2019年06月10日
これが命。
祖父と最後に逢ったのは昨年11月。
見た目はこれまでと変わらず悠々自適、
しかし来週から入院するという。
「母方祖父の逝去。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/199/0
半年あまり経過した6月、
突然の訃報。そして
通夜。
葬式。
斎場。
全てが終了し、祖父母宅へ戻った今。
粛々と、お経がこだましたかと思えば、
どれだけ泣いても、残酷なまでに淡々と式は進み、
滞りなく、時間のパズルにはめたように終わる。
この姿を見られる最後の時間、斎場でも、
予定という型枠に組み込まれた命との別れは
あまりにも淡々と、祖父の姿を変えていく。
流れるように、あっけなく。
命の終わりも、お別れも、
このレールから逸脱することを拒む。
天寿を全うせず、病気に蝕まれもせず、
自宅での事故死という幕引き。
「昨日まで元気だったのに」
残された者たちは口を揃えてこう叫ぶ。
それと同時に、こうも呟く。
「これが命の儚さだ」と。
"朝には紅顔ありて夕べには白骨となる"
僕は仏教徒ではないが、
どんな思想、宗教であれ、
同じようなことは
多かれ少なかれ謳われているだろう。
「自分だけには当てはまらない」
そう思っているし、そう思いたいのが人間の性。
目の当たりにした者には、
ただの遠い世界の教訓ではなくなる。
深い深い、人生の真理の1つとして
心に刻まれる。
どれだけお金を持とうと、地位を上げようと、
後悔と非充足感に満ちた生き方に苦悩しようと、
終わりはいつも突然、こんなにもあっけない。
ならば、終わる瞬間までの全てを
全霊を賭けて楽しもう。
後悔はいくらでもする、
ただし終わった時に後悔以上の
「やり切った」充実感を持ったまま、
いつか来る
「あっけない終わり」を迎えてやろう。
見た目はこれまでと変わらず悠々自適、
しかし来週から入院するという。
「母方祖父の逝去。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/199/0
半年あまり経過した6月、
突然の訃報。そして
通夜。
葬式。
斎場。
全てが終了し、祖父母宅へ戻った今。
粛々と、お経がこだましたかと思えば、
どれだけ泣いても、残酷なまでに淡々と式は進み、
滞りなく、時間のパズルにはめたように終わる。
この姿を見られる最後の時間、斎場でも、
予定という型枠に組み込まれた命との別れは
あまりにも淡々と、祖父の姿を変えていく。
流れるように、あっけなく。
命の終わりも、お別れも、
このレールから逸脱することを拒む。
天寿を全うせず、病気に蝕まれもせず、
自宅での事故死という幕引き。
「昨日まで元気だったのに」
残された者たちは口を揃えてこう叫ぶ。
それと同時に、こうも呟く。
「これが命の儚さだ」と。
"朝には紅顔ありて夕べには白骨となる"
僕は仏教徒ではないが、
どんな思想、宗教であれ、
同じようなことは
多かれ少なかれ謳われているだろう。
「自分だけには当てはまらない」
そう思っているし、そう思いたいのが人間の性。
目の当たりにした者には、
ただの遠い世界の教訓ではなくなる。
深い深い、人生の真理の1つとして
心に刻まれる。
どれだけお金を持とうと、地位を上げようと、
後悔と非充足感に満ちた生き方に苦悩しようと、
終わりはいつも突然、こんなにもあっけない。
ならば、終わる瞬間までの全てを
全霊を賭けて楽しもう。
後悔はいくらでもする、
ただし終わった時に後悔以上の
「やり切った」充実感を持ったまま、
いつか来る
「あっけない終わり」を迎えてやろう。
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