2021年10月15日
少年野球のコーチが怒鳴るのは、自分が支配されるのが怖いから。
草野球の練習に行くと、
たまにとなりのグラウンドで少年野球の試合をやっている。
そして、その少年野球チームのコーチは
高確率で怒鳴り散らしている。
精神論、根性論、監督の怒鳴り声…
いわゆる「体育会系」の現場では、
いまだにこんな人たちが幅を利かせている現実。
以前の僕は、大人の男性が怒鳴るのをただ怖がっていた。
でも人間の心理を学ぶうちに、その考えが変わった。
怒鳴るのは、威嚇するのは、まわりを怖がらせるのは、
強いからじゃない、支配されるのが怖いから。
本当は怒鳴っているコーチ本人が、いちばん怯えているのではないか。
ー目次ー
人間関係の距離感を表す言葉に
「ヤマアラシ・ジレンマ」がある。
寒い冬の日、寄り添って暖を取りたい2匹のヤマアラシは
近づきすぎるとお互いのトゲが刺さってしまう。
しかし離れると寒いので、ぶつかり合いながら、
ちょうどいい心の距離感を探っていくことを例えている。
トゲを立てていないヤマアラシなら、
触れ合えるくらいに近づける。
しかし怒鳴るのは、
ヤマアラシがトゲを逆立てているのと同じ。
本当はもろい素の心に触れられたくない、
反論されて傷つきたくないから、怒鳴って威嚇する。
「何やってんだ!」
「そうじゃない!」
「やる気あるのか!?」
怒鳴り声のレパートリーがいくつあろうと、
根底にある思いはきっと、
「本当は心に触れられるのが怖いんです…。」
アドラー心理学では
「人は目的のために感情を作り出すことができる」と考える。
少年野球のコーチが怒鳴るのはどんなときか。
選手が練習どおりの力を発揮できないとき。
エラーや失点したとき。
すると、一瞬のうちに苛立ちが沸き上がり、
抑えきれないから仕方なく怒鳴る、ように見える。
しかし、”目的”という視点で見ると真逆になる。
コーチには始めから「怒鳴る」という目的があり、
自分が怒鳴ることを正当化するための材料として
選手のミスを利用した、と考える。
怒鳴りたい目的はもちろん、
ウェイターを怒鳴りつけた青年と同じ。
選手を支配したいから。
選手を自分の思いどおりに動かし、優越感を得たいから。
ヤマアラシのトゲで威嚇し、
選手が思い通りに動かないことで怒鳴る。
そこまでして支配したい理由は、
「もう二度と自分が支配されたくないから」
部活の現場はいまだに
「上官や先輩の言うことに逆らってはいけない」
というタテ社会。
コーチが選手側だった当時は、
今よりもっと「部活は軍隊」であり、
体罰も恫喝も当たり前だった。
そういう選手時代を生き抜いてきた彼らは、
自分が指導者になったとき、
「怒鳴られるのが怖かったから、自分は怒鳴らないように指導しよう」
とは、なかなか思えない。
なぜなら、怒鳴られ続けてたまった「未消化の怒り」は、
より立場の弱い者が現れたときにぶつけられるから。
この仕組みは親子の虐待の連鎖と同じ。
虐待した本人(親)にぶつけられない怒りを、
自分より弱い立場である我が子にぶつけてしまう。
そして、恐怖で支配され続けてきた代々の者はこう思う。
『支配される側になったらあんなに恐ろしい目に遭う。
だから支配される前にこちらが支配しなければ』
こうして、支配と恐怖の連鎖は受け継がれていく。
人間が自分と他者を比べる生き物である以上、
「自分の方が劣っている」と認めることは大きな苦痛になる。
そして、誰かから支配される限り、
「支配されるのはお前に力がないからだ」と伝え続けられる。
『劣っている自分、無力な自分、
そんな自分を突き付けられるのは支配されるからだ。
だったらこちらが支配すれば、劣等感を見ずにすむ。
「人を思い通りに動かせる、力ある自分」だけを見ていられる。
そうだ、自分はこの少年野球チームのトップだ。
この子たちを自分の思い通りに動かすために手っ取り早いのは、
怒鳴って恐怖で支配することだ』
