囲気をかもし出すのではないだろうか。
この点は、年長者に有利なルールの話と共通する。
いま政治の中核にいる者、
権力者として君臨する者の目的は、
今のままでいること。
富や権力を独占し、
特権階級のままでいること。
政治の話題が活発になれば、
選挙に行く人が増える。
その結果次第では、
自分の立場がひっくり返る可能性がある。
政治の話がタブー視されていれば、
選挙に行く人も減らせる。
そうすれば、
自分が特権階級から落ちる心配がなくなる。
自分たちに有利な法律を作ったり、
やりたい放題しても気づかれずに済む。
だから
なるべく敬遠される話題にしておきたい。
なるべく政治には無関心でいてもらいたい。
そうしないと
自分が権力者でいられなくなるじゃないか。
という思惑があるように思う。
政治の話で熱くなりやすい人は、
国家という巨大な力に自分を
重ね合わせているように思う。
政治の話は国家の方針
→政治への意見のちがいは国家への反逆
→国家を支持する自分への攻撃
→反逆者になら何をしてもよい
という図式。
自分を傷つけられた(と思い込んだ)から、
防衛のために熱くなって攻撃、ということだ。
ではなぜ、国家に自分を重ね合わせるのか。
強い力=国家に自分を重ね合わせれば、
「強くなったような気」になれる。
要は、簡単に
トラの威を借るキツネ
ジャイアンをバックに暴れるスネ夫
になれるということ。
これは、次のような人が
そうなりやすいように思う。
自信がなければ、自分が成長して
トラになればいい。
しかしそれが叶わないか、
そのための労力をかけたくない、
もっと手軽に「強くなった気」になりたい。
だから国家という巨大な力に
自分を重ね合わせる。
意見が違った時に怒り出すのは、
国家=特別で強い自分が傷つけられたから。
→あわせて読みたい
【おすすめ本】『国会議員を精神分析する』PART1 ”強烈な自己愛パーソナリティの持ち主が生き残る世界”〜。
日本は今でも、
同調圧力が強い”ムラ社会”と言われる。
みんな同じであることが良しとされ、
個性的な人は「自己中」として排除される。
その理由として、
などが上げられる。
どんな話題でも、意見の食い違いはある。
しかし政治の話は、
意見が食い違ったときのスケールが
ケタ違いに大きい。
なにしろ「法律」「国家」だ。
違いのスケールが大きくなればなるほど、
より強い同調圧力が発動しやすい。
さらに、国家の力に
自分を重ね合わせている人にとって、
国家への意見の違い
=自分へのより大きなダメージになる。
「何としてでも自分を守らなければ」
という意識が、より強い攻撃性を生む。
そういう人を刺激したくない、
めんどくさい人に絡まれたくない。
そんな、平穏無事でいたい周りの配慮もあると思う。
→あわせて読みたい
「なぜ日本人は空気を読むのか 〜閉鎖的な災害大国・日本で生き残るために〜。」
古代ギリシャの格言に、こんな言葉があるそうだ。
「政治に無関心な国民は、愚かな政治家に支配される」
若者は政治に無関心
若年層の投票率は30%
これらはまるで
「悪いのは政治に無関心な若者だ」
と言いたいようにも見える。
だが、本当にそれだけだろうか。
いま、有利な立場にいる者が
「国民は政治に無関心なままにしておきたい」
「政治の話はタブーにしておきたい」
と考えているとしたら、どうだろうか。
”政治の話はタブー”なのは、いったい誰のためか。
恥ずかしながら、僕も数年前まで
政治に無関心な部類だった。
だが、政治の話はタブーかを考えるほど、
知らなければ損をし続けることに気づいた。
今できることは、こうして考察すること。
そして、次の選挙には必ず行こうと思った。
→あわせて読みたい
「【一考察】政府のちぐはぐなコロナ対策は、自衛隊を国防軍にするための追い風?」
【おすすめ本】『国会議員を精神分析する』PART2 ”不安の時代にはヒトラー登場が待たれる”〜。
「政治・宗教・野球の話はタブー」
と言われる。
また、これらの話題になると怒り出したり、
熱くなって他者を攻撃したりする人がいる。
「デリケートな問題だから」
「個人の信念や価値観に大きく関わるから」
そう説明されることがあるが、
どうもそれだけではすっきりしない。
政治が
「人が平和に暮らすためのルールづくり」
だとしたら、
なぜそんな大切なことを話すのが
タブーなんだろうか。
なぜ政治の話をすると怒り出したり、
熱くなって他者を攻撃したりする人が多いのだろうか。
ー目次ー
- 政治に関心を持たれると、年長者に都合が悪い
- 政治に関心を持たれると、権力者に都合が悪い
- 熱くなるのは、”国家の力=自分”が傷つけられたから
- 同調圧力の強い国民性
- まとめ:本当に”政治の話はタブー”なのか
1.政治に関心を持たれると、年長者に都合が悪い
現在の日本では、
予算の多くが教育・研究ではなく
医療・社会保障に使われている。
これは、イヤな言い方をすると
「未来への投資ではなく年長者へのご褒美」
に使われているということ。
若い人が政治の話をしやすくなれば、
政治に関心を持ち、選挙に行く人が増える。
その結果によっては「若者に有利なルール」を
実現したい政治家が当選する。
そうなれば、
現在の「年長者に有利なルール」が
変えられてしまうかも知れない。
