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2021年10月22日

過激な「タカ派」「ネトウヨ」の目的は、国家の力に自分を重ねて自己愛を満たすことではないか。

「タカ派」「ネトウヨ」と呼ばれる人たちの中で、
もし戦争になったら実際に戦場へ行く人はどれだけいるんだろう。


きっと、本当に愛国心に燃えて、
「祖国を守りたい」と思っている人も大勢いる。
勇んで戦場へ赴く人も多いと思う。



一方、
『自分は決して戦場へ行かないが、「ネトウヨ」的な言動はする』
という人も多いのではないか。

確かに、最前線で戦うだけが「国を守る」ことじゃない。

が、自分は安全な場所にいながら誰かを攻撃する行為は、
「祖国を守る大義名分を利用して”傷つきやすい自尊心”を守る」
ようにも見える。



本当は空虚で、そこまで特別でもなく平凡、
そんな”現実の自分”なんか見たくない。

だから
「自分は強く、特別で、偉大な存在のはずだ」
という”膨らませた自己愛”を、

「国家」や「軍事力」という強権に重ねて
満たしたいんじゃないだろうか。



ー目次ー
  1. 自己愛パーソナリティの人はタカ派になりやすい
  2. ルーツは親の期待に応えられなければ愛されなかった経験?
  3. 力への憧れは、自分が支配される恐怖の裏返し
  4. 気持ちの余裕のなさは、人を排他的にする
  5. ネトウヨの真の敵は、”自己愛の傷つきに怯える自分”ではないか

1.自己愛パーソナリティの人はタカ派になりやすい

「自分は選ばれた人間で、特別に優秀だ」

という自己像を強く持つ人、
いわゆる自己愛パーソナリティの人はタカ派になりやすいそうだ。


特に政治家は「特権意識」を刺激される環境が整っている。
「先生」「地元の名士」として力を持つほどに、その傾向が強まるという。
自己愛パーソナリティの人は、タカ派になりやすい。
戦争で一番の被害に遭う女性や子どもなどへの共感が少ないというのも一因だが、

「国家」という最大の権威に自己を同一化させて自己愛を保ち、
他国によってそれを傷つけられると激昂する
、というのも重要な要因である。

また、特権意識があるので、
戦争になったときの自己イメージというのは、あくまでも司令塔である。

『国会議員を精神分析する―「ヘンな人たち」が生き残る理由』 より


これは政治家に限った話ではない。

「腰ぎんちゃく」「虎の威を借る狐」だったり、
ドラえもんでの「ジャイアンの力を利用するスネ夫」だったりする。

強いのはジャイアンであって、スネ夫本人ではない。
が、スネ夫はジャイアンの力を自分に重ねることで、
「強いスネ夫」という自己像を保てる。



国家と「タカ派」「ネトウヨ」の人たちの関係も
これと似ている。

国家や軍事力=ジャイアン
「タカ派」「ネトウヨ」=スネ夫

だとすると、
彼らの言動が過激であればあるほど、
強権への憧れが強ければ強いほど、

「特別に力ある自己像」を
強く求めていると言えるんじゃないだろうか。





2.ルーツは親の期待に応えられなければ愛されなかった経験?

彼らが時に過激なまでに排他的なことしてまで、
誇大な自己像を保ちたいのは、

「本当は特別でも、特に優れてもいない自分」を
見たくないからではないか。

そうなった要因はさまざまでも、多くが
「そのままの自分を肯定されなかった経験」
繰り返しではないだろうか。


そして、そのルーツの多くが
「幼少期の親との関係」ではないだろうか。



たとえば、
親の期待に応えられた時だけ関心をもらえたような場合、
「自分はそこに存在するだけでは愛されない」体験を繰り返す。

親の期待に応えられない自分は愛されない、
しかしそれを認めるのは苦しすぎる。

だから「期待に応えられる優れた自分」という自己像を作り出し、
その自分だけを見ることで自尊心を保つ。




そうやって、何とか生きてきた人の人生に、
何かの不満や不安があるとしたら。

それは単に人生がうまくいっていないだけでなく、
「親の期待に応えられない無力な自分」
突き付けられている状態でもある。

『自分は人生が順調な者より劣っているのではないか?
 うまくいかなければ生きていけないのではないか?
 親の期待に応えなければ愛情をもらえなかった、幼少期のように』