腕を組み、威圧的な態度で怒鳴るコーチ。
その心の内にはきっと、劣等感から必死で逃げる少年がいる。
人間の心理を学ぶと、生きやすくなる。
怒鳴るコーチや威圧的な上司に、
理由もわからず怯え続けるのは苦しい。
しかしそれが
「本人の怯え」ゆえの行動だと知れば恐怖もやわらぐし、
その人を客観的に見る余裕も生まれる。
また、そうやって他者の感情に振り回される自分が、
実は「嫌われたくない」「傷つきたくない」「見捨てられたくない」
という思いに振り回されていることにも気づく。
「なんだ、そういうことだったのか」
「本当は相手も怖がっていたのか」
「自分が傷つきたくないだけだったのか」
それがわかるだけでも、対人関係がずっと楽になる。
<関連記事>
「男のくせに泣くな」とは誰が決めたのか。
劣等感を刺激されたら、次の日から感謝する。
たまにとなりのグラウンドで少年野球の試合をやっている。
そして、その少年野球チームのコーチは
高確率で怒鳴り散らしている。
精神論、根性論、監督の怒鳴り声…
いわゆる「体育会系」の現場では、
いまだにこんな人たちが幅を利かせている現実。
以前の僕は、大人の男性が怒鳴るのをただ怖がっていた。
でも人間の心理を学ぶうちに、その考えが変わった。
怒鳴るのは、威嚇するのは、まわりを怖がらせるのは、
強いからじゃない、支配されるのが怖いから。
本当は怒鳴っているコーチ本人が、いちばん怯えているのではないか。
ー目次ー
- ヤマアラシ・ジレンマ「傷つきたくないからトゲを出す」
- アドラー心理学:目的論「支配したいから怒鳴る」
- もう二度と自分が支配されたくない
- 支配欲の根底にあるのは劣等感
- 心の仕組みを学ぶと人生が楽になる
1.ヤマアラシ・ジレンマ「傷つきたくないからトゲを出す」
人間関係の距離感を表す言葉に
「ヤマアラシ・ジレンマ」がある。
寒い冬の日、寄り添って暖を取りたい2匹のヤマアラシは
近づきすぎるとお互いのトゲが刺さってしまう。
しかし離れると寒いので、ぶつかり合いながら、
ちょうどいい心の距離感を探っていくことを例えている。
「ヤマアラシ・ジレンマ」
人付き合いのなかで傷つくことをおそれ、
距離をおくものの、本当は仲良くなりたいという葛藤。
相手と関わることで「傷つきたくない」と思っているのです。
しかし、その一方で「コミュニケーションを深めたい」とも思っているのです。
『マンガでわかる人間関係の心理学』 より
トゲを立てていないヤマアラシなら、
触れ合えるくらいに近づける。
しかし怒鳴るのは、
ヤマアラシがトゲを逆立てているのと同じ。
本当はもろい素の心に触れられたくない、
反論されて傷つきたくないから、怒鳴って威嚇する。
「何やってんだ!」
「そうじゃない!」
「やる気あるのか!?」
怒鳴り声のレパートリーがいくつあろうと、
根底にある思いはきっと、
「本当は心に触れられるのが怖いんです…。」
リンク
2.アドラー心理学:目的論「支配したいから怒鳴る」
アドラー心理学では
「人は目的のために感情を作り出すことができる」と考える。
(上着にコーヒーをこぼしたウェイターを怒鳴りつけた青年に対して)
<哲人>
あなたには大声を出す、という目的が先にあった。
すなわち、大声を出すことによって、
ミスを犯したウェイターを屈服させ、
自分のいうことを聞かせたかった。
その手段として、怒りという感情を捏造したのです。
『嫌われる勇気』 より
少年野球のコーチが怒鳴るのはどんなときか。
選手が練習どおりの力を発揮できないとき。
エラーや失点したとき。
すると、一瞬のうちに苛立ちが沸き上がり、
抑えきれないから仕方なく怒鳴る、ように見える。
しかし、”目的”という視点で見ると真逆になる。
コーチには始めから「怒鳴る」という目的があり、
自分が怒鳴ることを正当化するための材料として
選手のミスを利用した、と考える。
怒鳴りたい目的はもちろん、