それは年長者にとって都合が悪い。
だから、なるべく話題にされたくない。
サッカー場ではなく、ゲートボール場が増えてほしい。
政治の話になりそうなら、今も色濃く残る
「年功序列」「先輩後輩」の権限で黙らせればいい。
年長者が怒り出せば、年下は逆らえないし、
めんどくさがって敬遠してくれる。
そのために、年長者たちは
タブーな雰囲気をかもし出すのではないだろうか。
2.政治に関心を持たれると、権力者に都合が悪い
この点は、年長者に有利なルールの話と共通する。
いま政治の中核にいる者、
権力者として君臨する者の目的は、
今のままでいること。
富や権力を独占し、
特権階級のままでいること。
政治の話題が活発になれば、
選挙に行く人が増える。
その結果次第では、
自分の立場がひっくり返る可能性がある。
政治の話がタブー視されていれば、
選挙に行く人も減らせる。
そうすれば、
自分が特権階級から落ちる心配がなくなる。
自分たちに有利な法律を作ったり、
やりたい放題しても気づかれずに済む。
だから
なるべく敬遠される話題にしておきたい。
なるべく政治には無関心でいてもらいたい。
そうしないと
自分が権力者でいられなくなるじゃないか。
という思惑があるように思う。
3.熱くなるのは、”国家の力=自分”が傷つけられたから
政治の話で熱くなりやすい人は、
国家という巨大な力に自分を
重ね合わせているように思う。
政治の話は国家の方針
→政治への意見のちがいは国家への反逆
→国家を支持する自分への攻撃
→反逆者になら何をしてもよい
という図式。
自分を傷つけられた(と思い込んだ)から、
防衛のために熱くなって攻撃、ということだ。
ではなぜ、国家に自分を重ね合わせるのか。
強い力=国家に自分を重ね合わせれば、
「強くなったような気」になれる。
要は、簡単に
トラの威を借るキツネ
ジャイアンをバックに暴れるスネ夫
になれるということ。
これは、次のような人が
そうなりやすいように思う。
- 「自分は特別な存在だ」という思いが強い
いわゆる”自己愛が強い人” - 自分に自信がないので
何か強い力を隠れみのにしたい人
自信がなければ、自分が成長して
トラになればいい。
しかしそれが叶わないか、
そのための労力をかけたくない、
もっと手軽に「強くなった気」になりたい。
だから国家という巨大な力に
自分を重ね合わせる。
意見が違った時に怒り出すのは、
国家=特別で強い自分が傷つけられたから。
→あわせて読みたい
【おすすめ本】『国会議員を精神分析する』PART1 ”強烈な自己愛パーソナリティの持ち主が生き残る世界”〜。
4.同調圧力の強い国民性
日本は今でも、
同調圧力が強い”ムラ社会”と言われる。
みんな同じであることが良しとされ、
個性的な人は「自己中」として排除される。
その理由として、
- 国土が海に囲まれているため、
異文化や多様な価値観に触れる機会が少ない - 災害が多いため、個人の自由よりも
協力して生き残る考えが優先される
などが上げられる。
どんな話題でも、意見の食い違いはある。
しかし政治の話は、
意見が食い違ったときのスケールが
ケタ違いに大きい。
なにしろ「法律」「国家」だ。
違いのスケールが大きくなればなるほど、
より強い同調圧力が発動しやすい。
さらに、国家の力に
自分を重ね合わせている人にとって、
国家への意見の違い
=自分へのより大きなダメージになる。
「何としてでも自分を守らなければ」
という意識が、より強い攻撃性を生む。
そういう人を刺激したくない、
めんどくさい人に絡まれたくない。
そんな、平穏無事でいたい周りの配慮もあると思う。
→あわせて読みたい
「なぜ日本人は空気を読むのか 〜閉鎖的な災害大国・日本で生き残るために〜。」
5.まとめ:本当に”政治の話はタブー”なのか
<政治の話がタブー視される理由の考察・まとめ>
政治に関心を持たれると
年長者や権力者に都合が悪いから。
政治の話に熱くなり、他者を攻撃するのは、
国家=自分の傷つきを恐れているから。
強い同調圧力によって排除されるので、
波風を立てないよう配慮しているから。
古代ギリシャの格言に、こんな言葉があるそうだ。
「政治に無関心な国民は、愚かな政治家に支配される」
若者は政治に無関心
若年層の投票率は30%
これらはまるで
「悪いのは政治に無関心な若者だ」
と言いたいようにも見える。
だが、本当にそれだけだろうか。
いま、有利な立場にいる者が
「国民は政治に無関心なままにしておきたい」
「政治の話はタブーにしておきたい」
と考えているとしたら、どうだろうか。
”政治の話はタブー”なのは、いったい誰のためか。
恥ずかしながら、僕も数年前まで
政治に無関心な部類だった。
だが、政治の話はタブーかを考えるほど、
知らなければ損をし続けることに気づいた。
今できることは、こうして考察すること。
そして、次の選挙には必ず行こうと思った。
→あわせて読みたい
「【一考察】政府のちぐはぐなコロナ対策は、自衛隊を国防軍にするための追い風?」
【おすすめ本】『国会議員を精神分析する』PART2 ”不安の時代にはヒトラー登場が待たれる”〜。
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