アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2019年04月04日

【アダルトチルドレンと世代間連鎖】祖父と、父の起源。

昔の歌詞ノートを読み返して昨日、
父方の祖父に書いた曲「青函トンネル」の歌詞を載せた。

→「【オリジナル曲】「青函トンネル」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/133/0

言葉を交わした記憶もあまりない祖父へ
思いを巡らしたタイミングと重なったのが、

つい先日、何となく惹かれて購入した
アダルト・チルドレン「癒しと再生」を読みふけっている時の
祖父と父はどういう関係だったのかという疑問。



そして、
僕の脳裏に恐怖として焼き付いている父の言葉、
「男とは家族のために耐えて犠牲して働くものだ」

→「父との関係。(5) -大学〜就職-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/43/0

その価値観に反する言動を僕がするたびに、
傍から見ても異常なほど強い口調で主張し
押し付けてくるのはどうしてなのか、という疑問。

祖父の生い立ちや半生を辿ると、
その答えは僕が自分で書いた歌詞の中にあった。



生前の祖母か、祖母から長話を聞かされていた母か
どちらから聞いたか定かでないが、

実は祖父は婿養子であり、
祖母と結婚するにあたり姓を変えたのは祖父側だった。

その事を僕が知ったのは、
小2の時に祖父が亡くなってずいぶん経ってからで、
その後も幾月かは祖父の旧姓すら知らなかった。



祖父は今で言う中学生くらいの年齢から
漁師見習いとして働きに出され、

「船底の板一枚、その下は地獄」
という過酷な労働環境に晒されていた。

下働きか、奉公か、呼び方は色々あるだろうが、
中学校や高校(当時は尋常中学校)に行けなかった。

「本当はもっと勉強したかった」って
祖父がよくこぼしていたんだよと、
祖母はしょっちゅう言っていた。



祖父は結婚後、父と叔父がある程度の年齢になるまで
漁師の仕事を続けていたが、

父と叔父を大学まで進ませるには足りず、
当時全盛だった炭鉱へ出稼ぎ労働者として赴いた。

炭鉱での採掘作業を長く経験し、
その実績を引っ提げて青函トンネルの工事に携わっていった。



元々が漁師という大きな危険を伴う仕事、
さらに家族のために炭鉱や青函トンネルの工事など
命すら犠牲にして働く祖父を間近で見て育てば、

小さな漁村、まだまだ狭い世界の子どもが

”男とは、父親像とはそういうものなんだ、
全てに耐えてこそ父としての美徳なんだ”

という価値観を抱くのは自然なことだろう。

何しろ近隣には漁師以外の仕事があまりなく、
他の家の父親もだいたい漁師か出稼ぎで不在、
他の生き方モデルを見る機会がないから。



さらに父は長男なので、
祖父はもちろん周りからの期待も大きかっただろう。

同年代の子どもの多くは漁師の跡継ぎで、
高等教育を受けに街へ出る子はあまりいない。

そんな村の小中学校で成績がトップだった父は、
下宿生活だった高校時代、

部活から帰宅し19時就寝
3時に起きて勉強し登校していたほどの勉強の虫だった。

本当の理由は勉強好きだからという他に、
命を削る祖父に応えたい責任感と
家族からのプレッシャーの狭間で揺れ動いた結果かも知れない。

※少年時代のこういう父の姿は全て祖母と母から聞いた話で、
 実際に父がどういう思いで過ごしていたのかを
 本人の口から一度も聞いてないあたり、

 幼少から父子の会話ゼロは
 健全な家庭環境ではないなと思い知らされる。



ちなみに、
父の2歳下の叔父も教師だが教科は体育。

父と違ってそこまで「進学校!受験!」と
勉強にガツガツしていないし、

「本人が好きなことをやればいい」という
おおらかでのんびりした性格。

勉強よりも運動が好きで、
難関大学を目指すことや勉強で上に行くことに
そこまでこだわりがなかったらしいが、

子どもの頃は兄と成績を比べられて嫌な思いをしたり
なぜ兄より成績が…と劣等感に苛まれたり、
次男だからこその辛い経験は多かったという。

本人の意思に寛容な性格も、
長男と祖父母との関係や緊張感を感じ取り、

上手く折り合いを付けるための
立ち位置を探した結果かも知れない。



そう考えると、僕が実家に居た時や
仕事を辞めたり失敗して弱音を吐く度に父が
「男とは」と怒鳴るように強く言い放つのは、

実は僕ではなく
自分自身に言い聞かせていたのでは、と思えてくる。

言われている僕からすればひたすら理不尽であり
親からの価値観の押し付けなのは間違いない。

事実、僕は深く傷付いたんだから許せはしない。

だけど、
父が人の話や価値観に耳を傾けないのも
幼少の僕が恐怖するほどに厳しかったのも、

そうしていないと崩れてしまいそうな自分を
奮い立たせるための鎧だったのかも知れない。

なかには
「世の中の残酷で厳しい現実を子どもに教えるために厳しくしているのだ」
と思っている親がいます。

彼らにとって人間社会は敵対的な人たちばかりであり、
人生とはそうした環境のなかで勝って生き残ることであり、
温かい心を通わせるなど最優先にすることではないというわけです。


『不幸にする親』 第二章 有害なコントロールのパターン
”彼らはなぜ愛情を与えないのか” より



命を削って家族のために働く祖父は
立派で正しかったんだ、

そしてその想いを背負って走り続けて来た
自分の生き方、価値観、考え方は間違っていないんだ、

まるでそう叫んでいるかのような、
今思い出すと悲鳴にすら聞こえる父の責め句。

だからといってそれを僕にぶつけたことは許せないが
祖父も父も、子どもらしい子ども時代を経験する機会が
もしかして無かったのでは、と気付いた。

祖父も父も、
本来の子どもの姿の抑圧を強いられる環境で育った、
アダルトチルドレンなのでは、と。



僕は今もなお、
決して満たされることも手に入れることもできないのに、
親から認められる、結果を出さない自分が受け入れられることを
どこかで期待し続けている。

→「親に褒められたかった。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0

祖母がどう関与したかはわからないけど、
祖父の生き様、そしてそんな祖父を見て育った父を想像すると、

実は父も祖父も、僕と同じものを
求めていたんじゃないかと思えてくる。

そして恐らく、
曾祖父もその父も祖父も、世代を超えて。

父を許せはしないが、気付くことはできた今、
僕はちょっとだけ冷静になれた気がする。


posted by 理琉(ワタル) at 17:05 | TrackBack(0) | 家族

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8694895

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。