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2019年07月08日

余命宣告。

父の余命は長くて1年と、親戚づてに聞いた。



高校教師だった父は2年前に定年退職、
ヘビースモーカーな上になかなかの深酒、
加えて極度のワーカホリック。

テストの採点や授業の準備と言って、
平日は朝7時まで仕事、7時半に起きて出勤
という生活を38年間続けていた。

再雇用で私立の進学校へ赴任したと聞いていたが、
昨年から入退院を繰り返していたらしい。

ああいう生活だったし、ついにこの時が来たかと
知らせ自体はすんなり受け入れた。



だけど、父の余命宣告を受け入れた次の瞬間、
言いようのない悔しい気持ちが溢れてきた。

生死を盾にするなんてずるいじゃないか。

子どもの頃、僕がどれだけ貴方に怯え、
寂しさでいっぱいの心を怒鳴りつけられ
ここに書き切れないほどの言葉で傷つけられたか、

傷つけ逃げなんて卑怯じゃないか、と。



あの人は最期まで、
僕の寂しさと怖さでいっぱいの気持ちを
解ろうとしなかった。

少なくとも、言葉や態度では示さなかった。

だから、例えば今、思いのたけをぶつけても、
ぶつけた以上に僕が追加で傷つくだけとわかってる。

それでも、貴方が自分の不安から抑えつけてきた息子は
興味無いだろうがこんなに悔しい気持ちでいるんだと
全てをぶちまけてやりたい思いは溢れてくる。



だけど最期までの人生は
少しでも安らかにさせてやりたい。

お互いを余計な怒りや傷つきに晒したくない。

例え”逃げ”だと言われようが、父から直接
「気持ちを聞きたい」と言われない限り、
余裕の無い父の心への介入を避ける。



向こうにはもう、いや僕が生まれた時から、
僕の気持ちを受け止める力は無い。

かつての強大で支配的で、
権力者だった頃の迫力も威厳も、もう無い。

でも、だとしたら、全てをぶつけたくても
ぶつけようのない僕の気持ちは
一体どこへ向かえばいいんだろう。

この悔しさのやり場が無いじゃないか。



貴方は自分が見捨てられたり、否定されたり、
能力が無い事実を受け入れたりすることへの不安や恐れを

力関係が明らかに下だった子どもの僕に
支配という形で吐き出したんだろう。

カードゲームで言えばずっと貴方のターンだ。

なのに、肩書きが親子というだけで
無条件に上下関係の下の役となり、

貴方の怒鳴り声が怖くて
気持ちを吐き出せなかった僕に、
ターンが回って来ないなんてフェアじゃない。

”病気または年老いた親の場合”

親が年老いていたり、病気で体が弱っていたり、
障害があったりする場合、子供はなかなか
”対決”には踏み切れないことだろう。

親に対する嫌悪感に哀れみや
可哀相だと思う気持ちが混ざり合い、
身動きがとれなくなってしまうからだ。

そのような親に対するいたわりは
人間としての義務ではないか、
という気持ちが自体を複雑にする。


『毒になる親』 第十三章 より



余命を伝えられた時、親戚に
「こんな時ぐらい会いに行ってやれよ」と言われた。

僕は拒否した。

親至上主義の人からすれば
「親を見捨てるなんて親不孝だわ」
と言いたくなるだろう。

そう言える人はある意味、幸せだ。

なぜなら、家族というものが自分にとって
敬うに値すると”自然に”思えるんだから。



皮肉なものだが、
父は自分が見捨てられたくない気持ちの裏返しで
抑えつけ否定してきた息子に、結果的に見捨てられたんだ。

本心がどれほど崇高で愛情に満ちていようと、
それを伝えるどころか、自分の理想の押し付けに
変換し続けた結果なんだ。

厳しく、一方的に、褒めないがペナルティは課す、
そんな方法を「いい教育」と思い込んでいたにせよ、
ただの不安定の裏返しだったにせよ、

貴方が「下の存在」として留めておきたかった狙いは
完全に裏目に出た。

僕の貴方に対する態度は、
貴方が僕に見せてきた態度の積み重ねなんだ。



僕にターンが回って来なかったこと、
存命中に伝えることができなかったことを
後で激しく後悔するかも知れない。

だけど、接触すれば傷つくだけとわかってる。

父以外の、他の”KAZOKU”メンバーに会うのも
僕にとって苦痛が大きい。

父に対する歪んだ愛着と同情と、
哀れみばかりが積もったまま最期を迎えるかも知れない。

どうなるかわからないが僕にできるのは最期まで、
そしてその後も言いたいことを書き続けること。

”親の老いと死”

問題を解決しないうちに、
または言うべきことを言えないまま親が亡くなれば、
言いようのない悔しい気持ちになるかも知れません。

でも、もしそうなったとしてもそれは仕方がないことです。
たとえ彼らが亡くなった後でも、すでにいない彼らに宛てて
手紙や詩を書いたり、語りかけることによって、
言わねばならなかったことを言うことはできます。


『不幸にする親』 第七章 より



僕が大学生の時、父方の祖母が
余命1ヶ月と宣告された。

しかし僕が急いで帰省し顔を合わせた翌日、
祖母は旅立った。まるで僕を待ってくれていたみたいに。

→「【オリジナル曲】「セピア色の約束」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/126/0

だから、父の余命1年は
僕の中では長くて数ヶ月だと思ってる。

最期を迎えるまでに、どういう気持ちになってるか
誰にもわからないが、

僕はこの葛藤と闘い続け、自分の人生を生きる。


posted by 理琉(ワタル) at 13:28 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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