その劣等感を避けるため、
傷ついた自己愛を回復させるために、
彼らが選んだのが「国家の力に自分を重ねる」ではないだろうか。

3.力への憧れは、自分が支配される恐怖の裏返し

強い力への憧れは、自分が支配される恐怖の裏返しでもある。

「人間関係は支配するかされるか」
という体験を繰り返した場合、
生きのびるためには力を持って支配することが最善になる。


先ほどの「親の期待次第」の関係では、
子どもの生殺与奪権は親に強く支配されている。

そういう環境では、
自分がやりたいと思うことは抑圧され、
やりたくなくても親が喜ぶことが優先される。



『養育者に捨てられるかもしれない恐怖。
 自分の意志が尊重されない不自由。

 それを味わうのは支配されるからだ、力がないからだ。
 強い力を持てば、支配すればそんな思いをしなくてすむ。
 自分の思い通りにできるんだ。』


このように、自分への無力感を持っても不思議ではない。



そして、無力感を抱えたゆえに
「国家の力=自分の力」としている者にとって、

  • 他国の脅威
  • 領土問題
  • 領海・領空侵犯
  • 移民受け入れ問題

などは「自分がまた支配される恐怖」につながる。

彼らが時に、過激なまでに排他的になるのは、
「自分と違う者たちに支配されるのが怖いから」
ではないだろうか。

4.気持ちの余裕のなさは、人を排他的にする

余裕のなさは、人を排他的にする。

ここで言う「余裕」とは、
経済的な豊かさ以上に「気持ちの余裕」が大きい。

  • 失敗や負けを経験しても立ち直れる
  • 少しくらい自尊心が傷ついても自力で起き上がれる

くらいの気持ちの余裕があれば、
自分とちがうものに寛容でいられる。

それはある程度、
「平凡な自分でも大丈夫」
「特別な自分像にしがみつかなくても大丈夫」

と信じていられるから。



そんな気持ちの余裕がない場合、
自分のコミュニティに属しないものはすべて
「自尊心をおびやかす外敵」に見えてくる。


だからこそ排他的になる。
もろく傷つきやすい自己像を守ることに必死になり、
他者への寛容さがなくなっていく。



ネトウヨには経営者や仕業など、
社会的に成功していたり、経済的に恵まれている人も多いという。

金銭的に困窮しているわけでもない人たちが
他者に過剰に攻撃的になるのは、

「自己愛を傷つけられる恐怖で余裕がないから」
ではないだろうか。

5.ネトウヨの真の敵は、”自己愛の傷つきに怯える自分”ではないか

『過激な「タカ派」「ネトウヨ」と呼ばれるような言動はするが、
 自分が戦場へ行ってまで、とは考えていない』


そのような人たちの”真の敵”は誰だろうか。

彼らの真の敵は、
領土問題などで揉めている他国でも、
移民や在日外国人でもなく、

「崩れやすい自己愛の傷つき」ではないだろうか。




「本当は特別でも優秀でもない自分」は
存在を認めてもらえなかった。

平凡な自分を見つづけるのがつらすぎるから、
「特別で力ある自分」という風船を膨らませた。

その風船を膨らませる空気が
国家権力であり、軍事力であり、
極端に排外的な言動ではないだろうか。



そして、その過激な言動の根底にあるのは、
「特別で力ある自分」という風船を割られる恐怖。

「本当は平凡な自分」がさらけ出され、
また親に見捨てられるかもしれない恐怖。

彼らが戦っている本当の相手は、
彼らの外側にいる何者でもなく、
「自己愛の傷つきに怯える自分」ではないだろうか。




【同一視の心理】強い国家≠強い自分。

少年野球のコーチが怒鳴るのは、自分が支配されるのが怖いから。








posted by 理琉(ワタル) at 19:24 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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