ウェイターを怒鳴りつけた青年と同じ。
選手を支配したいから。
選手を自分の思いどおりに動かし、優越感を得たいから。
リンク
3.もう二度と自分が支配されたくない
ヤマアラシのトゲで威嚇し、
選手が思い通りに動かないことで怒鳴る。
そこまでして支配したい理由は、
「もう二度と自分が支配されたくないから」
支配こそ、攻撃欲の強い人の究極目標である。(中略)
相手が逆らわず服従するようになり、
自分の思い通りに何でも決められるようになれば、しめたものである。
そうなれば、自分の言動が問題にされることも、
批判されることもなく、居心地の良い状況を維持できるのだから。
『他人を攻撃せずにはいられない人』 より
部活の現場はいまだに
「上官や先輩の言うことに逆らってはいけない」
というタテ社会。
コーチが選手側だった当時は、
今よりもっと「部活は軍隊」であり、
体罰も恫喝も当たり前だった。
そういう選手時代を生き抜いてきた彼らは、
自分が指導者になったとき、
「怒鳴られるのが怖かったから、自分は怒鳴らないように指導しよう」
とは、なかなか思えない。
なぜなら、怒鳴られ続けてたまった「未消化の怒り」は、
より立場の弱い者が現れたときにぶつけられるから。
この仕組みは親子の虐待の連鎖と同じ。
虐待した本人(親)にぶつけられない怒りを、
自分より弱い立場である我が子にぶつけてしまう。
そして、恐怖で支配され続けてきた代々の者はこう思う。
『支配される側になったらあんなに恐ろしい目に遭う。
だから支配される前にこちらが支配しなければ』
こうして、支配と恐怖の連鎖は受け継がれていく。
4.支配欲の根底にあるのは劣等感
人間が自分と他者を比べる生き物である以上、
「自分の方が劣っている」と認めることは大きな苦痛になる。
そして、誰かから支配される限り、
「支配されるのはお前に力がないからだ」と伝え続けられる。
『劣っている自分、無力な自分、
そんな自分を突き付けられるのは支配されるからだ。
だったらこちらが支配すれば、劣等感を見ずにすむ。
「人を思い通りに動かせる、力ある自分」だけを見ていられる。
そうだ、自分はこの少年野球チームのトップだ。
この子たちを自分の思い通りに動かすために手っ取り早いのは、
怒鳴って恐怖で支配することだ』
一般に周囲の人を脅したり、恐怖を与えたりするのは、
自分自身が他者を恐れているからである。(中略)
このような姿勢それ自体が、
自信のなさや無力感の裏返しとも言える。
自分に自信がなく、周囲と信頼関係を築くこともできず、
不安にさいなまれているせいで、
自分のほうが優位に立って相手を支配できるように、
震え上がらせたり、振り回したりするのである。
『他人を攻撃せずにはいられない人』 より
腕を組み、威圧的な態度で怒鳴るコーチ。
その心の内にはきっと、劣等感から必死で逃げる少年がいる。
リンク
5.心の仕組みを学ぶと人生が楽になる
人間の心理を学ぶと、生きやすくなる。
怒鳴るコーチや威圧的な上司に、
理由もわからず怯え続けるのは苦しい。
しかしそれが
「本人の怯え」ゆえの行動だと知れば恐怖もやわらぐし、
その人を客観的に見る余裕も生まれる。
また、そうやって他者の感情に振り回される自分が、
実は「嫌われたくない」「傷つきたくない」「見捨てられたくない」
という思いに振り回されていることにも気づく。
「なんだ、そういうことだったのか」
「本当は相手も怖がっていたのか」
「自分が傷つきたくないだけだったのか」
それがわかるだけでも、対人関係がずっと楽になる。
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「男のくせに泣くな」とは誰が決めたのか。
劣等感を刺激されたら、次の日から感謝する。
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